遠い音楽

オレはワンピースのまま船内の見回りをすることにした。

何となく、すぐに脱ぐのはもったいないと思ったから。


たまにはあっちの船に行こうかなー。と

船をつなぐ艦橋を渡っていく。

こっちは、オレのいる方と違って、下はかなり吹き抜けの場所が多い。

それでも、単分子ネットや長い鋼材が張ってあったりして安全だ。

これらの鋼材もたまに違うものに変わっているから、

ここも艦橋ではなく、資材置き場だったりするのだという。

その分甲板よりも近くに雲海が流れているのがよく見える。

橋を渡ってる途中に、機械族のヒトが居た。

珍しくオレと同じ人型だった。

ただ、右腕は無く、その左腕だけが床につくほど長い。

その手の部分も随分と複雑な形状をしていた。

「ギー」

「なに?」

そのヒトはオレの方を見る事も無く、雲海を見下ろしたまま尋ねてきた。

「貴方、傘を使ったことはありますか?」

「カサ? 傘ってあの雨の日に使う奴? ないよー」

オレは自分の知識だけで答えた。

実際には傘なんてものは見たことすらない。

「そう、雨の日です。雨ってどんなものなんでしょうね?」

「水が上から降ってくるんでしょ?」

それがよく分からないけど。シャワーみたいなものだった知識がある。

「そうです。何億と言う水滴が降ってくる。建物に、人に、大地に」

オレは彼の言葉を聞く事にした。

「どんな音がするんでしょうね? 何億もの水滴が空気を切り裂く音というのは」

彼は雲海を眺めたまま唄うように呟いていた。

「それをはじき返す音。何兆という水滴が跳ね返る音、どんなに美しいですかね?」

「あたりたい?」

「そうですね。私はその中で傘を使って歩いてみたい。雨の中を歩いてみたい」

「一人で?」

そこで初めて彼はオレの方を向いた。

「ああ、ソレは思いつかなかった。そうですね。私は傘を使う事だけしか考えていませんでした」

「そうなの? でも楽しそうかも」

彼がその長い腕で傘を持っているところを想像してみたが、上手くいかなかった。

「ギー一人ぐらいなら一緒に入れそうですね」

「じゃあ二人で歩くんだ」

「ギーには私にしがみついてもらわないといけませんね」

「どうして?」

「雨にぬれると寒いそうです。私は防水加工をしてますから問題ないですけど」

「オレも多分大丈夫だと思うけどなあ」

「いやいや、ダメですよ。高空から落ちてきた水滴は危険だそうです」

「だから傘がいるのか」

「そうですね。でも、ギーと一緒に歩くというのはいい案です。

一人よりも二人で歩くと楽しいそうですよ」

「そっかー、じゃあ、いつかできるといいね」

彼は首を振った。珍しい仕草だ。機械族でそんな事をするヒトはほとんどいない。

と言うよりもこのヒトは仕事もしないで何をしてるんだろうか?

こんな場所で?

「ねえ、あなた仕事は?」

「ああ、私はいいんです。私は他のモノたちとは少々違う仕事をします。そしてそれは今ではありません」

「いつ?」

「出来ればその時はあまり来てほしくないですね。でも必ず来ます」

気付けば彼の左手が床の鋼材を削り取っていた。音も無く。

オレはクモ爺に言われた事を思い出した。

「ここにはあの戦争中の連中も多いからな……」

というどこか寂しそうな呟き。

クモ爺も何度も戦争に行っているはずなのに。

とはいえオレはその戦争というものが一番分からない。

誰に聞いてもあまり話してくれないからだ。

でも、少しだけ誰かが教えてくれた言葉。

「『雨が降らないからと言って傘を捨てるバカはいない』」

オレの言葉に彼が本当に震えた。

「ええ、そう、そうなんです」

彼はオレに気づかせないように距離を取り始めた。

「私が傘を使いたいのはそのせいなのでしょうか? 

私自身が傘なのでしょうか……」

声が小さくなっている。

「それが、傘を使いたい理由じゃダメ?」

風の音と雲の流れる音、鋼材がさらに削られる鉄の匂いが流れ始める。

「ダメという訳ではありませんが、何か悲しい気がしますよ。私が傘とは」

「その時は一緒に歩けるよ。一人じゃなくって」

彼に見つめられている。どこがセンサーなのかも分からない真っ黒い箱のような頭部だけど。

ひょっとしたら彼の全身がオレを見て、聞いているのかもしれなかった。

「そうですね。その時が来たら一緒に歩きましょう」

「その時じゃないよ。雨の日だよ」

「ああ、そうですね。雨の日。ええ、ギー。雨の日には一緒に歩きましょう」

「傘に入れてね」

「ええ、そして雨の音を聞きましょう。一緒に」

「一緒だとうるさいかな?」

「雨はもっと大きな音だそうです。大丈夫でしょう」

「そっか、いいね。じゃあ、オレはあっちに行くから」

「見回りですか?」

「そういうことー」

「ご苦労様です」

彼の丁寧なお辞儀にオレもお辞儀でかえす。

やっぱりこのヒトもそういうヒトか。

ちょっとオレは、気を遣うようにして彼の脇をすり抜けた。

「可愛いドレスですね」

「ありがとー!!」

オレは右舷側の船にあまり行かなかった理由を少し思いだしていた。

何となく居心地が良くないからだった。

どこか緊張感がある。

入れない場所が多い。

でも、今日はちょっとそういう所にも行きたくなったのだ。

彼みたいなヒトにもワンピースを見せたくなってきていた。

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