第46話 勇者を待ち受けるラスボスの魔王
墨色の暗雲たちこめる荒んだ空に、痩せた龍の如き細い紫電がそこかしこに閃いていた。
時化の白波がぶつかる崖の頂上には、おぞましい空を天幕にした古城が稲妻の光を受けてそびえている。
そんな禍々しい城の窓の向こうに、灯りがほんのりとともっているのが見えた。
広間の玉座のかたわらで、さまざまな体躯の魔物が車座に集まり、ろうそくの灯りのなか、何やら賑々しく盛り上がっている様子。
平和などいう言葉とは縁遠いこの荒廃した世界で、魔物におびえひっそりと暮らす民どもに苦渋を味わわせる相談をしているのか。はたや忠義の低い領土に向かい再度その権威を示そうと、参謀を集め戦の準備をしているのか……。
あぐらを組んだまま、鎖の巻かれた革の黒手袋が、何かの札をつまんだ。集う魔物たちを前に座した位置からしてその者がボスであろう。
マットブラックのジャケットと革パンをつけ、手袋の裾から見える薄紫色の肌が明らかに人外であることを物語っている。
姿はまだ年若そうな少年であり、中性的な顔立ちに腰まで伸びた銀髪。それにルビーのような深紅の眼が印象的であった。
その威厳のある強い瞳が部下の一体を睨む。手にした札を床に運んだ時、ジャケットの金具がカチャリと鳴った。
少年──魔王が手の札を明かして、口端をいびつに曲げつつ牙をのぞかせる。
「ほい。ほい。俺の勝ちー。これで俺の何連勝? ってかおまえちゃんとツケ払えよな。アッハッハ」
からからと笑うほがらかな態度に対し、魔物の何名かが悔しそうにプレイングカードを捨てて顔をおおう。周りには食い終わった菓子類、ポテチ、チョコ、アメなどの袋が散乱していた。
そんな古城の最後の砦らしからぬ広間の入り口に、コウモリのような羽を背にした肉感的な女性の悪魔が姿をあらわし、一礼のあと硬い声音を発する。
「──魔王さま。そろそろご準備のほうを」
魔王は先の尖った耳で聞きとめたあと、スナック菓子の袋に突っ込んでいた手を止めて、入り口の部下に顔を向けた。
「来た? 来た? 勇者来た? なに? 予定よりはえーじゃん。今何階まで来てるん?」
部下はその質問に報告を加えた。すると魔王は眉根をひそめて声を上げる。
「はぁ。8階だと? もうだいぶ近付いてるじゃねーか。ここ10階だからあと2階しかねえし。おっしゃ、やるぞ。オイ、おめーら早く片づけろ」
自身の膝頭を一発叩いて気合を込めたあと、凛々しく立ち上がって腰に両手をそえた。
部下たちはその威信に恐れをなすこともなく、肩のこりをほぐす動作をしながら、めんどくさそうにゴミを麻袋に放り込み、だらだらと端に除けてゆく。
魔王は自慢の銀髪を手ぐしで梳いて、床に目を向けてから、犬を追っ払うような動作で部下に命令をつづけた。
「まだ床にお菓子の食べカスがいっぱい落ちてるだろ。ホウキとチリトリで早く回収しろよ。あと読み散らかしたマンガも片づけるんだ。あっ、そこにカード落ちてるって」
言ってから、先ほどまで打っていた博打の札を拾って部下に渡し、入り口の悪魔に目を移す。
「それで向こうのパーティーの数は? 今回は何人で攻めてきてるんだ?」
「6名です」
報告役のやたらとグラマーな彼女が粛々と答えた。
「あ、そうか。やっぱ全員生きてんな。でもまあ6人だろうが60人だろうがカンケーないっつの。なんたってこの世界200年、俺の天下だしね」
魔王は整った眉を凛々しく上げて天井を睨み、決戦を前に意気揚々と拳を固めるも、肩まわりが軽いことを思い出し、手でさわさわとなぞる。
「ところでマントは? 玉座にかけていた俺専用の黒マントだよ。裏地の色が赤のサテン調のやつ」
聞いた巨乳の悪魔がハタと気づいたようにてのひらをポンと打ち、マントのありどころを淡々とした口ぶりで説明する。
「さきほど洗濯しておきました。現在、外に干してあります」
「ちょ、衣類は勝手に洗うなっていつも言ってるだろ。ったく仕方ないな、じゃあ今すぐ持ってきて。半乾きでもいいから」
指示をうけた悪魔はすみやかに駆け出した。魔王はいまだにのらくらと後片付けをしている部下に声をかける。
「あ、部屋のローソクの火、全部ともしとけ。カーペットにそってそっちから燭台を順番に玉座まで真っすぐに並べるんだぞ。左右のこっちと、こっちで」
魔王は前に習えのポーズをして、燭台を等間隔に置くよう指図した。
「崇高なる玉座の間らしい雰囲気を出しとかないと勇者どもにナメられるからな。場の演出って重要だし、ついでにカーペットのほこりとっといて。ハンドルがついたコロコロのやつで。ちなみにあれって正式名称なんて言うんだっけ」
その問いに、獣皮をまとったオーク型のモンスターが答える。
「カーペットクリーナーですよ魔王さま」
「そっか。じゃあそれ使ってやってくれ。──あっ!」
突然、床でスヤスヤと眠っていた赤ん坊が元気よく泣き出した。おそらくまわりの騒々しさに目を覚ましたのだろう。
魔王は慌てて小走りで移動し、これ以上泣き声をあげさせないようおくるみをそっと抱き上げる。
「おーよしよし。泣くな泣くな。……おいお前、イーちゃんを別の部屋に連れてってくれ」
魔王は、ちょうど近くを通った赤子の母親に声をかけた。その女性の悪魔は燭台を手にしたまま立ち止まるも、困ったように眉じりを下げる。
「今ちょっと準備で手が離せないんですよ。だからその子、あやしててくれますか?」
「いや俺じゃなくて自分のダンナに預けろよ。お前のダンナいったいどこ行ったんだよ」
「勇者と戦うために出撃しています」
「あっそうか。じゃあしかたないな。どうしよう……」
あたりをキョロキョロと見、手のあいたらしきミイラ男をみつけて手招きする。
「お前ちょっとこっち来い」
「えっ? 俺ッスか」
「おう。イーちゃんが泣かないようにしっかりと面倒見るんだぞ? まったく、勇者との大事な決戦の場で、子供を抱いたまま戦えるかよ」
魔王はおくるみをゆっくりと手渡した。受け取ったミイラ男は、赤子の首がぐらぐらしないよう気をつけながら、頭を支えて優しく腕の中に抱いた。
──数分後。
広間は遊び場と化していた形跡を残さず、魔王の間らしき様相となった。
「よっしゃ。じゃあ片付けも終わったことだし、わるいんだけどお前ら全員、勇者と戦ってこいよ。あいつらの体力少しでも削っときたいし」
玉座に着き、足を組んで命令を下した魔王に対し、部下どもはいっせいに顔を曇らせ、「えー」という非難めいた声をあげた。
「いやいや何だその抗議まじりの反応は? おまえらみんな俺の手下じゃん? 総力をあげて忠実に戦って来いよ。どいつもこいつも何でそんなにやる気ねーんだ」
早く行けとばかりに怒った目で顎をしゃくると、それぞれが亡者の群れのような猫背になってだらだらと出て行く。
するとそこへ、先ほどマントを取りに向かったピチピチスーツのセクシー悪魔が、豊かな胸を揺らせて戻ってきた。だがその手には何も持っておらず、彼女は一礼のあと、すまなさそうな顔になって背中のコウモリ羽を縮めた。
「申し訳ありません魔王さま」
「ん? どうした?」
訊かれた悪魔がしゅんと落ち込んで手を前にそろえた。大きな乳が両腕に挟まれてムニュっと盛り上がる。
「マントが海風になぶられて、どこかへ飛んでいきました」
魔王は肘つきしていた手から頬を離した。
「は? なんだよ、いつもちゃんと洗濯ばさみで留めとけって言ってるじゃん。おまえ風に飛ばしたのこれで何度目?」
「たいへん申し訳ありません」
「まったくさー。もう二度とやらないでくれよな。でも済んだコトをあーだこーだ言っても始まらないし、もういいや。じゃあ今回はマントなしでいこう」
魔王が折れたことに部下は気を取り直したらしく、微笑を浮かべて一本指を立てる。
「きっと魔王さまなら、マントがなくても充分に威厳を示せると思います。なんなら服を全部脱いでハダカになっても大丈夫かと」
「うむ。そうだな。俺は脱ぐともっとすごいからなって、やかましいわ。なんで俺が全裸のポンになって股間をブラブラさせながら勇者と戦わなきゃならないんだ」
部下のノリに魔王はそんな返事をするも、腑に落ちない態度で肩に軽く触れる。やはりちょっとスースーしていて物寂しい。
「あと俺の大剣どこいった? 鍔に宝石いっぱいついてるやつ。壁に立てかけといたんだけど、見当たらないみたいだな」
「あっ、それなら夕食の巨大魚をさばく用途で、さっきコックが持って行きました。たぶん今ごろ厨房で三枚おろしに使っていると思います」
「パカやろう。人の愛剣を調理道具に用いるな!」
ふたたび数分後。
少し魚くさい大剣を玉座にもたせた魔王は、足を組んだまま軽く咳払いをした。
「それじゃ、予行演習しとこうかな。えーと」
言ってから、普段の声とは違う野太い作り声を出そうと喉の具合を整え、凛々しい顔つきに切り変わる。
「フッフッフ……。よく来たな勇者よ。この世界を統べる我に盾突こうとは笑止千万。貴様などなすすべもなく華氏5432度の漆黒の炎で焼き尽くしてくれるわ。そして今こそ我の糧となり久遠の旅路に昇れ。ンッフッハッハッハッハッハー」
立派な声が広間にこだまし、天井を仰いで高々と笑う。
それからしんとした静寂のあと、魔王は表情を元に戻してかたわらの部下に顔を向けた。
「――っとまあ、こんな感じで行こうと思うんだけど、決まってた?」
バストもヒップも悩ましいほどの曲線を見せる悪魔は、淡白な顔のままお世辞を丸出しにした風情で、パチパチと小さな拍手を送った。
「まあまあじゃないですかね」
「そう? 良さげ? 良さげ? なんか久しぶりだからさ。ちょっと声が引き締まってないかもしんない」
「ところで『我の糧となり久遠の旅路に昇れ』って、どういう意味ですか?」
部下が眉をひそめ首をかしげた。魔王は意表をつかれた顔で肘掛けを指でコツコツ叩く。
「えっ? そこは何と言うか。あれだよ。要するに『くたばれバカ』ってことだ」
「なるほど」
言葉とは裏腹の薄いリアクションに、魔王は足を組み替え、手をひらひらさせて説明する。
「いやまあ問題ないと思うぞ。実際のところ勇者は闘うことに意識が向いていて、俺のセリフとかそんな細かく聞いてないだろうし」
「私ずっと黙っていましたけど、魔王さまの口の端に、さっき食べたチョコレートがついてますよ」
「んお。マジか!」
魔王はポケットから手鏡を出してチェックした。
またまた数分後。
「いやぁ。武者震いしてきたなぁ」
玉座に背をどっしりあずけたまま、足を小刻みに揺らしてやや落ち着かない情態を見せている。
そんな様子を見かねたエロチック悪魔が、赤子を腕に抱いた格好で指摘してきた。
「魔王さま。さきほどから貧乏ゆるぎが止まらないようですが、まさか、敗北を予感しているのでは……」
「ん? いやなに言ってんの。俺が負けるわけねーじゃん。だいたい何? 勇者って。勇気ある者? カンケーねーし。俺、魔の王だよ。実績200年よ?」
背もたれから身を離したあと、自慢げな顔で景気よく腕をぐるんぐるん回す。
「って言うかなんでお前、イーちゃんこっちの広間に連れてきてんの?」
「別室に移動したら余計に泣き出したんです。どうやら今日は魔王さまのおそばがお気に入りのようで離れたくないみたいですね」
「じゃあ勇者が来るまでそうしておいてもいいぞ。ただし闘う時はここにはいさせないからな。──おっ。噂をすれば影がさすだな……。ようやくお出ましってワケだ」
入り口の向こうから、伸びた影とともに鎧の揺れる音が近づいてきた。
その途端、魔王の顔つきが立場相応の雄々しいものになり、うっすらと笑んだ口から渋く重い声音が漏れた。
「フッフッフ。よく来たな勇者よ……」
すると入り口に、甲冑を着て槍を持った騎士タイプの手下が姿を見せた。
「魔王さま、報告でーす」
「あれ? なんでお前なんだよ。どうした?」
魔王は拍子抜けをして前のめりになった。部下は一礼のあと、さして慌てていない口調で言葉をつむぐ。
「勇者たちは、現在9階まで来ています」
「は? それだけ? 他には? つーか、てっきり勇者サマ御一行がやってきたと思ってパリッと構えちゃったじゃないか」
「ごめんなさい魔王さま」
「なんかお前紛らわしいよ。もうそこの入り口の向こうに立って見張ってろ。それであいつらが来たらこっちに合図をして知らせるんだぞ?」
魔王はそう伝えてからふーとため息をつき、ふたたびどっしりと玉座にすわり直した。
「一回トイレに行っとこうかな。ちょっとムズムズするなぁ」
用を足そうかどうか迷っていると、鎧のきしむ音が聞こえ、見ればさっきの騎士タイプの部下が入り口に姿を見せて、指で輪っかを作って短くうなずく。
「おっ、来た? 来た? 今度こそ間違いないな? いや待って、この場合にOKマークってなんだか違くね? うーん。まあいいか。よし」
魔王は表情を引き締め、足を開いた格好の堂々たる態度で敵方を迎える。
「フッフッフ……。よく来たな勇者よ。この世界を統べる、ってなんだお前かよ」
出撃に向かっていたオークがやって来て、片膝づきになってこうべを垂れた。
「伝令です。勇者たちは7階まで戻りました」
「あれ? さっき9階まで来てるって報告受けたんだけど、なんで戻ったんだよってあーそうか、7階には回復の泉があるもんな。あそこまで一旦もどって、体力回復してんだ。俺との決戦に備えて」
オークはその通りだとばかりにうなずき、すっくと立ち上がってまた戦の場へと帰っていこうとしたが、何かを思い出したらしく、きびすを返して口をひらいた。
「あとマントが見つかりました」
「おっ。本当か!?」
肘掛けをつかんで腰を浮かせると、オークが深刻な顔で話をつづける。
「はい。ですが城のてっぺんに引っ掛かっていて、海からの強風にあおられています。いつ何時飛ばされるかとても危うい状況です」
「じゃあすぐに取ってこいよ。戦闘から外れてもいいからマントはどうにか確保しろ。おい。お前も行くんだ。旗ざお使って二人でやれば早いでしょ」
と、かたわらで後ろ手を組み、アメを口にふくんでコロコロやっていたグラマラス悪魔に命令する。赤ん坊は玉座の後ろでスヤスヤと心地よさそうに眠っていた。
「いいか。ソッコーでマント取ってくるんだぞ。勇者どもが来る前になるたけマントは装備しておきたい」
返事をした部下がそろって小走りで出て行くのを見送り、魔王は首筋をポリポリとかく。
そして広間でぽつねんと座っていると、背後から突然、赤ん坊の泣き声が響いた。
「あー仕方ねえなあ。もうみんな用事に行ったし、イーちゃんをあやせるのは俺しかいないじゃないか」
腰を上げて後ろにまわり、そっと赤子を抱いて顔を近寄せた。
「おーよちよち可愛いですね~。ん~、イーちゃんのイーはいい子のイーだね。泣いちゃだめよ。ちゅちゅちゅちゅちゅ」
アヒル口になって陽気な調子でつぶらな瞳を見つめていると、入り口のほうから剣を床に突き立てた音が聞こえた。
赤子を揺すっていた魔王は、口をアヒルにしたまま面を上げた。
そこには死闘を勝ち抜いてきた人物が6名、それぞれ武器を手にした姿でこっちを見据えている。
「あっ……。勇者……」
気まずい空気のなか、魔王は一度赤ん坊を見、冷や汗をたらしつつ困惑した顔で再び彼らに視線を向ける……。
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