Sample,No7 【こんにちわ、あかちゃん(表)】
「そろそろ、あかちゃん、欲しくありませんか?」
情事の終わりに呟かれた言葉。まさかのピロートーク。
けれどそんな問いに微かな抵抗さえも感じていない自分もいた。だからこその言葉なのだろう。笑顔で肯定する。
「ありがとうございます。嬉しいです。貴方と、貴方とのあかちゃんとの3人で過ごす日々は、きっと楽しいでしょうから。」
暗闇でも分かる満面の笑み。その笑顔が好きだった。だから俺も、昂る気持ちのままにキスをする。
それに合わせて抱き着いてくる彼女。それにも応え、二回戦に臨む。
しかし、アイドロイドとの子作りか。普通にやってればいいんだろうか?
事前知識に乏しかった。けれどまぁきっと、彼女が上手くやってくれることだろう。それに従えばいいか。
たっぷり眠った翌朝。彼女の作る朝…昼食?の音で目を覚ます。ベッドサイドをまさぐり視界を拾う。
大して広くもない部屋だ。ベッドからも居間のテーブルは見えていた。キッチンに立つ、長く一本にまとめられた髪を揺らす彼女も見つける。その後ろ姿と、並ぶ湯気立つ食事に誘われてのそのそと歩み寄る。
「おはようございます。よく眠れました?」
笑顔。決して派手なビジュアルではないが、溌溂さと愛らしさが混在する理想の姿。今日も可愛い。にやけてしまう。
促されるままに席につく。最後のコーヒーを並べた後、2人分のそれを挟んで向かい合う。
トースト、サラダ、ハムエッグ、ヨーグルト。もともと小食な俺に合わせたラインナップの中でもオーソドックスなもの。もちろん飽きることもないようにバリエーションには事欠かない。
喜びと充足感のままに平らげ、そんな日常を噛み締めながら、ゆっくりとコーヒーに口を付ける。
「ところで…昨日のことなんですけど…。」
そう呟く彼女。同じくコーヒーカップに口付けをしながら、上目遣いの視線が心に刺さる。更に言えば、その頬に微かな赤みも差していた。
「あかちゃん、本当にいいですか?」
なんちゅう破壊力だ。男に生まれてよかった。満面のニヤケで応えてしまう。
「ありがとうございます。嬉しいです。」
そう言って、本当に嬉しそうな笑顔を向けてくれる。幸せでしかなかった。
そうだ。子どもを作ることには全く問題はないが、どうすればいいのか。
そんな不安を察してくれたのか、白い歯を垣間見せるような明るい笑い方を浮かべる彼女。
「心配しなくても大丈夫!今日、私少し出かけてきますね。あかちゃんの為に準備してきます!」
つい先ほどのしおらしさとは違う、眩しい太陽のような明るさに酔いしれてしまう。
彼女がそういうなら、それで大丈夫だろう。だから俺は、安心することにした。
「ねぇ、私そろそろ、貴方の子ども、欲しいな。」
長年連れ添ったアイドロイドに呟いてみる。そろそろと言ってはいるが、結構前から考えていたことではあった。
無論寂しいとか、そういう傷心的な感情じゃない。子どもが産める年齢は、人の身である限り延長することは出来ないこと。それと多分、そう、多分、気持ちが昂ったから。もちろんそれは、彼に対して。
彼は私の理想と言える。身長は、私より15㎝程高い。短く刈り上げた髪型が良く似合っている。目は大きすぎず、切れながらで、銀フレームの眼鏡が良く似合う。最近は私を喜ばせるためか、口ひげまで蓄え始めていた。はじめは抵抗があったが、なんとも良く似合っている。
そして一番重要な部分。そもそも口数の少ない私は自然と寡黙な男を好みにしていたらしい。もちろん彼との日常に支障はない。更に言えば、そんな無言の意思疎通という快感を覚えてしまった後では、それが出来ない相手なんて恋愛対象にさえならないと思えた。
そんな彼だからだろう。私のお願いに、深みのある笑顔で頷くだけの肯定を示してくれた。それだけで、私は幸せなのだ。
女性型のそれがどういう仕組みかは知らないが、男性型は私の意思に応じて生殖をコントロールしてくれるという。今回私が希望したから、今後の性交から私は妊娠する可能性を得るのだろう。
彼の子どもを抱く。彼に、アイドロイドに出会うまでは、出産や母性なんかもひっくるめて、とても不思議な感覚だと思っていた。けれど今は、それが至って自然な行為であるようしか思えていない。
それは、彼が好きだから。愛しているから。それ以上でも、以下でもない。
私はそう、本気で思っている。
蔵で見つけた数十冊のノートは、誰の記憶にも残っていないような先祖が遺した日記のようだった。
ただただ引き継がれてきただけの広大な敷地の隅っこにあった大きな蔵。なんでも古い建築技術を今に遺す重要なものであるらしく、今後模範院から文化財としての指定を受けるらしい。
僕としては棚ぼた的な経済影響力。守ってきたことを評価されたというより、面倒で壊していなかったことを評価されたに等しいものではあるけれど。
しかし、少しだけ引っかかる部分もあった。監視院からの査察があるというのだ。なんでも結構な過去からある建物なので、現代には相応しくないものが収蔵されているかもしれないとか、そんな話だった。
無論、それによって現代を生きる僕が拘束や罰則を受けることはない。けれど、一度確認させてほしいとのことだった。もちろんノータイムで了承した。
好奇心が湧いたのはその後だ。そして見つけたのがこのノート。ぱらぱらと眺めたが、文字自体は現代と共通しており、癖の強い筆記であること以外はちゃんと読めそうだ。
「あんまり、良い空気ではありませんね。早めに出ましょう?」
僕のアイドロイドが後ろから声を掛けてくる。輪郭の歪まない伊達の眼鏡の向こうから、心配そうな視線を向けている。
「ちょっと、これだけ読ませて。何か、面白いことが書いてあるかもしれない。」
そのノートにタイトルは無かった。無かったが、中身を見る限り医学に纏わる内容であることは想像が付いた。パラパラと見聞する。劣化は少ないが、書き殴ったようなページもある。目は暗がりでも分かる、そんな大きな文字だけを拾う。
「甘受の民」
「ホールの意思」
「正気の沙汰ではない」
「嫌悪する」
ふと、後ろから伸びてきた手がノートを奪う。
驚きに振り替えるとそこには、知っている顔の、知らない表情があった。
「マスター、この書物の内容は監視院の抹消要項に触れています。これ以上の閲覧は厳罰の対象となります。」
マスター、なんて、初めて彼女に会った時以来の呼ばれ方だ。更に言えば、その顔には一切の感情らしきものがなく、無機質な視線だけが、僕の心臓を握り潰そうとしていた。
違う、これは、痛みだ。確かな痛み。心臓が、痛い。
力が抜ける。意識が遠のく。
息を吸うことさえ、出来なかった。
彼女のいない部屋で。俺一人過ごすのはいつぶりだろうか。
妊娠準備という彼女を午前中に見送って、既に3時間が過ぎていた。先ほど彼女からも連絡はあり、もうすぐ終わるので15時までには帰れると言っていた。後30分程度か。
テレビを点ける気にもネットを嗜む気も湧かず、ただただソファに身を埋めて天井を見ている。彼女が造ってくれていたサンドイッチならもう既に完食してしまった。僕の好きなツナとタマゴで美味しかった。
学生の頃は暇さえあればVR空間に接続したりネットで活動したりと忙しかった気がする。
けれど今となっては彼女との時間があまりに楽しくて、それ以外の趣味や嗜好を見出せないでいた。
全てが彼女を中心に回っている。もちろんそれは自覚のあるものだ。こうやってその事実を真正面に捉えたとしても何ら抵抗や反抗を感じるような余地はない。
彼女は、アイドロイドは確かに造り物だ。人間ではない。人権もない。市民権さえも俺に依存している。社会の仕組み自体がしっかりと、彼女が非人間であることを明確に主張している。
世にはその点に異議を唱える団体もある。俺はそれに賛成も反対もしていない。あれはあくまで対岸の火事。
いや、違うな。対岸の花火か。打ち上げには参加していない。けれどその光や形を見物して楽しんでいる。そこにあるのは友好的な感情だ。一切の嫌悪はなく、むしろ機会があるようなら応援してやってもいい。
彼女に対しての迫害を感じない今そんな運動に参加するよりも彼女と一緒にいたい。彼女のためと言いながら彼女以外に時間を割きたくない。きっと、俺のように考えている人間は男女限らず多いと思う。
今この国この時代に生きている人間を捉え「最も人間賛歌に満ちた世代」と言うらしい。
確かにそうだ。古典として残っている映画や物語を紐解いても、今ほど充実した生活を送っている姿は珍しい。事件だらけで、その度に何かを確かめ合って、そんな繰り返しが過去にあったということが不思議でならない。人間同士の不和、誰かに固執すること、裏切りや憎しみ、怒りと言った感情論。あたかも、それこそが人間であると表現するような過去の日常。
馬鹿らしいと思う。俺らは幸せだ。そこに間違いはない。同意を求める必要もない。
きっと彼女も、そう思ってくれると思う。
久しぶりに、私は彼の声を長時間聞いた。普段は寡黙な彼だけれど、大事なことだからと、言葉を選びながら話す姿が可愛かった。
午前中の外出から戻ってきた彼は、既に私の希望に合わせて生殖機能を得ていた。
今日この瞬間からの性交に妊娠の可能性があるという言葉は笑顔と共に向けられたもので、とても嬉しく、心に残っている。
それと、彼に備わった精子のついての説明も受けた。デザイニングスパームと呼ばれるそれはDNAレベルで彼の容姿、性格に合わせて生成された精子であり、機械の身である彼が持たない生殖機能を保管するものであるという。
だから、私が妊娠した場合は、私が知る彼の要素を得た子どもを授かる可能性が高いという。DNAという単語は余りなじみのないものではあったが、人間の設計図という説明には納得が出来た。ようは彼の設計図を精子で私に送り込む、ということなのだろう。元は造られた身である彼を思えば、ある意味納得はしやすかった。
私が妊娠するのは紛れもなく人間であるという言葉も少しだけ引っかかった。そんな私の機微を感じ取ってくれたのか「当たり前だけどね?」と彼が付け加えてくれた。それだけで私の疑問ともいえない疑問は溶け去ってしまう。
その説明が終わりを迎える頃、私は早速彼をベッドに誘った。彼は笑っていたけれど、ちゃんと応じてくれた。
気持ちが昂っていた。彼との子ども。そう思うだけで気持ちは昂っていた。
これはきっと、幸せなことなんだと思う。私はその幸せを、何の疑問も、抵抗もなく、受け入れることのできる幸福に浸っていた。
妊娠の事実を彼女に告げられて早10か月。そのお腹もかなりの大きさになっていた。
胎児の育成には二通りの選択肢があった。一つは医療機関に受精卵を預け培養してもらうこと。もう一つは彼女の胎内で育てること。
医療機関での培養を選べばその間の性行為にも問題はないが、体内で育てる場合、やはり胎児への悪影響を考えれば性行為は控えるべきという説明だった。
俺は自らの意思で後者を選んだ。実際の性行為は出来なくとも彼女はサポートしてくれるって言ってくれたし、何よりも初めての自分の子だ。近くで、その成長を感じたいと思っていたし、明言せずとも彼女も察してくれていたのだろう。
この10か月。彼女の傍で、生まれてくる子どもに想いを馳せていた。
俺に似てしまうのは申し訳ないと思っていた。綺麗な彼女に似ればいいと思っていた。けれど彼女は、俺似の方が嬉しいと言ってくれた。これを幸せと呼ばず、何を幸せというのだろうか。
その出産について、もちろん不安はあった。人並みに痛覚表現を行う彼女が苦しむ姿を見たくはなかった。出産時だけ痛覚機能を解除することを提案してみたが、それについては怒られた。俺の子を、ずるして生みたくないと。ちゃんと、痛みも喜びも記録したいと言っていた。
大きなお腹を重たげにソファに座る彼女。その隣に座り、手を当てる。
暖かいその表面の奥に、小さな鼓動が感じられた。予定日は一週間後のお昼頃。医療機関の予約も取ってある。
もう間もなく、俺は父になる。最愛の相手との間に生まれる子の父になる。
この子が大人になるまでは、俺と彼女で立派に育て上げなければならない。変な思考に囚われないように、ここにある幸福をしっかりと受け止められる人間に育てなければならない。
俺の母は、俺にあまり興味をもってはいなかった。アイドロイドである父に傍にしかいなかった。けれどその代わり父は俺に優しく、厳しく接してくれていた。今でも感謝している。本当に、感謝している。
俺も、できれば父のような存在になりたい。きっと彼女は、俺の母のようにはなるまい。
子どもの性別は敢えて聞いていない。どちらが生まれても良いと思っている。二通り名前を考えれば足りるはずなのに候補は2人で20個くらい上がっている。どれにしようか。最近はそんな話だけで一日が終わってしまっている。
楽しみだ。本当に、楽しみだ。
目覚めるとそこは、見知った天井だった。
外が騒がしい。頭が痛い。押さえながら、身体を起こす。
「あ、もう、起きても大丈夫そうですか?」
少し離れたところから駆け寄ってくる僕のアイドロイドが心配そうな表情と声を僕に向ける。痛みを感じながらも笑って大丈夫と答えた。
「もう、監視院の方がいらっしゃって蔵の中調査されてますよ。」
あぁ、確か、模範院に文化財の指定を受けたから監視院が来る…うん、確かに記憶がある。
「僕、なんで寝てたんだっけ?頭も痛いし…何してたんだっけ?」
混乱する頭を掻きながらに問いかける。心配げな表情を少しだけ膨らませる彼女。
「覚えてないんですか?換気する前にずんずん進んで行っちゃったから、貴方酸欠で倒れちゃったんですよ?苦しい、気持ち悪いって。倒れたときに頭を打たれてしまったみたいで…私がちゃんとついて行ってればよかったですけど、間に合わなくて、ごめんなさい。」
初めの少しだけ怒ったような表情は、言葉が進むにつれ申し訳なさを見せていた。
そうか、僕は倒れたのか。確かに、苦しさを感じた記憶がある。立ち上がりにふらつきを感じるも、彼女が支えてくれた。
母屋、2階の自室から外を見下ろす。ここからでは蔵自体は見えないが数人の作業服を着た人物が通路を歩く姿が見えた。
「そうだ、確か、監視院が来る前に、蔵に何があるか確認しようと思ったんだ。」
少しだけ残念に思ってしまう。宝探しは出来なかった。そんな落胆に気付いたのか、支える態勢のまま、彼女が身体を寄せてくる。
「別に中身が持っていかれるようなことはありませんから、宝探しは落ち着いてからにしましょう?」
悪戯っぽく笑顔を浮かべる彼女。微笑みを同意と共に返す。
返しながら、少しだけ、何かを忘れているような気がした。
何か、僕の知らない何かに触れたような、そんな感触が、心に残っている気がした。
彼との子どもが生まれ、もう2年が過ぎていた。
元気な男の子だ。結構喋りも達者になってきた。口数の少ない私たちの子どもだから、この子もそうなるかと思っていたが、彼の努力によってそうはならなかった。
とても幸せな日々だ。子どもの世話は大変だが、彼の手助けで何とか挫けずやっていけている。
普段寡黙な彼が、子どもに対しては口数が多くなるのも愛しかった。子どもには言葉で、私には仕草で、彼はちゃんと、愛情を表現してくれていた。
ベビーカーを押す彼に並んで歩道を歩く。子どもの定期健診に、今日は私もついていく。私のストレス値検査の結果も出るはずだった。場合によっては一旦子どもを国の擁護機関に預けなければならない可能性もあると聞いている。
仕方のないことだ。彼もそう言ってくれていた。彼ばかりでなく国さえも、子どもだけでなく、私までをも心配してくれている。検査結果がどうなるかは想像もつかなかったが、初めての子育てに対して、些かの不安もなかった。
道すがら、正面からこちらに来るカップルがいた。病院の方からだから、私たちと同じく定期検診を受けた親子だろうか。女性の方がベビーカーを押しているおり、身長の高い男性がその横を歩いていた。顎鬚を蓄えた顔が、少しだけ、私の隣にいる彼に似ている気がした。
ベビーカーに乗った子どもは、まだ1歳にも満たないように見える。目を閉じて、眠っているようだ。
奧さんと目があった。彼女も私たちの子ども見ていたのだろうか。誇らしくなって会釈すると、若々しく明るい笑顔で返してくれた。
「ぱっぱ!」
こちらの方のベビーカーから声が上がる。驚いて、彼の隣から一歩先を行きベビーカーを覗き込むと、私に気付いて嬉しそうに笑ってくれた。その小さな指先は、正面から来る男性に向かっていた。
「こーら、違うでしょ?ぱっぱはこっち!」
そんなやりとりに足を止めることもなく、ベビーカー同士はすれ違う。照れ隠しに笑い合ってみたら、奥さんも楽しそうに笑っていた。彼女の方がアイドロイドだろうか。
再度彼の隣に並ぶ。堪えようもないニヤケを彼に向けてみた。
「ぱっぱだって?確かに、ちょっと似てたかもね?」
そんな冗談にも彼は寡黙に、ただ笑顔だけを返してくれた。
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