第44話 セルフうどん店


 会社の残業で遅くなった俺は、背にくっつきそうになった胃を満たそうと、どこか入りやすそうな飲食店を探していた。

「おっ、こんな所にうどん屋があるぞ。ちょっと入ってみるか」

 ガラガラと景気のいい音のする引き戸をあけて、のれんをよけるや、これまた元気のいい声が飛んできた。

「へらっしゃい!」

 頭にねじり鉢巻をまいたタコのような店主が俺を見て朗らかに笑う。どうやら他の客は1人もいないようだ。

 さっそく俺はカウンター席に案内され、あったかい店内の空気に安堵しながら椅子に腰掛けて、お品書きが貼ってあるであろう壁に目を向けた。

「何にしようかな。えーっとね」

「おっと、うちはセルフだよ。表の看板に書いてあるべ。見てなかった?」

 俺は空腹により注意力が散漫になっていたことを反省し、スーツのネクタイをゆるめ、椅子から立って丼をとろうと移動する。

 すると店主のおやじがカウンターからひょこひょこやって来て、フランクな口調で話しかけてきた。

「あーいまね、客がいなくて時間あいてるし、なんなら俺っちが全部やってやろうか?」

 そんな持ち掛ける言葉に俺はあたまをかく。

「いやぁ、でもせっかくセルフの店に来てるから、自分でやるよ」

「あそう? んーまあいいけど」

 おやじはあっさりと応じ、きびすを転じて戻っていった。

 しかし俺が丼を手にしてうどんを作っていると、今度はせわしく近寄ってきて、ひとさし指をちっちと振ってキザな顔を向けてくる。

「あーだめだめ。そんなんじゃあ」

「えー、なんだよおじさん。ここセルフなんだから好きにやらせてよ」

「いいからいいからこっち持ってきな。俺っちが手本見せてやっから」 

 俺はおやじの強引な態度に負けて、素直に丼を手渡した。おやじは得意満面で教訓めいた調子になり、まるでシャフトのアニメみたいにあごをそびやかせ、俺を高々と見下ろした。

「いいか。湯切りっつーのはよ。こうやってやるんだ。腕の振りだけじゃなくちゃんと腰を使ってな。じゃねーと水分がきれいに飛ばないからよ。水気が残ったまま出汁を入れたら味が薄くなっちまうからな。だけどあんま力入れてやり過ぎっとこれはこれでダメなんだわ。ちょうどいい加減がむずかしーのよ」

「おじさん、よく喋りますね」

 やや飽きれながら言うと、おやじは気分よく説明をつづけた。

「うちはね、麺は自家製だしマジでコシがあって最高なのよ。だからお客さんみんなうまいって絶賛なんだよなー」

 俺は渡された丼を受け取って、つづいてトングを持ち、ほかほかと湯気の立つ麺にどの具をトッピングしようか吟味しはじめる。

 よし。やはりうどんの具には海老があう。だからこの少し油が回ってそうだけど美味そうな一尾を選んでトングでつかんだ。

 だがそんな俺の隣に、おやじが顔を並べてきた。

「あれ? 海老天とるの? できたらさ、こっちのかき揚にしない? いま揚げたばっかでカリッカリに揚がってるからよ。超オススメなんだわ」

「うーん。どうしようかな」

 俺はおやじのセールストークをスルーして、構うことなく海老をキャッチしたまま丼にのせた。

「あ? やっぱ海老にする? まあいいけどね。俺っちのオススメじゃかき揚だったんだけど。別にうどんに入れなくてもさ、こっちの別皿に載せてうどんをすする合間に食べるのもうめーんだよな。うどん。かき揚。うどん。かき揚っつーふうにさ」

 おやじがあまりにも勧めてくるので、俺は根負けした。

「じゃあ。いっしょにかき揚もらおうかな……」

「おっしゃナイス選択。じゃあね。これおまけしちゃうよ」

 言うなり指でつまんだ小皿をおぼんにのせた。

「なにこれ?」

「たくあん」

「……」

「嫁が漬けてるからね。まあまあ美味いと思う。余ってるからあげるよ。食っとけ食っとけ」

 陽気にかんらかんらと一笑したあと、丼を見ながらネギを手づかみでバッバッバ! と威勢よく入れてくる。俺はおやじの強引さと手際の速さに目を丸くした。

「ええ! ネギこんなに入れるの? しかも手掴みなんて……」

「大丈夫大丈夫。ちゃんと手は洗ってあっから。ネギはね、多めに入れたほうが美味いのよこれが」

「はぁ」

「よっしゃ。もうおにぎりもサービスしちゃう」

「ありがとう、ございます……」

 うれしさ半分、迷惑半分のていで苦笑を浮かべた俺であったが、ニカニカと笑顔を張り付かせたおやじの肩に、誰かがうしろから手を置いた。

 おやじが振り返ると、そこには割烹着をつけた30代半ばの和風美人な女性が微笑しつつ立っていた。

「あなた。なにをやっているの……?」

「なんだよ。別にいいじゃねーか。余りモンなんだしあげて何の問題があんだよ」

「ふーん。じゃあ、ちょっとこっちに来て」

「あ? なんだよ。いちいち口出しすんじゃねーよ」

 たぶん奥さんだろう。だが微笑を浮かべているその女性だが、旦那の腕を引っ張る横顔の口角が、怒りを含んだようにしてピクピクと引きつっていた。

 のれんのかかった調理場の入り口にふらつきながら消えていくおやじがこんな言葉を残す。

「ちょっと待っててねお兄ちゃん。うちの嫁が小うるさくってさ。いつも俺のやってることに口を出すなって釘刺してあんだけど、やっこさんじゃじゃ馬だから言うこと聞かねーのよ」

 奥さんがかたわらで言葉を継ぐ。

「主人がこんな不躾な人で、すみませんね。お客さん」

「おい何言ってんの? テメーは裏で出汁でも煮込んでろ」

 二人が消えてゆくや、すぐに調理場に何かがぶつかる音が立ち、「ぐえっ!」というカエルを踏んだようなうめき声が聞こえてきた。

 俺は黙ってうどんをすすっていたが、ふいにおやじが右頬をおさえたまま姿をあらわした。

「他にやることねーなら床でも掃いてろよ。こっちに来んじゃねーよポン太郎が」

「!!」

「あ? どうした兄ちゃん」

「おじさん! 顔が酷く腫れ上がってるけど!」

「おう。まあちょっとナ」

 おでこには赤い三本の引っ掻き傷があったので、それも指摘してみた。

「棚の上にネコが寝ててよ。俺が棚にぶつかった時びっくりして飛び降りてきやがった。人の顔面踏み台にすんじゃねーっつの」

「……」

 だいたいの事情を察した俺は、無言で痛そうに頬をさすっているおやじにそれ以上の追及はしなかった。そもそも他人の家庭の事情よりも店でうどんを食べるのが目的でこの場に立ち寄ったのだ。

「あんちくしょうめが。おなごのくせに気だけは強くって扱うのにめっちゃ困らぁな」

 言葉をこぼし、カウンターを拳骨で一発なぐると、ふたたび奥さんが反応したように、のれんを上げてひょっこりと顔を見せる。

 その顔はやはり微笑を浮かべているが、手をゆっくりと上下に動かして、おいでおいでと薄気味悪く旦那を呼んでいた。

「あの、おじさん。なんだか奥さん呼んでるみたいだけど……」

「おう。っったく、仕方のねーやつだな。じゃあすぐに戻るからそのままうどん食ってて。ごめんね兄ちゃん。あんにゃろう何の用だっつーんだよ」

 ガニ股の威勢のいい姿が調理場に隠れると、すぐさま今度はさきほどよりも激しい殴打の音が立った。ステンレスの食器が崩れ落ちたような音も響いて、「ぐぼ!」、「のあ!」、「どわ!」とかいう奇妙な苦痛の声が飛んでくる。

 ややあってから、おやじが足を引きずりつつ瀕死の状態でカウンターに戻ってきた。

 俺はその姿にあっけにとられた。同時に箸でつまんでいたうどんが汁を叩いて落ちたのがわかった。

「あの……おじさん。頭から血が流れてるけど、大丈夫?」

「まあな!」

「いや。どう見てもヤバイでしょ? 奥さんとケンカしたの?」

「アッハッハ。こんなの別に喧嘩の範疇に入んねーよ。めおとのスキンシップってやつ? うんうん」

 俺はどう突っ込んでいいのか分からず、とりあえず海老天をひとかじりして鼻をすすった。

「しかしあんにゃろう。マジで気だけは強くってよ。脳と口が直接繋がってるんだろうな。あたまで思ったこと口に出さないと気が済まないタチなんだよ。俺に口出しすっとどんな目に遭うか今度はこっちから身体で教えてきてやる」

「おじさんのほうが身体で教えられてるじゃないか」

「こんなのヨユーだよ。怪我のうちにも入らねえ」

 流血を放置して両手を腰にあてて豪快に笑うも、そこへまた奥さんが幽鬼のような具合で肩に手をのせた。おやじは難しそうな顔で振り返った。

「あんだよ。いちいち呼びつけてんじゃねーよ」

 奥さんは無言でえり首をつかむ。おやじは負けじと眉間にしわを集めて見据えた。

「兄ちゃん待っててくれよな。この嫁マジで〆てきてやっから」

 二人が消えるなり、楽器のドラムを激しく乱打するような騒々しさが起こった。たぶん一方的な暴力が発生しているのだろう。俺は箸を止めてため息をつく。

「……こんなんじゃ落ち着いて食べられないよ」

 やがて戻ってきたおやじは、顔面がドラクエの爆弾岩のようなかたちに変貌し、千鳥足で歩いてカウンターに上体をあずけ、調理場に向かって罵声を飛ばす。

「おうるせーよ。俺の商売に文句言うんじゃねーよ田吾作が」

 俺はおつゆをすすっていた丼を落としそうになる。あやうく店内に陶器の割れる音を響かせるところだった。

「おじさん、頭から血が噴水みたいにすごい出てるよ! それに顔のあちこちが紫色になっててボコボコじゃないの」

「俺の店なんだからどんな商売しようが俺の勝手じゃねえか!」

「話聞いてないよ……」

 俺はもう関わらないでおこうと思った。

 そして早くこのあったかいうどんを食べきって出て行こうと食事に専念する。

 まだ何かぶつぶつ独りごちてる相手には目をやらず、黙々と麺をすすっていたらおやじから声がかかった。

「おういらっしゃい。お兄ちゃん友達来てたんだ」

 言いながら、俺の隣の左右の席に明るく声をかける。

 だが俺はいったい何のことだと頭上にハテナマークが浮かぶ。

「あの、友達って?」

「なに言ってんのさ。そこに座ってるじゃねーの」

「いやいや、いないでしょ」

 おやじは、「はぁ?」と顔をしかめた。俺はすぐさま返事をかえす。

「隣の席には誰もいないよ。だいたい店の客って、今のところ俺ひとりだけじゃない」

「そう? なんか右と左に同じスーツ来た人が見えるからさ」

「それモノが三重にブレて見えてるんだよ。おじさん本当にヤバイんじゃないの?」

「んーここどこだっけ? いったいどこだっけ……」

 頭頂部から立ち昇る噴血が、こっちまで流れてきたので俺は丼を持って椅子から立ち、中身を一気に片付けた。

「ご、ごちそうさまです」

「お兄ちゃん。悪いけど今日はもう店じまいにしていいかな? なんだか頭がクラックラしてきてよ」

「……」

「このおにぎり全部持って帰っていいよ。今パックに詰めるから待っててくれる? 海老天もいっしょに入れとくからあとで食べて……」

 よろよろとバランスをとりつつ、作業に移るおやじであったが、その袖を奥さんがぎゅうと握り締めた。

「あなた、ちょっと……」

「あ? んだよテメー、たびたび呼びつけるんじゃねーよ。ここは俺の店だろうが。事あるごとに難癖つけてくるな唐変木」

 俺は外に出て、振り返ることなく引き戸を閉じた。頭上の陸橋に電車が通り過ぎていく。

「賑やかな店だなあ……」

 電車に勝るほどの激しい音をたてて振動する店をあとにしつつ、初冬の夜風を受けながらしみじみと呟いた。


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