第3話 一通の書状
そうして暫くしてから、
伊豆国から挙兵、大敗、そして命がけの逃亡。今はまだ、小さな力であっても、頼朝公に力を貸して欲しい。
その一心で、要件を伝える盛長を前に、常胤は声を発することなく、じいと目を閉じたまま、身動きをすることなく、盛長の言葉を聞き続ける。
「ですから、是非とも千葉殿にお力添えをお願いしたいのです……!」
「父上、彼は、良い男です。父上もご存知でしょう…!」
盛長に続き、父、常胤に訴えかけるように話すのは、傍に座っていた六男の
目を閉じていても、胤頼の気持ちが熱くなっているのが常胤には充分に伝わってくる。
けれど、熱くなる自身とは反対に、何も言葉を返さずにいる父に、胤頼は「父上……!!」と再度声をかける。
「頼朝どのが、今まさに平家を攻めようと立ち上がり、旗揚げをする中でそれに先立ち、先ず初めに我が千葉家に声をかけられたというのに、何故、何を躊躇されるというのですか!父上!」
黙ったままの常胤に、詰め寄るような勢いで話しかける胤頼に「待て、胤頼」と長男、
「兄上?」
長兄からの突然の静止に、胤頼が驚きの声をあげれば、声をかけた兄は、様子を伺うように父を見やる。
「父上、どうされたのですか?」
そう問いかけたのは、父の傍に座った胤正で、胤正もまた、頼朝の人となりを知り得ており、胤頼同様、彼を助けたいと思う人間の一人だ。
胤頼同様、父は何故、何も言わないのか、何を戸惑う必要があるのだと思うと同時に、祖父の代から続く
「父上?」
頼朝公からの書状に目を通し、側近の盛長の話を聞き、しばらく黙っていた父、常胤の目元がきらりと光ったことを胤正は見逃すことなく、しかと見つめた。
「父上、泣いておられるのですか?」
袖の袂を静かに目元に当てた父を心配そうに気遣う長男に、父は大丈夫だと片手をあげて静かに口を開く。
「戸惑いも、ましてや躊躇などはしていない。するはずが無い。だが、先の闘いで源氏の勢力が絶えた今、こうして再び源氏再興の報せを聞き、嬉しくて涙が止まらぬのだ」
常胤の口からようやく出た言葉に、盛長は小さく安堵の息を吐く。
ふ、ほんの少し息を吐いた常胤の呼吸に、胤正と胤頼、そして盛長の姿勢が自然と真っ直ぐに伸びる。
「頼朝公は…」
そう言って、また、常胤は書状へと視線を戻し、室内の中にはまた沈黙が訪れる。
そうして、少しの時が過ぎた頃、常胤がようやく重たい口を開く。
「盛長殿、頼朝公は」
「はい」
低く、身体の奥に響く声に、盛長の身体がピクリと反応する。
「頼朝公の瞳は、何を映している」
常胤の言葉に視線をあげた、盛長の瞳が、常胤と交わる。
確かに、歩みを止めることなく、主人は前を向き、例え僅かな一歩であったとしても、歩み続けている。
だが、石橋山の戦い以降、夜の帳が下り、天の月が一番高い場所へ昇る頃、主は、一人、思いつめたような表情をしていることがある。
彼の最愛の父は、信頼した者に裏切られ、命を奪われた。
その後の自らが決意した挙兵も、地の利を十分に把握できず、判断を見誤った。自身の見る目が甘かった、自分のせいで、仲間の命をたくさん失ってしまった。
信頼した者達、信頼してくれた者達の最後が、主の脳裏には焼き付いている。彼らの運命を、大将である自分が握っていたにも関わらず、運命の流れを悪いほうへと動かしてしまった。
主はきっと、そう考えているのだと思う。
もちろん、主が声に出してこのような事を言ったわけでは、決して無い。
けれど、幼き頃から見ている優しき彼が背負うものは、あまりにも大きく残酷なもので、時折、堪えきれぬ何かと必死に戦っているのが、長きに渡って彼の傍にいるからこそ、彼の瞳の中に、見て取れる。
そして、この場に座する常胤もまた、書状の向こうにいる苦しみ、もがいているであろう若き頼朝の気持ちを、盛長同様に感じ取った。
盛長は、常胤の瞳を見て、そう直感した。
「…常胤どの…」
けれど、主の心中を安易にさらけ出すわけにもいかない。
だが、書状一つに、心を砕く常胤にならば、頼朝も心を預けられるのではないか。そんな淡い期待をしてしまう。
傍にいる側近の自分たちではなく、主に今、必要なのは、彼を導き、主が心から信頼できる人間だ。
それを、千葉常胤公ならば、父を亡くした主の、支えになるのでは無いか。そんな考えが頭をよぎり、言葉に詰まる。
そんな盛長を見て、常胤は「ふむ」と一言だけ言葉を返し、集まった一同を見やり口を開く。
「遠い昔、
真っ直ぐに自分達を見る城主の言葉に、反対をするものはおらず、皆が「応」と答え、常胤は「そうか」と穏やかに微笑む。
「盛長どの」
「はい」
皆が即決する光景に、思わず目頭が熱くなり、下を向いた盛長の名を呼び、顔をあげた彼と、真っ直ぐに彼を見据える
「頼朝公にとって、地の利も無いこの地は、決して安心できる土地ではない。先祖の繋がりも無いここでは、頼れる者も少ないでしょう。一刻も早く、源氏の故郷である相模の鎌倉へ行かれるよう、頼朝公に進言願えますかな?」
にこり、と穏やかに笑いながら書状を畳む常胤に「では、千葉殿は……!」と少しだけ腰を浮かせながら盛長は足早に声をかける。
「こちらもまた、軍勢を整えて頼朝殿のところへすぐにでも参ろう」
低く、重みのある声が、シンとした室内に響いた。
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