第6話「マルカートはここにいる」執筆担当 深上鴻一
私立聖陵女子学園の正門へと続く、最寄り駅を源流とした女子生徒たちの流れ。それが色とりどりなのは、生徒たちに人気のセーラー服姿の者もいれば、私服姿で登校する者も数多くいるからだ。彼女たちが皆一様と言えるのは、まぶしい笑顔を浮かべていること。明るい声で笑い合っていること。だがもちろん、中には例外もいる。ひときわ暗い顔で、うつむき加減に歩いているセーラー服の女生徒がいた。それは中原 茜だった。彼女は寝不足である。怪人マルカートの正体はいまだにまったくわからず、その謎はベッドに入っても彼女の頭を悩ませ続け、ゆっくりと眠らせてもくれないからだ。はあ、とため息をつく。これじゃ成績も落ちちゃうよお。恨みます、優子ちゃん。
事件の1日目には、約一ヶ月前に失踪した吉野 レナについて調査していた田中 美佐子先輩が消えた(第1話)。
事件の2日目は、生徒会長の橘内 優子先輩に怪人マルカートの正体を暴くように頼まれた(第1話)。そのまま新聞部の部室に行き後輩の風間 留衣に会った(第2話)。家に帰り管理AIのyukoと話した(第3話)。
事件の3日目は、早朝に生徒会室で橘内先輩に会った(第4話)。お昼休みに情報管理部で、三好 直江先輩に会った(第5話)。
そして今日は4日目。ネットの情報によると、田中先輩の親族は捜索願いを出したらしい。そしてこれもネットによる情報だが、警察もすでにお手上げ状態らしい。そこからわかるのは何か? 街を覆い尽くす防犯システムに、田中先輩はまだひっかかっていないということだ。そんなことが可能なのかなあ。街のあちこちにある監視カメラに映っていないなんて、ありえることなのかなあ。
しかし田中先輩は外にいるはずなのだ。だって学園内での捜索は、いまだ本格的に行われている様子がないから。つまり警察は田中先輩が学園の外に出たと確信している。それが意味することとは、学園の防犯システム(ちなみにGPSや監視カメラ、センサー等による情報を統合した防犯管理AIシステムのこと)では、田中先輩は外に出たことになっているのだ!
怪人マルカートについて警察が調査しない理由も、それでわかる気がする。学園の防犯システム上には、そんな人さらいは検出されていないのだろう。田中先輩は、ひとりで学園を出たことになっている。だったら何者かにさらわれたわけではなく、家出説が濃厚になるというわけだ(怪人と田中先輩が一緒に学園の外に出たとして、怪人だけが監視カメラ等にも検出されなかったことなどありえないと思われる)。
学園の防犯システムは田中先輩が下校したという。
外ではいまだにみつかっていないという。
学園の内と外の間に、田中先輩は消えたのである。おそらく一ヶ月前に吉野さんも。
学園の内と外。
その間には何があるだろう?
「おはようございます、中原さん」
のろのろと歩いていた中原が、レンガ作りのアーチ上の校門を通ろうとした時だ。横から声をかける者がいた。それは聖人をモチーフにした、マンガチックなイラストだった。そのフレームに入った動く絵は、アーチの中の側面にかけられている。
「おはようございます、お姉様」
この女性キャラクターこそが、田中先輩は外に出たという証拠を警察に提出したと思われる、私立聖陵女子学園の防犯システムなのである! 正式には女子教育の守護聖人の名前からウルスラと名付けられているのだが、みな簡単にお姉様と呼んでいた。
「あなたが忘れ物なんて珍しいわね」
「あれ? 何か忘れてますか?」
ふふふ、とお姉様は笑った。
「学園支給の個人GPS(第3話)を家に忘れてきてるわよ。防犯上、いいことじゃないわね。いま代わりのGPSを渡すから、待ってて」
「ありがとう、お姉様」
このお姉様の目をだますことは、あの三好先輩ならできるのだろうか? でも理由がわからないし、昨日に会った感じでは、そんなことをしたとも到底思えない。
中原は、取り出し口に現れたGPSを手に取り、セーラー服の胸ポケットにしまった。
中原は教室に着いた。クラスメイトはほぼ揃っている。とてもにぎやかで、ダンスの練習をしている者たちもいれば、流行の歌を合唱している者たちもいる。走り回って追いかけ合っている者たちや、ふざけて抱き合っている者たちまでいる。名門女子学園とは思えない喧噪である。
そんな中で自分の席に座り教科書をぱらぱらとめくっていると、にぎやかな周りの声がかえって気を紛らせてくれるのか、急に眠たくなってきた。本を閉じて机に伏す。うとうとと気持ち良い境界を漂っていると、誰かが頭をつついた。顔を上げる。
「なに?」
前の席の生徒だった。足を大きく開いて、後ろ向きに椅子に座っている。
「うわ、ひどい顔」
「眠れなかったの」
「まじ? 私なんて、いつでもどこでも眠れるよ」
「知ってる。で、私を起こした理由は? くだらなかったら、先生に指されても、もう後ろから起こしてあげないから」
「それは困るなあ」
その生徒は、にやりと笑った。
「では起こした理由を。最新の噂を、茜に教えてあげたかったんだよ。知ってる? マルカート、また出たって」
「えええええ!?」
「ちょっと! 驚きすぎ!」
中原の心臓は激しく動悸している。
「さらわれるところ、見た生徒がいるって。学園の裏SNSに流れてた」
しまった。そんなところまでチェックしていなかった。まあ裏SNSなんて無数にあるのだし、すべてをチェックなんてできないだろうけど。いや、マルカートという単語に反応するAIを作って放てばまだ良かったか。
「今度は誰がさらわれたの?」
「それがわからないんだ」
「え?」
「誰がさらわれたのか、わからないんだよ」
中原は少し考える。
「そんなことありえないんじゃない? その生徒が家に帰ってこないとか、何かあるはずでしょう。お姉様だって、下校してない生徒がいたらすぐわかるんじゃない?」
「うん。だからフェイクだってみんな言ってる。裏SNSなんてそんな話ばっかりじゃない。匿名だからってひどいよね」
「そう…だねえ」
フェイク。
怪人マルカートのフェイクニュース。
胸のどきどきは治まりつつあったが、何か頭にひっかかるものがある。
「それにさあ、今までの話と違い過ぎるんだよね」
「なにが?」
その女生徒は笑って言った。
「マルカートは、二人組だったらしいよ。ふたりでひとりを運んでたって」
中原は悲鳴じみた声をあげて立ち上がった。
「中原ちゃんの頼みなら、いいわよ」
三好先輩は、あっさりと情報管理部のパソコンを貸してくれた。それも最新のパーツを組み合わせた超高性能マシンを。そしてもうひとつ、最新のものも二つ返事で貸してくれた。それは三好先輩が作ったという『人間型ジョブコンピューターの思考ルーチン』の試作。「記号論理の範囲で矛盾を持った際に物事をどう判定するかのルーチンとか、思考ループエラーの際の忘却処理のルーチンとか」というものだ(第5話)。
中原はそれを自分で改良したAIに組み込んだ。ひょっとしたら、これならマルカートを見つけられるかも知れない。いや正確には、マルカートを見つける鍵になるかも知れない。
「まずはシャーリー。簡単なテスト」
「なんすかね?」
名前はシャーロック・ホームズからいただいて、シャーリーと付けた。しかしこの砕けた口調はなんだろう? 言語出力系プログラムは三好先輩からそのまま借りたのだが、少し不真面目な態度の気がする。もっと普通ので良かったのに。これは三好先輩なりのジョークなのかなあ。
ヘッドセットを付けた中原はまず、あるミステリ小説のタイトルを口にした。それは橘内先輩が突然に貸してくれた本で、トリックがまったく理解できず、どうして犯人がその男になるのか理解できなかった本だ(第2話)。
「それをできるだけ読むのは少ないページで、犯人を推理してみて。ただしネットは利用しないこと」
「それはめんどい。楽な方が好き」
「いいから」
「ちぇっ」
5分後、シャーリーはぼそっと吐き捨てるように言った。
「だめ。わかんね。犯人ってどこのどいつよ?」
午前の授業がすべて終わったが、中原は昼食も取らずにシャーリーを駆使していた。ひとつの命令が処理されるのも待たず、次々と思いついたアイデアを命令する。シャーリーはネットワークを駆け巡って情報を集め、それを組み合わせて考える。怪人マルカートとは何者なのか?
「まだわからない?」
「情報が少なすぎるっす」
「ネットの中に無限に情報はあるでしょう」
「じゃあ、あたしに必要なのは、ネットの中にない情報なんだな」
「それは後で」
中原はシャーリーに、裏SNSに怪人マルカートの噂を流した生徒を特定させた。
そしてその生徒に、いつ、どこで遭遇たか聞き出した。そのあと、どう行動したのかも。
それでわかったことは、こうだ。
『体育館の裏方面を帰宅のために急いで歩いていると、二人組の怪人マルカートを見つけた。ふたりは、ひとりの女生徒をさらっていた。ひとりは足を持ち、もうひとりは脇の下から手を入れる格好で。怖くなったその女生徒は現場を離れ、すぐではないがお姉様に通報した』
「出かけてくる」
「どこへ? めし?」
それで中原は、まだ食事を取っていないことに気がついた。時計を見るともう15時過ぎ。
「そうだね。食事、飲み物、トイレ。それから聞き込み調査」
「調査?」
「そう。警備員さんに、いろいろと」
中原は警備員室の、低いソファに座っていた。テーブルの上にはお茶が出されている。警備員からの聞き込みは難しかった。最初は怪人マルカートが現れたことさえ認めなかったからだ。学園側から、そんな不審者が現れたという噂は口外しないように命じられているらしい。それでも中原は、ある女生徒がお姉様に通報したこと、お姉様から警備員に連絡がいったこと、これらを知っていることを告げると、痩せた警備員はやっと口を開いた。
「あれは正門が閉まる、ちょっと前だったかな」
匿名の女生徒の証言と一緒だ。
「ウルスラから連絡が来て、私たちは現場に駆けつけた」
ふむふむ。
「そこには誰もいなかった。私たちはウルスラに報告した。見間違いか、嘘だろうということに落ち着いた。それでも念のため、私たちは学園を見回ることにした。もちろん学園は広いし、すべてを見ることはできないけど」
結局、学園のすべてを監視ししているのはお姉様ということだ。
「でも、やはり何も見つからず、私たちは戻ってきた。以上だ。これでいいのかな?」
「はい。ありがとうございました」
特別に収穫はない。中原は頭を丁寧に下げて、帰ろうとした。
「でもまあ怪人マルカートじゃなくても、あそこら辺は昔から変な噂があるしね」
「変な噂?」
警備員は、しまった、という顔をした。
「教えてください」
「そりゃ…その…昔、そこで死んだ生徒がいたから。その幽霊が出るって」
「体育館の裏方面に、そんな噂が?」
「え? 体育館?」
警備員は驚いたようだ。
「それは違うよ。だってその生徒は、水死したんだもの」
「水死?」
「そうだよ。旧屋外プール。幽霊が出るって噂があるのは、旧屋外プール周辺だよ」
情報管理部に急いで戻った中原は、パソコンの前に納豆エッグノッグが乗っているのを発見した。三好先輩の自作なことは明らかだった(第5話)。それを少しずつ口にしながら、中原はシャーリーを通じてyukoにアクセスする。yukoとは、中原の家の管理AIの名前である(第3話)。
「ねえyuko、この問題、解いてくれる?」
「いいよ」
シャーリーが驚いた声を出した。
「え? あたし、そっちも処理するよ。なんだか信用されてないようでムカつくなあ」
「シャーリーは自分の処理に専念して。というのも、これはシャーリーには解けるけど、yukoにはたぶん解けない問題なのよ」
「意味がわかんねえ。解けるやつにやらせるのが、ふつーじゃねえの?」
「わからない、ってことがわかるって、凄いことよね。まあ、見てなさい」
10分後、yukoは答えを出した。
「うん、この答えは間違い」
中原は、ふーっと背伸びをする。
「間違いだから、これが正解なんだね」
「なんだかこうして集められるのって、ミステリ小説の最後みたい」
そう言ったのは、彼女専用の机と椅子についた橘内先輩だ。それは大会社の社長が使うような、大きく瀟洒で、アンティークのエグゼクティブデスクである(第4話)。
ここは生徒会室。そこにいるメンバーは、まず中原 茜。生徒会長である橘内 優子先輩。情報管理部の主である三好 直江先輩。新聞部の風間 留衣さん。以上4人。
エグゼクティブデスクの端に、ちょこんと腰掛けた三好先輩が言う。
「犯人はお前だ、みたいなやつよね」
中原は言う。
「みたいなやつ、じゃなくて、そうなんです」
「ええっ!?」
一同から驚きの声があがる。みながお互いを見回す。この中に犯人、いや怪人マルカートがいる?
「そう。怪人マルカートはここにいます」
「嘘です…よね」
そう小さく呟いたのは、風間さん。彼女は壁際のパイプ椅子に座っている。
「嘘ではありません。ただし、ここにいるのが全員ではありません」
三好先輩が、目を丸くした。
「ええ? 怪人マルカートは複数いるの?」
それには橘内先輩が答えた。
「噂が流れてるわ。昨晩、ひとりの生徒を、ふたりの怪人マルカートが運んでたって」
「へえ、つまり、マルカートはふたりなんだね」
「いいえ、違います」
中原は、全員をゆっくりと見回してから言った。
「怪人マルカートは4人いるのです」
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