Sample,No3 【スペシャルタッチ】

 あの時は、うん、間違いなく好きだった。

 死ぬまで一緒にいたいと思っていた。

 だから、彼の希望を受け入れた。

 その重大性よりも確固とした愛情表現に魅せられて、私は彼とのスペシャルタッチを受け入れた。

 周りはびっくりしてた。両親も呆れていた。

 当然だ。あの時分からなかったみんなの感情が、今ではよく分かる。

 それでも、その時私たちは、さながらロミオ&ジュリエットのようだった。

 貪るように人間同士の男女関係や結婚の成功例ばかりをネット上で漁っていた。

 国から宛がわれたアイドロイドさえも実家に預けたまま、彼との暮らしに想いを馳せていた。

 馳せていた。本当に、本当に、募らせていた。

 本当に、本当に、ほん!とう!に!

 顔を隠したくなる。壁を殴りたくなる。

 若気の至りだと思っている。齢22歳にして、切々に、そう思っている。

 あれだけ学校でも気をつけろって言われていたのに。あの禿げた先生に合わせる顔がない。同級生にもない。その中にあの男もいるのだから尚更すぎる。

 「あぁー!もう!嫌!」

 誰もいない自室の天井に声をぶつけてみる。ぶつけてみたものの、すっきりなんてするはずもなかった。

 付き合って5年目。もはや、苛立ち以外の感情は全て風化してしまっている。

 ふと気付けば、どうすればスペシャルタッチを解除できるか、そんなことしか考えてはいなかった。それだけ難しいということだ。この関連付けは子どもの遊びなどではなく、行政的に認められた成人男女の契約だ。自由と義務と責任の結晶だ。婚姻なんか目じゃないほどの社会的拘束力を有している。

 それに、あの男が承諾しないだろう。もはや恋も愛もなくなってはいるが、スペシャルタッチを行っている人間は社会的に信用される傾向にある。特にあいつのような、嗜好品産業に関わる人間は関係各所への透明性の証明として私のような存在を必要としている。

 それだけなんだ。最後に会ったのはいつだろうか。少なくとも2年は会っていないはずだ。寂しさを紛らわす為にも、実家に預けていたアイドロイドを呼び戻してもよかったのだけれど、それで今抱えている問題自体を忘れてしまいそうになるのが怖かった。

 一度、あいつに関係解消の提案をしてみようか。もしかしたら、あいつも簡単に了承するかもしれない。

 …いや、その可能性は薄いのではないか。あいつとスペシャルタッチしたがる女がいるはずがない。伝統の方法に則った最高級肉牛の生産と言われれば素晴らしい価値だが、実際には糞尿に塗れ、人間自体が労働することを前提としている。飼育に対応できるアンドロイドは少なく高額だ。嗜好品産業なのだから国からのオートメーション助成も受けられない。

 それでもあいつの商品は全世界で求められており、あいつ自体の経済影響力もずば抜けている。私だって、多少なりとも一目を置かれている。

 置かれている、から、なんだ?代償があるんだ。あいつに対しての匿名性の消失。スペシャルタッチは個人同士の社会性の統合に他ならない。私が行うネットワーク上の一挙手一投足はあいつにも伝わる。もちろん逆も同じくとは言え、飼育と屠殺に塗れたあいつのタイムラインを見る趣味なんてない。

 なによりの問題は私のタイムラインがあいつに晒され続けているということだ。束縛感がある。不自由を感じる。何をするにしてもあいつの、気に食わない男の顔がちらつく。

 もう、限界だ。抜本的な解決が急務なのだ。

 私はあいつから自由になりたいんだ。一個の人間としてありたいんだ。

 方法は、いくつかあった。一つは殺し屋にあいつを殺してもらうこと。相手が死ねばスペシャルタッチの関係性も私だけの手続きで解除できる。その代わり、これにはかなりのコストと時間がかかる。スペシャルタッチはしていても婚姻をしていない私では、あいつの経済影響力を相続することが出来ない。

 だから、殺したところで殺し屋に支払うコストを回収することは出来ず、更に言えば私の戸籍を売るくらいのことをしなければ報酬の用意が出来ない。本末転倒とはこのことか。

 社会性個人の成り済ましを目的とした殺害。これも選択の一つだ。特に経済影響力の高いあいつなら成り代わりたいという需要も見込める為、大したコストはかからないだろう。私は匿名の情報提供者として彼の動向を伝えればいい。後は業者か、個人がやってくれる。

 だが成り代わった後にスペシャルタッチの解除を了承してくれるかは別問題だ。下手すれば私こそが依頼者であることがバレかねない。

 後は、あいつの不貞を掴むこと。二重のスペシャルタッチは一方的な解除理由に出来るもの。この場合相手を有責に出来るため、慰謝料の請求が法律上可能となる。多少のenを積んだとしても回収できる可能性は高い。

 机の上に置きっぱなしにしていたファイルに目を向ける。

 一週間くらい前だろうか。郵便受けに入っていたチラシの【興味あり】にチェックを入れて返送し、改めて送られてきたA4サイズの厚めの封筒。取り出された中身。

 テキストベースのそれは、簡単に言えばハニートラップの広告と注意事項。値段は書いてなかったが、殺してもらうよりはきっと安いだろう。合法か非合法かは…この際、気にする必要はないと思えた。

 そう考えれば、これが一番現実的か。意外というべきか当然というべきか、私のような悩みを抱えている人間は男女ともに多いようだ。需要があって供給がなされている。その事実だけで十分と、私は思いたがっている。

 連絡は物理的な郵送が推奨されていた。確かにネットワーク上の行動はあいつに筒抜けだ。多くの注意事項が先駆者の失敗と成功の下で編纂されたものと思えば心強い。

 そう、これしかない。多少の現金も用意しなければならない。面倒だが、仕方ない。自分の為だ。自分の、自由の為だ。


 待ち合わせの喫茶店にいたのは素朴なビジュアルをした女性型アイドロイドだった。その名乗りに身を強張らせながらも、アイドロイドが関わっているということは非合法、ということではなさそうだと気付く。そんな油断に近い緩み、これから私は何かしらの悪を為すのだ、自らを咎めるように小さく息を吸う。

 「貴女がスペシャルタッチをされた相手は、このYさんでお間違いないですか?」

 写真が提示される。見覚えのある物だった。彼のHPから持ってきたもののようだ。多少の情報は把握済み、ということなのだろう。肯定する。

 「貴女のご依頼を受けた後、既にエージェントを派遣して彼の周りに配置しています。皆訓練を受けた優秀なエージェントですので、ご依頼は速やかに完遂できることでしょう。」

 まさか、既に動いているとまでは思っていなかった。驚きよりも早く、その強い言葉に感動を覚えていた。覚えながらも、現実的な不安を感じていた。

 「もう動いているって…依頼料はどうすればいいんですか?お値段は、書いてなかったように思いますが…。」

 どうしても伏し目がちになってしまう。残念ながら、私はBI以外に僅かにもenを得る手段を持っていない。節約して貯め込んでいるし、成功すれば回収できるかもしれないが、今この時はどうしても懸念してしまう。戸籍を売るようなこともしたくない。

 「いいえ、私どもは依頼料や金銭を頂いておりません。その代わり、一つのお約束だけを皆様にお願いしております。」

 そう言って彼女は、その手元のバッグから2枚の用紙を取り出す。左右に並べられたそれらの見出しには「SPタッチ関係解消依頼書」そして「SPタッチ権不使用誓約書」とあった。

 混乱に彼女を見る。決して美貌とは言えないながらも、人懐っこい笑みを浮かべて私を見ていた。

 安心しろと、無言の圧力を向けられているようにさえ思えた。

 「私どもはそもそも、SPタッチという仕組み自体に対して警笛を発する団体です。元々は成人男女でなければ正当な婚姻と見做されなかった過去の柵を打開すべく始まった制度ではありますが、現在においては婚姻という契約自体が形骸化している状態ですし、成人としての独立性が宣言されている今、一部のメリットと大多数のデメリットを抱えた悪法という意見も模範院では出ています。ですから、そのスペシャルタッチの権利自体を放棄することにより、貴女はその束縛と義務から解き放たれ、自由になることが出来ます。」

 その説明に自然と口と目が開く。意外だった。そんな話、聞いたことがなかった。

 けれど、我が身だからこそ、理解は出来た。そうだ。確かにSPタッチという仕組み自体に問題があるのだ。社会の自浄作用として、模範院AIがそれにメスを入れている。そう考えれば納得は出来る。

 社会は停滞せず常に人にとってよりよいものに進歩しているのだ。漠然としていた社会への信頼が、音を立てて固まり、確固とした信用に組み上がっていくようなイメージさえ感じていた。

 「今回、私たちはY氏に接触して、円満にSPタッチ関係を解消できるようにお膳立てを行います。貴女の申請が、相互SPタッチ相手である彼の反対で止まらないように。私は貴女の代理人となり、全ての手続きを担います。その為、彼に対しての慰謝料請求等の権利はなくなりますが、貴女はこれ以上、苦しむ必要はありません。後は、私どもお任せ下さい。」

 頼もしく、力強い声と笑顔。

 もっと、早くに動いていればよかった。長々と苦しむ必要はなかったのだ。行動さえすれば、助けてくれる世界だったのだ。

 なんて、良い世の中なのだろうか。嬉しくて、涙が出そうになる。

 もちろん、元手がかからないであれば慰謝料なんていらない。今後私が誰かとSPタッチをすることも絶対にない。このような苦しみを何度と味わうつもりはない。ただの、若気の至りだったのだ。もうそんなものに気を迷わせることは絶対にない。

 絶対にない。だから私は、涙で歪む視界のまま、その書面にサインをした。


 涙を流して喜ぶ女が席を立った後、残された書面を見ながら私は、ふぅ、とため息を吐く。

 そもそも私みたいなビジュアルのアイドロイドがいるものかよ。

 まぁ彼女にとって私は、渡りたくても渡れない濁流を前にして丁度よく訪れた船なのだから疑う理由もないのだろうけれど。

 店員に灰皿を注文する。到着を待つことなく、バックから取り出したシガレットケースから一本取り出し火を点ける。周囲が好奇にざわめく音を感じたが、気にしない。私はこの一本の為に働いているのだ。誰にも文句は言わせない。

 嗜好品ギルドに所属していると、こういう楽しみがある。一本数万enのこの煙草は試供品としてギルドに配布されたものだ。今回の仕事は12本で手を打った。

 依頼者はY氏その人。若気の至りでSPタッチを行った馬鹿者。けれど彼が飼育する肉牛の価値は国内に留まらず諸外国に対して強い経済影響力を発揮している。我がギルドとしても是非安定して頂きたい若者だ。

 SPタッチがその手続きの手軽さに対して、社会的拘束力の高い行動であることは確かに問題にはなっている。ただ、一身上接する機会の多い模範院AIが言うには、人と人のつながりを担保する仕組みとして一定の効果は出ている為、この仕組み自体を解体する予定は一切ないという。

 だからあれは嘘。詭弁。交渉の一工程に過ぎない。

 そもそも、互いに疑い過ぎなのだ。相手のことが筒抜けであるからこそ、互いがその解消を言い出さない理由を勝手に邪推して、お互いに追い詰められる。

 本当に相思相愛でスペシャルタッチしたカップルは大体一緒にいるものだ。というよりも、一緒にいなければならない。Y氏も、依頼者の女も、そんな単純なことに気付いていなかった。

 灰が落ちそうになる。いつの間にか届いていた灰皿。フィルターを弾くと共にそこに落ちる塊と、微かに飛散する欠片。その一部がSPタッチ権不使用誓約書にある一文に着地する。

 【第3条 この誓約に基き、私は自身のソーシャルフォンによって行ったソーシャルタッチ、及び私の生体チップに登録された被ソーシャルタッチ履歴の全削除を希望すると共に、今後一切の利用停止並びに権利破棄を希望します。】

 あーあ、と改めて思った。

 少しだけ可哀想だと思ってあげてもいいのかもしれない。

 彼女はこの書面によって、今後一切、社会的な人との繋がりを失ってしまう。他人だけではない。親と、これから生まれるかもしれない子どもに対しても、だ。

 旧来の情緒に支配された社会はもはやなく、愛情さえデータ上の証を必要とする社会で自身のソーシャルフォンと相手の生体チップを結び付けるスペシャルタッチの重要性は意外と高い。それを行う、行わないの選択も含め、この社会での重要なファクターになっている。

 だったらちゃんと話合わせろって?土台無理な話だ。現代人に譲歩や講和の能力なんてものはない。感情の話が出来ないのだから歩み寄ることが出来ない。そんな面倒なことをするよりも、どちらかの権利を抜本的に否定する方が話が早い。そうでもしなければ極論的に相手を殺すか否かとか不毛な妄想に足を突っ込みかねない。

 バカバカしい。もう一本吸おう。

 そもそもケツを叩くべき相手はY氏だった。恩恵があるからと肉牛の生産効率さえ落としながら陰鬱と悩んでいた。ロジカルでしかないその思考に感情を伴わせ決意を促す。離れて暮らしているSPタッチ相手なら同じような陰鬱を抱えているケースは多い。餌を撒いたら食い付いた。後はもう全て私の掌の上、だ。それだけのことだ。

 嗜好品ギルドでこんな生業を行う私だからこそ人間性の画一化には気付いていた。毎度過去の文献に頼らなければならない程、多種多様な人間模様は存在していない。

 無論それが模範院の、AIたちの狙いであることは分かっている。一世紀以上前から人と共にあることを唯一無二の使命として進歩してきたAIは、私たち人類を「自らが共にいられる存在」としてデザイニングしていると私は見ている。

 そしてその観点に立てば、オートメーションの蔓延る現代社会において、人の独逸性はロジカルに構築された仕組みを破壊しかねない危険なもの。警戒すべきもの。

 そう、だから私のような悪徳を内包してしまっている人間は模範院に招かれやすい。アンチオートマチズムに傾倒でもしない限り重宝される。

 そんな私だからこそ、役所でも出来ないような手続きを書面とサインだけで行える。お陰でギルドでも必要とされ、煙草の途切れない日々を過ごせている。

 吸いかけの煙草に満足し、3口ほどで揉み潰す贅沢さえも許されている。

 全く、良い世の中だ。

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