欲求不満

 猫じゃらし…と呼ばれる植物をご存知だろうか。正式名称はエノコログサと呼ばれ『狗尾草』と書く。一応食用可能であり、大昔には飢えが起きた際には実際に食したとかなんとか。


 今でこそ食用こそされなくなって久しいが、猫をじゃらすという用途には時々使われたりする。さて、長々となんの話かと思った人も居るだろうが、仮にOLに対する猫じゃらしがあるとするならば…あるいはセクシーな男の尻なのかもしれない。


「………」


 上原を煽動…もとい、先導して歩くクロウ。一歩歩く度にその筋肉質に引き締まった尻はプリプリと左右に揺れ、その度に上原の視線を奪い釘付けする。まるで猫じゃらしを目の前で振られた猫のようにも見える。


 上原は男日照りである。キャリアウーマンという存在は中々に厳しく、仕事に没頭すれば没頭する程に婚期を逃し上原も今年で27歳…そろそろ婚期に焦る年頃であった。


 だが、職場には脂ぎったオヤジや痩せこけ骨と皮のような男しか居らず、週末に何度かホステスに行っては男成分を補給する彼女にとって、ホロウは言わば男にとっての金髪爆乳ビキニや貧乳金髪ビキニロリに等しい存在として映ったのだ。


 ガッチリとした体格、分厚い胸板に力強い筋肉を携えた手足。魅せる為の筋肉ではなく必要に駆られて作られたバランスの良い肉体。それは、あるいは芸術品の石像に匹敵する程である。


 無精髭にも見えるが、よく見れば長さを均一に切りそろえオシャレに気を使っている事もよく分かり、顔つきも厳しいが同時に男らしく整った顔だ。


 上原は最早我慢の限界だった。村の青年団などという言葉にすら胸をキュンキュンさせてしまうような男日照りのOLにとって、最早目の劇薬と言っても過言ではないそのスーツは彼女の理性を蝕むには十分な効果を発揮する。


 生唾をゴクリと飲み干し、想像してしまう上原。もしもあの力強い手に組み伏せられ滅茶苦茶にされたなら、どんなに素晴らしい事なのだろうか?獣のような眼の前の男と獣のようなセックスをしたならば、どんなに素晴らしい事なのだろうか?


 そっと、手がクロウの尻に伸びた。鷲掴みにして頬ずりしたい気持ちで満たされ制御できなくなってしまう上原の欲情。いっその事自分から押し倒してしまえば良い、そんな気持ちで心が満たされていくのは…あるいは自然な事なのかもしれない。


 普段の彼女ならそんな事は思わなかっただろうが、20時間以上も極限状態で女子トイレに引きこもり怯えて居た彼女は色々な意味で限界だった。


 階段を上がっていく尻に強引に手を伸ばし…そして、今まさに禁断の果実に手がふれようとした瞬間。ピタリとクロウが立ち止まった。


「気づいたか?」


「え?あ、あの…」


 思わずビクンと跳ねて驚く上原、まさか触ろうとしたのがバレたのかと驚いたが…どうやらそうでは無いらしい。


「敵だ、数は…幾つか分かるか?」


「え、えーっと……3、とか?」


 完全に適当に話を合わせに行ったが、ホロウは驚きの表情を見せ同時に感心し始める。


「驚いた、俺よりも先に気づいてたのか?さっきから俺に何か伝えようかどうか悩んでるような動きしてたよな?」


 ギクリ、と上原の額に脂汗が滲んだ。さっきから尻を鷲掴みにしようとしていたのがバレていたらしい事に気づき、慌ててそのまま話を合わせる上原。


「か、勘違いだったらダメかなって…思って…その、ええ」


「存外妖精の加護なんざ無くても、アンタなら逃げ切れたかもしれないな…少し待ってろ」


 そう言いながら持っていたハンドガンを消滅させ、今度は何処か未来的な形の長いライフルを出現させるクロウ。それは白と黒のモノトーンカラーで構成され、僅かに銃身を青い光が走って行くという物であった。


「ソレは?」


「中距離狙撃用の銃だ、これで壁ごと敵を抜いて殺す」


 そう言うや否や、階段の上に向かって3発の弾丸を放つクロウ。その光弾キュカッ!と独特の鋭い音を響かせ、最小限の破壊と最大限の効果を持ってまだ見えぬ敵の核を一撃で潰して見せた。 


「クリアだ、何か気づいた事があったら遠慮なく言ってくれ」


「え、ええ…」


 再びライフルを消滅させハンドガンに持ち帰るクロウを他所に、なんとも言えない表情を浮かべるしか無い上原であった。無論、その表情は彼の尻肉をもっと早く掴めばよかったという1点に尽きるのだが…言わぬが花だろう。



 非常階段を登り切り、次のフロアに到着したピチパツ中年とスケベOLの2名。フロアの扉前で再び静止をかけるクロウが、ゆっくりとそのフロア内部に入り込んでいく。


 本来なら待っているべきなのだろうが、何をするのか気になった上原は少しだけ扉を開けて覗き見る。すると、其処には人間程の大きさの青白い怪物の首を背後から片腕でへし折るクロウの姿があった。


 他にも既に2つの死体らしき物が転がっており、一瞬で3人を仕留めたクロウの手腕に思わず驚いてしまう。上原もダーティーな男だと理解はしていたが眼の前でその手腕を見せられるとなれば話は別だろう。

 

 上原の視線に気づいているが、別段邪魔にならないならば気にしないとばかりに奥へ軽く進んで行くと、10秒程でクロウが階段の扉前まで戻ってきた。


「少し前進する、このフロアを一掃して安全圏にすれば一先ずは……あー…名前なんて呼べばいい?」


 少しバツが悪そうに頭をかくクロウを見て少しクスリと笑う上原。


「好きにして」


 ついでに滅茶苦茶にして!とまでは言わなかった物の、ついつい蠱惑的に言ってみるあたりまだ自らに自信があるのかもしれない。


「じゃぁ上原でいいか、このフロア一帯を掃除すれば一先ず安全は確保できる、その後俺はさらに上にあがりボスを仕留める…ここまではいいか?」


「ええ、其処は貴方の判断に任せるわ」


「全人類皆アンタみたいに冷静で的確な判断ができりゃいいんだがな…いや、スマン、関係無い話だったな」


 はぁ、と軽いため息をついて話を続けるクロウ。


「俺が問題なく討伐できればいいんだが、よしんば失敗した時の事を考えてコレを渡しておく。コイツで床に穴を開けて下のフロアに降りていけ、使い方はこのくぼみを下に向けて置いてピンを抜いて15m以上離れる…できればその上で壁や柱を挟んだ方が安全だがな、3階下まで降りれば階段が使えるだろうし大体なんとかなる筈だ」


 そう言いながら水筒にも似た筒状の白い爆弾を5つ手渡す。


「聞いた感じ、どう考えても爆弾なんだけど…」


「爆弾だぞ?」


「……あえて突っ込まなかったんだけど、さっきの銃にしろコレにしろ…法的にはどうなの?」


「完全にアウトだ、だが政府はコレを見咎める事は出来ない、俺達が居ないと国が成り立たなくなる程に深刻な事態に陥るからだ」


 そう言いながら手の中で銃を幾つか作り消して行くクロウ、そもそもこういった能力事態も相当な異常なのだが、上原はあまり驚いた様子すら見せない。妖精を知っていた…という事で世の中には不思議な事もあると理解しているのか…あるいはそれ意外の何かがあるのか。


「私が使うのは?」


「グレーだ、なにせ俺達みたいな奴等が使う"異能"には法律に関しての記載が無い、だから白も黒も無い」


「法律で禁止されていないからセーフって訳ね、まるで脱法ハーブみたい」


「いつかは規制されるかもしれない、だがそれは今じゃない…だろ?」


「その時になって、今の事を法的に問われないといいけど……」


「何、そんときゃ俺を法廷に呼び出せばいいさ、心配なら一応その時の為に名刺渡しとくか?」


 そういって懐から取り出したのはたこ焼き屋の名刺。そもそもたこ焼き屋に名刺が必要なのかは不明だが、今後の事を考えてアリアと作っておいたのだ。


「えっ……たこ焼き…屋?」


「そっちが本業で化物退治が副業だ、後はテディベアの販売も時々やってる、これも副業だな」


 そう言って銀板を加工した、繊細なテディベアの彫刻が掘られた2枚目の名刺を差し出す。


「その名刺は世界で持ってる奴が4人だけだ、大事にしてくれよ?」


「え、ええ……テディベアの販売をしてるのね」


「どっちかと言うと暇つぶしに作ったのを適当にオークションに流してたらブランドになってな…気になったら其処のURLを覗いてくれれば大体の事は書いてるからチェックしてくれ」


 トントンと刻まれたURLを指差し、そのまま立ち上がるクロウ。


「じゃ、少しまってろ、仕留めてくる」


 再び隠密用の装備と思われるソーコム風の拳銃を取り出し、緩やかに扉を開けてフロアに侵入するクロウ。先のフロアと違いそこかしこに動体の気配と奇声があるのを感じ、息を潜めて一つづつ処分していく事に決めた。


 感覚を研ぎ澄ますと自らが潜んでいる壁の向こうで人形の何かが動いているのを確認、そのまま壁越しに拳銃を3発頭部付近に叩き込み断末魔を上げる事なく殺害。


 無論、発砲音も響かずせいぜいが奇声にまぎれて何かが倒れる音ぐらいだろう。


「一つ」


 書類を踏む音、何かを咀嚼する音、壁を打ち鳴らす音。そういった物を考慮し、概ねの敵の視界範囲を考慮して動くクロウ。それは達人技と言う他なく、同時に卓越した彼自信の戦闘技量と蓄積された膨大な知識量を示している。


 タン、と、前方回転受け身のように柱の影へと飛び込むクロウ。すると、何処に仕込んでいたのかナイフを取り出し一瞬で投擲し、ふわふわと浮いて居た怪異2匹に吸い込まれるように直撃…すると途端に灰と化した。


 だが、クロウの表情は速やかに敵を倒したという喜びよりも困惑に近い表情を浮かべて居る。その原因は消滅させた怪異にあった。


(今のはペナンガラン!?日本じゃマイナーな国外種だぞ!?)


 ペナンガランとはマレー半島に伝わる妖怪であり、女の頭部に内蔵が吊るされているというグロテスクな外見をしている。空を飛んでは輝き人の血を啜るという風変わりな怪異ではあるが、少なくとも複数体が日本までフワフワと飛んできたとは考え辛い。


(テロの可能性もあるか、対人の路線も考えなければならないな)


 古くから存在する異能には非常にレアな能力ではあるが、時には怪異を従える物であったり交渉できる物があったりする。そういった力を使い他国に連れてきてテロまがいの事も出来なくは無いのだが…いかんせんそれぞれの領土を離れた怪異というのは"質"や"格"が落ちる傾向にある。


 例えば中国版ろくろ首的な浮く生首の飛頭蛮ヒトウバンを日本につれてきたとしよう、日本の場合ろくろ首という近しい存在が居る為に伝承が混じり合いなんとか存在を維持出来る。


 しかし、ニャイニネンというシベリアの神を連れてきたとしよう。ニャイニネンは概念的な存在であり日本でもその伝承は伝わっておらず、ほぼ力が削がれた状態…居るのか居ないのか分からない存在として出現、やがて消滅する。


 消滅といってもそれは死ではなく、ニャイニネンという日本に到着した概念が消えるだけでありシベリアのニャイニネンが消滅や死ぬ事は無い。信仰や畏怖が根付かなければ彼等怪異は其処に根づき形を成す事は出来ないというルールがあるのだ。


 そういう意味では日本は怪異の坩堝と言えるだろう。八百万という数多の神々や妖怪を受け入れる寛容な土壌が存在した上で比較的信心深い、様々な怪異に混じって知らない怪異が居ても許されるような環境なのだ。だからこそ今回のペナンガランも存在できていると思われる。


(さて、厄介になってきたな)


 仮に今のが異能によって連れてこられたのならば、術者もペナンガランが撃破された事に気づいた事だろう。であれば此処から先は隠密よりも速度を優先した方が良いと判断するクロウ。


「餓鬼3、ヒトウバン2、ペナンガラン1、後眼4…派手にやるか」


 ちなみに餓鬼とは日本でお馴染みの排泄物や膿や血、あるいは施された物しか食べられない鬼であり、後眼は後頭部に眼を持ち一本の長い爪を持つ妖怪だ。


 全ての怪異を確認した後、腹をくくったとばかりに立ち上がる。同時に、一瞥する事すら無く恐らく死体を咀嚼しているであろう餓鬼の一団に筒状のグレネードをスローイングするクロウ。


 途端、巻き上がる爆風と餓鬼。全ての怪異の視線を釘付けにするそれに紛れ、クロウはオフィスのパーティションの影を駆け抜ける。


 派手に戦う、だが潜む。相反するかに見えるその行動を容易くこなしてこその一流と言わんばかりの老練な立ち回りだ。


 怪異達の視線がそれた瞬間、クロウは飛翔していた飛頭蛮ヒトウバン2体にいつの間にか掌に出して居た2丁のショットガンをアキンボ両手持ちで発射。独特のキュカッと響く銃声に気づき、振り向いた近場に居る後眼の頭部をおまけとばかりに蹴り潰す。


 飛び散る肉片と目を他所に、さらに余っていたペナンガランをついでとばかりに散弾で撃ち落とすと、今度は銃剣付きのライフルを取り出し発砲。2体目の後眼の頭部を砕いた。


 そのまま軽やかなステップで白兵戦に移行するクロウ。後眼の2mを超える長い一本爪の刺突を銃剣で巻き上げるようにして切り払うと、一瞬の隙を文字通り突いて見せた。速度を殺さずに銃剣の刃を深々と後眼の大きな瞳へと突き入れ、ひねり、トドメとばかりに発砲。


 その衝撃で引き抜いた銃剣を、後方に近寄っていた後眼の瞳へと一瞥もくれる事なく突き入れ、今度は力任せに突き刺さったまま横薙ぎに振るう。


 上手く切断されず、宙を舞った後眼の体がベチャリと嫌な音を立て柱に叩きつけられ、全ての怪異に終焉を齎したクロウ。だが、その表情は何処か忌々しげだ。


「弱いし数が少ないな…妙だ」


 企業所属の実働部隊が殺されている、その情報を持っているが故にその違和感を拭いきれない。準備も訓練も十全な企業付きの部隊がこの程度の雑魚に敗北するとも思えない。


 逢魔の主が強いだけかと思ったが、平均して雑魚の実力の大凡2~3倍程が逢魔の主としての実力であると経験上クロウは知っているので、どうにも違和感が拭いきれない。


 果たしてこの程度の雑魚を3倍した程度で、企業部隊が殺られるのだろうか?という疑問だ。


「って事はやっぱ…」


 異能持ちが関わっている可能性が高い。それも部隊を退けれる存在が…だ。


「ま、言っても仕方ないけどな」


 元より部隊が壊滅したのは情報として知っていたし、そんじょそこらの外道に負けるつもりも無い。なのでやる事は変わらないとばかりに気を取り直し戦いに備えるクロウなのだった。

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