第10話 エプスタイン卿の街(4)

 伍堂とライドンが乗り込んだ馬車の荷台は人が乗ることを想定されたものではなかった。幌に覆われた荷台を見た時からそうではないかと思っていたのだが、座席ぐらいはあるだろう。そう考えていたのだが、座るような場所はない。


 木の板はむき出しで真っ平だったし、幌には隙間もなく外の景色を見ようとしても置いていかれる後方のものしか見ることができなかった。どうせなら景色が見たかった伍堂としては残念な気分になったのだが、そんな気分はあっという間に彼方へと飛んでいく。


 というのも、揺れがひどい。屋敷の敷地はまだ良かった、しかし門を出た途端にガタンゴトンと揺さぶられるものだから、下ろした腰が何度も浮き上がりそうになる。荷台の縁を掴んで転んでしまわないようにするのに精一杯だ。


 酷い乗り心地の馬車ではあるが、ライドンは何度も乗ったことがあるらしく慣れた様子だった。腕を交差させながら胡坐を組み、御者の背中を見ながら鼻歌を鳴らしている。


「なんだいこれは、酷い乗り心地じゃないか。馬車っていうのはもっとこう、椅子とかあるんじゃないのか」


 座るというよりも、伍堂はほとんど横になっているような姿勢で縁を掴んでいる。そんな伍堂に声を掛けられたライドンは鼻歌を小さくしながら振り返り、滑稽な姿を晒している伍堂を見れば遠慮なく肩を揺らす。


「そんな馬車もあるけどよ、これは荷運び用だからな。買い付けた品を受け取るために街へ行く馬車に便乗させてもらってるだけさ」


 それだけ言うとライドンはまた前を向いて、気分がよさそうに鼻歌も大きくなる。あまりの揺れに伍堂の三半規管は弱ってきてしまったらしく、手は縁を掴んだままだったがほとんど腹ばいになってしまっていた。


 情けないと思いながらも、こんな姿勢をとっておかないと車酔いを起こして吐きそうな気がするのだ。そのうちに馬車の速度が落ちてきたためか、それとも舗装された路面に出たのか揺れが落ち着いた。ほっと一息、溜息を吐きながらなんとか身を起こす。


「ねぇライドン。そういえば今から行く街にだって名前はあるんだろう? どんなところかは聞いているんだけれど、考えてみれば名前を聞いていないんだ。教えてくれよ」


「あぁ、この辺で街といえばあそこだけだからな。パウエル様も抜けたところがあるんだな、まぁいいや。街の名前はスタイン市っていうのがほんとの名前さ、もっと正確に言えば俺たちが暮らしてる屋敷もスタイン市になる。ここいら一帯の土地がスタイン市になるんだけど、スタイン市って言えば街だけを指してることが多いかな」


「そんな名前だったんだね。スタイン市ってことはあれかい、エプスタイン家の名前から名付けられたのかい? それともスタイン市を治めているからエプスタインなんて名前になったのかな?」


 鼻歌が止んだ。ライドンが振り返る、その表情は困り顔を浮かべていた。


「俺はそんなに頭が良くないんだ、そういうことはパウエル様に聞いてくれよ。毎日授業してもらってるんだろ?」


「あ、あぁうん。そうだ、そうだよね。変な事聞いてごめん」


 謝るようなことではないのだが、なぜだか責められた気がした伍堂は謝っていた。ライドンは困り顔を浮かべたまま、何かを言おうとしていたが結局言葉は出てこなかったらしい。唇を開こうとしたが、すぐに閉じてしまう。


 それが余計な気をライドンに使わせてしまったような気がして、伍堂の申し訳なさは深まるばかり。重い空気が荷台の中に立ち込め始めた。それを察したのか、御者がちらりと荷台を振り返ったが、何をするわけでもなく前へと向き直る。


 馬車の速度が落ちていき、そのうち止まった。街に着いたのだろうかと、俯けていた顔を上げて振り返る。丘の上に建つエプスタイン卿の屋敷が見えて、そこに続くように道が続いていた。自分はあの屋敷で過ごしていたのか、感慨に耽っている伍堂の耳に金属がぶつかりあう物々しい音が飛び込んできた。


 話し声も聞こえる、もしかして盗賊でもやってきたのだろうか。そんなことが頭に浮かぶと筋肉が緊張し始める。丸い兜を頭にかぶり鎖帷子で身を包み手には槍を持った兵士が一人、ひょいと顔を覗かせ荷台を覗き込む。


 悪い想像をしていたこともあり、伍堂はつい後ろへと飛びのいてしまう。その突然の動きに兵士も驚いたらしく、一瞬身構えたようだったが兵士はライドンと目を合わせると肩から力を抜いた。


「ライドンじゃないか。そこの彼は新顔かい? 初めて見る顔だけれど」


「あぁそうさ。俺の同僚だよ、度々ここに来るからよろしくしてやってくれ」


 どうやらライドンと兵士は顔見知りで、仲も悪くないらしい。ライドンは荷台を降りると、懐から金属でできた通行証を兵士に渡し、伍堂に向けて手招きをする。伍堂も荷台から下りたのだが、落ち着かない。


 すぐ目の前には武装した男がいるのだ。彼が自分たちを襲ってくるようなことがないのは分かっているのだけれども、鎧を着こみ槍を手にした兵士を前にすると緊張から萎縮してしまう。その兵士は通行証を子細に確認するとライドンに返し、笑みを浮かべながら伍堂に向けて手を差し伸べる。


「私はここの番兵だ、ライドンの同僚ということは同じエプスタイン様の許で働く仲間だ。顔をつき合わせたり、一緒に働く機会は滅多にないだろうけれども仲良くしようじゃないかよろしく」


「あ、どうもよろしくお願いします。伍堂博之、といいます」

 差し伸べられた手を握る、兵士は伍堂の手を力強く握り返すと上下に大きく振るった。それがあんまりにも力強いものだから、つい伍堂の身体は振り回されそうになったし、肩が外れるんじゃないかと危惧したほどだ。


「変わった名前だな。顔立ちもここいらじゃないみたいだし、どこか遠くから来たのかな?」


「そうなんだよ、ゴドーは東の海を越えてやってきたんだ。だからまだこっちのことも知らないことが多くてね、良かったら教えてやってくれないか」


 こう言ったのはライドンである。彼は伍堂が別の世界からやってきたことを知っているのに、どうしてこの兵士に嘘を吐いたのだろうか。その理由がわからずに伍堂は首を傾げそうになった。


 理由を教えて欲しくなった伍堂はライドンへそれとなく視線を向けた。ライドンはその視線に気づいたが伍堂の顔を見ることなく、拳で伍堂の背中を小突いた。顔を顰めた伍堂だったがこの行動でライドンの考えをそれとなく察すると、努めて笑顔を顔に浮かべる。


「そうか東の海を越えてやってきたのか、それは大変な仕事だっただろう。俺は学が無いから、東の海の向こうにどんな国があるのか知らないし、そもそも東の海というものを見たことがないんだ。良ければ話してくれないか」


 番兵は地面に槍を突き立てると、それを支えとしてリラックスした姿勢を取った。好奇心から彼の視線は真っ直ぐ伍堂へと向けられていたのだが、伍堂も東の海を見た事は無い。嘘を吐かなければならない場面がやってきたのだが、伍堂は騙るということが出来ない。


 愛想笑いを浮かべるのが精一杯で、作り話をでっちあげる余裕は無かった。助けて欲しいという思いが湧き上がるも、それを隣にいるライドンに伝える術が無い。下手なことを言えば、東の海の彼方から来たということが、真実でないことを知られてしまう。もしバレたら、その時の事を想像すると震えそうになった。


「あー、けど時間が無いんだ。俺たちパウエル様から頼まれてることがあるんだよ、だからまた今度で良いか? そっちだって仕事中なんだしさ」


「なんだパウエル様の使いか、また遊びに来たのかと思っていたんだが違うんだな。言うとおり、今は暇だが仕事中だしな。じゃあゴドーっていったよな、いつでもいいんだけど時間がある時に話してくれよな」


 大層残念だったらしく番兵は落胆の息を吐き出すと、地面から槍を引き抜いた。そして彼は背筋を正し、ライドンと伍堂に向けて敬礼を行う。即座にライドンも彼と同じく礼を返したものだから、伍堂も慌ててそれに倣った。ただ彼らのように敬礼という動作に慣れていないこともあり、どこか不格好なものだった。


 それが可笑しかったらしく番兵はくすりと笑い、伍堂の羞恥心を刺激した。恥ずかしさに顔を俯け、硬く踏みしめられた地面を見ながら軽く下唇を噛んだ。金属が擦れる音が遠ざかっていく。


「おいおい俯かないで欲しいな、これからが楽しいところなんだから。どうせだ、歩いて行こうぜ。おっさん、先に行ってくれ! おっとゴドー、俯くなとはいったけどまだ顔を上げるなよ。俺が良いって言うまで上げるんじゃない。で、俺が良いといったら後ろを向いて思いっきり顔を上げろ。理由は聞くな、けどきっと……凄いものが見れる」


 言葉を掛けられると顔を上げかけたが、すぐに言われるがままに顔を下へ向ける。蹄の音が遠ざかり、背中の向こう側が広くなっていくのを感じた。ライドンがどうしてそんな指示を出したのか、伍堂は理由を考えようともしない。


 ただライドンは自分と違って何か考えを持っているのだ、だったらその考えに従おう。一体何があるというのか、不安と期待を同時に抱きながら声を掛けられるのを待った。


「よし、そろそろ良いな。俯いたまま振り向くんだ、そしたら勢いよく顔を上げろ」

 難しいことを言われたわけでもないのに伍堂は身を固くして、深呼吸を何度も繰り返しながら方向を変えた。そして言われた通り、顔を上げる。瞬間、伍堂は目を見張り眼前の光景に圧倒されるあまりに腰を抜かしそうだった。


 そびえ立つ巨大な門があり、開かれたその向こうには馬車が横に四台並んで通れるほどの広さの通りがある。その大通りの両側には露店が幾つも出ており、並べられた品物を覗き込む買い物客、買ってもらおうとして身振り手振りを交える商人たちの姿があった。


 だが伍堂が圧倒されたのは道の広さではないし、商人たちの活気でもない。街を囲う石造りの壁に驚愕したのだ。壁を構成する石の大きさは均一で隙間なく並べられている、目いっぱい見上げなければ天辺が見えないほどの高さ。左右を見渡せば、地平線の向こうにまで続いているのではと思わせるほどに長く続いていた。


「な、すげぇだろ? 俺も初めてこれを見た時はゴドーと同じ反応をしたさ、こんな立派な壁に覆われた街は王都以外じゃここと……まっ、数えるほどしかないってことさ」


 言葉が出てこない。目を大きく見開き、呆けたように口を開けた伍堂は頷くしかできない。この高くそびえ立つ壁の向こう側に行くのかと思うと、根が生えてしまったように動けなくなってしまった。


 門の向こうに見える大通り、活気ある風景が伍堂を拒絶しているように思える。もちろんそんなことは有り得ない、露天商も買い物客も、伍堂が門の前に立ちすくんでしまっていることに気づいてなんていない。仮に気づいているものがいたとしても、わざわざ伍堂を気に掛けることなんてしない。ましてや否定などしようはずもなかった。


 拒絶を生み出しているのは伍堂の内側に存在する。引きこもり生活をしていたせいだろうか、明るく賑やかな場所に対して忌避感を抱くようになってしまっていたのだ。自身がそうなっていることを、伍堂は自覚していたのだが屋敷の生活で解消されているだろうと楽観的に考えていたのだが、染みついたものは一か月にも満たない時間で落ちるものではないらしい。


 汗を掻いたような気がして手のひらで額を拭う、濡れてはいなかったが湿り気があった。大きく息を吸って、吐き出す。身体の緊張は取れたが、心の緊張は取れない。


 そんな伍堂は傍から見れば繁栄する巨大な都市に感極まっているように見えるようで、ライドンは鼻高々に胸を張っていた。伍堂の内心に気づいている様子はないし、感づくこともないだろう。


「こんなところでびっくりしてたら、心臓が何度止まるか知れたものじゃないぞ。お前は感激しているからそうでもないだろうけど、俺も朝飯を食べてはいないんだ。屋敷じゃ食えないものをさっそく食べに行こうぜ、良い店を知ってるんだ」


 ライドンは伍堂の背後から近づき、伍堂の肩に腕を掛けたまま歩こうとする。自然、伍堂の身体は押される格好となって足が地面から離れた。そうすると不思議なもので、重い足は軽くなってライドンの歩調に合わせて動いてくれる。


 巨大な門をくぐった瞬間、人々の声が大きくなった気がした。これほどまでに大勢の声を聞いたのはしばらくぶりで、どんな会話がなされているのか聞き取ることはできなくとも音の奔流に伍堂の脳はパンクしてしまいそうだ。


 そうなると人間の身体というのは不思議なもので、無意識的に周囲の音をシャットアウトしてしまう。そして次にやって来た情報は、ニオイだった。この情報を受け取った瞬間、息を詰まらせ顔をしかめ、鼻腔を手で覆った。ライドンはケラケラと笑っている。


 柔らかに噴いている風の中に、嗅覚を刺激する臭いが混じっていた。何の臭いかはさっぱりと分からない、あらゆる臭いが混ざり合っているために要素の一つ一つを抜き出せない。ただわかるのは、鼻を刺す臭いを構成しているのは汚物だということだ。


「とんでもない臭いするよなぁ。けど、この臭いを感じると俺は胸にくるもんがあるんだよ。上手く言えないんだけど、生きてる、って感じがする。お前もするだろ?」


 彼の言わんとするところは分からないでもないが、理解できるとは言える程ではない。鼻を刺激しているのは腐敗した食物や排泄物の臭いであり、それらは人が生活を営んでいるなら発生するのが当然のものである。だからライドンは生を感じる、などと言うのだろう。


 彼の言葉の意味を分かってはいるが、清潔で公衆衛生の意識が高い日本に住んでいた伍堂にとっては強烈なものだ。不快な臭気を少しでも和らげようとして、鼻を手で覆い隠す。


「お前、潔癖症か? そんなんじゃ暮らしていけないぞ。良いさ、街を歩いていたらにおいなんて気にならなくなるだろうし。露天もいっぱい出てるし、何があるか見ていこうぜ」


 ライドンに肩を叩かれた伍堂は大通りを歩きながら、左右に立ち並ぶ露天を眺めた。店を出しているのは商人だとばかり思っていたが、どうも違うようだ。彼らの着ている服は伍堂が普段着ている服よりも遥かに粗末なチュニックで、至る所に土がついていたし、肌もよく日に焼けていた。おそらく、近隣の農民なのだろう。


 そんな彼らが店頭に並べているのは、泥のついた野菜や瑞々しい艶をした果実だった。見栄えのことなど一切考えておらず、それらは乱雑に山積みにされている。道行く人々はそれらを眺め、手に取り、少しでも質の良いものを買おうとして目利きに集中していた。


 露天の主は商品を眺める客に向かってだけでなく、通りを歩く人々に対しても商品の宣伝を怠らない。美辞麗句を並べ立てて、少しでも自分達の育て収穫した作物を見てもらおう、買ってもらおうとして声を張り上げていた。


 活気に満ちた大通りを歩いているだけで、彼らの生気に当てられたらしい。背筋は伸びてくるし、重かった足も軽くなる。鼻がバカになってしまったのか、それとも興味の対象が至る所に出来たためなのか、既に不快な汚臭は感じなくなっていた。


 大通りを進むたびに人の数は増えていく、露天を眺める余裕はなくなりぶつからないようにするだけで精一杯だ。そんな人の波を掻き分け、隙間から並べられている作物を覗いていると広い空間に出た。そこは円形の広場で、中心には甲冑を着込んだ騎士の像がある。その台座の傍らにはテントが立てられていて、男たちが何人も集まり神妙な面持ちを浮かべて何か相談している風に見えた。


 騎士像の台座にはプレートが嵌めこまれ、そこに何か書かれている。像の人物について書かれているのだろうか、気になったがそのすぐ傍には会議を行っているテントがあるため、近づくのは憚られた。ライドンに聞けばわかるだろうと振り返ったが、そこに彼の姿は無い。


 左右を見渡すが、見えるのは人ごみばかりでライドンの姿は影も形も無い。はぐれたと知った瞬間に背筋が冷たくなり、心臓が縮み上がる。あの人波の中では離れ離れになってしまうのも仕方が無いことかもしれないが、どうやって合流すれば良いのだろうか。


 日本であったなら携帯電話を使って連絡を取ることができるが、この世界にそんな便利なものは無い。途端、孤独が伍堂を襲う。どこを見ても見知らぬ光景なのだ、円形の広場を覆うようにして建てられている石造りの建物が、頭の上に倒れこんできそうな気がした。


 大通りに戻ればそこにライドンがいるかもしれない、そう考えて歩き出そうとしたが動く事は無かった。というのも、大通りを真っ直ぐ歩いたらこの広場に出たのである。なら、ここで待っていればライドンはやってくるのではないか。広場も人は多いが、大通りほどではない。ここにいればライドンは見つけてくれるはずだ。


 そんな風に考えてはみても孤独と不安は伍堂の中から去る事は無かった。彼は、ライドンはきっとここに来てくれる。そう言い聞かせて緊張を和らげようと試みた。


 また左右を見渡した、伍堂がやってきた大通り以外にも広場からは道幅のある通りが他に五本の道が放射状に広がっている。不思議なことに広場に店は一軒も無かった、そのために人通りは大通りと比べたら少ないが、六本の大きな道と繋がっている広場だ、人通りが少ないわけではない。


 真ん中近くにいるほうがライドンが見つけやすいことは分かっていながらも、ただ突っ立っているだけでは道行く人の邪魔になる。多くの人は大して気に留めることなく伍堂を避けて歩いているものの、中には睨みつけたり、露骨に咳払いをする人も居た。目的があって立っているとはいえ、いたたまれない気持ちになる。


 やはり端っこに行ったほうが良いのでは、けれどそれだとここに来るだろうライドンに見つけてもらえなくなってしまうかもしれない。思考を繰り返しても繰り返しても、伍堂は移動するのと留まるのと、どちらも選択することが出来ない。結局、伍堂は往来の真ん中で通行の邪魔になることしか出来なかった。


 近づいてくる人がいれば避けるようにはしていたが、考え事をしながらのために見落とすことだってある。やってきた誰かの邪魔をしないように道を開けると、背中が別の誰かにぶつかった。やってしまった、と焦りと罪悪を感じながら振り返って頭を下げる。


 ぶつかってしまった誰かはすぐに去ってくれるだろうとばかり思っていたが、動かない。後頭部に怒りの篭った鋭い視線を感じる。視界の中にはサンダルとスカートの裾が見えた。女の人にぶつかってしまったらしい。


「顔をあげなよ」


 高圧的な声が聞こえる、顔を上げたくなかったが悪いのは伍堂である。言われるがままにするしかないと、おずおずと顔を上げるとそこには伍堂よりも身長の低い、金髪に青い目の女性がいた。彼女は買い物の途中だったらしく、手に持っている藁を編んで作った鞄には野菜が入っている。


「随分と良い身なりしてるけど頭空っぽなの? 腰に剣も下げてるし、結構良いとこの人だよね? それがなんでこんなところでバカみたいに突っ立って、歩く邪魔してんの?」


 すみません、ごめんなさい。この二つの言葉しか伍堂は言えない。質問に一切答えようとせず、ただただ謝り続ける伍堂の態度は女性の神経を逆撫でするばかりで、見る間に彼女の白い肌が赤くなっていった。さらに怒らせてしまったことに気づいても、伍堂は彼女にされた問いに答えない。


 謝らないといけないという考えに支配されてしまっているために、彼女の質問に答える余裕が無いのだ。そんな伍堂の態度を見ていた女性は、怒りを静めたわけではないが謝り続ける伍堂の態度におかしなものを感じると、深く呆れの溜息をついた。


「もういいよ。けど聞いたことには答えてよ、どうしてこんなとこで突っ立ってんの。それ教えてくれないと、私は納得がいかないの。さぁ答えて」


 睨み付けるような視線が下からやってくる。彼女の迫力に気圧されて後ずさりそうになると、女性の手が伸びて伍堂の腕を掴んだ。直後、背後を誰かが通る気配がする。伍堂はすみません、そう言って謝った。


 彼女はまた溜息を吐くと掴んだ伍堂の腕を引いて歩き出した、抵抗したかったが負い目があるために逆らうことが出来ない。せめて今ライドンが来てくれたらいいのに、願うようにやって来た大通りを振り返ったがそこにライドンの姿は無かった。不安を強く感じながらも手を引かれるまま、通行の邪魔にならないよう広場の隅へと連れて行かれたところで腕が開放される。


「ここだったら邪魔にならないわ。さぁ答えて。私だって暇じゃないのよ」


 こうなっては逃げられないと観念した伍堂は下ばかり見ていた顔を上げる。少しは怒りが落ち着いたのか、彼女の肌からは若干赤みが引いていた。


「友達とはぐれてしまって……あそこにいたら、見つけてもらえるかなって」


 正直に答えるとこの女性、信じられないとばかりに大きく手を広げるとその場をくるりと回って頭を抱えた。


「え、あんた何歳? 私より背が高いのにガキってことはないでしょ。なのにお友達とはぐれただけで、広場の真ん中で、見つけてもらえないかなって突っ立ってたの?」


 恥ずかしさから彼女の顔を直視できない、身体の前で手を組んで俯くことしかできなかった。怒られて、馬鹿にされているというよりも、馬鹿にされてしまうような事をやってしまったことに対して羞恥を感じる。


「ったく、しょうもない男がいたもんね。ふぅん……けど……」


 値踏みするような視線が伍堂の全身を這い回る。腰に吊るした小振りな剣と耳と首元につけているアクセサリ、この三つを彼女は注視しているようで、それらを見つめている時間が長かった。そうして、彼女は腕を組みながら大きく頷く。


「いいわ。そのお友達を探すの手伝ってあげようじゃない、私はナンシー。あなたの名前も教えなさい」


「伍堂博之ですけど……あのナンシーさんが手伝ってくれるならそれは嬉しいんです、でもさっき忙しいって言ってませんでしたか?」


「良いのよそんなものは後回し。だってあんた困ってるんでしょ? 困ってる人がいれば手を差し伸べなさい、そうして善行を積むのです。って司祭様が言ってたもの、だから私の用事は後でいいのよ」


 ライドンは待っていれば広場にやってくると伍堂は思っているし、何より女性に手伝ってもらうのは恥ずかしかった。なので断りを入れようとしたのだが、彼女は善は急げとばかりに伍堂の腕を掴んで歩き出す。


 その腕を振り払おうとしたのだが、華奢に見える彼女の力は思いのほか強かった。振り払う自信はあったのだけれど、そんなことをすれば彼女に怪我をさせてしまうかもしれない。そうして伍堂は、腕を振り払うこともナンシーの好意を無碍にすることも出来ず、ただただ引っ張られるだけだった。

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