第9話 エプスタイン卿の街(3)

 明日は街に出かけるという日の晩、伍堂はベッドに横になっていたが眠ることが出来ずにいた。遠足を控えた子供のように、楽しみのあまりに興奮してしまっているというわけではない。もちろん、街に行くというイベントが楽しみで興奮しているというところは少なからずある。ただそれ以上に不安なのだ。


 こちらに来てから二週間、エプスタイン邸での暮らしにも慣れ始めていた。そんな時に、この屋敷から外に出て街へ行くというのは伍堂にとっては大事なのであった。パウエルだけでなく、ハンゲイトやライドンからも街がどのようなものなのかは聞き及んでいる。


 彼らから聞いた話を元に想像力を逞しくしてはみるものの、見たことが無いものを思い浮かべるというのは難しい。話ではあぁだったが、実際はどうなのだろう。そんなことばかりを思い、行ったことがない街が未知のものに感じられる。この未知であるということが、伍堂にとっては恐ろしいものなのであった。


 知らない場所に行くことは苦手ではないのだが、抵抗がある。新しいもの、というのは伍堂にとって分からないものに等しい。この分からない、ということが心配な気持ちを呼び覚ますのであった。


 ライドンは街を楽しい場所と言っていた。パウエルは怖い場所だと言っていた。ハンゲイトは便利な場所だと言っていた。おそらく、三人の言っていることはどれも正しいことなのだ。大きな街というのは、彼らの言ったものを全て内包している。彼らはそれぞれ、自分達の見ている街の一側面について語ったに過ぎない。


 彼らの言っていた事を統合して考えれば、エプスタイン卿の治める街は、巨大で、あらゆるものが混在している街なのだろう。想像しようとして出来るものではない、日本の都市ならともかくとして、ここは日本ではない。海外でもない、全くの異世界なのだ。その街を、イメージしようとしたところで、写真や絵も無く話を聞いただけで想像するのは無茶というもの。


 考えたところで仕方が無い。何も一人で行くわけではない、街を良く知っているらしいライドンと二人なのだ。パウエルからも小遣いを貰っているし、街でしてはいけない事も聞いている。荒事に巻き込まれたとしても、ハンゲイトが訓練を付けてくれたおかげで、それなりに動ける自信を手に入れもした。


 だから大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、寝返りを打ち窓に顔を向ける。窓の外は暗闇が広がっているが、視線を僅かに上へと向ければ煌々と輝く星が見えた。日本の夜空とは非にならない程の数の星たち、知っている星座は一つもない。この夜空を見上げると、遠いところにいるのだという実感が湧いてくる。


 ふと、家族の事を思い起こした。母はどうしているだろう、父はどうしているだろう。彼らからすれば、息子が突然いなくなったようにしか見えないはずだ。心配してくれているだろうか、警察に届けを出したりしたのだろうか。いや、そんなはずはない。


 伍堂はニートなのだ。日がな一日薄暗い部屋でゲームばかりをするという、非生産的な生活をしていた。それでいて食事だけは人並みに摂っていた、両親からすればただの穀潰しでしかない。自分達が稼いだ金銭を、ただ消費するだけの厄介者がいなくなったわけなのだから、清々しているに違いないのだ。


 星空を眺める瞳の奥が熱くなる、掛け布団の端をきつく握り締めていた。寂しさ、悲しさ、そういった感情が渾然一体となったものが胸の奥からやってきた。どうしてそんな気分になるのか、自分のことだとはいえ伍堂にはわからない。もしかすると、これがホームシックというものなのだろうか。


 このまま空を眺めていても気が滅入る一方になりそうだった。目を閉じて横になるだけでも、身体は休まると聴いたことがある。街に出かけるのなら、それは体力を使うことになるだろう。今日もハンゲイトの訓練はいつもどおりだったし、パウエルの講義が休みになることもなかった。身体も頭も疲労している。


 湧き上がる感情から逃げようと、伍堂は頭から布団を被ってしまうと身体を丸め、目を閉じた。何も考えないようにしよう、頭を動かさないようにしよう。息を吸って、そして吐く。普段は何気なく行っている動作を意識して行いながら、その回数を数えていく。


 そうするうちに、昂ぶっていた気分は静まっていく。初めは浅く早かった呼吸も、深く長いものへと変わっていく。そのうちにどこか遠くへと旅立っていた眠気が帰ってきた。それに気づいたときにはもう、伍堂は睡魔に誘われるがままに眠りへと落ちていたのだが、気づく由も無い。


 鐘の音が鳴り、目が覚めた。寝ている間に布団を剥いでしまっていたらしく、上半身に朝の日差しを浴びている。いつの間に眠ってしまったのだろうか、ちょっとしたタイムスリップを経験した気分だった。


 眠った実感は皆無だったが、頭は淀みなくスッキリとしている。ベッドの縁に腰掛けて肩を回してみる、軽い。疲労はすっかり取れているようで、安堵の息を吐き出した。窓の外、空を仰ぐ。羊雲が浮かんでいるが数は少ない、雨の気配が無いことに安心した。


 寝巻きから着替えようとして、衣装棚の戸を開けて吊るされている衣服を物色する。街に出掛けるといっても、遊びに行くのだから畏まった格好をする必要は無いはずだ。それならいつもの白いシャツに革のベストとズボンで良いだろう。ハンガーに掛けられているそれらに手を掛けたとき、ノックの音が鳴り響いた。


 女中が朝食に呼びに来たのかと思ったが、それにしては早い。いつもなら鐘が鳴ってから三〇分ほど経ってから来るのだが、まだ一〇分程度しか経っていないはずである。それに音も大きい、彼女たちならもっと静かに扉を叩く。誰なのだろう、首を傾げながら扉を開けるとそこにはライドンが立っていた。


「お、おはよう! 街に出掛けるんならこれじゃないとダメっていうのがあること思い出してさ、出掛ける前に慌てて持ってきたんだよ」


 見ればライドンは服を持っているのだが、決して綺麗とはいえないものだった。洗濯はされているのだろうが、落としきれなかった汗や汚れが染みになっていおり、元は白いシャツだったはずだが全体的に黄ばんでいる。彼の手からそれを受け取る、手触りもよくない。


「これ……随分、汚れているけれど……これじゃないとダメなの? いつもの服で良いと思ったんだけど」


 開いたままの衣装棚を指差すと、ライドンは首を振った。その理由が分からないで困惑している伍堂を押しのけるようにして彼は部屋に入ってくると、衣装棚の服を眺め始める。


「んー……綺麗な方が良いのは分かるから、着ていっても大丈夫なやつがないかと見てみたけど……やっぱ、ダメだ。今はここの服でも良いけど、街に行くときはそのシャツとこのズボンに履き替えてくれ」


 そしてライドンは随分と履き古した布のズボンを広げた。これもシャツと同じく変色していたし、所々破れた箇所は当て布で補修されているために継ぎ接ぎだらけになっていた。シャツもズボンも、明らかに古着である。それ自体は構わないだが、清潔には見えないそれらの服を理由も聞かずに着る気にはなれない。


「どうしてダメなの? 用意してくれたのに悪いけれど……色が変わってしまってるような服を着る気にはなれないよ」


「そう言わないでくれよ。ゴドーの気持ちだって分かるんだけどさ、そうだな。ちょっと見比べてみてくれよ」


 ライドンは衣裳棚の中から適当なシャツを引っつかみ、伍堂の手の中にあった黄ばんだシャツも引っ手繰るとその二つをローテーブルの上へと並べた。比べてみろというぐらいなのだから、違いがあるのだろう。顔を近づけると、もしや、と思うところが出てきた。


 いつものシャツとライドンの持参したシャツ、この二つの肌触りを確かめると素材が違うことが分かった。いつも着用しているシャツと比べると、ライドンの持ってきたものは肌触りが悪いし、生地が固い。ズボンも同じだった、良いとは言えない肌触りをしている。


「気づいたか。ゴドーが普段着てるシャツは絹のシャツなんだけれど、今渡したやつは違うんだ。この屋敷は公爵様のものだから、安物……はっきり言っちゃうと、街に住んでる庶民が手に入らないようなものだって当たり前に置いてある。その服だってそうさ、街の連中には絹で出来た服なんて絶対に着ることが出来ない高級品なんだよ」


「けどだからといってそれを着てはいけない理由ってのはなんだい?」


「おいおい、そんなこともわかんないってのはないぜゴドー。ちょっと想像してみてくれよ、お前さ自分より裕福なやつが目の前を一人でのんびりと歩いていたらどう思う?」


「どう思うも何も、稼いでいるんだなすごい仕事をしているんだな。そのぐらいだようん、それだけだ」


 深いため息を吐かれた。呆れたような驚いたような、どちらとも取れない表情をライドンは浮かべている。


 もう一度彼に言われたシチュエーションを想像してみたが、やはりそれだけだった。あえて言うなら羨ましい、ぐらいだがわざわざ口に出すようなことでもない。


「前から思ってたんだけどゴドーはこう、甘いというか抜けてるというか優しいというか。そんなところあるよな」


 褒めているのか馬鹿にしているのか、どちらかといえば馬鹿にしているだろうこの言葉に不快な気持ちを覚えた。しかし僅かとはいえ褒められているかもしれないと思うと、伍堂は何も言えずに少しばかりの苛立ちを押さえ込む。


「羨ましいだけで終わってくれるやつばかりじゃないんだよ、妬ましいって思うやつもいるのさ。それだけで終わってくれれば良いんだけど、抑えきれずに強盗になっちまうやつだっているんだ。そんなのはほとんどいないけれど、ほんのちょっぴりとはいえいる。そういう奴らからは目を付けられないようにするのが一番で、それには高級なものを身につけないってのが一番なんだよ」


「ということはライドン。今、僕が付けてるこのイヤリングとチョーカーも外したほうがいいのかい?」


 耳につけているイヤリングに触れる。このイヤリングとチョーカーには宝石が嵌められていた、その石の価値がどれ程のものか伍堂は知らない。だが宝石ならば、高い価値があるのは間違いなく高級品を身につけない方が良いのなら、この二つも外したほうが良いのではないかと思う。


 しばしの間、ライドンは伍堂のアクセサリを見ながら悩んでいた風だったが、首を横に振った。


「いや、それは付けておこう。外すほうが良いのは確かなんだけど、それがなかったら話をするのは難しいと思う」


「毎日パウエルさんに教えてもらってるし、日常会話ぐらいなら何とかなると思うんだけど」


「いいや無理だね。聞き取ることは出来るかもしれないけれど、話すほうはどうだろう。発音が完璧じゃなきゃ危ない、余所者だと思われたらいっぺんに危険になる。余所者ってのはそいつを守る仲間がいない、っていう風に思われやすい」


「そうなのか、それじゃあ付けておいたほうがいいんだろうね。けれどライドン、君は一体僕をどんなところに連れて行こうっていうんだ。君の話を聞いていると、随分と危ないところに連れて行かれるんじゃないかって気がしてくる」


「なーに言ってくれるんだいゴドー。俺はお前を楽しいところに連れて行くって前々から言ってるだろう? 危ないところに連れて行く気は無いよ、けれど危険な要素ってのは出来る限り事前に取り除いてしまいたいじゃないか」


 大きく両手を伸ばし胸を広げるライドンの仕草は、信じてくれとアピールしているように見えた。嘘を吐いていたり、騙そうという雰囲気を感じることは出来ないのだが、どことなく胡散臭いものがある。疑っているのだぞ、という内心を仕草で伝えようとして、伍堂は目を細めながらじっとライドンの顔を見つめ、彼と目を合わせようとした。


 すると彼は顔を背けて、視線を交わそうとはしないのだ。これはますます胡散臭い。今の発言に嘘の雰囲気は無かったように思っていたが、今はその雰囲気が感じられる。危険が無いようにしようというのは真実なのだろうが、良くない場所に連れて行く気に違いない。


 きっとそうだ、そうに違いない。パウエルとハンゲイトはそれを分かっていたのだ、出なければハンゲイトが突然に護身術を教えるなんてことはなかったはずだ。


「わかったよ、そんな目で見るんじゃない。俺はお前はあの街のだな、楽しくて面白い店がいっぱいある所に連れて行ってやりたいんだ。けどそういう場所っていうのはさ、どういうわけだが良くない連中ってのが集まってたりするんだ。わかるだろ?」


 これには伍堂も同意した。伍堂が想像する楽しくて面白い店というのは、カラオケやゲームセンターそしてボウリング場といった場所だったが、そういった場所にはヤンキーのような柄の悪い連中がたむろしていることが多い気がする。この世界にカラオケやゲームセンターは無いはずだが、それらのように娯楽を提供する店があるのは不思議なことでもない。


 ハンゲイトが護身術を叩き込んできた理由に合点がいくと胸が軽くなった気がした。しかし同時に、身を守る技術が必要な場所に行くという確信が得られると、軽くなったばかりの胸に重いものが入り込んでくる。その重さに、出掛けることが楽しみではなくなってしまい、億劫さすら感じられた。


 しかし今更になって行くのが嫌です、なんてことは口が避けても言えない。この日のために準備をしていたのはライドンだけではない、特訓をしてくれたハンゲイトもそうだしパウエルだってそうだ。彼らの事を考えると、どれだけ億劫で、不安があって恐怖があっても街に行くしかない。


「そんなしょぼくれた面をするなよ。そうだよ危ないこともある場所さ、けどこうやって危ない危ないっていうのも注意はしておいて欲しいっていうだけでそこまで危ないわけじゃない。暇を貰ったときは良く行くけど、そんな酷い目にあったことなんて俺はないし」


「ライドンがそう言うんだったら、信じることにするよ。本当に危ない場所じゃないんだね?」


「あぁそうだよ。俺に任せておいてくれよ、そしたら俺はお前にまたとないほど愉しい経験をさせてやれる。神に誓ったっていいぐらいの自信が俺にはある」


「わかったそこまで言うならライドンを信じることにするよ。この服に着替えれば良いんだね?」


 ライドンが頷いたのを見た伍堂はさっそく着ている服を脱ぎ、渡されたシャツを着ようとして広げた。そこでしばしの間、動きが止まった。絹と比べれば肌触りの悪いシャツだが、それはさして気にならない。汚れが目立つのも特に気にならなかった、薄暗い部屋に引きこもっていた時は汗染みのついた服でも平気で着ていた伍堂なのだ。


 ただ臭い、これが気になった。洗濯はされているようだが、繊維の奥の奥まで染みこんでいる汚れがほのかに酸味のある臭いを放っていた。承諾してしまったとはいえ、そんな臭いのする服を着るのはどうも気が進まない。他の服があればいいなと期待しながらライドンを見ると、ため息を吐かれてしまった。


 希望が叶わなかったことに落胆すると肩が落ちた。着てしまえばたいしたことは無い、人間の嗅覚というものはすぐバカになってしまうもの。気合を入れて呼吸を止めて渡された服を着る。着替え終わった時に大きく息を吸い込んだ、伍堂が思っているほど鼻はバカではないらしい。酸っぱい臭いを一杯に肺へと入れてしまい、小さく咳き込んだ。


「良いじゃないか、よく似合ってるぜ。そうしたら早速、街に出掛けよう」


「もう出掛けるだって? 朝食はどうするんだい、朝の鐘はなったところだし君だってまだ食べてないだろう。遊びに行くんだったら腹ごしらえは必要だよ」


「そんなものは街で食べたらいいんだよ。せっかく出掛けるんだ、この屋敷じゃ食べられないようなものを店で食べようじゃないか」


 ここよりも美味しいものがあるのだろうか、それを伍堂は聞こうとしたのだがライドンはもう部屋を出てしまっていた。仕方なしに伍堂も部屋を出たのだが、ライドンは既に廊下を渡って階段の踊り場から半身を覗かせ、早く来いとばかりに手招きをしている。


 やれやれ、と鼻から息を出した伍堂が早歩きを始めたのを見たライドンは軽快な足音を響かせながら階段を下りていった。静止の言葉を掛けはした、だが聞こえなかったのかそもそも聞き入れる気が無いのか、足音はどんどん階下へと向かっていく。足早にライドンの後を追いかけたが、追いつくころには玄関ホールまで来た時だった。


 四人の大人が並んで通れそうなほど広い扉は開け放たれており、そこから幌つきの二頭引きの馬車が見えた。どういうわけだか、玄関ホールにはライドンは当然のことながらパウエルとハンゲイトの姿がある。ハンゲイトはにこやかな表情を浮かべながら落ち着き払っていたが、パウエルはといえば視線を至る所に向けており忙しなく体を揺らしている。そのパウエルは伍堂の姿を認めると手招きをするのだ、伍堂は足音を立てないように彼へ近づいた。


「おはようゴドー、今日は良い天気だ出掛けるには絶好の日和と言えるだろう。街は楽しい場所だ、私だって好きだ。エプスタイン卿の街ということは、彼に仕える私の街でもあるわけだからね。けれど良いかいゴドー――」


 パウエルがそこまで言ったところでハンゲイトが手を叩く、その音が玄関ホールに反響したものだからパウエルは喋るのを止めた。彼は眉間に皺を寄せると険しい視線をハンゲイトへと向ける。


「ゴドー君だってそんなことはわかっているはずだから、母親のような心配をしなくても良いじゃないか。それに私たちが彼らの見送りに来たのはそんな理由じゃないだろう、ライドンは早く出掛けたそうだし御者だって待たせていることだ。渡すものを渡して、彼らを送り出してやろうじゃないか」


「あぁそうだった、うん。さてゴドー、君は私の教え子だからねどうしても心配せずにはいられないんだ。決して君が出掛ける事を快く思っていないとか、そんなことは一切無いから安心してライドンと出かけてくるといい。そしてこれは僅かばかりとはいえ、私たちの気持ちだ自由に使うといい。さぁ、手の平を出しなさい」


 言われるがままに手の平を出すと、その上に革紐で口を縛った袋が置かれた。それなりに重さがあり、試しに揺らしてみると金属の擦れあう音がする。もしやと、紐を緩めて袋の中を覗いてみれば銅貨が詰まっていた、少ないながらも銀貨と金貨も入っていた。


 目を見開きながらパウエルを見上げると、気恥ずかしいのか彼はそっぽを向いてしまう。


「何も持たずに行ったところで遊べるわけが無いからな、それはパウエル殿からの小遣いだよ。私からも渡しておくものがある、扱いには気をつけてくれよ」


 小遣いを貰えるなんて思っていなかったし、数えなくとも渡された額が多いことは理解できている。その驚きから抜け出せないでいるうちに、ハンゲイトは伍堂に向けて片手持ちの小振りな剣を差し出した。慌てて財布代わりの袋をベルトにきつく結びつけ、両手で恭しく剣を受け取る。


 いつも稽古で振るっている木剣と変わらない重量のようだったが、重たく感じた。ハンゲイトが剣を抜くような仕草をするので、伍堂は柄を握ると恐る恐る鞘から剣を中ほどまで引き抜いた。輝く刀身は鏡のように驚きに目を開いたままの伍堂の表情を映し出す。


 初めて目にした真剣に体が震えそうになったので、深呼吸で落ち着かせながら鞘へと納めた。まさかのことに心臓は高鳴り始め、唾を飲み込むとゴクリと音がした。


「使うことはないだろうし、その剣を決して引き抜いてはいけない。それは持っているだけで効果がある、武器を持つということは抑止力になるからな。いいか、絶対に抜いてはいけないぞ? いいね?」


 ハンゲイトの手が伍堂の両肩を掴んだ、彼の目は伍堂の瞳を真っ直ぐに見ている。肩を掴む手の力は強い、自分の心臓の音が五月蝿いほどだった。刃を見て真剣が手の中にあることを実感したせいか、渡された直後よりも重たくなっている気さえする。


「いいか、絶対抜くんじゃないぞ? 持っているからこそ意味があるものだ、抜けばその意味はなくなると思え」


 ハンゲイトの声は低く重い、本気だということが良く分かる。どんな言葉を出せばいいのか、頭は固まってしまって何も思い浮かびはしない。ただそれでも、ハンゲイトの言葉を理解したと伝えるためにぎこちなくはあったが頷いた。ハンゲイトは最後に、伍堂の両肩を軽く叩いて手を離す。


 小刻みに震える手で、伍堂は剣を刷いた。凶器を持っているのだと思うと恐ろしくなると同時に、武器を手にすると強くなったような気がした。


「ではそろそろ出掛けてもよろしいでしょうか?」


 ライドンの問いに二人は同時に頷いた。


「じゃあ行こうぜゴドー。では、出掛けてまいります。夜が暮れてしまわないうちには戻るつもりでいますし、何かあれば役人に言伝を預からせ走らせますので。それでは行ってまいります」


 背筋を伸ばしライドンが敬礼を行うと、二人もまた返礼を行う。彼らの真似をしたほうが良いのだろうかと、見よう見まねで伍堂も敬礼を行った。くるりと踵を返したライドンが外へと出たので、パウエルそしてハンゲイトに一声掛けてから伍堂もまた外へと出る。


 ライドンがそうしていたように、馬車の荷台へと乗り込んだ。御者は伍堂とライドンが乗り込んだのを確認すると鞭を振るう、馬のいななきが聞こえ馬車が動き出した。

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