敗北

 リーリャの偽物は男を翻弄するように動き続ける。なるべく標的が分散するように、なるべく時間を稼ぐように。


 悲しいかな、おじさんと言う生物にはスタミナが無い。オリンピック選手並みのフィジカルを持つクロウですら、身体挙動のいくつかを強化スーツに頼らなければ肉体的に長時間戦闘はキツイのだ。


 体力の坂道は20歳から始まると言う。30代であれば訓練次第でキープは出来るが…。


「クソ、若さは犯罪だな…」


 肩で息をしながら忌々しそうに、ビルの隙間にを飛び交うリーリャのレプリカを見上げて睨む50代。死体故の無尽蔵のスタミナで延々と攻め立て続けられれば、それだけで大概の人間は何も出来ずに死ぬ。


 リーリャのレプリカはなにも本当に皆無尽蔵の体力を持ち合わせている訳ではない。だが、少なくとも並の人間では彼等の動きに付き合い続ける事は不可能に近いだろう。人類である限りそのあたりは仕方ない事と言える。


 足が止まれば即座にレプリカの顔が開いて触手のような筋繊維が伸び、何処か一部にでも攻撃を当てようと飛来する。だが、男は時に式神を盾に、時に壁を盾にと上手くやり過ごしていく。


 しかしながら、流石に攻撃に転じる事は難しいようで、何度も間合いを図りながら反撃のタイミングを伺っては失敗に終わっている。どうやらそれを許さない程度にはリーリャの攻勢は苛烈らしい。


「ええい!いい加減に!!」


 タン、と後方に大きく飛び退いて鞭のようにしなる一撃を回避すると礫を一つレプリカに対し投げつける。


「はや…!?」


 パァン!と空気の炸裂する音、それはレプリカの多重逢魔防壁を一撃で貫き頭部を吹き飛ばした音であり、同時にただの礫が音速を越えた音であった。


 炸裂音の後、グラリと崩れ落ちるレプリカの身体。同時にそのデータを採取していた本物のリーリャの顔色が変わった。先に自らが行った術式への介入の真似事を相手が行ってみせたからだ。


 もっとも、リーリャは念には念を入れてレプリカの制御に複数回の物理的な段階…制御をノートパソコンを始めとした幾つかの精密機器等と術式を交互に噛ませる事により、容易く制御を奪われないように重々注意を払っている。だからこそ、貫かれた現時点で制御を奪われてはいない。


 "だが"、と、嫌な予感がリーリャの脳裏を過る。それは彼女の常識的に言えばありえない事ではあるが…。


「今ので位置を掴まれた!?」


 予感、だが同時に確信でもある。制御を複雑化していたが故に制御を奪われる事は無かったが、今の投擲の直撃のみでおそらく自分のテントの位置を割り出された。其処に至るまでの技術的な理解は及ばないがプロセスは理解出来る。だからこそ一部装備を投棄してでもその場を即座に離脱する判断を下せた。


「……お互いに相性最悪みたいね、嫌になるわ」


 使い捨てるのは勿体無いとは思いながらもバロールを一つ衝撃起爆モードでテントの中に放置する。互いに遠隔での操作を熟知している為に、逆探知にも長けている。相手の動きを見るにリーリャが直接出張った所で勝率は薄い、ならば逃げの一手だ。


「見つけた」


「ッ!」


 テントから飛び出た瞬間、リーリャの白く細い、その首を狙って白刃が落ちた。


「私も大概なんでもアリだとは思っているけど…貴方も相当ね」


 だが、その刃は首に振れる事なく弾かれる。逢魔を利用した防御結界…リーリャ本人を守る守護結界は、レプリカに搭載されている物よりも数段質の良い物を利用している為に、純粋に刀の出力不足で切り裂けなかったのだ。


「なるほど、逢魔の扱いに長けている、この刃が通じないとは考えもしなかった」


 すくなくとも、切っただけで彼女の周囲に逢魔が貼られているなど理解出来ない筈なのだ、だが男はさも当然とばかりに刃こぼれした刀を見上げため息を付く。


「貴方もね?逢魔の中に移動しながら糸のようなたくさんの逢魔を張り巡らせての索敵、さらにはその逢魔の中に入って意図的に消滅させる事で移動時間の短縮をするなんて…貴方本当に何者かしら?」


 参考までに、人間の身でありながら逢魔を貼る事など事実上不可能である。リーリャは遺体に怪異のパーツを使用する事で可能としているが、相手は何をどうして逢魔を張り巡らせているかまったくの不明なのだ。


「お前が本体か?あんなにゾロゾロ似たのが居ては少々疑わしいが」


 流石に少々訝しみながらも、おそらく本体ではないかと当たりを付けているのだろう。だからこそリーリャはダメ元で嘘をついてみた。


「残念、指揮用のモデルよ、本体は何処かで高みの見物じゃないかしら?」


「……なるほど…確かに気配が違う、それが嘘にしろ本当にしろ…お前はここで潰すべきだな」


「フフ、血気盛んなのね…けど、嫌いじゃないわ」


 右手の骨を展開すると、ズルリと抜け落ちムカデのように骨の足を開いてリーリャをその背に乗せる。同タイミングで遅れた偽物のリーリャ達が男を囲むように降り立った。


「あら、私が見つかっちゃっ…」


「会話は五月蝿いから少し切りましょうか」


 そう言うと周囲の量産型のリーリャ達は黙り込み、急に虚ろな表情となる。


「はじめからそうしておいてくれ、五月蝿くてかなわん」


「私も静かな方が好きよ、静謐は死の前には好ましいわ」


「詩人だな?」


「わきまえているだけよ、死は人の踏み入れて良い域じゃないわ」


「ネクロマンサーらしからぬ言葉だな?」


「ネクロマンサーだからよ」


 水面のように刀身が澄み渡るそのコンバットナイフを取り出すリーリャ。今までの数打ちではなく日本刀と同じ作りを持つその刀身は明らかに今までのナイフとは別の物と思われた。


 チッ、と、なにかが散る…あるいは弾けるような音が響く。同時にムカデは男へと向かいその全身を立ち上がらせると、空から押し付けるように全身の骨による刺突を余す所なく地面に突き刺した。


「っとォ!」


 男は事前に機動を読み、回避を試みる。だがそのムカデはさらに花開くように骨の内部から大きく開いた骨が伸び、男の逃げ道を完璧に塞いだ。


「ぐっ!?」


 僅かに骨が皮膚を掠め、その呪詛が男の肉体を蝕む。致命傷になり得るかすり傷は男の肉を瞬時に腐らせていく。だが、男は自らの身体のまだ腐食が到達していない部分から肉を切り飛ばし大事に至る前に適切な処置を行った。


 男は其処で失敗を犯す。僅かでも少女から目を離してしまった為に、どれが本物のリーリャであるかの判別がつかなくなってしまったのだ。


 そもそも、リーリャがわざわざ見た目でわかりやすいナイフを取り出したのは、撹乱の為である。人間という生物は妙に正解を好む傾向が強い。例えば6つの人物の中に本物のリーリャが居て、その内1人だけが識別ようのマーク…この場合はナイフもっている。


 普通に考えれば特別なナイフを持っているのが本物なのだろうが、このゲームを仕込んだのがリーリャであるならば、おそらく素直にそれが正解…という事はほぼ無いだろう。あるいは、そもそも6つの中に本物は無い…なんて事もあり得るかもしれない。


 …ここまで語ったが、事、この状況に置いてはのだ。全てが本物である可能性がある以上は、ただ全て再起不能になるまで叩き潰せば良い。だが、本物を見分ける為の判断材料を与えられなおかつ一つ一つの偽物が強いが故に、そう考える事が難しくなる。


「ええい!本当にやり辛い!呪詛に転移に偽物に!どれも一流の技術をどこまで悪辣に使えば気がすむんだ!?」 


 互いに技量は切迫しているとは言え、ここまで逃げと削りと嫌がらせに特化したリーリャの技術に思わず叫ぶ男。正々堂々とまでは行かないが、男としても多少は真正面から戦いたい所はあるのだが…リーリャはそれを拒み続けているのだ。


 フラストレーションがたまるのも仕方ない事なのだろう。


「どうして勝利の為に手段を選ぶのか、私には理解しかねるわ」


「だから!そういう所!」


 男が視線を下ろすと脇腹にナイフが深々と突き刺さっていた。そのリーリャの声が響いたのは、男を突き刺した犯人であるそのリーリャの内部から骨という骨が飛び出し、その肋骨で男を抑え込んだ時だろう。


「勝利とは即ち生きる事よ、生存において事の善悪なんて無いでしょう?」


「そういう所だと言っている!!」


 そのまま空からボトリ、ボトリと2つの遺体が投下された。先に爆発を起こしていた爆弾に改造されたそれらの遺体を、式神越しで確認していた男は顔を青ざめさせ、リーリャを振りほどこうとするが…リーリャの足から飛び出た骨が地面のコンクリートに食い込みビクともしない。


「でも、ダメ押しよ」


 さらに二体、三体とレプリカのリーリャが覆いかぶさるように男に取り付き、骨を展開させ鳥かご…否、トラバサミだろうか?どちらにせよ相当な惨状で男に食いつき動きを停止させ、それを見た残りのリーリャ達が逃げ出した。


「サヨナラ、貴方のせいで日本で入手し辛い貴重な遺体をたくさん失ったわ」


「しかも貴方の脳を奪えない、こんな品の無い殺し方になるなんて残念」


「だけど、このぐらいのダメージで貴方を殺せたのは僥倖と言うべきかしら?」


「……安くみられたもんだな、を一山いくらの遺体で殺せると思われるとは」


 男の空気が変わる。


「冥土の土産に教えてやるよ、俺の名前は…」


 そっと、自らの指二本を唇に触れさせて口の中に含んでいた式神を動かす。


「隠し玉!?」


 リーリャが忌々しそうに言うと、その式神が針の筵ならぬ骨の筵となった男とリーリャを取り囲み、男が一言そう呟いた。


「『ドーマン』それが俺の名だ」


 まるで反響するかのように、周囲の式神達が『セーマン』と口にすると、周囲を切り裂く光の五芒星と六芒星が光で空を満たした。途端、最小限の破壊のみでズタズタに引き裂かれる取り付いたリーリャ達。


「名を知られたからには生かしてはおけないな?逃げた連中の中に本物が居た筈だ、探して殺すぞ、前鬼、後鬼」


「はいはい、清明の旦那よりは式神使いが荒くなくて助かりますなぁ」


 姿を人から燃える蛇に変えてそうつぶやくのは"とうしゃ"と呼ばれる、十二天将が前一。そして雷鳴を纏ったその白い虎は後五が白虎。双方ともかつて安倍晴明が使役した式神である。


「橋の下で暮らすのも口の中で過ごすのも対して変わらぬ気がするがな」


 くぁぁと大あくびをする白虎に1人と一匹が飛び乗ると、白虎がなにか言いたげに少し男を睨む。だが、男はソレを無視して軽く腹を馬のように蹴ると、諦めたように首を振り走り出す白虎。雷鳴のような速度で走る白虎は、後方で大きな爆発が巻き起こると顔をしかめ。


「耳を塞いでくれ、五月蝿くてかなわん」


 一言、今の主人にそう伝えるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る