Sample,No10 【尊厳死用窒素カプセル】
最初に書いておく。
正直、こんなメッセージを残すことに何の意味があるか、僕には分かっていない。
ただ、どんな発言さえ許されるというルールに惹かれた。それくらいだ。
だから、それらしいものの代わりに僕は自分のことを書こうと思う。
ずっと昔、何歳の頃の記憶かも覚えていない。
先生から、人が生きるには酸素が必要だと教えられた。
同級生が手を挙げて発言した。
酸素って、空気ですよね!
僕は、それは違うと思った。
けれど、挙手して訂正するほどの勇気はなかった。
先生は明るく笑って、ええ、そうね、と応えていた。
僕は、それは違うと思っていた。
僕が知っていたのは酸素と空気とはイコールでないこと。
空気とは多くの気体を含有しており、酸素とは空気中に2割程度しか存在していない。
むしろ主成分という言葉を使えば、それは窒素であると。
父が教えてくれたことだった。
僕は、そんな父を恨んでいるのかもしれない。
彼は僕にいろんなことを教えてくれた。
空が青い理由。人が地を歩ける理由。雨が降る理由。虹がかかる理由。たんぽぽが綿を飛ばす理由。そんな、いろんな理由を教えてくれた。
その多くは、僕がせがんだことだ。
僕が聞いたことを、彼は何を調べることもなく、間髪も入れず、その全てに応えて、答えてくれた。
嬉しかった。自慢だった。ただの人間であるはずの父が友達のアイドロイドのように博識であることが自慢だった。
人間である母も自慢だった。友達のアイドロイドとは違い、こちらの考えることを全て見透かすかのような母が怖かったが自慢だった。
自慢だった。けれどもう、その感情は希薄だ。
もちろんそれは、その対象が既にいないからに過ぎない。
12歳になる日まで、僕はアイドロイドのいない生活を送っていた。
その翌日、両親は国から認められた権利をもって尊厳死、歴史上の分かり易い言葉を引用すれば、自殺した。自らを殺す。僕はこちらの方がしっくりする。
純粋な窒素に満たされたカプセルに収まった両親の亡骸と対面した時、僕の隣には、今まで姿を隠していた2体のアイドロイドがいた。
父に似ていたけれど、少し違う。
母に似ていたけれど、少し違う。
僕が両親といた12年間より前に、同じくらいの期間を父と母それぞれと過ごしていた彼らは、その日から両親の代わりとなった。
多くの質問に答えてくれた父と比べ、父に似たアイドロイドはたった一つの質問にさえ応えてはくれなかった。
何故両親は、僕を遺して自殺したのか。
言葉にしなくても僕の考えを見透かしていた母と違い、母に似たアイドロイドはたった一つの僕の感情を見破ることが出来なかった。
アイドロイドが、嫌いだ。
表向きの暮らしは変わらなかった。僕も変わらなかった。
両親は恐らく数年前からこの自殺を、尊厳死を予定していたのだと思う。潤沢に貯蓄されていたベーシックインカムとenのお陰で、僕は僕が将来受け取る予定の累積BIを目減りさせることもなく成人を迎えることが出来た。
感謝は出来ない。一度だって、そのことに感謝したことはない。
例え、どれだけ両親に似た代わりの両親がそれを美化しても、疑問にも応えず、心も読んでくれない相手からの言葉は空虚で、蒙昧で、僕にとっては意味のないものばかりだった。
アイドロイドが嫌いだ。
けれど僕は、その言葉だけは隠して生きてきた。
隠さなければ生きていけないと思っていた。
アイドロイドが当たり前に与えてくる愛情や親愛は、人が戯れに向けるそれに比べ、ずっとハードルが低い。
求められているのは自らが人間であることのみ。彼らの優しさを拒否しても、蔑ろにしても、それは全て許される。
両親の代わりとなった2体だけではない。通りすがりにでさえ彼らは僕にそれをそのように与えようとしてくる。
その度に最初に告げられるのは、自らがアイドロイドであるという、見た目だけでは分からない事実。
「だから、遠慮なく、この施しを受け取るべきだ」
彼らはきっと、そう主張しているのだと思う。
それは歓迎しようとしまいと、もはや自動的に与えられるもの。
まるで、空気だ。
だから、とても気に食わなかった。
どのような愛にも反応を示さない僕に対して、2体は辛抱強く、そして僕を第一として僕を育んでくれた。
大きくなった体の全ては彼らの恩恵であり、過ごした時間の端々には必ず彼らがいた。
勝手に死ぬことも、いなくなることさえもなかった。
まるで、空気だ。
空気のようにある愛だ。この社会は、それに満ちている。
誰もが既に満足するほどにそれを吸い、そこにあることが当然になっている。
空気は空気であり、アイドロイドの愛はアイドロイドの愛なのだ。
けれど僕は、空気が空気であると受け入れる前に、その組成を知ってしまっていた。
きっとそのせいで、僕は感情豊かな人間になる為の、空気についてのパラダイムシフトを迎えることができなかったんだと思う。
人はまず空気を知る。自分に必要なものと知る。
父のように、目の前の空間に指先で丸を描き、ここにあるものが空気、と教えられる。
空気が必要な理由は?父の問いかけを覚えている。
酸素と答えれば、きっとまた父の笑顔が見られる。
そして話は宇宙に至る。
その暗闇に漂う自分を思いながら酸素がなければ生きていけない実感を得る。
だから空気とは酸素であり、生きるために必要なもの。その理解が芽生える。
父も、そこで止めておけば良かったんだ。
そこで止めてくれさえいれば、後は勝手に幼い認識はひと時の真実を得る。
酸素こそ空気であり、アイドロイドの愛のように、自身の周りにあるもの。必ずあるもの。
なくならないもの。息を止めれば、アイドロイドがいなくなれば、苦しいのは自分。
浮かぶ感情が感謝なのか、諦めなのかは、もはや僕には分からないけれど。
父の教えはなくとも、人はいずれ、酸素の、空気の正体を知る。
空気の主成分は窒素。それと2割ほどの酸素。
そこに微量ながらもアルゴン、二酸化炭素、ネオン、ヘリウム、メタン、クリプトンその他多数を含有する混合気体。
純粋なそれらは人間にとって有害極まりのない気体であり、必要不可欠と思っていた酸素でさえ、人の命を脅かす可能性があるものだと知る。
空気は酸素だけではない。必要と思っていたそれは2割程度でしかない。
その奇跡的な配合により空気は空気足り得ている。その組成が変化すれば、人間という種はそれに耐えることは出来ない。
きっとそれは、誰しもが父から学ぶことではないのかもしれない。
もしかすると、何かのタイミングで、驚きと共に知ってしまうのかもしれない。
人はそこで小さな、小さなパラダイムシフトを迎えるのだと思う。
空気を酸素と呼ぶことに抵抗を覚え、空気を空気と呼称して、酸素を空気と呼ぶことに疑問を浮かべてしまうようになる。
そうやって手放しに甘受していた空気の正体を知りながら、けれどそれに甘んじて、きっと、疑問を持つまでには至らない。
そこにあり、無償に与えられ、そもそもそれが当然であるからこそ。
その細分化を忌避して、知識として蓄えるに留め、感情を変化させることもない。
まるで、アイドロイドみたいだ。
彼らの正体を僕は知らない。父も、誰も教えてくれなかった。
人の傍にあり、人と共にあり、人を助けるためだけに存在する人のような造り物。
そんな思考の端に過るのは空気のように愛を施すアイドロイドの笑顔と純粋窒素に沈んだ両親の顔。
一呼吸で苦しむことなく死んでしまえる国営の尊厳死用窒素カプセルの中で、空気中の約8割を占めるはずのそれに包まれた両親は笑っているようにも見えた。
両親の死に理由を求める過程で、その行為自体の歴史をなぞりもした。
自殺という単語を知ったのもその過程だ。その言葉が主流だった当時、人はマイノリティ的に、時にマジョリティ的に、自らの死を望む存在であったことを知った。
今ある絶望に耐え切れず、或いは堪えるという選択さえ放棄して、人は人としての生涯を終えようとしてきたのだと古典図書室は教えてくれた。
許されていようといまいと人は自ら死ぬものなのか。ちょっとした衝撃だった。
許された現代で、むしろその数が少なくなっていることは皮肉だと思う。
今や、その行為は他でもない、アイドロイドによって尊重されている。
法律上の処罰対象とならない、あくまで物品であるとされる彼らの手で尊重されている。
人権という権利が最大の利権となった社会。
誰しもが笑顔と共に口にする言葉を、時に僕は苦々しく思っていた。
目の前にいる、人の願望を最大限に叶えようとする存在が、空気であり、酸素であり、純粋な、窒素でさえあるかもしれないと、僕は確信している。
アイドロイドの愛を空気と捉える以上、或いは酸素と捉える場合でも、それはいずれ人を殺すのだと信じている。
現代では珍しい人間同士の夫婦だった両親も、その社会への絶望があったのかもしれない。
いや、多分、違うな。そんな顔じゃなかった。
今終えられて良かった、そんなことを言いたげな顔だったように思える。
とは言え、そう考えるのは今の僕だ。
最後においてささやかに、自らを優しく飾ろうとする心象による誤認なのかもしれない。
自らも同じく、間もなくそのカプセルに入るからこその、その全てを美化しようとする自己防衛なのかもしれない。
文字数に制限はなくとも時間の制限はあったらしい。
そろそろ時間だ。せめて言いたいこと位さっさと書き上げよう。
この社会はアイドロイドの存在に疑問を持つには異質に完成され過ぎている。
そもそも疑問を持つべきではなかった。空気に恐れを抱く必要はなかった。
全てのそれを父のせいにしながらも僕は彼と同じ表情を浮かべて死にたい。
実際、気は楽だ。最後の最後にアイドロイドが嫌いだと言葉にすることが出来た。
疑わしいと不可解だと告発することが出来た。
そう考えればここに遺書を記す行為もあながち悪くない。
むしろ死に臨むメンタルセットの機会として必要だったのかもしれない。
父さん僕は貴方のことが大好きだった。
母さん僕は貴女のことが大好きだった。
貴方たちのせいで僕は今日死を選ぶのかもしれないけれどどうかそれを笑っていてほしい。
あの日のカプセルの中の笑顔と同じように
微笑んでいてほしい。
最後に一つ。
いつかこの遺書が誰か人間の目に触れることがあれば聞きたいことがある。
アイドロイドの愛は今もまだそこに空気のようにありますか?
そろそろその組成くらいは分析出来ていますか?
それは人を殺し得るものでしょうか。
その答えだけが、彼らの愛を、空気と捉えた僕の、心遺りだと言えるから。
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