第2話「ホームズはいない」執筆担当 深上鴻一

 時計機械室を出た、生徒会長の橘内優子と中原茜。

 ちなみに中原茜は生徒会役員ではない。会長に頼まれて生徒会の仕事をときどき手伝うことがあるものの、ただの帰宅部である。何でもするという約束まではしていないが、ようするに会長が直接つかえる便利な子分というポジションだ。

「じゃあね。ばいばーい」

 そう言って、会長は無邪気な笑顔で手を振り、去って行った。

 途方にくれて、その場に立ち尽くす中原。

 怪人マルカートの正体を突き止めるなんて、いったい何から始めたらいいのだろう?

 しばらく考えていたが、昔に読んだミステリ小説のことを思い出した。しかし、また暗澹たる気持ちになってしまう。探偵が最後に犯人を指さし、トリックをとうとうと述べるページがあるのだが、それを何度読み返してみても、なぜその結論にいたるのかが、さっぱりわからなかったからである。

 そういえば、その本を貸してくれたのは会長だったっけ。

「トリックが理解できなくて、どうして犯人があの男になるのか、さっぱりわかりませんでした」

 正直にそう言うと、会長は高笑いをしたものだ。

 さて。

 それでも調査を頼まれ、了承してしまった以上、何も行動しないわけにはいかないのも、また事実。

 そのミステリ小説のことを思い出したら、それでも最初の方針が決まった。現場検証(何もなかった)が終わったのだから、次は聞き込みに行こう。

 中原は、まずは新聞部の部室に向かうことにする。

 昨日消えた田中先輩の周囲の人間、つまり同級生や後輩から、何か有益な情報が得られるかもしれないからだ。「田中美佐子さんは家出すると言っていた」みたいな話が聞ける可能性だってある。もしそうなら、捜索はあっと言う間に打ち切りにできるかもしれない。怪人マルカート、もしくは不審者にさらわれた可能性が途端に低くなるためだ。

 綺麗に清掃された板張りの廊下を歩いている中原。

 事態が彼女には複雑すぎて、まだすっきりとしない。

 たとえば、会長ははっきりと、こう言ったのである。

「中原ちゃんに怪人の正体を突き止めて貰いたい」

 会長は、怪人が存在すると確信しているということなのだろうか。

 怪人マルカート。

 または不審者。

 どちらにしても、田中先輩をさらった犯人。

 そこにやっと思い至ると、中原は急に足を止めた。

 自分が怪人マルカートに、もしくは不審者に襲われる可能性はないのだろうか?

 途端に怖くなった。

 空手や柔道のような、自分の身を守れる(もしくは相手を倒せる)武芸など習ったことがない。中学校からの、生粋の帰宅部なのである。体育の授業でテニスを習ったことはあるが、ラケットを持ち歩いたところで、役に立つものだろうか?

 足が震える気がした。

 私みたいなビビリには、ぜったい無理!

 今頃そんなことに気がつくなんて、本当に私はぼんやりとしている。

 会長の下に駆け戻って、すぐに断った方がいい。

 中原は、来た道を振り返った。

 だが、足は動かなかった。

 生徒会長には、大きな恩があるのだった。それを返せるチャンスは、今しかないかもしれない。それに、きっとあの性格だ。いまさら断ったところで、素直に首を縦には振ってくれないだろう。

 茜は唇をきつく噛みしめると、また新聞部の部室に向かって歩き出した。

 怖いのは嫌だけど。

 優子ちゃんが喜んでくれるなら、少しだけ頑張ってみよう。


 これは予想外。

 新聞部の部室に来た中原は、童顔でとても背が低く、高校一年生とはまるで思えないショートカットの女の子を抱きしめていた。

 腕の中で、その女の子――風間留衣と言う――は、しくしくと泣いている。行方不明になった田中先輩について尋ねたら、いや尋ねようとしたら、とたんにこの後輩は泣き出してしまったのである。

 探偵に憧れたこともない中原は、あわよくば、ここでシャーロック・ホームズ役を見つけられたら、とも思っていた。怪人の正体を暴くなんて、自分には難しすぎると思えたからである。有能な協力者がいてくれるなら、とても頼もしい。

 しかし、申し訳ないけど、この風間さんにそれを期待するのは難しいだろう。

 中原は、その後輩の頭を優しく撫でてあげながら言う。

「今日はこれで帰るからね。何か役に立ちそうなことを思い出したら、何でも教えてね」

 何度もうなずく風間。

 中原は、まだ中学生にしか見えない女の子の華奢な肩に手を添えると、そっと身体を離した。

「じゃ、じゃあ、マ、マルカートを、捕まえるつもりなんですよね?」

 風間は、そう言った。

 家出説は、これではやくも崩れたようだ。

「捕まえるというか、正体を暴くよう会長に頼まれたの」

「わ、わたしっ!」

 風間は両拳を胸の前で握りしめて言う。

「協力します! 田中先輩を取り戻すためなら、なんでもします!」


 新聞部の部室の長テーブルに座っている、中原と風間。

「私が初めて怪人マルカートについて聞いたのは、約三ヶ月前です。田中先輩が、いつにもなく不機嫌そうに話し始めたので、よく覚えているんです」

「つまり、約三ヶ月前から流布し始めたのね?」

 うなずく風間。

「田中先輩は、聞き込みを始めました。この学園で、自分が知らないことがあるのは許せなかったんだと思います。あとは非化学的なことが嫌いでしたから」

「なるほど」

「それでも、最初は、それほど本気ではなかった気がします。態度が変わるのは約一ヶ月前、吉野さんが行方不明になってからです」

「それから学園中が、怪人マルカートの仕業だって噂し始めるんだものね」

「はい。田中先輩は、その怪人の正体を暴くつもりでした」

 ところが、さらわれてしまうことになってしまった。

「まずは基本的なことから。今まで考えたこともなかったけど、マルカートってネーミングはどこからきたかわかる?」

「音楽用語です」

 風間は、ゆっくりと口にする。

「イタリア語で、強調された、という意味です。音をきわだたせて演奏する印のことで、怪人マルカートからは、音が聞こえるんだそうです。噂では、乾いた拍手のような音だそうです」

 どうして、そんな音がするのだろう?

「外見は? どんな格好をしている? 私は黒い影とか、そういう気配がするとしか、聞いたことがないけど」

「白いのっぺりとしたマスクに、裏地が赤い黒マントを着ていると言う人もいます。マントではなくローブだと言う人もいます。どちらにせよ、そういう布を被っているんだと思います」

「そういう噂って、どこから来るものなんだろ? あくまでも根拠のない噂にすぎないのかなあ? それとも音を聞いたり、見た人がいるってこと?」

「はい。音を聞き、見た人がいるんです」

 次の聞き込み相手が決まったようだ。

「その生徒の名前はわかる?」

 風間は、暗い顔をしてうなずいた。

「吉野さんです」

「え?」

「最初に行方不明になった吉野さんが、怪人マルカートを見た、と周りに漏らしていたんです」

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