Sample,No2 【現金決算処理係】

 「いらっしゃいませー。」

 明るい声が響く。薄暗い控室で、僕はその声を聞く。視界の端で画面を、来客を確認した。目当てではない。

 「ありがとうございましたー。」

 大した滞在もせず客は帰ったようだ。もちろん、現金決算を知らせるアラームは鳴らない。

 時計を見る。間もなく16時。そろそろのはずだが。

 「いらっしゃいませー。」

 再度誰かの来店が知らされる。もはやお飾り程度でしかない店内カメラが白いハーフコートを着た女の子の姿を映す。

 来た。

 カメラを操作しながら少女を追う。飲料コーナーで乳飲料を2パック掴み、真っ直ぐとレジに向かう。

 同時に、ポーン、と、機械的な音が部屋に響いた。

 「ありがとうございましたー。」

 今日もまた彼女は現金で支払ったようだ。

 本来これは、とても珍しいことだ。一か月ほどくらい前からだろうか。週に3度、月木土に彼女は来店する。来店し、甘い乳飲料を2パック掴み、レジでは現金で決算する。

 このコンビニの現金決算処理係である僕にとっては、ある意味、その存在理由の大半となりつつある少女だ。意識しない方がおかしいだろう。

 僕の祖父が生まれた頃、既に現金の強制通用力はなくなっていたらしい。

 歴史の授業で聞かされたことだ。当時は今の状態をキャッシュレス決算と敢えて特別に呼んでいたらしい。今となっては現金決算自体が特別かつ面倒な意味合いを示していることを考えると、少しだけ面白い。

 そもそも国が価値を約束するからといって、銅貨や紙切れが価値を持つなんて今でも信じられない。昔の人間はどうかしていたんだと思う。だって、手元にあったら失くしかねないだろ?盗まれることだってあったはずだ。おちおち飲みにさえ行けやしない。

 本当に不便な時代だったんだと思う。筋金入りの回顧主義者だって今や支払いに現金は使わないだろう。

 自虐はこのくらいで十分か?

 そんな時代における現金決算処理係という僕の存在に苦笑いを浮かべよう。

 もちろん、本来働く必要なんてない。この国に生まれた幸運を甘受するだけで贅沢は出来ずとも生きていくことは余裕出来る。

 僕がこんな薄暗い部屋に週に3日も閉じ籠っているのは全部父の所為だ。ギャンブルで身を滅ぼした奴の所為だ。もういないから憎まれ口くらいしか叩けないけれど。

 トントン、と控室の入り口が叩かれる。

 「今日もお仕事お疲れ様でした。次の出勤は如何されますか?」

 入ってきたのはレジ係の青年。もちろん人間じゃない。この店における人間は現金決算処理係たる僕だけだ。

 「うん、次は来週の月曜日に来るよ。あの子がまた来るかもしれないし。」

 「承知しました。お給料はいつも通りBI(ベーシックインカム)にまとめて国から支給されますので。」

 「分かってるよ。お疲れ様。」

 「はい、お疲れ様です。」

 同性を模っているにも関わらず、なんと魅力的な笑みか。頼られている。必要とされている。機能的なものとは理解している。それでも悪い気はしない。

 普段ならにっこり笑ってレジや品出しに戻る彼が、今日は何か言いたげに僕を見ていた。応えるように首を傾げてみる。

 「いえ、例の少女について、これでもう13回目になります。総額で5200en程度。通常でしたら2年分の処理です。いずれはこの店もあの少女も監視院の調査対象になるかと。」

 「え?あんな小さい子、でも?」

 思いがけず浮かぶ同情心。他人を気にするなんてどうかしている。けれど、どうにも少女を他人と切り捨てることに抵抗があった。彼もきっとそれに気付いて、合わせるように案じてくれているのだろう。

 「ええ。ご存知の通り、経済は現金での決算をあくまで非常手段と位置付けています。戸籍離脱者、ナショレスの方でもなければ継続した現金利用は考えられないというのが一般的です。」

 「彼女がナショレス…とは思えないなぁ…身なりも綺麗だし。」

 「はい、私もそう思います。とても礼儀正しい、良い子ですよ。」

 得られた同意が嬉しかった。けれど、万が一彼女がナショレス(Nationality Less=国籍喪失者)だった場合、関わって良いことなんて絶対にない。父の知り合いにはそういう人間が多くいたと聞いている。だからこそ、触れたくない層だ。

 とは言え監視院に目を付けられるというのも働いている側としては、なんだか居心地が良いようには思えない。

 そして何より、興味があった。この好奇心は紛れもなく、そして抗い難いものだった。

 だから僕は、一計を案じてみた。

 「月曜日さ、僕がレジに立ってもいいかな?」

 「レジに?ですか?」

 スムーズな驚きがその顔に表れる。

 「うん、僕が彼女に現金決算をする理由を聞いてみるよ。君が聞くのは問題あったりしない?」

 その質問に、彼は少しだけ難しそうな顔をして目を閉じる。一間の後に目を開き、親しみを思わせる微笑を見せた。

 「倫理規定には違反しないようですが、職務属である私が聞くとなると法的拘束力を伴う尋問と見做される為、その告知が事前に必要となりそうです。確かに、私よりも貴方にお願いした方が彼女の為かもしれません。」

 きっとそれは、僕の意思を全うに汲み取った上での返答なのだろう。それも分かっているから、僕はありがとうと短く返す。はにかむような笑顔を見せながら、彼は自らの職務へと戻った。

 自分で言っておきながら、やや、緊張を感じているような気がしていた。

 どのように聞くか、何を聞けばよいか、そんなことを考えながら帰り支度を始める。



 彼女のことを考えながら、父のことを思い出していた。

 僕が3歳の頃に亡くなった父は、ナショレスまでには堕ちずとも、国に対して多額の負債を抱えていた。晩年は母の介護を受けながら、僕や兄弟のBIを前借する形で生きていたらしい。肺炎になっても医療機関にかかることは出来ず、そのまま、あっけなく死んでしまったという。

 その為、高校3年の春に受け取った累積BIは他の誰よりも少なく、そこから更に父の負債へも充てられた。もちろん最低限度程度には支給してもらったが、同級生程それを喜ぶことも出来ず、また楽しむことは出来なかった。全部父の所為だ。父の、負債の所為だ。

 昔は負債すら相続するかどうかを選べたという。残念ながら今、そんな制度は存在していない。とっくの昔になくなってしまった。残念極まりない。

 世界で最も早くAIによるフルオートメーション化とそれに伴う法制度を確立させたこの国には、他国にも平等にその恩恵を提供した歴史がある。

 恩恵とも空気とも、毒とも表現されるその行いは、瞬く間に全人類にとって必要不可欠な仕組みとなり替わり、先駆者たるこの国を歴史上最大の資源国家と評される程の存在にまで押し上げた。

 そんな恵まれた国に生まれる幸運を得ながらも、父のように怠惰を極め、そして死んでいく層は少なからずいたようだ。子孫のことを省みず、自身の国籍さえも種銭にして、家も家族も社会的身分も失ってしまった存在。そのどん詰まりがナショレスと呼ばれる人々。

 中には社会的に自分自体を乗っ取られたって人もいるらしいが、そんなものは極一部だろう。きっとその殆どが父のように生きていても仕方のない存在に過ぎないはずだ。

 彼らには当然BIは配布されない。そもそもBIが付与される国民番号付きのソーシャルフォン(ソシャホ)を持っていない。生後間もなく埋め込まれる本人確認用の生体チップも違法な外科手術で取り除いている為、個人の確認すら出来ない。

 そんな彼らは僕が働くコンビニにもたまに来ていた。汚れた、すえた匂いを放ちながら現金決算を希望する。現金決算には旧来的な制度の残滓として人間による確認処理が必要と定められている為、僕みたいな存在はどの店舗でも必要とされている。人的コストも鑑みて、通常の決算よりも割高にすることさえ認められている。

 言ってしまえば、そんな古臭い風習と国籍のない彼らのお陰で、父の負債返済は成り立っている。全く、全部過去の柵じゃないか。僕には何の関係もない。

 以上。だからこそ、少女の特異さが気になった。見た目だけなら間違いなく、僕の知っているナショレス達ではない。けれど現金決算は続けている。継続的かつ5000en以上の買い物ともなると異常と言われても仕方ない。買っているものが日用品や食料だったなら、もっと早い段階で忠告がなされていた可能性も否定できない。

 帰宅した後、母にも相談してみた。レジ係の彼と大差ない返答ではあったけれど、あの少女の存在に、僕と同じように同情を示してくれていた。同時に危ないことには関わらないようにと、僕の懸念も掬ってくれていた。

 ついでにレジ係なんてちゃんとできるのかと心配された。失礼な話だ。もちろんその辺については…考えてなかったけれど。インカムか何かでレジ係の彼にサポートしてもらうべきか。

 そういえば、人間と話すのなんて兄弟以外だといつぶりだろうか。敬語、ちゃんと使えるかな。


 そして月曜日。満を持して、僕はレジに立っていた。レジに立って、他の客は来るなと祈っていた。

 レジについては特に気にしなくてもいいと言われた。商品を確認して、現金が間違ってなければいいとだけ。

 言われてみればレジにある機械には人が操作できるようなコンソールは見当たらない。僕が現金決算用に使っているボタン3つくらいの機械すらない。

 ここに立っているだけでも感じるプレッシャーがある。それを思えば、本当に有難いと感じていた。

 自動ドアが開く音。油断していた。すぐに目を向けると、そこに彼女はいた。思ったよりも幼い、8、9歳くらいだろうか。目が合うと、にっこり笑いかけてきた。

 「い、いらっしゃいませー!」

 咄嗟に繰り出した言葉が、若干彼女をびっくりさせる。恥ずかしさに目を逸らしてしまう。

 そのまま彼女の姿は棚に消え、ぐるりと店内を回るようにして、大した間もなくレジの、僕の前に辿り着く。

 「これ、くださいな。」

 差し出されたのはピンク色の、イチゴ味の甘い乳飲料。無言のまま受け取って、袋に入れる。その間、彼女はコートのポケットから小さな塊を取り出して、僕の目の前でそれを開ける。

 身長差に見える中身。見覚えのある銀色の硬貨が数枚入っていた。指先がその一枚を摘まんで、止まる。

 ん?出さないのか?そう思い彼女を見ると、真っ直ぐと、僕を見ていた。

 「えっと、おいくらですか?」

 あ、そうか。それが仕事なのか。この製品は現金の時は一個200enのはずだ。何度も決算したのだから間違いはないはず。

 「あ、えっと、その、400enです…。」

 自分がどんな顔をしているか分からなかった。けれど彼女は満面の笑みで、400en.、銀色の硬貨4枚を渡してくる。手と手で受け取り、また止まる。きっと、今だ僕の方にある商品の受け取り待ちだ。ここで、話さないと、その為に僕はここにいる。

 「えっと、き、君は、どうして、現金、なんだい?」

 何を言っているの?といった具合のはてな顔。けれどようやく合点がいったのか、びっくりするような顔になる。

 「お兄さん、人間さん?」

 「う、うん、そうだよ。このお店の現金決算掛かりなんだ。」

 「ほんと!?わたしお母さん以外の大人の人と話したの初めて!」

 嬉しそうに飛び跳ねる声に、緊張がやや解れる。けれど質問自体は彼女には届いていないようだ。

 「それで、君はなんで現金を使っているんだい?」

 詰まることなく、はっきりと伝えることが出来た。その問いを受け止めたのか、徐々に、何故か怒られてでもいるかのように元気を失いはじめる少女。

 「そ、それは…お兄さん、誰にも言わない?」

 可愛い問いだ。僕はその為にレジに立っている。慎重に一度だけ頷くと、安心したように笑みが浮かべた。浮かべながらも、少しだけ悲しそうなものに見えた。

 「これはね…お友達のためなの。少し前に公園で知り合った同い年くらいのお友達なんだけど、おうちがなくて、お父さんもお母さんもいないんだって。」

 意外な方向だった。けれど、彼女は確かに毎回2つ買っていた。検討出来なかった方がおかしかったのかもしれない。

 「そのお友達のために?」

 「うん、一度普通に買ったらお母さんに、これは何?飲みすぎちゃだめよ?って言われたから、悪いことだってわかってたけど、おうちにあったお金で買ってたの。これでも買えるって、前お母さんに教えてもらってたから。」

 現金は緊急時。確かに、多少の蓄えがあってもおかしい話ではない。それを使うか使わないかの問題だ。きっと彼女の母も、普段使わないからこそ彼女の行動に気付かなかったのかもしれない。

 そして恐らく彼女の友達とはナショレス、或いはその子ども、どちらかと思われる。可能性としては後者が濃厚だ。社会問題にもなっている無国籍児童というやつだろう。

 「甘いものが好きって言ってたから、いちご牛乳をあげたらすごく喜んでくれたんだ!だから一緒に遊ぶ時にはもっていってあげてたの!」

 その純粋が悲しかった。国籍のない人間と接することが罪になることはない。

 けれど、特に無国籍児童は発見され次第、国の保護施設に収容される決まりになっている。過去歴を確認され、その経歴を正され、国籍が得られれば幸運だけれど、そうならないケースも往々にしてあるという。

 多くの恩恵があるからこそ、排他的とも言われかねない、この社会の仕組みがそこにはあった。

 それはつまり、彼女と友達との別れだ。遅いか、早いかの問題だ。

 目の前の彼女は、はじめて自分の秘密を誰かに話した昂揚か、とても明るい笑顔に満ちていた。僕の提案で装着していた右耳のインカムが鳴る。

 「お気持ちは察しますが、彼女の為にも、お友達の場所を聞いて下さい。」

 同意する他、選択肢はなかった。



 ポーン、と音が鳴る。

 珍しいこともあるものだ。あの子が来なくなってから、2、3度目くらいの現金決算。既に季節は2度程変わっていた。

 ナショレスのオヤジだろうか。ソシャホを失くしたうっかりさんだろうか。

 どちらにしろ、僕には関係ない。もう、僕が興味を持つようなことはない。

 あんな結末になるくらいなら、興味なんて持つべきではなかった。

 トントン、とノックの音。ふいに響いたそれに目を向けると、がちゃりと開く入り口からレジ係の彼が顔を出す。

 「貴方にお客様です。」

 お客様?まさか?急いで立ち上がり、レジに出る。

 カウンターの前には、あの日々の中で白いハーフコートを着ていた女の子が、白地にひまわり柄のワンピースを着て立っていた。こちらの感情をよそに、満面の笑みで笑っていた。

 「お兄さん!お久しぶりです!わたしのこと覚えてますか?」

 明るく跳ねる声。その溌溂さが罪悪感を擽る。暗くなりそうな顔を無理矢理笑顔に変えて、カウンター越に彼女に向かう。

 「元気、そうだね。」

 「はい!元気です!今日はね、お兄さんにわたしのお姉ちゃんを紹介したくて来たんです!」

 「お姉ちゃん?」

 そう言って彼女は外に向かって手招きをした。同時に開く自動ドア。少女と同じ型のワンピースを着た女の子が入ってくる。少女のひまわりとは対照的に、赤やピンク、淡い紫の、菊に似た花がその白地を控えめに飾っていた。やや大人びた雰囲気のまま、はにかむような笑顔を浮かべ、少女の隣に並び立つ。

 「わたしの新しいお姉ちゃんです!この前話してたお友達が、お姉ちゃんになってくれたの!お母さんがね!これから一緒に住むんだよって!お姉ちゃんなんだよって!」

 並ぶ2人は、確かに似ていなかった。お姉ちゃんと呼ばれた少女が一歩カウンターに近付く。恥ずかしそうに、ワンピースの裾を、赤い花を握りながら口を開いた。

 「あ、あの、施設の先生に、貴方のお陰で、私は助けられたって聞きました!ずっと、ずっと辛かったけど、貴方のお陰で、貴方が気にしてくれたお陰で、こうやって可愛い妹と、あったかい家族を持つことが出来ました!」

 まっすぐと真摯な視線が向けられる。日に焼けたような色の肌でも分かる紅い顔。うっすらと滲む涙。

 「本当に!ありがとうございました!ありがとうございました!」

 果たして僕は、ちゃんと笑顔を浮かべられていたのだろうか。嵐のようなお礼合戦の後、2人は現金で買ったいちご牛乳を1つずつ持って、仲良く店を出て行った。

 閉まる自動ドアの向こう側、眩しい太陽に照らされた余り似ていない2人の姉妹。

 けれど僕は知っていた。結末ならレジ係の彼から聞いていた。遅かれ早かれと言っていた彼でさえも、目を伏せていた。

 涙が出そうになる。

 初めて僕は、この世界を少しだけ、そう、悲しいと、思っているのかもしれない。

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