頭もワンダーランド

 男装の麗人の後ろを歩くクロウとアリア。その姿を見た周囲が僅かにざわめき立つも、素知らぬ顔で歩いていく。彼等がざわめく理由は2つある。一つはアリアがこの船の出身であるという事、そしてクロウがこの船の闘技場の賞品としてアリアを貰い受けたからだ。もっとも、"賞品"という点に関しては2人は否定するだろうが。


「人気者ですね」


 僅かに冗談めかして微笑むアルハンブラを鼻で笑うと、彼女はさらにクスクスと楽しそうに微笑んだ。


「運命とは数奇な物です。アリアでは無く私が貴方の物になる可能性もあった、そう思うと少し悔しく、少し嬉しく思います」


「嬉しく?」


 クロウが聞き返すと大きく頷くアルハンブラ。


「この船での生活は楽しいですから、ですが…隣の芝生は青く見える物。だから少し悔しくて、少し嬉しいんです」


「私はクロウ様に付いて行ってよかったと断言できます」


「……そういう所は昔と変わらないですね、アリア」


 アルハンブラは蛮刀の付喪神であり、アリアと同時期に生成された。姉妹…という程ではないが、それなりに仲も良かったようで未だに連絡のやりとりもしているようだ。もっとも、クロウはその辺はアリアのプライベートだと思っているので自らは聞かないようにしている。


「ポータルを利用します、円の中へどうぞ」


「久々だなこれ」


 船の先端部にある祭壇のような場所で足を止めて両手を広げるアルハンブラは、2人が祭壇に乗るのを確認すると、そのまま手をパンと閉じ打ち鳴らす。すると周囲の風景が一瞬で変わり、先の賑わいをみせていた船から一転、静かかつ厳かな雰囲気の漂う船に到着した。


「逢魔利用の擬似転移じゃなくて本物の転移か、昔はよく分からなかったが今ではこれがどんなにレベルの高い事か分かるようになったよ」


「フフ、成長されているようですね、私も自らの事のように嬉しく思います……さて、博士が中でお待ちです」


 その言葉と同時に足元から景色がバラバラと細かいキューブのように崩れ去っていき、そのキューブが新たな世界を構築していった。全てのキューブが規則正しく並び終わった後には、書類が乱雑に散らかった部屋でチャイナ服の上から白衣を着た怪しい女がペンを咥えてイスに腰掛けていた。顔の造形は間違いなく退廃的な美人、だが纏う空気が常人のそれを逸している。


一言で言うならば狂気、その一点に尽きるだろう。


「……クロウ君か、ご苦労、今日は定期検診か?それとも、おや、手が取れているじゃないか」


 クロウに一瞥すら送る事なく、まるで独り言のようにブツブツと言いながら立ち上がる。立ち上がった瞬間には既にクロウの隣でその異能で出来た手を握りしめていた。


 クロウの反射速度は光に等しい。その上で目ですら追えないとなるならば、完全な転移と見ても良いだろう。


「興味深いな、異能で形を作っているのか、此処まで器用だと神経のホルマリン漬けでも作りたくなるな、何、冗談だ、ん?どうしてしゃべらない?ああ、アルハンブラが煩いから、言葉を封じていたんだったな、


 再びブツブツと独り言のように言うと、クロウ僅かに肩で息をしながら息を大きく吸い込んだ。


「……っふぅ、窒息するかと思ったよ、久しぶりだなドクター?ついでに体の自由も戻してもらいたいんだが」


 この部屋の中に限り、博士と呼ばれた彼女は神に等しい権限を得る。すなわちかの吸血鬼の王の城の再現である。とはいえ、彼女の場合は個人の力ではなくこの結界の維持をで構築しているのだが。


 ようするに船団の上に居る全ての存在が彼女を守ると言っても過言ではないのだ。それはクロウ自身にも課せられる枷であり、この船に乗り込んだ時点で彼女には誰も勝てないのだ。


「それは嫌だ、キミは怖い、警戒しておきたい、私は非力な科学者で、キミは力強い戦士だ、今こうやって話してるのだって本当は怖くて怖くてたまらない、そんなの気が触れてしまいそうだ、ああ、今のはジョークだ、既に気が触れていると笑ってくれたまえ」


「ハハハ…ハハ…」


 僅かに乾いた笑いを返すと、博士と呼ばれた女は少し満足そうに笑った。


「ユーモアをね、練習したんだ、アルハンブラが煩いからね、私をコミュ障だと言う、私もそう思うが改善ぐらいは出来る、天才だからね、フフフ」


 クロウは彼女が苦手であった。基本誰にでも頑張って公平に接するクロウが言葉を露骨に濁らせる程に苦手な程に。だが彼女はクロウを気に入っており、なんなら彼女の頭の中では既に結婚前提に付き合っているぐらいの勢いである。その為、他人からの依頼なぞ一切無視する筈の彼女が、付喪神の大量発注などという面倒な仕事を受けるのも…一重にクロウに好意を寄せているからである。


「そのアルハンブラだが…そろそろ喋らせた方が良くないか?」 


 付喪神であるアルハンブラは別に呼吸がなくとも問題は無い、無いのだがクロウ的には助け舟を出してくれる人員がほしかった。いつの間にか消えていたアリアは別の部屋に転移されて、恐らくメディカルチェックを受けているのだろう。とにかく、彼女と同じ部屋で2人で話し続けるのは心が蝕まれそうだったのだ。


「ん、ああ、アルハンブラも、


「クロウ様、ありがとうございます」


「気にしなくても良い、それで俺の腕は治りそうか?」


 トン、と博士が手をクロウ手の異能に置くと、砂のようにそれが崩れ落ちて新たな手が一瞬で生え変わった。その後何度か手を擦ると最後にギュっと握った。


「うん、治ってる、治ったよ、それで、落ちた腕の方は何処に?」


「……それは資産としてウチで回収した、もう一度治してくれるなら手首ぐらい切り落とすが?」


「そんな、プロポーズなんて、困るな、こういう時はなんて、私達まだ、お互いの事…」


 ぞっと、クロウの背中を得体の知れぬおぞけが走った。体が動かない状態でこのまま斜め上に話しが進み続けると取り返しがつかなくなると、本能が警笛を上げている。コレほどまでの本能の危機警告はリーリャが3柱の悪魔を同時展開した時以来であり、地獄の蓋が開くのが見えるような錯覚すらある。


「マスター、これは告白ではなくマスターへの純粋な好意です、ラブでは無くてライクの方ですよ」


「む、なんだ、そうなのか?」


 アルハンブラのナイスインターセプトに大きく何度も頷いてなんとかやり過ごそうとするクロウ、ここまで必死なクロウは早々見れる物では無いだろう。


「あ、ああ」


「そうか、だが、手を切り落とすのは流石にな、いや、抵抗が無いとかじゃないんだ、ただ、好奇心が、抑えきれない、可能性がある」


 つまり、中途半端じゃなくて全部バラバラにしたくなるという意味合いである。サイコと言う他無いだろう。


「知的好奇心が無ければ研究者なんてしてないか、ウチにも似たのが…いる…かな…?」


「うん、理解があって、嬉しいよ、少し喋り疲れた、アル、茶を」


「クロウ様は?」


「俺は良いさ、それより付喪神は?」


早く仕事を切り上げて帰りたいと言う雰囲気を露骨に見せながら急かすクロウ。


「外のコンテナ、今連絡、ってああ、今蜂の所為で使えなかったな」


「蜂?」


 蜂、と言う言葉に引っかかり思わず問い返してしまうクロウ。地雷を引いたら彼女は数時間話続けるリスクもあるが、妙な胸騒ぎがあったのだ。


「今日は空を見た?」


「ああ、よく晴れていたが?」


その返事にニヤリと女医は笑った。


「フフフ、そうか、なら少し空を見てみよう」


 そう言うと、再び風景が小さなブロックのようにバラバラに散っていき、やがて天文台のような巨大な建造物が組み上がって行く。普通の展望台と違う所はサイズが通常の100倍近くある望遠鏡がある所だろう。それは大凡銀河の果ての果ての果てを越えて惑星を観測できるであろうという程に立派な物だ。


「ああ、見給えよ、この空を」


 そうして。そうして。クロウは空に広がる、を見た。一目見てもそれはただの煙のように見えた、目を凝らしてもそれは雲のように見えた。だが、徐々に…徐々にその展望台がピントを雲へと合わせて行く。


「かつて、毛沢東は、雀を凶鳥と言って、殺させた、その結果虫による災害が起きた、飢饉が起きた、たくさんの人が死んだ」


 クツクツと笑みを浮かべる女医と、顔を青くさせるクロウ。


「さて、これは一体、誰が原因で増えたんだろうね」


 蜂だった。雲のように見えたのは蜂の群れであり、同時にそれは空を埋め尽くしていた。1000や2000で飽き足らない、万を越えた群れが空にあったのだ。


「電波障害は、こいつらの巣である複合逢魔の仕業さ、はた迷惑だよ」


「……なんで、気づかなかったんだ」


 そうして、クロウは自らが見つけた蜂の巣が、其処から降りてきた尖兵なのだと理解した。そう、順番が違ったのだ。


「日本の感知範囲のやや外なのさ、エサは何か分かるかい?ヒントは季節」


「渡り鳥か!?」


「即答出来るとは思わなかった、ガン、カモ、ハクチョウ、ツル、ヒシクイ…そのあたり、奴等は其処まで大食漢じゃない、一つの鳥の群れで1つの巣が補える、だけど…そうだね、地上に数匹が降りてきて、群れを増やすだけの、エサがあると伝えたら、どうなるだろうか?」


「全部地上に降りてくるのか!?オイオイオイ洒落になってねぇぞ…」


「既に地上に巣があるのなら、急いだ方が良い、降りてくるのは、もうまもなくだ、救いは…そうだね、地上の奴程肥え太って無い事かな?」


 先に戦ったハチの半分程…それでも7mはあるだろうが、この場合大きさが減った分速度は地上の物よりも上がっていると考えて良い。


「何がトリガーになってあんな事になってるんだ…」


「推測だけど、元々彼等は空にいて、徐々に群れを大きくした、空に作った逢魔が手狭になって、エサが足りなくなって、地上に来た…ぐらいじゃない?」


 何時か起きる筈だった災厄が、今起きただけの事だと言う。だがその時代の人はたまったものでは無いだろう。


「ドクター、至急付喪神の受け渡しと有線接続されたネット回線が欲しい」


「おや、余裕はまだあるよ?」


「…ドクターの見込みでリミットは?」


「4時間、って所かな」


 それは余裕があるとは言わないと口にしそうになったが、余計な発言で彼女の早口トリガーを引くのは避けたいのかあえて口を紡ぐクロウ。


「フフ、慌ててるね、これの為に、大量に兵を、用立てたのかと、思ったけど、違ったのかな?だけど、必要な物は幸いにして、揃っているみたいだね」


 パンパン、と2度女医が手を叩くとクロウの金縛りは溶けた。


「その様子なら、急いだ方が良いのだろう?回線は無いけど、商品と共に、好きな場所に送るよ」


 クロウは間髪入れずにこう答えた。


「俺の家へ、CLOSE本社へ頼む」


「フフ、とんぼ返りだ、この埋め合わせは、結構大きいからね」


 と、不穏な言葉を女医が口にしたがあえて聞こえなかった事にしておくクロウだった。


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