●威光をはなつ獅子は殺されて ……♂
マユに呼び出されたのは十二月十日の放課後。
呼び出されたというよりは、例によってクラス委員の仕事が終わった後、少し教室に留まるよう頼まれただけだから、厳密にはその表現は間違っているかもしれない。
しばらく教室で待った僕に、どこからかマユが持ってきたのは、小さな紙袋。
「はい」
そう言ってマユが手渡したのは、真紅のリボンが付いた小さい花束。小振りの可愛らしい小さな白い花。
「あげる」
素っ気なくいってマユはきびすを返した。
震えそうになる手を必死に隠す。けれども、じんわりと滲んだ汗はみっともないことにマユに伝わってしまった気がする。だが冷静に受け取ることなどどだい無理だ。
僕はただただ嬉しかった。マユが僕の誕生日を覚えていてくれたことが。
まさか知っているとすら思ってはおらず、期待はおろか可能性だって考えてもみなかったのだ。気の置けない友人にだって何人かに祝福の言葉をかけられただけだ。そもそもが受験生である、後日ラーメンを奢って貰うことはあるとしても、わざわざ誕生日にパーティーを開くような酔狂はしない。
マユが、僕に花束をくれた。それはごくささやかなものかもしれなかったが、同じ委員として義理でくれたものであったとしても、僕は喜びを隠せなかった。
誕生日というのは無条件に嬉しいものであるが、今までの人生でこれほどまでに完璧な誕生日があろうか、とその時は思ったものだ。声を出そうとしても裏返りそうで、しばらく僕は言葉を出すのに苦労した。
それでもやっとの事で、僕は通常の声を出せるようになるまで自分を落ち着かせることに成功する。
「ありがとう」
掠れた声でそう告げると、彼女は僕の方に振り返り、ふふ、と可愛い声で笑ってから笑顔で僕に言ったのだ。
「できるだけ、早く帰ってね」
そして彼女は一人、教室を出て行った。
時は不可逆だ。
情けなくてみっともなくて愚かな僕は、だから後になってから全てを後悔する。それがどうにもならないことを知りながら。
この時僕は、彼女を追いかけていくべきだった。
それで、どうにかなったかもしれない。……結局のところ、どうにもならないのかもしれなかったけれども。
委員の仕事をしている時に彼女が、今日は用事があるから、だから早く終わらせよう、と言っていたのをそのまま鵜呑みにして見送ってしまったのだ。
甘い充足した余韻に浸った僕は、彼女の去り際の忠告を無視し、随分後からその最後の教室を立ち去ることになる。そして呆けてぼんやりと歩きながら、あんまりにぼんやりし過ぎて僕は校庭に花束を取り落とした。
後ほど、あの後、僕はその花について調べた。なんだか、理由は知れない妙な胸騒ぎがしたからだ。
花の名はマツユキソウ。
綺麗で可憐な白いその花の意味するものは。
異性に贈ってはいけない花。
死を表す意味合いの花だった。
その日の夜空のことを、僕は妙に記憶している。
綺麗な、上弦の月だった。
マユが新月を眺めていたあの日から、まだ一週間と少し経ったばかりの、僕の誕生日だった。
あの時、幸いだったのは夜だった事だ。
空から落ちてしまってから後の、マユの姿を、僕は目にすることが出来なかったから。
屋上に月明かりで照らし出されたマユの姿はとてつもなく綺麗で。だから、月ではなくマユが僕を狂わせる。
そして僕は冬が嫌いで、僕の誕生日が嫌いだ。
+++++
ふと、僕は目の前の大きな建物を見上げた。ある種の予感だった。なんだか、理由は知れない妙な胸騒ぎがしたからだ。その建物は大きかったが、高層ビルの如く頂上が伺い知れないほど高いわけではない。
屋上に小さな人影が見えた。
マユだった。
マユが、屋上にいた。
「……マユ!」
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