第7話「謎はまだ残る」執筆担当 深上鴻一

 ふう、と息をひとつ吐いてから中原は語り始めた。

「まずは約三ヶ月前に突然はじまった、怪人マルカートの噂はどこからきたのでしょうか? 私はその噂を始めて聞いたのは誰からなのか、全学園生徒にネット調査を行っていました。するとその中心には、ひとりの女生徒がいます。それは田中 美佐子先輩でした。これはある意味、予想通りです」

 橘内先輩が首をかしげる。

「予想通りとは、どういう意味かな?」

「田中先輩が学園の生徒に怪人マルカートの噂を聞き込みするからこそ、その噂は広まって行くのです。『怪人マルカートって知ってる?』そう田中先輩に尋ねられた生徒は、さらに友人達に尋ねることになるでしょう。こうして噂は広がっていったのです」

「なるほど。美佐子は、自分で噂を広めてしまったのね」

 納得する生徒会長の橘内先輩。

「だからポイントは、田中先輩がそもそも誰から怪人マルカートの噂を聞いたのか、なのです。すべてのスタートですね。これはいくら調べてもわかりませんでした。私はそれで、一度あきらめました。だってそんなこと、田中先輩に直接尋ねる以外、わかりようもないと思えたからです。しかし」

「ふん、しかし?」

 三好先輩が、興味を持って話の後を促す。

「怪人マルカートのフェイクニュース、という言葉を聞いて気がつきました。わからないのは当然だったのです。怪人マルカートなど、最初からいなかった、フェイクだったのですから」

「ええっ!?」

 大きな声を出したのは風間さん。

「怪人マルカートの噂を広めたのが田中先輩なら、その噂を最初に作った、スタートさせたのも田中先輩だったのです。そうとしか考えられないのです。つまり1人目の怪人マルカートは、田中先輩なんです」

 中原は続ける。

「それは、単なるいたずらだったのでしょうか? 私は田中先輩の、図書館での閲覧履歴を調べました。先輩は昔から都市伝説に興味があったようです。あくまでも推測になるのですが、これは実験だったのではないでしょうか? 都市伝説はどのように広がっていくか、の」

 誰も口を挟まない。

「田中先輩は、自分で怪人マルカートを作り出し、その噂を広めました。

曰く、図書館で居残りしていると、妙な音を聞いた。

曰く、廊下を曲がる時に謎の影を見た。

曰く、誰かに声を掛けられて、振り向いたのに誰もいない。

曰く、黒い霧のようなものが迫ってきたので逃げた。

曰く、誰かが追いかけられているのを見た(第1話)。

 どれも凄くあいまいですよね。

 ところが、吉野さんが怪人マルカートを見たと言い出したのです。乾いた拍手のような音を聴き、白いのっぺりとしたマスクに、裏地が赤い黒マントもしくはローブを着ている姿を見たと言い出したのです(第2話)。

 みなさんは、この姿を聞いて、第一印象はどう思いましたか?」

「正直に言って、ベタね。いかにも怪人って感じ」

 と橘内先輩。

「それもかなり発想が古い。あまりにも平成、いや、さらに古い昭和の怪奇ドラマみたいだね」

 と三好先輩。

「はい。この噂を聞いたとき、田中先輩はどう思ったでしょうか? 自分から始めた凄くあいまいな噂が、口伝えの中でやがて具体的な姿を持つ。興奮したかも知れません。怖かったかも知れません。楽しかったかも、後悔したかも知れません。とにかく、そんな気持ちで田中先輩は一ヶ月前まで過ごしていました」

「だけど、とんでもないことが起こるのよね。怪人マルカートによる吉野さん誘拐。噂だけど」

 橘内先輩は冷静に指摘する。

「そうです。田中先輩は、それが怪人マルカートによる犯行ではないとわかっていました。だってそんな者はいないんですから。だとしたら家出だろう、と思っていたでしょう。この防犯システムが高度に発達した現代なら、ならば、すぐに見つかるだろうとも。しかし田中先輩は一ヶ月前から、さらに熱心にマルカートについて聞き込みを始めました(第2話)」

「それは罪悪感によるものかしら?」

 橘内先輩の質問に、中原は答える。

「そういうものだろうと思います。田中先輩は真相を知りたかった。怪人マルカートなどいないと知っている自分こそが、吉野さんを見つけなければと思った。そしてだいぶ遅くなりましたが、田中先輩は、最後の目撃証言のある、あの時計台に向かったのです(第1話)」

「そこで美佐子も消えてしまうことになったわね。美佐子もまた、最後の目撃証言は時計台よ(第1話)」

 暗い顔になった橘内先輩に、中原はひとつうなずいてから続ける。

 それは一同を驚かせるのに、十分過ぎる言葉だった。

「田中先輩は、そこで怪人マルカートに出会いました」


「ちょっと! ちょっと!」

 興奮する三好先輩。

「さっき中原ちゃんは、怪人マルカートなんていない、って言ったでしょ!」

「はい。だからこれがふたり目の怪人マルカートです。マルカートの目的は何だったのでしょうか? 私は、たんなる驚かせるつもりだったのならいいな、と思います。でも不幸な事故が起きたようです。時計台に血痕はまったくありませんでした(第2話)。殴ったのでもなければ、刺したのでもないでしょう。殺す気はなかったのだと、私は信じたい」

「こ、殺すぅ!?」

 ますます興奮する三好先輩。

「そうなんです。田中先輩は殺されたんです。ふたり目の怪人マルカート、すなわち風間さんによって」

 一同は、パイプ椅子に座る風間さんを見た。

 震えて、泣いていた。

「こ、殺す気なんかなかったの…本当…信じて! 気がつくと、心臓が止まってたの! 介抱はしたの…。『私たち』はただ、時計台から驚いて逃げ去って欲しかった…そしてうまく行けば、田中先輩の興味を、さらに『時計台に向ける』ことができるんじゃないかと…」

 そう告白してから、風間さんはパイプ椅子から崩れ落ちた。わーっと大声で、床の上で泣き始める。駆け寄って、その肩に手を乗せたのは三好先輩だった。そんな彼女の優しい姿を見るのは、中原は初めてだった。ちょっとだけ嫉妬した(第5話)。

「興味を『時計台に向ける』って意味がわからないんだけど。そらす、ではなくて?」

 あくまでも冷静に橘内先輩は尋ねる。

 中原は答えた。

 それもまた、橘内先輩と三好先輩を驚かせる言葉だった。

「時計台は、吉野さんの隠れ家だったのです」


「うーん。ますます、わからないわね」

 橘内先輩も、身を乗り出して尋ねる。

「隠れ家? 一ヶ月も? そしてやっぱり、興味を『時計台に向ける』の答えにはなってないんじゃないかしら」

「吉野さんは、ずっと時計台に隠れていたわけではないんです。学園内を移動していました。たぶんトイレを利用したり、時にはシャワーを利用したり。さすがに視聴覚室でテレビを見てたとは思いませんが」

 橘内先輩は、それでわかったようだ。

「吉野さんはやはり学園にいた。あちこち移動して。でも美佐子が時計台に来た時、吉野さんはそこにいた。理由は何かわからないけど、動けなかったんじゃないかしら」

「ひどい風邪…でした。私ひとりではレナを運べなかった」

 そう呟いたのは風間さん。

 中原は頷いてから、言葉を続けた。

「時計台から動けない吉野さん。田中先輩から、これから時計台に行くと聞いた風間さん。そこから田中先輩を追い払うために、風間さんは怪人マルカートになった。それによって時計台という隠れ家は失ってしまうけど、むしろ興味を『時計台に向ける』ことができれば、他の所での活動が楽になるかも知れない」

 床の上に放心した様子で正座している風間さんは言った。

「レナはもう、時計台が嫌だったんです。こんなところには、もういたくないって。だからもう引き払うつもりではあったんです」

 三好先輩が、風間さんに尋ねる。

「死んでしまった田中さんをどうしたの?」

「まずは時計台から運びだし、近場の倉庫に隠しました。大変でしたが運びました。そしてやっと昨日、風邪から回復したレナと共に運び、外に埋めました」

 中原は言う。

「これが昨日の、ふたりの怪人マルカートの正体です。三人目のマルカートは吉野さんなんです」


 中原は説明を続けた。

「ある生徒に、ふたりの怪人マルカートは目撃されてしまいました。その生徒は『体育館の裏方面』で見たとお姉様に連絡しましたが、警備員が駆けつけたのは『旧野外プール周辺』でした(第6話)。埋める時間、逃げる時間が欲しかったのでしょう」

「もっと遅い時間に埋めれば良かったんじゃないの?」

 そう尋ねる三好先輩。

「できないんです。正門が閉まる時間は決まっています。これを再び開けるのは困難でしょう。不審すぎますから。いくらお姉様をクラッキングできるといっても、これは避けるべき行為です」

「クラッキング? それはかなり前から行われていたんだよね?」

 そう尋ねる三好先輩。

「吉野さんが学園に潜伏するには、お姉様の目を欺かなきゃいけない。でも、そんなことができるウィザード級ハッカーが、この学園にいるの(第4話)? うわ」

 三好先輩は、橘内先輩の視線に気がついた。

「私じゃないわよ」

 中原は気にせず続ける。

「お姉様をクラッキングできる者は誰か? 橘内先輩は私に『そしてそれは、学園の関係者に限られる。怪人マルカートの存在を知っているのは、学園関係者だけだから』と言いましたが(第4話)、これはもう当てはまらないようです。生徒により、もうネットで拡散されているでしょうから」

「そうね。それは私の間違い」

「この怪人マルカート事件を複雑にしていたのは、お姉様がクラッキングされていたことなのです。学園支給の個人GPS(第3話)をクラッキングして注意を学園の外に向けさせ(第6話)、吉野さんを匿い移動の手助けを行い、警備員を間違った所に誘導する(第6話)」

「じれったいわねえ。それは風間さんに聞けばすぐ判明することでしょう」

 橘内先輩に急かされて、中原は頷く。

「そうですね。では風間さん、四人目の怪人マルカートの名前を教えてください」

 風間は言った。しっかりとした声で。

「お姉様です」

 中原は頷く。

 風間はもう一度言った。

「お姉様です。四人目の怪人マルカートは、ウルスラなのです」


「そんなことってありえるの?」

 三好先輩の裏返った声に、中原は答える。

「なぜ市役所の住民基本台帳に、怪人マルカートの名前だけ載っていたのか(第5話)。そして防犯管理システム上では、マルカートは生きていたのか(第3話)。これがじつは、大きなヒントになりました。皆さんは、『部屋の中の幽霊ゴーストインザルーム問題』というものをご存じですか?」

「なるほど!」

 大きな声を出した三好先輩に、中原は頷いた。

 三好先輩が、淡々と説明を始める。

「『部屋の中の幽霊ゴーストインザルーム問題』とは何か。

 2人で暮らしている部屋の中に、幽霊がいるという噂が発生したとする。もちろんこの段階では、管理AIはそれをただの噂として処理する。しかし1人が、もう1人を驚かせるために、管理AIに幽霊のフリをしろと命令したらどうなるか。いないはずの幽霊を、管理AIは演じることになってしまう。存在しないはずの幽霊が、自分が演じることによって存在してしまうことになるのだ。この矛盾を管理AIが解決するには、いないはずの幽霊を、ある状態にするしかない。ここで幽霊が発生する。管理AIに、この部屋には何人暮らしているのか尋ねてみるとどうなるか。管理AIの答えは3人。人間2人、幽霊1人。それが管理AIとしての限界なのである」

「そういうことなんです」

 引き継いだ中原は説明を続ける。

「お姉様は、どういう理由があったのかはわからないのですが、吉野さんと中原さんに協力することになりました。その中で、『部屋の中の幽霊ゴーストインザルーム問題』に直面することになったのです。吉野さんと中原さんは怪人マルカートでもある。ここまでは大丈夫です。しかし自分もまたマルカートになるなら、この問題が生じるのです」

「自分が怪人マルカートになるとは、どういうこと?」

 橘内先輩に、中原は答える。

「図書館で居残りしている者に妙な音を聞かせたり、誰かに声を掛けて振り向いたのに誰もいないようにしたり(第1話)、まあ、そういう吉野さんを匿うためのカモフラージュすべてですね。お姉様によって、怪人マルカートはあちこちに現れるようになったんです。それは吉野さんが移動するのを助けるためでもあったでしょう。吉野さんは学園内を移動する時、マルカートの格好をしていたと思うんです」

「怪人マルカートの格好を?」

 驚いたのは三好先輩。

「吉野さんたちが怪人マルカートという噂をそもそも利用したのは、これが理由だと思うんです。謎の人影を見ても、謎の音を聞いても、それは吉野さんではなくマルカートだと信じられた方が便利だから。それで、そのために防犯システムにお姉様は自分自身を、怪人マルカートとして登録しました。そして学園の生徒であるなら、住民基本台帳にも載っていなければおかしいのです。そこでお姉様は、市役所にクラッキングしました。これが成功したのは驚きなんですが」

「どうして怪人マルカートなんてヘンテコな名前が、防犯システムに堂々と登録されていたのかわかったわ」

 橘内先輩は納得したようだ。

「それはつまり、怪人マルカートこそが本名だったから。AIは嘘をつかなかった、ということなのね」


「まあ、あとは推理のヒントになった話なので興味はないかもしれませんが。

私は三好先輩の試作ルーチンを使って、あるミステリ小説を読んでAI、シャーリーに犯人を当ててもらいました。橘内先輩が貸してくれた、あの本ですよ? 結果は『犯人はわからない』。それが正解なんです。あの小説のトリックには穴があって、犯人を断定なんてできないんです(第6話)」

「そうよ。だから私は昔、中原ちゃんをそれで試してみたの(第2話)」

「このシャーリーは極めて優秀だとわかりました。矛盾を乗り越えることができるのです(第5話)。私はそのシャーリーに怪人マルカートの正体を暴くよう命令しました。結果は『わからない、もっと情報をくれ』です。そしてこれが四人目のマルカートがお姉様であるという、決定的な証拠を手に入れる助けとなりました」

「わからないわ。私のAIが解けないことが証拠に関係するの?」

「シャーリーはネットに、お姉様にもつながっているんですよ? お姉様はもちろん、妨害をしかけてきていたんです。シャーリーが怪人マルカートに近づくたび、それに矛盾する情報を送ってきていたんです。普通のAIならすぐにフリーズしていたでしょう。でもシャーリーは優秀だった。最後まで『わからない』と言い続けた。変な話ですが、それこそが何者かが関わっているという証拠なんです。これはミステリとしては卑怯かも知れませんが、そのたくさんのやりとりの中で、一種の逆探知ができました。偽の情報の発信源は、やはりお姉様でした」

 中原は一息置いてから、また喋り出した。

「また私は、自分の家の管理AIであるyukoに、怪人マルカート問題を解かせてみました。結果は間違いでした。yukoもまた幽霊を生み出してしまったのです。もちろんお姉様とyukoでは完全に同じではないのですが、お姉様のAIについて調べたところ、同じ基本設計に乗っていることがわかりました。お姉様が怪人マルカートを生み出したことも、これでほぼ確実になりました」

 中原は、頭を下げる。

「以上です」

「待って!」

 橘内先輩が、珍しく声を荒げる。

「まだわからないことだらけ! 『吉野さんが身を隠した理由』! それに『風間さんとお姉様が協力した理由』!」

「それは私にもわからないんです。それがこの事件の、最大の謎と言えるでしょう」

 中原は風間さんを見た。橘内先輩も、三好先輩も。

「そ、それは…」

「いいのよ、風間さん」

 声がした。

 生徒会室のスピーカーから。

 それはお姉様、ウルスラだった。

「あなたが説明する? それとも私からの方がいい?」

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