【リレー小説】聖陵女子学園の事件簿〜消えた少女たち〜

深上鴻一:DISCORD文芸部

第1話「何かが居る」執筆担当 バグ氏

 廊下を歩く田中 美佐子の足取りは不機嫌に満ちていた。我慢ならないことがある。ならば不機嫌にもなろう。細面に黒縁メガネ、差し込んだ橙色の光を切るように長いポニーテールが揺れた。セーラーのリボンとプリーツが翻る。吹奏楽部の重低音が夕暮れの空へ溶けた。

 中高一貫の私立聖陵女子学園において、彼女は6年間を新聞部に費やした。誰よりも熱心に活動した自負がある。

 だから我慢ならない。

 この学園で、自分が知らないことがあるという事実に。

 それは噂だった。突如として広まった噂、怪人『マルカート』。

 放課後の学園に一人で残っていると攫われるという、よくある都市伝説、あるいは学校の怪談だった。

 曰く、図書館で居残りしていると、妙な音を聞いた。

 曰く、廊下を曲がる時に謎の影を見た。

 曰く、誰かに声を掛けられて、振り向いたのに誰もいない。

 曰く、黒い霧のようなものが迫ってきたので逃げた。

 曰く、誰かが追いかけられているのを見た。

 噂はまだまだ存在するが、その全ては集団催眠の如き水月である筈だった。そもそも、噂の殆どが怪人である必要性が無く、全て同じカテゴリーに分類されてしまうことが美佐子には不思議だった。

 それほどに怪人マルカートという存在が強烈ということだろうか。つまらない噂すらも、その怪人のせいにされてしまう程のリアルがあるということか。

 詰まるところ、例外がある。

 実際に攫われた生徒が居るということだ。

 ひと月ほど前の話に遡るが、学園の高校一年生が失踪していた。

 実際のところ、その生徒が怪人マルカートに攫われたのかどうかは分からない。ただの家出かもしれない。だが、噂を知る生徒は怪人に攫われたと見ているに違いない。

 事実はどうあれ、失踪した生徒が居て、警察も動いている案件だというのは確かだ。

 肩をいからせ、目的の場所へたどり着いた美佐子は、勢いよくドアを開けた。

 高等部の中央にそびえ立つ時計台。頂きには大きな鐘が吊り下げられている。学園設立以来、隣接する敷地の中等部にまで正しい時刻を知らせる時間の管理存在。

 時計台は5回分の高さで、時計台の建物と校舎は3階部分まで渡り廊下で繋がっている。1階は校長室や、職員室、用務員室等があり、2階は音楽室等の特別教室、3階は時計台の管理フロア。

 この時計台へ、3階の渡り廊下を通じて入っていったという目撃情報がある。

 時計塔は学園のシンボルとして親しまれた存在ではあるが、内部の様子を知る生徒は殆ど居ない。故に、現実と空想世界の境界としては相応しいと言えた。

 美沙子は中学時代に入ったことがある。内部がどうなっているのか、それをどうしても知りたかったからだ。

 だから意外だった。

 鍵が開いているとは思わなかったからだ。

 時計システムの管理は専門業者によってなされるが、清掃は用務員によってなされる。美沙子の時は、用務員の手伝いという形で入れてもらったのだった。

 怪人が出入りしているならば、鍵は開いているかもしれない。そう思ったのだが、まさか本当に開いているとは思わなかった。

 それとも、用務員が中に居るのだろうか。今日は清掃の日ではないことを確認して訪れたのだが。

「だれか居ますか?」

 返事はない。

 そこまで広いわけでは無いが、中はがらんとしていた。右手には掃除用具入れが有る。左手には扉が。確か、下へ通じる階段が有るはずだ。

 中央に螺旋階段があり、そこを昇って上階へ移動する。

 見上げると、何か影のようなものが動いた気がした。

 気のせいだ。言い聞かせて、階段を昇る。

 足を掛けると、カツン、と鉄の音が響いた。

 僅か1階分程度しか登っていないのに、辿り着く頃には少し息が上がっていた。

 待っていたのは木製の扉。時計機械室への入口。

 古めかしく、それだけで不気味だった。この先に怪人が待ち構えているかもしれない。そう思うと、足が震えた。

 恐怖よりも好奇心が優り、足を踏み出す。生来、そういう性格なのだ。世界の全てを知ることは出来ないだろうが、手の届く範囲の世界を掌握したい。そうでなければ生まれた意味が無いとすら思っていた。

 重々しい扉を、思い切って開けた。

 そこには――何もなかった。

 右手から奥にかけて、複雑な歯車がある。

 左手には格子窓が3つ。

 中央には頂きの鐘へと続く梯子が有った。

 意外にも埃っぽくない室内。時計塔の管理は用務員の管轄だが、こまめに手入れされているということか。

 噂のせいで室内が綺麗でも不気味な雰囲気は消えない。光源が夕日だけというのも、それに拍車をかける。

 だが、何も無い。中学時代に入った時と、何ら変わりない。

 安堵すべきか失望するべきか。新聞部としては何かが有った方が良いに決まっているが――。

 その時。

 音が聞こえた。

 同時に、振り向きたくないという強烈な意思が生まれる。全身が総毛立ち、身体が震える。何かの気配を感じる。何かが居る。

 入ってきた扉以外、後ろには何も無い筈だ。

 いや、開けっ放しにしていたため、背後から迫られれば分からないだろうが。

 音が聞こえる。

 乾いた拍手のような音。一音一音、規則正しく、はっきりと耳に届く。

 恐ろしいことに、少しずつ近づいてきているような気がする。

 冷たい汗がじっとりと噴き出した。

 そして、耳元で一際大きな音が鳴って。

 耳が痛いほどの静寂。

 美沙子はゆっくりと振り向いた。

 そして――。



   ※   ※



「と、昨日はそのようなことが起こったと思われる」

 したり顔で彼女――橘内 優子は言った。端正な容姿に鋭い目つき。膝裏までのロングヘアーが特徴的だった。ついでに言うと、生徒会長でもあった。

「全部妄想ですか」

 中原 茜が呆れて言うと、会長は肩を竦める。

「目撃証言と美佐子の性格を鑑みるなら、そう的外れでも無いはずだけれどね」

「……田中先輩とは親しかったんですか?」

「まあ、6年間も同じ学園に通っていたらね。目立つ子とは大抵仲良くなるよ」

「そうですか」

 同じ学園に4年間通っているが、目立つ生徒と仲良くなった試しがない。その辺り、会長と自分は違う人間なのだと強く認識した。ボブショートの髪に意思の弱い瞳、顔立ちだってそこまで目立つわけではないし、社交性も普通。茜という人間の自己評価はおよそそのようなものだった。

「それじゃあ会長は、本当にその怪人とやらがいると?」

 そう考えると、時計機械室の気温が急に下がったように感じられた。だが、そんな噂が有ることを知ったのも先ほどなので、現実感は無い。

「そうは言っていないよ。幽霊の正体見たり枯れ尾花、不審者が入り込んでいた可能性は十分あるでしょ。美佐子が家に帰っていないのだって本当なんだし」

「でも、塀の上にはセンサーが有りますし、入口には警備員さんが……」

「不審者だってそれを承知で侵入するわけでしょ。有るのよ、何処かに抜け道が。そうじゃないと、例え相手が怪人でも忽然と姿を消すわけないもの」

 果たしてそうだろうか。相手が超常現象ならば、物理法則は通用しないのではないか。突然現れて突然消える。そうしたことも可能ではないか。

「先生方はどう考えたんでしょうか……」

「さあ。でも、事件は深刻に捉えられていない……深刻にしたくない。少なくとも、今はまだ。それだけは確かね」

 学園は家出の線で処理したいようだ。争った痕跡は無く、遺留品もない。そして親とは進路のことで喧嘩していたからだ。

「吉野さんなんて、それで1ヶ月ですよ? 何時まで家出扱いなんですか」

 茜は失踪した同級生の顔を思い浮かべた。そこまでの付き合いでは無かったが、

「そっちの子はとっくに捜索願い出されてるわよ。だから、美佐子の件も時間の問題ね」

 だからこそ、学園も取り敢えずは家出で処理したいのだろう。学園が親を説得するにしても限界がある。普通の神経をした親ならば1日も持つまい。つまり、明日には捜索願を出されているはずだ。

「……それで、会長は私に何をさせたいんですか?」

「お、察しが良いわね」

 察しが良いも何も、わざわざ呼び出してこんな所まで連れてきたのだから、それで何も無いと考える方がおかしい。

「端的に言うと、中原ちゃんに怪人の正体を突き止めて貰いたい。これ以上の犠牲者を出さないためにもね」

 物凄い軽い口調でとんでもない事を言われた気がした。

 生徒会の雑用を手伝っているとはいえ、何でもするとは言っていない。

 そのように抗議しても無駄なんだろうなと、乾いた笑いで了承の返事をするしかなかったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る