第7話 エプスタイン卿の街(1)

 起きて着替え、パウエルとハンゲイトと共に朝食をとる。その後は昼食までパウエルの語学授業。昼の食事の後も引き続きパウエルの授業があるが、語学ではなく王国の歴史や文化を学ぶ勉強が始まった。


 それが終われば日が暮れるまでハンゲイトによる特訓がある。初日は声出しと素振りだけだったが、翌日以降は型稽古だけでなく訓練用の防具を身につけた状態での実戦に近い試合形式の練習も始まり、武器を持たない状態での、つまり格闘技の稽古も始まった。


 一日のうち、最低でも九時間。もしかすると一〇時間を超えるかもしれない間、伍堂は勉学と訓練に明け暮れる日々を送っていた。今までニートとして、引きこもり生活を続けていた伍堂にとってこの日々は肉体的に辛いものだったが、決して苦ではなかった。


 パウエルは授業の終わりにいつも簡単な試験を行った。間違うことがあると、彼は丁寧な解説をしてくれたし、正解すると伍堂がつい恥ずかしさで赤面してしまいそうになるほど褒めてくれるのでつい謙遜してしまう伍堂だった。その内心はといえば満ち足りたもので、ここまで褒めてくれるのならば頑張ろうと思えたし、間違っても馬鹿にされないために安心して日々の試験に臨むことができた。


 ハンゲイトもパウエルと方針は変わらないようだったが、パウエルと比較すればそれは厳しいものだった。伍堂が少しでも気の緩みを見せれば喝が飛んでくる。つい涙を流しそうになるが、その度にハンゲイトは伍堂を真っすぐに見据え、戦いの厳しさ恐ろしさを己の体験を交え語った。


 肉は千切れ骨が軋みそうになるほど苛烈な訓練ではあったが、伍堂は逃げ出そうとすら思わなかった。最初の日に覚えた悔しさ、ハンゲイトに必ず一撃を入れてやるという目標がある。それが達成できるのはかなり先のこと、一年いやそれ以上の年月が必要になるかもしれない。それでも伍堂は投げ出す気はなかった。


 湯を浴びて寝る頃になると、稽古により酷使された肉体は熱を持っていた。頭も勉学のために熱を持ち、焼けた鉄になったような気さえするほど。最初は辛いと感じることがあったが、三日も経てばこの身体を火照らせる熱が心地よくなってきた。


 やることがある、打ち込むべきことがあるというのは伍堂にとって幸いなことだった。ホームシックにならないのは家のことを思い出す暇がないということもあるかもしれない。それ以上に大きな理由は、伍堂はやはり逃げていた。


 カーテンで閉じられた、薄暗い四畳半の自分の部屋で過ごした日々を思い出すことを無意識のうちに拒絶しているところがあった。逃避という後ろ向きなものではあるが、そのおかげで伍堂は勉学と鍛錬に何を挟むこともなく集中した。


 その甲斐もあり、勉学も戦う技術も見る間に向上していった。二週間もすればちょっとした挨拶程度のやり取りが詰まることも多々あれど、イヤリングとチョーカーの助けが無くても出来るようになった。


 剣の腕も語学ほどには実感できることが少なかったが、振るう剣は鋭さを増していったし足の運びも乱れやもつれが少なくなっていく。これらのことに、二人の教師は満足げで、夕食の時になるとどちらが優秀な教師なのか、パウエルとハンゲイトは笑いあいながら競っていた。


 この二週間で起きた変化は語学や剣が上達しただけではない。知人が一人増えた、名前をジョン・ライドンという男で騎士見習いとしてハンゲイトの従者をやっていた。身長は伍堂よりも低く、顔はニキビの痕だらけだしすきっ歯、癖のある赤毛の持ち主でありお世辞にも美男とは言えない。歳は一九であり伍堂と同じだった。


 出会いはハンゲイトの引き合わせによる、ハンゲイトが伍堂に同じ年頃の知り合いがいた方が良いと考えたために二人を合わせたのだ。パウエルやハンゲイトと違い、貴族の生まれでなく庶民のそれも下層の出身である彼は言葉や態度に不躾な所が多々あった。そのことにハンゲイトは教育が足りずに申し訳ないと、伍堂に謝罪をしたが伍堂からすれば気楽なものだった。


 伍堂は歯並びも良く皮膚病を患った痕もないために、パウエルやハンゲイトの目からすると裕福な家の出に見えているようだったが、中流家庭の生まれである。二人の教師とやりとりをすると肩肘を張ってしまうところがあるが、ライドンの育ちの悪さは気楽なところがあった。


 多くの時間を勉学と鍛錬に費やしているため、ライドンと接する時間はそう多くない。彼と話す時間と言えば僅かな休憩時間の間に限られていたため、多くを話すことはなかった。けれども伍堂にとってその時間は気の休まる時間だった。


 ライドンは伍堂がこの国のことを知らないことや、言葉を喋れないことを小馬鹿にすることがあった。それはライドンが伍堂に対して気を使っていないことの証拠であり、また親愛の情の表れでもある。ライドンがどこか人好きにさせる雰囲気を纏っていたこともそう感じる理由だろう。


 ある日のこと、鍛錬の休憩時間にライドンは冷たい水の入った水筒をもって石造りの訓練場へとやってきた。


「なぁゴドー、お前さこの屋敷の外って行ったことある?」


「いいや無いよ」


 冷たい石の壁にもたれ身体を冷やしながら、ライドンが差し出した水筒を受け取るとさっそく口を付ける。熱くなった体に冷水が染み渡ると、汗が噴き出した。ライドンは伍堂の隣に座ると、同じように壁に背を付ける。


「行ってみたいとかって思う?」


 考えてもみなかった。言われると気になり始め、どんなところなんだろうかと興味が湧いてくる。


「うーん行ってみたいのかな、どんなところなのか気になるところはあるけど。そこまで行きたいとまで思ったことはないかな」


「ゴドーが言えば連れて行ってくれると思うぜ。けどどうせなら俺が案内したいね、ハンゲイト様やパウエル様と一緒に行ったらつまらないとこばっかり連れていかれると思うし。俺なら面白いって場所に連れて行ってやれる」


「面白いって、どんな場所? お芝居とか?」


 ライドンは大きく息を吸うと、呆れるように溜息を吐いて肩を落とす。多分、彼がいう面白い場所というのは遊び場のことなのだろうが、伍堂はこの世界の遊びというものを知らない。伍堂の中で遊びといえば、ゲームやカラオケだがそういった物がここに存在しないことはわかっている。


「わかってねーなーゴドー。遊ぶ場所つったら、一つしかねーだろ?」


 ライドンは伍堂に顔を近づけるとそのすきっ歯を見せるようにして笑い、人差し指と中指で輪っかをつくってみせた。何かを示すハンドサインのようである、ライドンの笑い方を見ていると彼の言う遊びとは上品なものではなさそうだ。


「一つしかないって言われてもなぁ……居酒屋とか?」


 伍堂にはそのぐらいしか思い浮かばない。ただこの答えはライドンのいう遊びに近いところがあったらしい、唇を真一文字に結んで小首を傾けていた。


「近いと言えば近いんだけど……女だよ女、お前興味ねーの? あるだろ? 男なんだからさ」


「そりゃあ……もちろんあるよ、けどなぁ……」


 女性が自分に目を向けてくれるとは思ってもいない。伍堂は美男子とは程遠いし、面白い話ができるわけでもなく、一芸に秀でているわけでもない。女性にアピールできるようなものを持っていないのだ。


 とうの昔に諦めてしまっていたことを思い起こすと、俯き気味にため息が出てしまう。


「よっしゃそんなら俺に任せとけ!」


 自信があるらしく、ライドンは片目を瞑りながら己の胸を拳で叩く。女遊びに誘われていることは分かるし、そういう場所があるのなら行ってみたい。男なら誰もが持つ欲望はもちろん伍堂にだってあるし、どんな場所だろうという好奇心だってある。


 もちろん不安が無いわけでもない。女遊びをする場所で伍堂が思いつくのはキャバクラなのだが、そんな店に行った経験はない。未知のものに対してというのもあるし、家族や親戚以外の女性と話したことも数えるしかない。女性とコミュニケーションを取れるだろうかという心配もある。


「そんな不安そうな顔すんなって、俺に任せときゃ良いんだからよ」


 ライドンに背中を叩かれると、これといった根拠はないのだが大丈夫だろうという気がしてくる。パウエルやハンゲイトがその許しを出してくれるだろうかというところはあるが、ライドンを見ているとその点を気にしなくても良さそうだ。


「おう、そんじゃさっそく行ってくるわ!」


 言うが早いか、ライドンは立ち上がると訓練場から走って出て行った。それからしばらくすると席を外していたハンゲイトが戻ってくる。彼は休憩する間、いつも訓練場から出ていくのだ。


 戻ってきたハンゲイトはいつもと比べると難しそうな表情を浮かべており、眉間に皺も寄っていた。多分ではあるが、ライドンと話をしたのだろう。けれど彼はライドンのことも、外出のことも口に出さずに休憩時間の終わりを告げた。


 休憩の間に冷え身体を温めるため、軽い柔軟体操をしてから稽古が再開する。


 集中していたつもりだったが、伍堂の頭の中は見たことのない街のことでいっぱいだった。どんなところだろう、女性と遊べる場所とはなんだろうか。


 そんなことを考えているものだから、剣のキレは悪くなるし足運びだって鈍くなる。それを見逃さないハンゲイトではないし、伍堂の頭の中を看破しているからだろう。今日の喝は普段より激しく、ハンゲイトの木剣が石造りの床を打つ。


 打擲の音はよく響き、伍堂の肩がびくりと跳ね上がる。悪いのは伍堂だ、剣の訓練に邪念を抱いてはならない。ハンゲイトの喝に応えるよう、腹の奥底から声を出して雑念を吹き飛ばす。


 ただ三大欲求に根差しているものであるためか、声を出した程度では振り払えるようなものではない。マシになりはしたが、その日の伍堂の動きは悪かった。


 稽古の時間が終わった時、ハンゲイトは伍堂に対して何か言いたそうにしていたが何もいう事は無かった。どの動きが悪かったのか、次はどのようにすればよいのか、そういった解説を淡々とこなしていくハンゲイトに対し罪悪感を覚える。


 この反省もあり、パウエルの講義では余計なことを考えずに望むことはできたが、ハンゲイトに感じた申し訳なさが消えることはなかった。その気持ちを抱いたまま夕食の時間がやってきたので、女中に連れられて食堂へと向かう。


 テーブルに座り、パウエルとハンゲイトが来るのを待ったが中々来ない。体感で一〇分ほど経ったころ、二人がやってくる。二人とも何かを考えあぐねているようで表情が硬い。料理が並べられ、祈りの文句を唱えて食事が始まったが二人の表情は変わらない。


 会話もなかった。食堂は静かで、たまに食器がぶつかる音が聞こえる程度だった。昼間のこともあるし、伍堂は二人の顔を直視できなかった。自分の前に置かれていた料理だけを見るようにして、淡々と口に運ぶ。


 美味しいはずの料理なのに、不思議と味を感じることが出来ずに砂を噛んでいるようだ。いたたまれずに、早いうちに食べて部屋に帰ってしまおう。そうと決めて食事のペースを上げると、パウエルが口を開いた。


「ライドンが君を街に連れて行きたいと聞いたのだけれど、君は本当に行きたいのか?」


 伍堂の食器を動かす手が止まる。顔を上げなければならないのだが、その度胸が無くテーブルを見たまま頷いた。


「そうか……ふぅむ……」


 顔を上げる。パウエルは食器から手を離し、椅子の背もたれに身体を預け顎に手を当てていた。


「やっぱり、ダメなんでしょうか?」


「そんなことはない、まったくないとも。その点に関しては安心してくれたまえ、君には近いうちにエプスタイン卿の治める街を見て欲しかったところだし、二人の間でそれをいつにしようかという話もあったぐらいだ。ただ私たちにも気がかりな点があってね」


「ライドンと二人、というのがなぁ」


 ハンゲイトが呟くと溜息を吐く。問題になっているのは街に行くことではなく、ライドンが案内するというところらしい。ハンゲイトは水を口に入れて喉を潤してから続ける。


「自分の従者のこととはいえ、あれは少々考えなしの所があるし遊び好きだ。ゴドー君をいかがわしい場所に連れて行くのは間違いないと思っているし、ライドンはそのつもりのはずだ。男ならそういったものに興味を抱くのは至極当然の事であって、健康的であるとすら言える。実を言えば、君がそんな所に行きたいというのなら止めようという気はないのだ」


「待ちたまえハンゲイト。その発言は聞き捨てがならないな、私たちは教育者だぞ。ゴドー君を正しく導いていく必要がある、君がどんな考えを抱いていようが勝手だし自由だ。私だって君のその考えを間違っているという気はない、だがそれを口に出すだけでなくあまつさえゴドー君の前だぞ。これは問題だ」


「貴殿は問題だというがどこが問題なのだね。異性に関心を抱くことは健全な事だ、そういった欲が無い事の方がむしろ問題である。商売女と触れ合わせたくないという気持ちがあるのは理解するがね、そういったものも含めて我が国ではないのか。世の中は高尚な物ばかりでないということは充分に承知しておられるはずだ。崇高なものを教え理解して欲しいのであれば、下劣で低俗なものだって見せておくべきではないかね」


 目の前で始まった口論を止めようとしたところで、伍堂が二人に言えるようなことはない。せめて助けを、と壁際に控える女中たちに目配せしたところで彼女らはマネキン人形のように眉一つ動かすことはなかった。


 席を立つこともできず、その場で息を潜めるしかない。二人の荒だった声を聞いているだけで胸が締め付けられそうで、耳を手で押さえて何も聞かずにいたくなってくる。けれども、そんなことをすれば何を言われるかたまったものではない。


 伍堂は膝の上に手を置き、じっと俯く。二人の声を意識に乗せないようにしながら、嵐が過ぎるのをただただ祈っていた。


 盛んなのを通り越し喧々とした議論とも呼べない言葉の応酬、それが終わるのを待っているだけ、耐えているだけだというのに苦しい。一度も口を開けていないにも関わらず呼吸が乱れているし、胸の鼓動も大きい。心臓が肋骨を突き破るのではないか、などという有り得ない妄想にまで至るほどだ。


「まったくこの議論は着地点というものがまったく見えてこない、話しているだけ時間の無駄だという気がしてきた。赤ら顔になっているハンゲイト君はこの私の意見についてどう思うか聞かせていただこうか」


「お言葉ですがパウエル殿も随分と顔を赤くしておられる、鏡はありませんがグラスに自身の顔を写してごらんになるとよろしいかと。さておき、実のところを言えば私もその意見には大いに同意するところがあります。我々のこれは既に議論と呼べません、話は平行線を辿るばかり。ですが放置してよいこととは思えませんが、パウエル殿はどうお考えで?」


「話が終わらないという点において我々が一致したのは喜ばしいことだな。私もこの議論は答えを出さねばならぬものと考えている、しかし我々二人が話したのでは先に進まない。ただ、ゴドー君を街に行かせたいというのは私も君も同じはずだが、念のため確認しておきたいね」


「ここに来る前に話したときと同じですとも、私の意見は変わりませんよ。ゴドー君にはぜひとも、エプスタイン卿の治める街を、そこに暮らす人々の息遣いを直に感じてもらいたい」


「安心したよ、その点に置いて一致したのなら後は誰が案内するかだ。私たちで案内するか、あのライドンに任せてしまうかで意見が分かたれた。その程度の相違で私は君と反目するようなことにはなりたくない。結論も出さねばならない、そこでだ。街に行くのは結局のところゴドー君なわけだ、誰と一緒に行きたいか、彼の意思を尊重するのが最良ではないかと考えたのだがどうだろうか?」


「まったく同意する他はありませんな。そもそも考えてみればゴドー君の意思を尊重すべきであって、我々二人が議論を交わすようなことではない。えぇ、パウエル殿の意見に両手を挙げて賛成しますとも」


「そういうわけだゴドー君。私と彼の友情を壊さないためにも、ここは君が誰と街に行きたいのか口にしてもらおう。私たちかライドンかの二択ではない、一人はさすがに無理だが出入りの商人などに案内を頼んだっていいのだしね」


 熱く意見を戦わせていたかと思えば、パウエルとハンゲイトは意見を一致させ同じような目でゴドーを見た。


 彼らの話を意識的に聞かないようにしていたとはいえ、耳に入る話を止められるものではないのである程度は把握している。しかし、突然に話を振られるだけでなくそれなりに重要であろう選択を迫られたのだ。話しかけられ、顔を上げたは良いもののなんと答えたものかが分からず、教育者二人の顔を交互に見るばかり。


 それをしたところで、この二人も答えを持っているわけではない。持っていないし、議論で導き出すことも出来なかったからこそ伍堂に尋ねている。伍堂の中には答えがある、伍堂が望んでいることこそ答えなのだ。だが伍堂も答えを持っていない。


 街に行ってみたいのは本当のことだが、誰と行きたいとまではなかった。それを正直に言うべきか悩んだが、もし嘘偽りの無い心の内を答えれば、途端に二人は議論を再開するだろう。誰もそんなことは望んでいないし、パウエルに至ってはハンゲイトとの議論を続けたくないとまで言っていた。


 じわりと額に汗が浮かぶ。やりたいことを言えばいいのだ、分かっていてもそのやりたいことが出てこない。ライドンが連れて行ってくれるとばかり思い込んでいたせいもある、ならライドンと行きたいと言えばいいのか。ただパウエルはライドンと一緒に行って欲しくはなさそうだ、彼には世話になっている自覚がある不快な思いをさせたくない。


「ゴドー君。こっちを見なさい、余計なことは一切考えなくていい。君が成したいことを言いなさい、何を言おうとパウエル殿はそれを受け入れる」


 言われるがままハンゲイトを見る。稽古の時と同じく、真摯で厳しく度量の深さを感じさせる眼差しだった。瞳だけを動かしてパウエルの顔色を窺う。視線に気づいたパウエルはハンゲイトに言葉に賛意を示すよう頷いた。


 誰と行きたいのだろう、改めてそう考えたときに頭に浮かんだのはライドンだった。パウエルではない、何故だろうか。深い理由は無いのかもしれない、街に行こうと誘ってくれたのがライドンだったから。その程度の理由なのだろう。


「……ライドンさんに、案内をお願いしたいです」


 この一言を言うのには多大な労力を必要とした、口の中はからからに乾燥していた。言ってしまえば胸のつかえが取れ、肩も軽くなる。どこかに出かけていた食欲も帰ってきた。


「そうか、ライドンがいいか……君の意思を最大限尊重するべきなのは分かっていても、やつが案内人と思うと……うむ、頭も胸も痛くなるな」


「あまりライドンが悪くなるようなことを言ってやらないで欲しい。彼が私の従者だということもありますが、彼の問題とされるところは同時に長所でもありますので」


「すまないハンゲイト、私とてそれは知っているつもりだよ。けれどゴドー君に悪影響が出ないだろうかと、それが気がかりなのさ」


 小さく声を出して笑ってみせるパウエルではあったが、口に出している通り不安を拭えずにいるため、その笑いは乾いたものだった。パウエルはライドンの何を気にかけているのか、いまひとつ察することが出来ない伍堂ではあるがもしかすると、というところはある。


 ライドンは、なんというか軽さを感じさせるのだ。普段の付き合いの中からそういったものが見え隠れしていた。軽率と言ってしまってもいいのかもしれないが、伍堂はまだ付き合いが長いといえないライドンを軽率だと断ずるには早いと思っている。


「ではハンゲイト。ライドンが案内するとなれば、通告などは君に任せることしたい。日取りなどもそうしたほうが都合が付けやすいだろうからね」


「感謝いたしますパウエル殿。さてゴドー君、ライドンが共に街に行くのであれば明日からの訓練の内容が少しどころかかなり厳しくなる。そこは覚悟しておいて欲しいものだ」


「あぁそうだな。ゴドー君、ハンゲイトの言うとおりだ。君は普段から真面目に稽古に取り組んでいることだろうが、明日以降はより一層身を引き締め、ハンゲイトの教えを頭にも身体にも叩き込むべきだ」


 ライドンと街に行くだけなのにどうして稽古が厳しくなるのか、その繋がりが理解できずに伍堂は首を傾げた。


「なぁにあいつと一緒に街に行けばわかるとも、何事も経験だ」


 ハンゲイトは既に冷めてしまった料理に口を付け始める。


 彼の言葉の意味を尋ねても、ハンゲイトははぐらかすような事を返すだけだった。ではパウエルなら、と思って尋ねてみても彼は彼で首を横に振るだけでやはり答えてはくれない。


 答えてくれない教えてくれないことが、胸の中に埃となって積もる。仕方なしに食事を再開する、味を感じるだけでなく美味しいとも感じる。けれども、胸が重いせいだろうその美味しさを実感として得ることは出来なかった。

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