第5話「三好先輩は変わっている」執筆担当 manabe氏

 中原 茜は情報管理部の扉の前に立つ。情報管理部の扉窓の向こうは暗くて静かだった。遠い本校舎からのお昼休みに入っている女子高生の甲高い笑い声が遠巻きに聞こえる。

 久々に情報管理部の扉を開ける。カーテン越しの斜めの微光を背に短髪丸眼鏡の三好先輩がPCの光を正面から浴びながらキーボードを叩いている。天井から『中原 茜様が来られました』と響き、三好先輩が「ごめん中原ちゃん3分待って」と作業する手を止めずにぶっきらぼうに言う。中原は三好先輩の後ろに行きパソコンの画面を覗き込んだ。黒い画面に白い英字がえぐい速さで打ち込まれている。中原はぼんやりと三好先輩の作業を見ていた。

 三好先輩こと三好 直江とは実際に出会うより以前から同級生の噂話を聞いて知っていた。高校一年の時に高等学校卒業程度認定試験を合格してからは授業と学校行事に出て来ず情報管理部に引きこもるツチノコ生徒となったがテストの時にだけ顔を出して学内成績の10位以内に名を残していくのだとか。噂に聞く分には害はないが、三好 直江の同級生は今まで真面目に受けた授業総て小馬鹿にするような素行の三好 直江を受け入れがたかった。

 中原は以前プログラム授業の面白さにどっぷりとはまって授業以上のプログラミングを渇求している時に情報管理部の扉を叩き三好 直江と顔見知りになった。三好先輩は分厚い丸眼鏡の長いぼさぼさ頭をした子供のように背の低い美少女で、パソコンのことについては延々と話すがカフェやインテリアや化粧や男といった乙女らしい話題には全くの関心がなさそうだった。普段は1時限目から7時限目を越えて下校時刻までずっと薄暗い情報管理部に篭りきって何かのシステム開発をしたりネットサーフィンしたりしている引きこもりだが、時折警察庁のサイバー犯罪対策課に出向いては数人の刑事を使い走りにして忙しそうにしていた。

 中原は情報管理部に仮入部したが、それほど長くは在籍しなかった。情報管理部で管理AI・yukoの構想に行き詰っていた時、頭がすっきりするからという理由だけで三好先輩が普段飲んでいる自作の納豆エッグノッグを勧めてきた。コップの3分の1を飲んだだけだが、味は怒りで叫ぶほど不快な甘みがあり、喉と胃に溜まる納豆の異物感が酷く、気持ち悪さは後日も続いた。三好先輩は好意で納豆エッグノッグを勧めたのだろうが、三好先輩の他人への配慮のレベルが著しく低いと確信させられる出来事だった。yuko完成後、中原は情報管理部に行くのを辞めた。

「今から話せるよ。コンパイルに入った」

 三好先輩はターンとエンターキーを押してマウスの隣にある納豆エッグノッグを一気飲みし「んふぅ」と息を漏らして背伸びした。

「今のは何のコーディングだったんです?」

「ああ人間型ジョブコンピューターの思考ルーチンの試作を作っていてね。記号論理の範囲で矛盾を持った際に物事をどう判定するかのルーチンとか、思考ループエラーの際の忘却処理のルーチンとかを作ってたよ。私が普段勉強しない社会学や経済学にかかわる所だったけれど、案外何の突っかかりもなく完成してしまったよ」

「何かよく分かりませんが、それは凄いですね」

 それなりにプログラミングを嗜んでいる中原だったが、三好先輩の言葉は理解の範疇を超えていて頭に入ってこなかった。

「三好先輩、髪型をベリーショートにされたんですね、その丸眼鏡と合っていてボーイッシュって感じが出てます」

「あら嬉しいわ。床屋に行くのが面倒な性格なものだからね、思い切ってばっさりやっておかないとまた伸ばしっぱなしの際に困ってしまうのよ。実はちょっと前までは野球児のような丸刈りだったんだから」

「丸刈りでは流石に乙女らしさがないですね。三好先輩は女の子なのですから、女の子の身だしなみは意識したほうが良いかもですよ」

「あははは、私にその気が向いたらね」

 お昼にしましょう、と三好先輩は部屋の電気を付けてかばんからカロリーメイトを出した。中原も弁当を出した。三好先輩と中原は向かい同士に座った。

 三好先輩はカロリーメイトを食べる時、一本ずつ両手で掴んで頭からかじかじと食べる。それはさながら子リスのようで、中原の母性を酷くくすぶる。以前に三好先輩は「中原ちゃんはお昼の時私をずっと真顔で見てるよね。何か悩み事でもあるのかい? 中原ちゃんの悩み事なら私が何でも楽しく聞いてあげるよ。二人きりのこの場に遠慮は無粋だよ、ほら何でも言ってごらん?」と何の邪も知らない子供の笑みで聞いてきたことがあった。その際はつい「三好先輩を押し倒して抗われたいです」とたぎっている事を告白してしまいそうになったが、抑えて「何でもないです」とアルバイトで鍛えた笑顔で答えた。今日久しぶりに三好先輩の子リス姿を間近に見てみたらやっぱり魅惑的で、ひょいと持ち上げて抱きしめたかった。

「生徒会長に言われて散々調べているんですけれど、最近校内で噂になっている怪人マルカートってご存知ですか?」

「ああ、その件ね」三好先輩は朗らかに笑みを浮かべた。「中原ちゃんがどこまで怪人マルカートを掴んでいるか伺いましょうか」

 中原は弁当を食べながら怪人マルカートの件を全て三好先輩に話した。

「――まあ大雑把ですが怪人マルカートの件はそんな感じです」

 聞いていた三好先輩に笑みはなく、カロリーメイトを食べ終えた後、中原から目をそらした。

「中原ちゃんにとっては『金色の魔術師』か『オペラ座の怪人』かは分からないけれど、どうかしら? 実際に怪人小説の登場人物になってみて楽しいかしら」

「まあ楽しくないことはないですが、私のように怪人マルカートを追ってた田中先輩が失踪している件もありますし、楽しいっていう風に気楽に構えられはしないですよ。というかやっぱり面倒な方かもしれません。ここまで振り回されてちょっとした殺意すら沸いてきてる」

「それは残念ね」

 と言う三好先輩の顔は冗談でもなく本当に残念そうだった。

「怪人マルカートが市役所の住民基本台帳に名前だけ載っていたのは何かしろの自己主張の現われかもしれないね、私はここに生きている。そう言いたいのよ。市役所の人間はきっと全く気付いてないでしょう。気付くといったら私か中原ちゃんぐらいなものね」

「怪人マルカートは何がしたかったんでしょうかね」

「そこを知るにはまだ情報が不十分ね。怪人マルカートが何故そんな格好をするのか、時計塔に行っていたのは何がしたかったのか、乾いた拍手のような音が何なのか、まだ情報が薄くて見えては来ない」

「当分この足で情報収集しなきゃなんですかね、ああめんどくさい。そこの通路を曲がった所から怪人マルカートの野郎がひょっこり現れてくれないかな、そうしたら散々悩まされた分だけ顔面をぶん殴って半殺しにして警察病院送りにしてやるのに」

「病院送りは止めてくれ。……まあ怪人マルカートは人さらいだから凶器を持っている確率が高いよ、中原ちゃんの体が傷物になったら私は嫌だな。もし怪人マルカートを見つけたらすぐに私の携帯電話に連絡するんだよ」

「むぅ、分かりました。怪人マルカートを血祭りにあげるのは止めておきます」

「吉野レナに事件性が出てGPSが見えなかった件については私に任せて欲しい。今度警察庁の人とこの町の警察署の人にその旨メールして聞いておくよ、中原ちゃんには後で報告する」

「了解です」

 中原は弁当を食べ終えてバッグにしまい、換気扇を回した。

「三好先輩すみません、怪人マルカート探してきますね」

「もっと居ればいいのに。中原ちゃんは情報管理部帰ってこないの?」

「とりあえず今は怪人マルカートですね」

「そっか残念。中原ちゃんはICT普通にできるし、他の退部していった子の中では一番筋がいいよ。その気になったら一声かけてよ、教えたいハローワールドは沢山あるんだ」

「考えておきます。それと今度一緒に渋谷で服探ししませんか? 三好先輩が渋谷でシュガーシュガーすると凄い美人になると思うんですよね、その確証があります」

「アバズレが多そうな所は苦手なんだ。まあ考えとくよ」

 中原はバッグを持って情報管理部を後にした。

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