第47話 羽振りのいい女
またしてもハロワは時間つぶしの場となった。
手にしたコピー用紙は今日、職探しに行ったという自身への証明書みたいなもの。
基本給13万──製造業。経験不問。
給料が安くてもいいから、長続きする仕事ってないだろうか……。
こういう職場は8時5時で立ち仕事だし、製造業って職人気質の人がいてあたりがきついんだよな。
サービス業は愛想がないと無理だし、マナーの悪い客にいちいちイラついてたら精神衛生上よくないもんな。仕事中は常に自分は接客マシンだと割り切ってて、ストレス耐性の高い人じゃないと長続きしないのだろう。
配送業は事故が怖いし残業めちゃあるし、営業は……、コミュ力に問題のある俺だといわずもがなだ。
早く定職について真っ当の人間になりたいのに、あらゆる能力パラメーターの低い俺はどこにも属せず、世間の底をさまようばかり。
などと、夕焼けの電車に揺られる中、疲れて座った会社帰りの人たちがうらやましく映る。
駅を出て、ひと気の少ない道をとぼとぼ歩いた。談笑している女子高生とすれ違った。なんだかやってられなくなり、紙を丸めて捨てた。
ポケットのサイフを握って、コンビニまで行こうとしたら、空から羽衣姿の美女が降りてきた。目の前にふわりと着地し、にっこりと笑みを浮かべる。
「就職活動、うまくいきませんか?」
「……」
清潔さのある外見とはうらはらの、やたらと肉感的な女だ。
帯で締まった腰のくびれがエロいし、豊かな乳の谷間にも視線が向いてしまう。
いったい誰かと眺めていると、相手が察したようにそっと胸に手をあてた。
「わたしは天女です。お仕事の見つからないあなたのもとへ、やってまいりました」
俺はまばたきのあと頬をつねった。現実のことだった。
「ええ、まあそうですけど、なんで知ってるんですか?」
「天女ですから」
ポーズをつけて、人智を超えた存在だという自信にあふれている。
「なるほど。実は会社が倒産して3年も定職についていないのです」
言っててつらくなるものがあったが、相手が相手なのでさして気にならない。
「職が見つかっても長続きしなくて困ってるんですよ。まず気力体力が人並みにあればと思ってまして」
「あなたに足りないのは辛抱のようですね」
「どこも新入りには冷たいんですよ。初心者に優しく教えてくれる職場があればいいのですが」
「会社は学校ではありませんからね。懇切丁寧な教え方は期待しないほうがいいでしょう」
天女がくすりと笑った。俺は話をつづけた。
「どの会社も見て覚えろ的な人が多くて、ミスが頻発して、結局気まずい空気に耐えられなくなって自主退社ですよ」
「自身の業務をこなしつつ新入社員の面倒を見る。これはなかなか大変なのでしょうね」
「まあそもそも自分に適した職じゃないことが原因なんです」
「あなたは適正の有無を短期間で判断していませんか?」
「はぁ。確かに」
ため息をつくと、天女が着物の合わせから何かを抜き出した。出刃包丁だった。
「これをあなたにさしあげます」
「俺に板前の修行をしろというのですか。いえ。たとえ餞別でも、こんな物騒なもの困ります」
天女はゆっくりとかぶりを振った。
「お仕事を依頼したいのです。人生にだいぶ迷っているあなたにうってつけの仕事ですよ?」
「あなたのような美女とベッドをともにして××できる仕事なら喜んで引き受けますが」
天女は公園に手を向けた。ベンチに座ったスーツの男が見えた。俺の冗談はスルーされた。
「あの男の急所を突いて仕留めるだけで、なんと報酬百万円です」
今度は、それらしい札束をのぞかせた。帯封の金もさることながらメロンのような胸も魅力的だ。
「俺に殺し屋稼業をやれというのですね」
「お願いします」
「いえ、対価に釣り合わないのでお断りします」
手のひらを見せて眉を曇らせると、天女がしなをつくって色っぽい顔になった。
「では付加価値として、わたしの肉体をおつけします」
「ぜひやりましょう」
駆け引きに勝った俺は、こぶしを握って首肯した。
包丁の柄を握ると、刃の重さに一瞬落としそうになった。スーツの男はこっちに気づいていない。天女はにこにこと笑っている。
スーツの男を見た。スマホに意識が向いていた。天女を見た。満面の笑みだった。スーツの男を見た。天女を見た。俺は足を前に出した。
百万円で買えるものを脳裏に浮かべつつ、なるべく平常心を保って前進した。
接近に気づいた男が顔を上げた。俺は口をひらいた。
「すみません。ちょっといいですか?」
「誰ですか。あなた」
肩越しにふり向くと、天女が見ているのがわかった。
「実は今youtubeの撮影をしていまして、協力してくれたら5千円差し上げますよ」
「どういうことです?」
「つまりこういったワケです。……ごにょごにょ」
男は説明を聞いて、しぶしぶながらも応じてくれた。
「でも顔には編集を入れてくださいよ」
「もちろんです。じゃあやりますよ」
俺は天女に背中を向けたまま、死角を使って刺すふりをした。男がうめいてうずくまった。やおらベンチに倒れて目を縛った。
そして俺は服に刃物をしまって、天女のもとまで帰った。
「終わりましたよ。では行きましょう」
肩に手をまわそうとしたら、頬を張られてしまった。尻もちをついた。あおぐと厳しい声が落ちてきた。
「わたし嘘つきな人、大嫌いです!」
「バレちゃいましたか?」
「あなたに報酬はありません。さようなら!」
きびすをくるりと返して、プンスカ怒りながら空に昇っていく。
「あっ……!」
衣のすそからハートの尾っぽが見えて、あれは天女じゃなかったと悟った。
俺は空に溶けていく姿を見送ってから、重いため息をついた。
「何をやってるんだろうなあ。俺……」
冷えた風にのって紙玉が転がってきた。開くと基本給13万の文字が目に入った。運命に逆らえないような気がして、こんなことを頭で喋った。
やはり就職先は地道に探したほうがいいな。見知らぬ他人のうまい話に乗るのはよそう。
そしてこれからは職場でつらいことがあっても、それは成長過程だと受けとって、物事を長い目で見ることにしよう。
俺は立ち上がって、ほこりを払った。すると背後から声が聞こえた。
「あの女は……」
スーツの男だった。俺は空を一度見て話しかけた。
「お知り合いですか? 自分のこと天女とか言ってましたけど」
どうやら彼は、さきほどのやりとりを見ていたらしい。
「ただの金蔓ですよ。あの女、やたらと羽振りのいい客だったんで」
「はあ、客ですか」
「話したことは何でも信じるタイプでしたね。おかげで金、引っ張りやすかったですよ」
男はタバコに火をつけて軽やかに煙を吐いた。俺はこう問いかけた。
「ちなみにあなたは……?」
「まあ何と言うか、女性を喜ばせる職業の人間ってとこです」
言ってから、ネクタイを締めて髪をかき上げた。
今着ているスーツの値段がどれほどなのか知らない。ただ、夜の仕事をしている雰囲気が感じられた。
あの自称天女は、おそらくこの男に騙されたことがトラウマになって、嘘に対する拒否感が高まったような気がする。
見知らぬ俺に百万も出そうとしたほどだ。確かに羽振りのいい女なのだろう。その金をどこから調達してきたのか不明だが……。
俺は張られた頬に触れてみた。一円にもならない痛みだった。
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