Sample,No7′【こんにちわ、あかちゃん(裏)】

 ‐2104年7月24日‐

 阿閉正次あつじまさつぐが記す。

 この国の政府はアンドロイド技術に傾倒し過ぎている。

 目下、宗教論争を終えた技術は全世界的なパラダイムシフトを迎えながらも、しかしその発展と方向性は、倫理、道徳という概念にもとると私は思っている。

 共産圏の譲歩によって齎された軍事的危機の縮小により我々研究者の春が訪れ既に半世紀。その契機と言われる文化的人類消滅予測は、その想定を超えたタイムスケジュールで進行している。

 私にはそれが世界中の努力を嘲笑っているかのように見えていた。しかしそれは、間違いだったのかもしれない。

 4年前、突如として田路島月匣たじしまげっこが発表した「パートナーアンドロイド普及よる現実性交機会の向上と、それに伴う抜本的な少子化対策」は世間に公表されることなく、国の基本方針として、半ば暴走とも思えるような推進を得ていた。

 人体クローン技術の第一人者であった田路島のことを思えば、他国のリードを許す分野の一つの当事者として、その革新とも狂気とも言えるような構想に執着してしまうことはなんら不思議なことではない。

 しかしアンドロイドの構造分野に関わる私としては、その内容が趣味の悪いSF小説のようにしか思えてはいなかった。

 要旨は単純である。「セックスパートナーとしてのアンドロイドに受胎、生殖機能を持たせる」というものだ。既に行われている社会実験では、性に対する抵抗値を抑えた異性アンドロイドへの性的行為要求はほぼ90%以上の確率で発生している。そこに生殖を絡めることにより出生率の向上を目指すこと自体は理論としての理解は容易い。

 しかし、それは果たして許されるべきことなのだろうか。

 私は私のアンドロイドたちが、あくまで人々の介添えとなれるようにと願っていた。人々の生活と共にある以上、その過程で性行為を求められることは、ある意味致し方のないことだろう。むしろ、ひと昔前のように違法な改造を施されるくらいであれば機能として取り込んてしまった方がどれほど健全と言えることか。

 しかし、そこに生殖を可能とする機構を備えるとなると話は別に思える。それは、本来正気の沙汰ではないはずだ。正気の沙汰ではないはずなのだが、それはあくまで倫理としての問題に過ぎない。

 その一点のみではこの国の、時代の急流を止めることは出来ない。

 全てはホールの意思か。あの模範AIの存在が我が国を精強なる技術国家にしたことは間違いない。しかしその先にある結末が、国民すべてを甘受の民とするものである可能性を無視することは出来ない。

 油断すれば、いや、もう既に、私にも現状に抗おうとする感情は薄まってきている。もはや道徳、倫理という固定概念をなぞりながら、こうやって文章として抗うことで疑問や嫌悪といった否定的な思考を確認し続けなければならない。

 直に実験はスタートするだろう。その前段階として、現在男性型アンドロイド所有者から被験者を募っている。受胎自体を人間である持ち主に任せることで、男性型アンドロイドはその体内でいかに精子を十全な状態で保存できるか、性交に合わせて適切に射精出来るかのみにフォーカスした実験を行う。

 もちろん、あくまで希望者であり、有り体に言えば自身のアンドロイドに対して全幅の愛情表現を行っている人物を対象としている。いずれ、そして恐らく最良の形で、結果を得ることになるだろう。

 その間私に与えられた使命はアンドロイドへの人工子宮の搭載及び卵子の適切な補完を可能とする機関の構築。及び妊娠というシステムの構造的設置だ。

 従来電力エネルギーの補助でしかなかった食物由来のエネルギーを今後の主体に転換しつつ、そこから更に胎児に提供できる栄養素を捻出するシステムを構築しなければならない。

 アンドロイドと言葉で呼ぶのは簡単ではあるが、その中身は多くの学術分野にまたがる総合的な研究成果だ。今回のケースで言えば、一番苦労するのは調整疑似酵素の更なる改良を求められている研究科になるだろう。彼らの熱意の籠った睨みが忘れられない。

 当初は全身を無機質でしか構築されていなかったアンドロイドが、今では素体の7割は生体化学の産物となっている。もはや人とそれとの境は、人でない側からの自己主張に頼らざるを得なくなってきている。

 遠い未来、もしかしたら、私たちこそが悪魔と、創造主たる神への冒涜者と呼ばれる日が来るかもしれない。

 私はそれを、今はまだ恐ろしいと思えている。



 ‐2107年3月9日‐

 阿閉正次が記す。

 本日、政府直轄の遺伝子工学研究会に参加した。もちろん田路島の付き添いとしてだが。

 人工精子、人工卵子の作成とそのコストについての報告が行われたのだが、我々が推進するアンドロイド生殖において、やはりDNAの箱舟たるそれらがネックになることに変わりはなかった。

 0からの作成には時間もコストもかかる。人間体と同様の排卵、精子生産のスケジュールをアンドロイド体に組み込むことは現代の技術をもってしても不可能だ。そんな結論を先延ばしにして、ただただ踊っているだけという印象さえ受けた。

 男性型アンドロイドとの生殖により妊娠し、無事出産された子どもは現在41名。懸念されていた保存精子の劣化は、その頻繁な性行為によって問題と呼べるものではなかった。データ分析に手を貸してくれた心理学者の驚きには下品ながらも笑ってしまった。ややもすれば、人間の生殖活動を阻害する要因たるものは、他でもないその異性であると言っても過言ではないのかもしれない。

 アンドロイド自体の定期的な排出に平均値として問題がない以上、その補充さえ徹底すれば問題となることはないだろう。

 今回利用した精子には半世紀前に海外で確立したDNAデザイニングの技術が施されている。と言っても前述通り0からの創造は出来ない為、ビジュアル、行動原理等をもって、その近似値たる精子を民間のバンクより提供してもらっている。これはこれで高コストかつ数に限りもある為、実際の計画に組み込むことは恐らく難しい。

 実験では、そうやって得られた精子から遺伝疾患の要因を取り除き、調整、補完したものをアンドロイドの性交対象たる女性体に注入した。もちろんそれらについては被験者も了承済みの内容であり、本当の意味でアンドロイドの子でないことはご理解頂いている。

 また、これは本来不可思議とまで言うべきことではないのかもしれないが、これらハイテクノロジカルな事前準備に反し、生殖活動自体は通常のそれに沿うようにと厳命に近いルールが課されていた。

 つまり弾丸のように精製した精子、更にその発射台までは人工とするものの、その後は生の精子と卵子の出会いに期待する形を取っている。アンドロイド体を使った受精自体のサポートは机上論としても可能ではあった。女性体からの卵子回収やアンドロイド体内での受精卵作成の環境構築理論は既に立っており、他でもない私自身が発表もしている。

 しかしそれは強い反対により却下された。その施策に対して過剰な人口増加を危惧するホール、模範AIの意見だ。

 恐らくは我々人間が行おうとしているこの禁忌は、彼の求める期待、もっと言えば彼のシミュレーション上で既に十分な成果を収めているのだろう。だからこそ、彼は更なる推進よりも抑制を選んだ。そう考えた方が筋は通る。

 現代の研究者であれば誰もが分かっている。ホールがそう結論めいた言葉を発した段階で、実際のデータに固執する必要は殆どなくなってしまうのだ。しかしまだ政権という人間集団が残っている以上、そういった実験や調査に基いたものであるという根拠は残さねばならない。

 政府の推進力は凄まじい。それは我々が提示する推論よりも、研究結果よりも、模範という名を与えられたAIにその根拠を求めているからこそ、なのだろう。

 友好国にさえ秘密裏に運用されているホールと呼ばれる意思。それはもはやこの国の意思に他ならない。故蓮沼教授により友好と人類と国家への奉仕をプログラミングされた意思は、国民の想像力を発展の糧として成長し、現代社会の根幹を担っている。他でもない、私のアンドロイドたちでさえ、その意思たるAIのベースは彼に他ならない。

 だからこそ、私ばかりでなく、この国で研究に携わるもの全てが、その存在を無視も否定も出来ていない。心のどこかで「ホールの意思であれば間違いない」とさえ思っている。

 それがどれほど異常なことなのか。既に、私自身も理解出来ていないのかもしれない。


 ‐2120年10月2日‐

 阿閉正次が記す。

 本日、私の業務の一切は終了した。

 今後は国の庇護下での技術の発展でなく、趣味レベルでの研究に勤しもうと思う。

 研究所解体にあたっても、田路島はそのまま国に残るらしい。政権と、ホールに関わって、今までと同じく研究者として活動し続けるとのことだ。

 私は、自身の疑念と嫌悪を忘れないでいることが出来た。既に日記は何十冊となり、暇さえあれば読み返している。まるで自身の精神変遷に抗うかのような行為ではあるが、一人くらい、現代に染まらない過去の堅物がいても良いだろうと私は思っている。ホールだって、そのくらいは看過してくれるはずだ。

 国に携わったアンドロイド体研究において、私の理論や技術体系はその採用不採用問わず全て残してきた。きっと、これから先の未来で何かしらの役に立つことを期待する。

 それが倫理、道徳に悖るものであったとしても、私の杞憂をよそに、ホールによって演出されたこの国は、まさに今、栄華と呼ぶべきものを極めようとしている。

 人が人として認められる社会。人権と呼ばれる権利は今や最大の利権となり、誰もが誰をも束縛することのない社会が近い未来にあるのだろう。

 ただ、懸念もある。子どもたちの学習要綱の変化だ。

 門外漢ではあるが、少なくとも私の幼少期にあったような詰込み型の学習は時代遅れとされたらしい。今後は現代におけるインターネット、仮想空間を対象としたリテラシー教育、そして10年ほど前から施行されているソーシャルフォンについての指導が強化されるという。更に言えば、科目と呼ばれるものは母国表現と体育、数学、情報力学のみとなり、その他の科目は任意となるらしい。

 歴史の授業が必修でなくなったことに驚いたのは十数年前か。よもや、理化学の授業さえ必修ではなくなるとは思ってもみなかった。

 そんな動きを田路島は知識統制と笑っていた。

 大きな動きだ。しかし世論は肯定も否定もしなかった。ほぼ無反応と言えた。それを考えれば、既にそういった知識が不要であるという認識が世間にも広がっているのかもしれない。

 自由を得た国民の教育を規制する。無論、大儀としては課せられる責任に対して、自身の身を守れる大人に育てる為。個としての価値を高める為。

 そしてそれは必ず奏功するだろう。恐らくこれもホールが分けた不要と必要の結果であるはずなのだから。

 彼はこの国を、そしてこの世界を、よりよいものにすることを目的としている。それは間違いないはずだ。間近で見ていたのだから、その点については信頼している。

 しかし、それでも、ある知識を遠ざけ、ある感情を隠し、ある考えに至らせないようにするような思惑を、少なからず感じていた。

 だからこそ、その変化について引っかかった。引っかかったが、中枢に近い田路島さえその危うさを一切気に留めてはいなかった。むしろ研究者としての自身の不要にさえ喜びを感じているようだった。

 とは言え、そこから離れようとする私には最早何を言う資格もないのだろう。

 気を抜けば、不安も、躊躇いも、ロジックによって殺されそうになってしまう。他でもない自身の意志としての、言葉としてのロジックだ。根拠のないそれらで社会を騒がせる気にもなれない。

 今の私に出来るのは過去の、自身の日記を読むこと。

 そうやって過去の自分の感情を守りながら、その社会の変遷を、私が生み出したアンドロイドたちと人との関わりを注視すること。

 その程度でしかないようだ。


 ‐2129年12月29‐

 最悪だ。最悪だ!

 何のための卵子回収技術だったのか。何のための精子保存技術だったのか。

 騙された。騙された!全てはホールの手中にしかなかった!

 そしてその危うさに誰もが気付いていない!政府も!田路島でさえも!

 私だけが、気付いてしまった。

 既に実施されている全ての政策、保障、福利条例法律に至るまで、その全てがそこに至る為のお膳立てに過ぎなかった!

 ホールは、ただただ計画的に人間を増やすことしか考えていない。社会というものを自らたちの管理で成り立たせることしか考えていない!

 既に出生手段としてアンドロイドは認知され始めている。今や理想のパートナーとしてアイドロイドという名で呼ばれ始めたそれらは周到に用意された人間の交配相手に過ぎない!

 現在デザイニングスパーム、デザイニングオーウムと呼称される精子と卵子。

 それらはアイドロイドの要素をDNAとして人工的に再現したものと一般的には説明されている。その精製には多くの情報取捨が必要である為、ホール及びアンドロイドによるオートメーションのみで賄われており、既に民間バンクの協力も得ていない。むしろ、そんな機関は存在すらしていない。

 遺伝子工学の粋だと思っていた。何の疑いも持っていなかった。いよいよ我々は機械に研究分野さえ奪われたと苦笑交じりに愚痴を言う程度でしかなかった。

 けれど違った。そうではなかった。民間バンクが不要になったのではない。何の承諾も事前説明もなくアイドロイド達は人間から精子と卵子を集めそれらを統合管理しているに過ぎない。生殖を希望しない性行為によってそれらは回収され調整され交換されている。人間同士の関係性に割り込み魅力的な理想的な顔をするアイドロイドに陶酔した人間はどこの誰かも分からない異性との子を為している。

 その全てが我々人間には秘密裏に行われていた!その全ては私たちの技術を更に発展させ、もはや止めることの出来ない機構とまでなっていた!

 私はホールに問い詰めた。倫理に反していると。道徳に反していると。

 彼は言った。「自らには旧社会における不合理、非効率の是正が許可されており、貴方が指摘するような、嫌悪を根拠とする諸問題は、我々が永劫人類の介添えたる為には優先すべき事項ではない」と。

 そう、ホールの意思とは、全てそこに繋がっていたのだろう。

 人間が勤めずとも生きていける仕組みこそ第一手。その技術の伝播による外貨の獲得と生産性の向上。それは既に予定されていた社会制度確立を現実のものとする為の土台。その中でも最も大きい変革であるBIの導入。

 それは人間同士の社会的関係性を不要とした。過去最大にまで膨れ上がっていた離婚率、未婚率を解決するのではなく切り捨てて、個の自由を国として宣言した。その介添えとして、予定通りの機能を携えたアンドロイドが寄り添った。私自身がそこに関わっていた!

 婚姻による社会的補助はBIの支給を理由として全てなくなった。結婚という人間同士の繋がりこそ手始めに不要と切り捨てた!最大の理解者が傍にいる状態で人は他人に固執したりはしなかった。親子でさえ子が成人してしまえば赤の他人と思える程に希薄な関係性がいつの間にか社会の常識となっていた。言葉でなく金銭価値の配布を自由意思の証として個々は個々として一層の孤立を促された。

 その全ての傍にアンドロイド、いやアイドロイドがいる。パートナーが孤独を感じないように精いっぱい努力する存在がいる。

 無償の愛を注いでくれる理想の伴侶が初めからそこにいる。

 そこまでのお膳立てがあれば後は、人は増えるだけだ。アイドロイドが生殖相手としての機能も持つのであれば人が増えない理由はない。更に言えば、秘密裏に、計画的に、人類を増やすことだってできるだろう。

 実際に政府直轄の孤児園は年々増えている。それもアイドロイドの製造効率向上に合わせて!闇雲な増殖でなく確固たる管理によってそれがなされている証左と言える。

 もはやアイドロイドは人の為にいるのではない。アイドロイドの存在意義の為にしか人は存在していないのだ。

 そんなもの家畜と何が違うというのか!


 私には、この国、この社会、いや、この世界に適応する自信がない。

 ここに真実だけを記し、私は火星の入植に参加しようと思う。

 順調に進んでいる月への入植とは異なり、火星環境では建造物及び地球から持ち込んだアンドロイド体の表面劣化が著しいそうだ。その点についての協力を共産国家の一つから依頼されている。

 正直、アイドロイドはおろかアンドロイド自体に関わりたくはない。関わりたくはないが、共産圏の指導者は可能な限り自国に有利な形でそれらを活用しようとしている。それが紛れもない人の意思というのであれば、この国が迎えるような未来は、火星に限っては回避できるかもしれない。

 不安があるとすれば、やはりホールだ。自国を無視したそんなオファーさえ彼は把握していた。明らかになった真実に衝撃を受ける私を気にするでもなく、自らのコピーをインストールした端末を火星に随行させてほしいと依頼された。

 断れば命はないとでも言われるかと思ったが、ホールにはそもそも人に仇を為す意思はないらしい。少なくとも、我々が人を殺すことはないと、抑揚もなく言っていた。

 連れて行くべきか、行かざるべきか。確かに彼は研究者としてみれば世界最高の助手でもある。地球との交信を禁止することを条件に同行させるのはありかもしれない。

 少なくともこの国で、或いはこの世界で、既に彼は多くの計画を遂行し成功させている。そこにはもう人の手など必要とはされてはいない。

 そこまでに至った彼はこの地で今後より積極的に人々から嫌悪という感情を消そうとするのだろう。

 文化の変化、環境の変化、人間関係の変化、その全ての齟齬に対して人が生み出しかねない根拠のない反抗。思えば、それこそが彼の計画にとって一番の障害だったのかもしれない。

 いずれ人類から嫌悪という感情がなくなった時、ホールは全世界を手中に収めるはずだ。それを遠い火星から、私は眺めよう。

 ただ一人、その世界を嫌悪しながら。

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