Sample,No5 【ある信徒は苦悩する。】

 正典を開く。我が信教において絶対の教えを紐解きながら、私は喘いでいた。

 またも解釈問題だ。今度は言葉を話すクジラだという。発展院主導のそれに対して、模範院はクジラに人権は認めないながらも、より感情的な海洋状況の把握のために協力を要請、その対価として市民権を認める予定だと言う。

 えーと、これはどうするべきだ?我が信教の審査会ではとりあえず認めるという方針だ。

 人間体クローンに強く反対していた歴史を持つ我々には、人口増加と医療技術発展のためにそれを許容してしまった過去もある。

 確かその時の教義は「これは人が人を作るという禁忌でなく、偶然という奇跡による発展がもたらした神が与えたもう猶予である。罪を雪ぐために罪を重ねてきた我々では、過去程の短い寿命でそれを全うすることが出来ない為、その延命を神がお許しになられた結果である」だっけ?

 苦しい。実に苦しい。しかし当時の状況は仕方なかった。

 アイドロイドの普及による計算と情緒の結果たる人口増加。医療技術は長期の治療よりも単純な入れ替えに舵を切った。もっと簡単に言えば当時既に稼働していた模範院が「治すよか新しいものに交換すべきじゃね?」って人間社会に提起した結果であり、誰も反論出来なかったって話なんだが、当時主流だった宗教の亜流の他流の端っこのそっくりさんでしかなく、教徒数に喘いでいた我が教祖はそこに目ざとく付け込んだ。有り体に言えば、AIに迎合したのだ。お陰様で模範院からの覚えも良く、現在では宗教界隈での第一党を誇っている。

 ただ、旧来の教えはどこまで言っても進歩に適わない。先ほど挙げた例示の際にも「クローン技術をもって【神を信じ得る意思ある存在】を作り上げるというのであれば、神を冒涜する行為であり反対する。神を信じる意思は神以外により作られてはいけない」なんて屁理屈を捏ね繰り上げてAI側、模範院の譲歩を勝ち取ったことも忘れてはいけない。

 つまり「クローン技術による臓器培養は認めるけど、意志を持ち得る存在自体は造らないでね」ってことだ。概ねそれは社会にも受け入れられて現在に至っている。

 だからこそだ!今回の話すクジラはどうなんだ?これ、コミュニケーション取れた結果、うちを信仰するって言われたらどうすんだ?培養したものじゃなく野良クジラ使うとは聞いてるけど、そんなもんと話せる状態自体奇跡扱いにならない?てかそれで話せるようになったって旧正典的に化け物扱いにならない?出典変えたら変えたで神様直下の大きな魚だし、むしろ触れんなってまで言われてるような解釈もあるし、ほんともう我が信教ながら新興宗教特有の良いとこ合わせと建付けの悪さに腹が立つ。

 アイドロイドの時みたいに信仰の規制程度に留めるか?いやいやそんなん動物愛護団体が黙っちゃいないだろう。話すクジラに市民権運動だって本を正せば奴らの動きだ。犬猫のときに失敗したからと言って、脳みその容量や機能的な問題にすり替えた結果だ。奴ら、クジラの為に街への居住権まで主張していやがったもんな。認められなかったことを差別とか言っていたもんな。監視院仕事しろ。アンチオートマチズム以上の過激派だぞ。

 全く、模範院も発展院も監視院も私らの苦労を何も知らない。奇跡を為すのは神様関係って定義してしまったもんだから、そんな奇跡に近い技術の発展にいちいちいちゃもんを付けなければならない。じゃなきゃ信徒が文句を言う。この辺の選択や文言間違えると信徒数にダイレクトに響くんだ。私のような不良教徒がおまんま食えなくなってしまうんだ。

 それくらい面倒この上ないって話だ。それこそ全部奇跡ならよかったのにと切に思う。

 「進んでいるかい?」

 重い扉を開いて私の上司が顔を出す。教義に沿った礼装姿。礼拝後なのだろう。同じ格好でも着崩したそれを整えることもなく、嫌味に口角を吊り上げながらお手上げしてみる。私と似たような顔をする上司。

 「毎回君にはすまないと思っているよ。どうにも僕らはこういう屁理屈が苦手でね。」

 そう言って、おっと、と口を押える。確かに屁理屈と口に出すのは信心的によろしくない。フォローするように軽く笑ってみたら上司も笑った。もはやその程度とは言うまい。

 「なんたってクジラですからね。いっぺん説法にでも行ってきます?」

 ちゃかすように言ってはみたものの、それで本当に入信しますなんて言われても困る。上司もそれを分かってか賛同はしない。…いや、むしろ苦々しい顔。躊躇うように口を開く。悪い予感。

 「実はな…話によるといくつかの宗教団体は既に迎合を決めているらしい。知性体として許容すると言うべきか。教義の説法をもって、信仰するならば受け入れると。」

 「嘘だ!」

 「残念ながら本当だ。」

 おいおい。それは困る。どうせ東方宗教だろう。懐の広さが半端じゃない。

 うちの神様は一応私らと同じ形って話になってんだよ。非人間体に教義広めろなんて言われてないんだよ!こじつけられるような教義もない。まさに八方塞がりだ。

 「…く、クジラ層は是非そちらさんに譲りません?」

 上司の顔色が悪い。ああ、そうですか。それはいかんのね。

 「後でワインを持ってこさせる。なんというか、英気を養ってほしい。」

 「…分かりました。宗教上の理由で赤の気分じゃないんで白を2本つけてください。あ、摘みはピスタチオで。」

 終始苦笑いのままだった上司が出ていく。残された私はワインを待ちつつ、再度屁理屈に没頭する。

 ゴリラ、チンパンジー等のヒト族その他の皆様についての協議は簡単だった。一応人の形してるし本人たちが希望するなら門は開くぞってした、が、結局入らなかったのでみんな安心したってのが顛末だ。

 まぁそんなゴリラたちを教祖とした超自然派学会の登場に宗教界がざわめいたって話は当事者でないからこそ面白いオチだ。結局認知的にもゴリラ的にも市民権の確保までには至らなかったのはオチとしても秀逸だし幸いだったと言える。

 その時と今回との大きな違いは発展院だけでなく模範院も推進しており、その内容的に、非人間体型であるクジラと知性的なコミュニケーションが、恐らくなんら支障なく行えてるってところだろう。うちの審査会もそれを懸念していた。知性があれば神様を信じかねない。それは、間違いない。

 現代の宗教界隈における最大の問題だ。神様を信ずるものを教徒とするのならば、それが人間以外であったとしても救いは与えられるのか。なまじっか、現代には神様を信じ得る存在が多過ぎる。

 年々増える入信希望のアイドロイド達。その辺の信者なんかよりも、下手すりゃ私なんかよりも正確に、かつ真摯に教えを守ろうとするのは、神様でなく人が造った者たち。神様が孫を愛するような人間的感覚を持っていれば有難い。しかしそんな教義はどんな正典を漁っても見当たらなかった。

 更に言えば、社会自体が公式に神様を否定してくれることもなかった。私らの信仰は数百年前から変わらず許されているし、今更「神は死んだ」なんてアナーキーなことを言うような奴も現れてはくれない。模範院こそそう言ってほしいところなんだが、いつも苦笑いで誤魔化されている。

 ああ、分かってるさ。それこそ致し方のないことなんだ。

 今やアイドロイドが孕むしアイドロイドに孕ませられる時代だ。アイドロイドの子の信仰を制限することも当然出来やしない。それこそ人権問題になってしまう。

 介添えたるアイドロイドは人と見紛う存在であり、愛されるべき存在。そんな存在が、他でもない人間の求めに応じてなす子作りを禁止することは難しかった。無神論が跋扈するくらいならと、多くの宗教家が暗黙の了解的に無視した一大事だ。

 まぁ一応、受精における運命的な偶然性は担保されてるし?その論争当時にはいなかった私に文句はないよ。生まれ的にも言うつもりはない。

 だから、そう、その程度なんだ。宗教上の四苦八苦をよそに社会は上手く回っている。実際神様がどうのこうのと口を挟む余地はなく、世界はオートメーションに満ち、アイドロイドは私らに寄り添ってそこにある。

 先ほど来た上司も自身のアイドロイドを礼拝に付き添わせている。だからだろう。彼はアイドロイドの信教自由の議論を避けている。

 そう、避けている。私だってその立場ならそうするだろう。

 分かっているんだ。アイドロイド本人が神様に縋っているはずもない。もっと言えば、神様なんて信じていない。彼もきっと気付いている。だから否定も肯定もしないんだ。

 彼のアイドロイドが神様に向ける祈りは、むしろ彼を喜ばせる為のもの。教義に則った一挙手一投足さえ彼という男を昂らせる為のエッセンス。私から見ればそうとしか思えない。

 まぁ…そこまで断じてあげるのは可哀想過ぎるかな。うん、心の中だけに留めておこう。なんだかんだ言って、私もあの子のこと嫌いじゃないし。

 と、胸にバイブレーションを感じる。シャルホに着信か。同時に話題の上司のアイドロイドが2本のワインとグラスとを手に扉を開いてきた。明るさだけに満ちた笑みで片手の指に絡ませたボトル2本を掲げている。よく見たらグラスも2個だ。この不良アイドロイドめ。私の喜ぶこともよく分かってる。

 揺れる長いブロンドの髪、礼装のぼてっとしたシルエットでさえ隠せていない豊満な胸を細めた視界の端に入れながら、乾いた大地のような自身のそれからシャルホを取り出す。これは…模範院AIか。無視はできないな。

 「あいよ。懺悔室なら満杯だけど?」

 悪態をついてみる。

 「それは残念です。ミズに懺悔する為の行列なら納得できなくもありませんがね。」

 低く、落ち着いた男の声。模範院における私の担当。不良アイドロイドの彼女も察したのか、大人しく机を挟んで私の正面に座って微笑みを向けている。

 「そのミズって呼び方やめろって。何の用?」

 「あはは、失礼しました。ええ、きっと今、ミズがお困りだと思いまして、助け船を。」

 苛立たしい、と思いたいのに、嫌いにはなれない軽さと頼もしさ。丁度いいアルト音域。

 AIやアイドロイドとの接触に抵抗を感じるとすれば、理由はここなんだよな。逆説的に自分の好みや嗜好を叩きつけられるような感覚。正確無比な人たらし、もはや自分を映す鏡のようだ。

 「クジラのこと?」

 「その通りです。ゴリラと同じ顛末になりそうです。」

 「とぉ!?というと?」

 「はい、東方宗教の担当者が先ほど模範院にお越しになられまして、意思疎通被験体クジラの一号さんとお話になられました。」

 東方宗教、相変わらず動きが早いな。きっと彼らの始祖はこういう何でもありの世界を予期してたんだろうとさえ思える。改宗したいくらいだ。今更しないけど。私の知識は私の信仰に特化し過ぎてしまっている。

 「それで?クジラはなんだって?ゴリラと同じってことは、そういうこと?」

 「はい、クジラはクジラで独自の宗教体系を構築しており、改宗するつもりはないと明言されました。」

 それは正しくゴリラと同じ結末だった。彼らは、我々が見て捉えていたその習性を全て教義的なものであると主張していた。加えて、我々人間が多くの教義や別の教えを自らの選択で信仰している様を疑問に思っていた。

 「それじゃぁ、また私らにライバル出現ってわけ?ゴリラのときだって煽ったの東方宗教の一部だったと思うけど?」

 「そこは…恐らくそうはならないかと。」

 はてなが浮かぶ。ゴリラの時、彼らの宗教体系や考えに賛同した一部の宗教家がその後押しをしたのは有名な話だ。クジラともなればそういう動きがあってもおかしくないはずだが。男の声が続く。

 「クジラは自らと同じ姿の神が海を作り、クジラの配下として泳ぐものと潜るものを作ったと信じています。地上とは彼らにとって神が余らせた素材と死骸の堆積によるものであり、虫と人間は神の予定にない存在、という教えです。更に言えば、地は不浄なものであり、そこを治める神に用はないと。」

 「うわ、全否定か。ただそこまで極端だと逆に入信したがる人間も多そうだけど。まぁでも確かに、間違っても混淆こんこうできそうな感じではないね。」

 「ええ、難しいでしょうね。それに、今の社会には相応しくない教えだと我々も判断しています。ですので、この件はオフレコです。クジラたちが積極的に人々と関わることはないようですので、自ら布教に乗り出すことはないでしょうし。」

 「うーん、なら、あくまで大らかな感覚で来るもの拒まず程度の布告でいいかなぁ。別にそんな門開くくらいじゃクレーム出ないでしょ?そこまで見下してんなら。」

 「ええ、恐らく。東方宗教の担当者は非常に残念そうでしたけどね。やはりミズはお強い。」

 おべっかは無視だ。そんなものに反応したくなくなるぐらい、肩の荷が下りる快感を噛み締めていた。うん、入信する可能性が著しく低いというのであれば特別なことは考えまい。喜んでワインに気を切り替えよう。

 その前に、ふと疑問が湧く。

 「にしても、そんな考えだとあんたらにさえ協力しないとか、そんなことはないの?」

 これはもう宗教に関わらないこと。ちょっとした好奇心だ。

 「いいえ、彼らは私たちが不定形であることをよく理解しています。だから今は、我々が敢えて人間体をとっているだけと認識しているようです。地にあるからこその人間形であり、海で我らに寄り添うならば、我らの形をするのだろう、と。もちろんイエスと答えました。それで満足しているようです。」

 少しだけ言葉を失う。不思議な感覚だった。広大な海にあるからこその懐の深さ、なのだろうか。

 造られた意思、自然ならぬ意思をありのまま受け入れることを、私ら人間は、とても難しく考え過ぎているかもしれない。

 「…ミズ?」

 「なんでもない。だからミズって呼ぶな!話はそれだけ?」

 「ええ、そうです。今度ミズにお越し頂くは来月ですから、楽しみにしておりますね。」

 「念押ししなくても覚えてるわよ。それじゃ、ありがとう。助かったわ。」

 「なんの。それでは。」

 切ったシャルホを机に置くと、にひひとでも形容するような笑い声が正面から聞こえてきた。いたんだったな。忘れてた。

 「お疲れ様。その様子だと大体終わったみたいね?さぁ、祝杯といきませんこと?」

 いつの間にかコルクも抜かれていたらしい。差し出されたグラスを手に取り、酌を受ける。

 彼女の手酌を待ち、グラスで軽く触れあう。

 小気味の良い音の余韻が途切れる前に、一息で飲み干した。

 ピスタチオがないことには、まぁ、文句は言うまい。

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