大蜂
大蜂というのは日本では目立った伝承にならない地方妖怪の類いに過ぎない。やれ牛や人を攫っただの、やれ僧侶の念仏数日で死んだだのという伝承こそ残るものの一体どういった妖怪であるかは詳しく語られていない。そのため精々が15m程の大きい蜂であると考えてしまうのも仕方ない事だろう。
事実、彼等もそういった程度の認識で戦闘を開始した。もっとも、すぐにその考えが誤りであると気付かされたのだが。
「ミホぉ!!!」
大蜂が一人の少女を無残に喰らう、血肉をぶち撒け、その臭いにつられて恙虫がさらに引き寄せられる悪循環を齎している。大蜂と交戦している一団は、大地と空の二方面からの攻撃に対して苦戦を強いられているようだ。
「下がって!壁を作る!」
一団のリーダーらしき女性が、目前で味方が死んだにもかかわらず動揺する事なく一瞬でその炎の壁を作り上げ恙虫を散らし、さらに大蜂へ追撃の火球を幾つか放つ事で追い払う事に成功する。だが、その顔色は芳しくない。
「マズイ、想定の数倍早い…!」
彼女にとって恙虫などものの数ではない。だがあの蜂はダメだ、天敵と言っていいだろう。虫は確かに炎に弱いがそれはその体躯の小ささから中枢神経が焼かれるまでの時間が短いという理由が大きい。
サイズ面を克服した上に怪異と化した大蜂は物理法則を一部無視する。一種の魔法じみた飛行速度は音に近く…否、事実音速に匹敵し、さらに昆虫特有の恵まれたフィジカルも持っている。それこそ首をもがれた程度では下手すれば数日は動き続けるだろう。
魔女の血筋である彼女は火…では無く業火を操る。対象に対する感情が増加する程にその威力と範囲を増すと言う物だが、同時に一度感情を火にくべると瞬時に冷静になってしまう、欠点とも利点とも言える特性を持っている。
先はあの大蜂に対してかなりの増悪を込めて炎の壁と火球を放った為に、同時にそれで完全に感情の燃料切れを引き起こしてしまい次の敵の攻撃は流石にいなせない……などと冷静に自らの死を見つめてしまう。だが、まだ暫くは炎の壁で時間稼ぎはできる筈。
「ッ…!」
しかし、其処で予想外の事態が起きた。大蜂が炎をものともせずに突っ込んできたのだ。術者を彼女と理解した上で音速であれば炎の壁をくぐれると踏んでの行動。術者さえ潰せば炎の壁は消滅し、残りの餌を安全に食べる事が出来ると理解しているのだろう。このような高い知性は元来の虫が持ち合わせる事も無い、怪異特有の物と言って良い。
ただの大きい蜂と侮り撤退を怠った当然の報いとも言える。イレギュラーがあれば即座に帰るべきであった、ただでさえ電波状況が悪い現状において手軽に仲間達と連絡を取り合える方法が無い以上は、慎重にあるべきだった。
色々な感情が少女の脳裏をめぐり、同時に炎の壁へと還元され…やがて冷静に自らの死を受け入れた。目を瞑る、自らの指揮で殺してしまった仲間達へささやかながら祈りを捧げながら。
「……」
だが、待てども死は降り注がない。
そうして1秒後に、その発砲音に驚き目を開けると、炎の中に黒い黒いカラスの男が降り立った。
◆
「……外した、いえ、見切られました」
電波塔らしき建造物に座り込んで位置取り、手にしたスコープを取り外されたバレットM82をそのまま乱射するアリア。ちなみに有栖にはきちんと防音用の耳あてを渡している。
「あー…気づいた事あるんだけど」
「なんでしょうか?」
「今、相手完全にこっちに気づいてなかったのに、弾丸が…40m範囲に入った所で弾丸に気づいたっぽい…かも?」
「……あちらの給水塔からこちらの塔までの距離はわかりますか?」
「え?えーっと…242m」
アリアは給水塔へ銃を向け、無造作に2発放つと給水塔は表面をへこませその中身をぶち撒けた。
「2発ともゼロイン…驚きました、これ以上なく正確です」
「昔から…距離とか測るの得意だったから、あと目もそこそこ良い」
「異能ですね、おそらく遠方索敵系の特異タイプ、特定の人の夢を見たりする事は多くありませんか?」
驚いた表情で頷く有栖、どうやら図星であったようだ。
「なるほど、先の40mの話しが本当であるなら私達は此処で待機ですね」
「どういう事?」
「クロウ社長が適任であるという事です」
満足そうにそう言うと、ポケットから温かいコーヒー缶を取り出し有栖に手渡し、毛布を取り出して二人の膝に掛ける。
「よく見ておいて下さい、あれが本物です」
◆
「下がれ、此方が引き受ける」
黒い男は力強くそう言うと、いつの間にか握られていた銃から散弾を放つ。もっとも、その弾丸は尽くが回避されるのだが…少なくとも大蜂が近寄る事は出来ない様子で忌々しそうに回避を繰り返すばかりだ。
「負傷者が多い、恐らく逃げ切れない…此方を無視して仕留めてくれ」
「ったく、マギア・クラフトワークスって組織名に覚えはあるか?」
「え?ええ…一応」
「その情報を後でくれるなら、全員守ってやる」
「あまり大層な情報は持ってない、見合うかどうかは…」
先程まで其処まで大蜂に向き合っていた筈のクロウが、言いかけた彼女の口をそっと手で塞いだ。
「そういうのは黙って価値を釣り上げときゃいいのさ、確かに不義かもしれないが成り行きであれ助けた相手をもう一度殺すような奴も少ないからな。それと…纏を使う、少し後ろを向いておく事をオススメするぞ、オッサンの裸体なんて見たくねぇだろ?」
今度はゆっくりと立ち上がり、そのスーツを外して一瞬で全裸になるクロウ。一体何を考えているのか…そう言おうと魔女が口を開けた瞬間、答えがクロウの体を包んだ。
纏とはその気で体を包む技法である、だが応用で気ではなく異能で身を包む事も可能でなのだ。クロウの異能は光を用いてあらゆる物を形作る。で、あるならば…。
彼と共に長くある強化スーツも又、製造可能であってもなんらおかしくない。
「一瞬だ、よく見とけよ?」
渡り烏の凝った意匠が刻まれたフルフェイスに、全身を覆う軽装甲付きの強化スーツ。そして光り輝く杖を持った…白く輝くクロウが其処に居た。
居た。既に目前には居らず、その大蜂に食いついていたのだ。全体出力の3割程度の力とはいえ…その速度は亜光速に匹敵する。音速程度の移動速度ではその動きを捉えていようとも回避が間に合わず大蜂はいとも容易く中枢を抉られた。
まるで光の槍だと魔女は呟く、事実そうなのだろう。空を縫い付けるように光が走ると一箇所、一箇所と大蜂に穴が空いていく。まるでその空間だけ消し飛んだかのように。
羽を抉られ、飛べなくなった蜂は藻掻きながら堕ちていく。だが、その体が大地に着く頃には頭だけになり…それすらもクロウの手に握られていた。
「リーリャのお土産にはなるか?」
そうして、目前にまた男は居た。格が違う、生物、異能の格が違いすぎる。
「っと、こっちの子はまだ生きてた」
そう言うとそっと…先に食われていた少女を魔女に手渡すクロウ。流石に切り落とされた片腕までは無事では無いが、恐らく此処からの処置が適切ならば問題なく助かる筈だ。
「そろそろ政府の黒服が到着する、一旦其処で撤収するぞ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
そう言うと、纏を解除しいそいそと強化スーツを折り畳むクロウ。纏を使うと強化スーツ側が極限まで強化された身体機能に追従出来ず逆に枷になる為に、着込んだままの使用は推奨されない。
また、次の日の筋肉痛が確定するのと狭い場所では速度が有りすぎて戦い辛い為にクロウは基本使用したがらないのだ。さらにもう一段階肉体負荷を考慮せず出力を上げればより強い纏を行えるのだが…それを見て生きていた者は今までで一人しか居ない程に苛烈な物であり、同時にクロウにとって対人用の文字通りの切り札なのである。
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