第40話 いもうと爆弾:666(トリプルシックス)

 

 会社がブッ潰れて3年経ち、今日はめでたくも俺の誕生日なわけだが、それを祝ってやるとばかりに皮肉なかたちとして不採用通知が届いた。

「ああ。なんてことだ。また書類で落とされちまった……」

 倒産して6ヶ月で貯金が尽きた。実家に帰って身内と近隣住民の冷えた空気の四面楚歌の中、のらくらと暮らす合間に就職活動を挟む。

 だがハロワ経由で企業の門戸を何度叩いても、状況は明るいほうへと一向に進まない。

 俺は通知書を持ったまま、力が抜けてしまい玄関の上がり框に腰を落とした。

 童貞。未婚。低学歴。無収入などと、俺のガラスのような繊細な心を苛んでやまない黒くてヘドロのようなキーワードが、ぐるぐるとマーブル模様になって、うず巻きながらいつにも増して責め苦を与えてくる。

 どうせ働きゃだいたいクビになるか人間関係に嫌気がさしてとんずらしてきたしああもう、なんで俺はこうも悪い方面での変わった奴としてこの世に生を受けてしまったんだ。

 居間のほうから親が大声で話しかけてくるが、こんな時に返事をしてもいさかいが起こることは明々白々なので、呼びかけに応えるどころか振り返る気にさえなれない。

 俺はロダン制作のブロンズ像のように固まった姿勢で、口を縛ってやり場のない憎悪のたぎる目で紙面を穴のあくほど見据えた。

 しかしどれだけ睨もうが文面が《採用》の二文字に変わることはないため、あきらめて溜息といっしょに紙をくしゃくしゃに丸めて潰してさらに握り込んだ。

 次いで憂さ晴らしと八つ当たりの意をこめて、玄関ドアに力いっぱい投げつけて呪詛の言葉を吐く。

「クソァ! まったくどうなってるんだこの世界は。何もかもが八方塞がりじゃないか」

 わりかし声を張ったことにより、その黒い独語が親の耳にも届いたらしく、すぐさま反応されてしまい背中に戒めの罵倒がぶつかった。

 そんな言葉が添加剤となって、怒りの内燃機関の火力が増し、タコメーターの針が跳ね上がってレブチンに至る。

「こんな暗い憂愁を抱いた日々はもうウンザリだよ! 俺ァこれからいったいどうすりゃいいんだぜ!」

 早口で独りごちると、居間から追い討ちの悪罵が廊下の壁を響かせて飛んできた。

 俺はその声をスタートダッシュの号砲になぞらえ、玄関ドアをぶち壊す勢いで乱暴にひらき、夜19時のしのつく雨のなかに駆け出す。

 ゆくあてもなく、整えてない髪や二枚目とは言えない顔や毛玉のついたジャージをしとどに濡らせつつ、息せき切って無我夢中で走って走って走りまくった。

 顔に雨がぶつかり涙や鼻水を洗っていくが、今自分がどんな表情をして闇を切っているのか考えたくなかった。

 そして十字路に差し掛かった時だった。

 ブロック塀の角が明るくなってクルマが接近していることを目視するも、かまうもんかとばかりに自棄になって足を速めて先に通過してやろうと目論む。

 ところが日ごろの運の悪さがこんな状況にも鎌首をもたげたらしく、丁度の具合で大型トラックと鉢合わせになった。

 俺は何かにつけてしょうもなくいつまで経っても白鳥になれない人生のピリオドを覚悟して、ぐんぐん迫りくるハイビームを全身に浴びる。その刹那、足をもつらせすっ転び、頭を抱えて身を縮めた。

「!!」

「バッキャロイ! 何やってんだい! 人を赤落ちにしてえのか」

 罵りさけぶ声がドップラー効果を起こし、縦横無尽に舞う濃い排気ガスを残して、トラックはテールランプの尾を引きながら去って行く。

「…………あれ?」

 どうしたことか。

 俺は軽々と宙に舞うことはなく、かといってタイヤに踏んづけられて、もみじおろしになることもなかった。

 てっきりその二択のどちらかになると腹をくくっていたのに、今こうして現世で五体満足のまま呼吸をしていることに安堵を覚えてしまう。

 なぜ運転手は十字路に飛び出した俺を回避できたのか。脳裏に疑問符をいくつも浮かべていると、約5メートル手前に地面がこんもりと盛り上がるようになったかたちの、人影らしきものを発見した。

「なんだあれは……?? もしや不法投棄された黒いゴミ袋か」

 俺はアスファルトから身をはがしてその位置に目をすがめる。

 やっぱり人だった。

 しかもカラスのぬれ羽色の、変わったツーピースをつけた小柄な人間だ。服のデザインが学校の制服っぽいが何か違うような感じもする。

 性別は……体つきやブロンドの長い髪からして、たぶん10代の女の子。

 うつぶせになっていて顔は見えず生死も不明だが、とりあえず近寄って安否を確認しようと思う。

「お、おい。だいじょうぶかよ?」

 近づきながら声をかけてゆっくりとかがみこんだ。

 ちいさな肩をとって揺すってみると、濡れた衣服を通して肉体から少女特有の、もぎたてフルーツみたいな甘くて新鮮な香りが鼻腔に入ってくる。

 スカートから出ている脚は透きとおるように白くてすべすべしてそうだ。雨に濡れていることでより美しく見える。

 久しぶりに若い異性の存在を感じとったことによって、リビドーが騒がしくなった。しかしその欲求は今のところ理性でとどめて、この人物の生命に重きを置こうと判断し、ふたたび声をかけてみる。

「起きろよ。なあ、道路で寝てると今度こそ跳ねられちまうぞ? おい、もしかしてすでに魂が抜けて鬼籍に入って、この身体は空っぽになっちまってるのかよ?」

 それを確かめるため、冷えた手首をとって脈を計ろうと親指をあててみた。

 すると、水溜りに突っ伏すようにして横たわっていた人物が、雨に打たれる横顔をこっちに向けた。

「!!」

 俺は思わず目を見張った。

 今手首を持っている人物が、なんと燦然と輝く見目麗しい異国の少女だったからだ。年齢は中学生くらいか、もう少し幼いかもしれない。

 やや疲弊した面持ちで、ルビーのような深みのある赤い瞳が、おののく俺を見上げている。目が赤いのは果たしてカラーコンタクトを入れているためだろうか。

「おっ。やっぱ生きてたか。どんな事情があって倒れていたのか知らんが、久遠の旅路に昇ってナムアミダブツになってなくて良かったぜ」

 ホッと安息をつき、無遠慮かもしれんが背中に手を回して、一度ブロック塀の角を見て再度話しかけた。

「おまえ立てるか? とりあえずはしっこに移動しようぜ。こんな位置に長居してると今度こそ跳ねられて、へたをすると心中事故で処理されちまうぞ」

「……ごはん」

「ん?」

「ごはん」

 雨が大地を叩く音にかき消されそうな声が漏れて、少女の腹部からぎゅるるるっと気だるげな音が鳴る。

「……」

「……」

 黙って見つめ合っていると、少女の頬がうっすらと朱に染まり、気まずそうに視線がそれた。

「なんだよおまえ。腹が減ってるのか?」

 問いかけに少女はコクリとうなずき、長いまつ毛を伏せたあと、身体が冷えてきたのか鼻を一度すすった。

「そうか。ケガはないか? って言うかまさか腹が減りすぎたのが原因で、雨の中倒れてたってコト?」

 俺が前髪から雫を落としつつ訊いてみると、相手は『そうだ』とばかりにまたコクリとうなずいた。

「じゃあ、何か食いに行くか? おまえの若い肉体のガソリン補給をするとしよう」

 そして俺たちは、互いに濡れねずみになったまま、とりあえず腹を満たそうと飯屋をめざす。


 ──この出会いをきっかけにして、それまでつまらなかった人生が大きく変動してゆくのを、俺はまだ知るよしもなかった。


 

「ハァ? なんだって? 自殺したらこの世界で目が覚めただと??」

 明るく暖かい店内のカウンター席にて、俺は箸と並盛り牛丼の器を持ったまま、驚きのあまり他客の目もはばからず声をあげた。

 謎の美少女は特盛りの器にレンゲを入れて、肉の丘をくずしつつこんな説明をつづける。

「学校がえりに、町にあるいちばん高い崖から、ガベラニグス川に飛びこんだの。もう人生を終わらせたかったから……」

「事情は分かったが、なんだその変わった名前の川は?」

 そう訊ねると、少女は「自殺の名所」と一言告げ、レンゲにのせた肉や米に息をふーふー吹きかける。腹を空かせているわりには食べる動作は緩慢としていた。

 聞くにその川上には処刑場があり、さまざまな方法で残酷に屠られた魔物たちの、肉片や濃い血が常に流れている真っ赤な谷川だという。

「じゃあさ、そのガベなんとか川に飛び込むと、こっちの世界に来られるって寸法なわけ?」

「わからない」

「今まで飛び込んだ奴から真相を聞く方法はあるのか?」

「わからない」

 少女は天井を見てもぐもぐ噛みながらかぶりを振った。

「そうか。わからないか。できれば俺もその川に飛び込んで違うステージに移りたいって願望があるな」

「ガベラニグス川はとってもくさくてきたない川。入水するには勇気が必要……」

「へえ」

 実のところ、俺は彼女の説明を適当に聞いていた。

 なぜなら髪はともかく目の色や服装が怪しいし、おそらく異国の電波系の女が日本語が達者なのをいいことにして、つまらない冗談を言ってるだけだろうと思っていたからだ。

 これ以上話しても中世ファンタジーばりのトークになるだけだし、食べている最中にあまりたくさん質問するのは気が引ける。よって俺は黙って牛丼を片付けることに専念した。

 ところが、だ。

 とあることに気づいて血の気が引いてゆき、のどを一度ゴクリと鳴らして店内を左見右見してしまう。

 ポケットをどれだけひっくり返しても、ガムひとつ出てこない。俺は隣で、おもむろに牛丼を口に運んでいる少女に耳打ちをした。

「おい。……おまえいくら持ってる??」

 少女は何のことかとうつむき加減に考える様子を見せ、ややあってからハタと理解したように顔を上げた。

「あれが食べたいの?」

 俺が眉をひそめながら訊いた言葉に対し、少女は壁に貼ってある新商品のポップを指さす。

「いやイクラ丼のことじゃねえよ。そんなクソ寒いギャグはおいといて、金はいくら持ってるかと訊いたんだ」

「もってない」

「ほう。じゃあ俺たちは今無銭飲食をしているコトになっちまうぞ。こいつはヤベエな。スクランブルするか?」

 実際に悪いのは誘った俺のほうだ。つーかこうやってうっかりしている所があるせいで、就職してもミスをやらかした挙句に解雇へと繋がってしまうのだ。

 ここはもう自宅に電話をして食事代を調達しようと思ったが、またとやかく説教されるのは胃の腑が重くなるため、選択肢から外して店の出入り口を見る。

 つづいて少女を見た。代金のことは人にまかせた具合に、のんきに牛丼をすくって口に入れている。俺は腰を浮かせて小声で話しかけた。

「……ちょっとトイレに行ってくる。お前はここでおとなしく待っていろ。もし誰かにナンパされてもスルーするんだぞ? わかったな??」

「うん」

 食事に意識を向けてレンゲをのんびり動かす少女を置き去りにし、俺はそそくさと移動してトイレのドアを押した。

 個室のカギを閉め、便座に腰を落とすや頭を抱えてしまう。

「ぐおおおお。どうすればっったらどうすればいいんだ? なんで俺はこうも間が抜けているんだよ」

 髪をくしゃくしゃにかき混ぜながら、タイルの床めがけて嘆きの声をついだ。

「あの鈍そうな少女を引き連れて店から外へダッシュで遁走するなんて無理に決まってるぜ。そもそも俺は脚力に自信がないし、アっという間に店員に追いつかれて、そのあとは社会秩序を保つ紺色の制服を着た国家組織の一員に捕縛されるに決まっている! そもそも食い逃げをするなんざ俺のモラルが許さねェ」

 などと、うかつで世渡りの下手な自分に憤懣やるかたない思いをどれだけぶっつけても、まったくもってらちが明かないので、結局やっぱり家に電話しようと判断した。

 重い足取りでトイレから出、ため息をこぼしつつ店内に目を移せば、少女の隣に誰かが立っているのが見えた。男の店員だった。

 俺は腹を決めて近づいた。

 すると店員はすでに無銭飲食に片足を突っ込んでいた状況を知ってい、座って見上げる少女をやや興奮したていでなじっている。さわぎのせいで他の客たちの好奇な視線を集めていた。

 俺は少女のかたわらに立って話しかける。

「どうした? おまえおとなしく待っていろって言ったのに、なんで自分から話しかけたんだ」

「わたしは言いつけをまもっていた」

「ならどうして」

「話しかけてきたのは、このヒトのほう」

 真顔でそう言いながら、楊枝を持った手の指を店員に向ける。

 どうやら彼は、俺たちをはなから不審者コンビとして疑っていたという。

 まあ仕方がないな。なにせ髪も服もぐしょ濡れにして入ってきた無職のジャージ男と変わった衣装の外人女が相手だ。俺がもしも従業員なら確かに怪しいやつらとしてとらえ、警戒対象にはめて監視しながら給仕をする。

「……」

 そして俺は店員に、現在素寒貧であることを告げた。それで電話をお借りしたいという旨を伝えるも、店員はそう許しはしないという頑なな態度でさらになじりの口調を強めてくる。

 しかしこちら側の不注意による過ちのため、俺は黙って身を小さくして相手の怒りが鎮まるのを待った。しかし姿勢を正せば正すほどに、相手はますますヒートアップしていく。

 俺のみならず、少女の服や長いブロンドヘアーや瞳の色について差別的な用語をまじえ、客と店員という関係から逸脱した話に移ったことにより、だんだんこちらも怒りの火が灯りはじめた。

 少女も不服がつのっているらしく、静かに相手を見つめてはいても、細くて整った眉じりをピクピクとふるわせ、口をヘの字にしてこぶしを握っていた。

 俺は自分のやらかしたことを棚に上げて、店に何かしら抗議を入れようと思った。が、その矢先、少女の唇がうっすらと開き、静々と言葉がつむがれる。

「うるさいのは、キライ」

 そうつぶやくや否や、少女の前方に濃い紫色の球体が出現した。

「「え?」」

 俺と店員は同時に声を漏らした。

 謎の球体は小さな稲妻をバチバチとスパークさせ、じょじょに大きく膨らんでいく。

 不穏な空気を帯びた低周波の音が耳を痛めそうなくらいに増していて、俺は我慢ができず両手でふさいだ。

 いったい何が起こったのかと目をみはり、しかし稲妻の光に耐えかねて、身をかばいつつまぶたをギュッと縛る。

 そしてまばゆい閃光と耳をつんざくような音が去っていき、目をうっすらとあけてみれば、

「えええええ。なんだこれ! 店は、店はどこへ行っちまったんだぁ!?」

 なぜか俺と少女は外に立っていた。雨はもう止んでおり、空をあおげば雲のあいだから三日月がのぞいている。

「で、店は? 店員は? 客とかイクラ丼のポップはどうなったんだ??」

 焦ってキョロ見をくりかえす俺とは裏腹に、少女は一仕事やり終えたみたくスッキリした表情で吐息を吹き、ひたいの汗を袖口でぬぐう。

「いやいや、『フゥー』とか言ってリラックスしてんじゃねえよ。いったいぜんたい何をやったのか説明しろよ!」

「……たぶん、亜空間のひずみに落ちていったと思う」

「ハア? なんじゃそりゃ! 冗談じゃねえ。つーかおまえのさっきの説明は法螺吹き話じゃなかったのかよ!」

 俺は、愛車を盗まれて右往左往しているハリウッドスターみたいな動きで少女に抗言をつづけた。

「マジでおまえがやったのか? 店舗がまわりの建物に球形の切り口を残して消えてるって、こんなの時空転送装置を使って現代にやってきたター●ネーターがつけた跡じゃねえんだぞ。両隣の建物や地面がNC加工機で削ったみたいに綺麗な放射状にえぐりとられてて、ガスか水道か知らんが地下のインフラが見えちゃってるじゃんかよ! ああ! 見えてるどころじゃねえよ! パイプからいろいろと噴き出してる!!」 

 電柱から伸びた電線だって切れて垂れ下がって火花を散らしているし、周りを見れば今のすさまじい音を聞きつけた近隣住民が、そこかしこから集まってきて俺ら二人を遠巻きに眺めている。

 少女は悪気のなさそうな顔をしたまま、歯に楊枝をあててこう言った。

「だって、うるさかったし……」

「だっても何もないだろこのおたんちん! とにかく店をもとの状態に戻せよ。俺らをなじってた店員だけじゃなく、やりとりと無関係だった他の飲食客だって巻き込んでるじゃんか! おい、ぼさっとしてないで早くしろってばよ。急がないと人の命に関わるんじゃないかっていやいや待て待てストップストップ!」

 俺が早口でまくし立てていると、困惑した挙句ぶすくれてしまった少女の背後で極太の水柱が立った。

 まるで床屋のサインポールよろしく水音とともにグルグルと螺旋状に昇って、最終的に首をたらして口いっぱいに雄たけびを上げるドラゴンのかたちになった。

「んなああああ! 今度は俺が標的になっちまったよ! わかったわかった。もううるさくしないから、このすさまじい激流を帯びた巨大な爬虫類を引っ込めてくれ!」

 俺はよろけて尻もちをついて、あたふたと後じさりをした。だが水竜の大きな口が接近してきて、俺の身体はあっけなく飲みこまれてしまう。

「あぶぶぶぶぶbb」

 うずまく激流のなか、稼働中の洗濯機の何十倍もの勢いで混ぜこぜにされた。俺は水をかきながらどっちが上か下かわからないまま目が回って意識がうすれていく。

 脳裏に世紀末救世主の義兄の顔がぼんやり浮かんできて、俺に向けて、『身をまかせ同化せよ』と教訓めいた口調でアドバイスしてきた。

 その言葉にしたがい、逆らわずに身をまかせていたら、夜空に昇る途中で爆散して、それを見上げていた見物人の多くを水浸しにして悲鳴をあげさせた。

 俺は人混みをクッションにして着地した。やにわに少女のもとに水滴を飛ばしながらダッシュで駆け寄り、しかし苦情を延べればさっきの二の舞になると危惧し、落ち着き払った語調で諭すことにした。

 数分後、少女は事の深刻さを理解したようで、顔つきがすまなそうなものに変わり、眉根を下げてついでに頭も下げてくる。

「ごめん……」

「いや、俺に謝らなくてもいいから、とにかく可及的すみやかに修復を頼むぜ」

「わからない」

 要求はあっさりとした態度で断じられ、なおも見上げてくる少女に俺は目が点になった。

「ドユコト?」

「もどし方が、わからない……。さっきのドラゴンも、勝手に消えたし」

「あー……」

 俺は、心の波を穏やかにしようと胸に手をあてて深呼吸をし、なるたけ温厚な表情を作った。

「OK.ここはいったん落ち着こう。とりあえずあれだよ。もどし方っていうのをさ、一度とっくりと思い出してみてくれないか?」

「思い出すこともむり。だって、今までこういうコトは、ぜんぜんできなかったから……」

「ノウ!」

 俺は頭を抱えてのけぞった。

 聞くに、こっちの世界にくる前のこいつは学校一の劣等生であり、そんな成績不良から起こるイジメが原因で世をはかない、涙をこぼしながら谷川に飛び込んだという……。

 とかそんな会話をしているあいだに、遠くのほうから緊急車両のサイレンが乱れるようにしていくつも聞こえてきた。空には空でヘリがライトを照らして飛んできた。

 そのせいで、俺の心の波がだんだん高波に変化し、磯場の黒い岩にぶつかって白い水しぶきを舞い散らせる。よって俺は鬱憤をはきだすことになってしまう。

「ああもうヤベーよ! 早くしないと警察とか消防がこの場所に押し寄せてくるぞ! おまえが目立つコトばっかやってるからギャラリーだって今やもうぐるりで数え切れないほど集まってるし、俺らは衆人環視のマトになりまくってるじゃねーか! 動画だって撮影されまくりだしいったいどーすんだ早くしろこのバカって待て待て待て待て! そういう方面では早まるんじゃない!」

 今度は眉根を寄せて聞いていた少女の足元が、真っ黒に染まってサークル状に広がった。そこから大きな鎌を手にした死神が四体あらわれた。

 地を滑るようにして俺を取り囲み、どういった方法でしとめるか吟味するみたく、各々がケタケタと奇妙な笑い声をたてて鎌をブンブン振って威嚇してくる。

「ちょ! 死神ってコトは……、まさか俺をあの世に連れて行こうって腹づもりか? お、おう。いいぜやってみろよ。こんな世渡りが難しくて暮らしにくい現実世界なんか、いつでも見限って出て行ってやるぜ! ……いや、やっぱちょっと怖いな。というかだいぶ怖い! 水先案内が死神だと九分九りん地獄行きじゃねーかよ! って言うかなんで鎌の柄先で人の尻の穴ばっか突っついてきて、やたらと下半身を好んで狙ってくるんだ? コ、コラ! 骨の指先を引っかけてズボンとトランクスを一緒にずり下げるな! ケツがもう半分で出てるじゃないかよ。やめろやめろってうわッ! どいつもこいつもガイコツの頬がピンク色に丸く染まっているし もしやこいつらホモなんじゃぁ……?」

 俺は油断していた一体から鎌を奪いとり、その重さにヨヨヨとバランスをくずしたのち、ハンマー投げの要領で遠心力を用い、鼻下のばして息を荒げていた変態どもを追っ払う。

 すると連中は見物人の中へと飛んでいった。

 死神はそれぞれの両脇に人の束(なぜか男ばかり)を抱えて、ふたたびケタケタと嬉しげな声を立てつつ、地面に出現した漆黒の穴に吸い込まれていく。

「ああああ、なんてコトだ! 無関係な人たちがどっかヤバそうな所に連れて行かれてしまったぞ!」

 棒立ちで見るだけに徹していた少女に詰め寄ったとたん、人垣が割れて赤色灯をまわした緊急車両の群れがやってきた。

 アスファルトをかきむしるブレーキ音が鳴り響き、停止したパトカーや移動交番や救急車や消防車から人がどんどん降りてくる。つづいて機動隊のバスも到着した。

 そして野次馬に離れてくださいと指示し、現場がさらに慌しくなるなか、職員の1人がこっちに拡声器をむけてその場に伏せて投降するよう促してくる。

 俺はすぐにその命令に従おうと、いまだ持っていた大鎌をそこらへんにガシャンと捨てて、両手を頭の上にのせて腹ばいになった。

「おい。おまえもおとなしくお縄につけよ。じゃないとヘタに抵抗すると発砲されちまうぞ? ……って、どうした?」

 見上げれば、少女の顔色が青白くなっていた。視線を前方に据えたまま、おびえたみたいにして身体がぶるぶると震えている。

「ハハッ、いくらおまえでもこの状況には肝が冷えちまったみたいだな。ほら、さっさと地面に伏せて俺と同じ体勢になれ」

「うんこ」

「??」

 少女は腹部をおさえてやや前かがみになった。

 それから苦悶の表情を浮かべてそわそわした調子で唇を縛っていたが、呼吸のタイミングに気を配りながら言葉を漏らす。

「食べたら、トイレに、行きたくなってきた……」

「トイレって、いや、おまえがワケわかんない球体をふくらませて店舗を消失させたせいで、このあたりに排泄できる場所はないと思うぞ。自業自得の身から出たサビじゃねえか、って、ああっ! どこへ行くんだ!?」

 少女は駿馬のごとく、腹を抱えた姿勢で長い髪をなびかせながら建物の裏にすっ飛んでいく。

「おいおい……」

 いきなり一名が逃走したことによって、それまで横に長く並んだ隊形でこっちの様子をうかがっていた隊員たちが、じりじりと距離を詰めてキた。

 誰も彼もが警戒心を持った怖い顔をしており、銃や警棒やジュラルミン製の盾の存在が俺の胸を締めつけ、果たして無傷で捕まえてくれるのか不安が増していく。

 だがそんな緊迫した状況に割って入るようにして、うす暗い物陰から弱々しいうめき声が流れてきた。

「……か、紙を……、何かふくものを……」

「知るかばか。事態を考えろよ。今はうんこを拭くよりも自分のやらかした罪をぬぐうほうが重要だろ」

「うんこ……いっぱい出た」

「そんな報告はいらない! 聞きたくない! もういっそ不浄の手である左手を使ってケツを拭け。あとのコトは知らん」

 そう叫んだと同時に、俺は確保と言う大声とともに乱暴に取り押さえられ、もみくちゃにされながらジャージが引かれて立ち上がることとなった。

 そして架空の世界の2019年の夜に、街をバイクで暴走した末、ヘリでやってきた軍隊に頭を地に押さえつけられて抵抗する職業訓練校のいち生徒のごとく、「俺の腕はそっちには曲がらねえ!」などと、咆えてはみたがこんな場面では何の意味もなかった。

 つづいて現場の指揮をしている人物が、分隊に指示を出して建物の裏にまわるよう指を向けた。刹那、俺の脳裏に悪い予感が走ったため、手をうしろに拘束されたまま躍起になって注意を訴えた。

「待ってください! あいつが、あの少女が自分から出てくるまで待機したほうがいいと思います!」

 なぜだ!? というふうにして大勢に見据えられたが、俺は注意喚起をやめなかった。

「機嫌をそこねると危ないって意味はそういうコトじゃなくって、この女をあなた達に刺激が及ぶと危険がするという意味なんです。もう一度言います! こ」

 いけない。俺は昔から焦りと緊張が特に高まると、日本語が著しく破綻する癖があるのだ。現に隊員それぞれが仲間に向けて、おまえこいつの言ってること分かるか? みたいな曇り顔を交わしあってて、場にヘンな空気が流れてしまった。

 結局、制止の訴えはうっちゃらかされ、分隊は少女のもとへと駆けていく。だがそれに鉢合わせるかたちで件の人物が陰から登場した。

 俺は、マジで左手で拭いて出てきたのかと思い、息をのんで眺めていた。少女は何事もなかったようにして、平然とした面持ちを浮かべてまっすぐに立っている。

 いや、よく見れば、顔面に小刻みな痙攣が走っていた。おそらくヤツは怒っている。

 そして分隊が少女の腕をとろうと詰め寄った。だがその際、中の一人が地面に足を引っかけてしまい、身体の中心を失って前のめりに倒れた。

「!!」

 バタリと音が立ったあと、その場全員の視線が、とある一点に集中した。

 転んだ隊員の手には、なんと少女のスカートが握られており、そのカラスのぬれ羽色の生地が地面に落ちているということは、つまりそういうワケなのだ。

 少女の白い下腹部と両脚が微風にさらされ、女の子にとって一番大事な秘匿すべき部分も露出してしまっている。

 そこはぷっくりとした丘に縦すじが入っていて、綺麗ともかわいいとも言える部分であった。

 瞬間、俺はこの少女がどうやってトイレを終了したのかがわかった。きっとあの角の向こうの暗がりには、脱ぎたてのパンティが落ちているはずだ。

 少女はうつむいた姿勢で固まっており、隊員からスカートを取り返そうとはせず、かといって羞恥をあらわにして慌てて股間を隠すわけでもない。

 ただ全身をわなわなと震わせ、足もとをじっと眺めたようにして押し黙っていた。

「……!」

 突然、怒りに燃えた目がギロリとこっちに向いた。涙をこらえているのか唇がゆがんでいて、これからとんでもない意趣返しが発生する予感が忍び寄ってくる。

 ……やばい。この場からどうにか逃げ去り、なるたけ遠くへ離れないと……。

 だが拘束されていることでその願いは叶いそうにない。俺以外には誰も避難体制に入ろうとしないから巻き添えを食うことになってしまう。

 そして少女の息づかいが増していく。

 俺の鼓動が高鳴っていく。

 ……少女の目尻に涙が浮かんだ。

 俺のこめかみで警鐘が鳴った。

 つむじ風が吹いて、まるで空から破壊の天使がお祈りをささげたみたく、それを皮切りにして地面が激しく振動した。

「うわああああ!」

 叫喚の声があたりで飛び交った矢先、少女の全身から太陽と見紛うほどの閃光が放たれ、夜空が一瞬にして青空に変わった。

 いきなり膨大な量のエネルギーが一気に爆ぜたのがわかった。俺はその光と轟音と爆風圧を浴びて気を失ってしまう──。


 ……目を覚ました時、俺は爆心地の真ん中に倒れていた。

 陽炎がユラユラと上がって、粉塵が舞っていることで視界がわるく、遠くのほうがどうなっているのか目視できない。

 これは推測だが、周囲は強烈な熱線で焼かれたことで焦土の荒野と化しているだろう。

 あれだけ騒がしかった現場にはもう俺たち以外、誰もいなくなってしまった。俺は口からホコリを吹いて咳き込んだ。

「で、どうすんんだ? これ……」

 二人とも髪がチリチリパーマになっていて、炭鉱から出てきた労働者みたいな煤けた肌をしていた。服は大事な部分を隠してボロボロにやぶれ、布がたれ下がっている状態。

 いつの間にスカート(だけどボロ切れ)を穿いたのか知らんが、俺は前方に立つ汚れた格好の少女に話しかけた。

「おまえがブチギレたせいで街がなくなってしまったぞ。人間だってどれほど犠牲になったか知れやしないし、どうすんだって訊いてるんだよヲイ」

「……ごめん」

「はぁ、これだけド派手にやらかしたのに、なんだか怒る気力がなくなっちまったよ」

 って言うか、感情的になってそのフラストレーションをぶつけてしまうと、二発目のでかい花火を起こされる可能性がある。そんな事態になればさらに被害が増すだけなので、俺はすでに悄然としていることもあって憤りを引っ込めた。

「いやはや、おまえのせいで帰る家もなくなってしまったな……。俺ァこれからいったいどうすりゃいいんだぜ?」

 数時間前に、自宅の玄関で同じ言葉を発したのを思い出した。だがその時とは重みがまるで違っているのをひしひしと感じた。

「……ぐっ」

 まだ雨風しのげる自宅があり、寝床と娯楽があって三食のメシが出てくる環境が、どれほどありがたいコトなのか身に染みる思いだった。

 そうか。あれはあれで苦悩の日々であったが、今よりも断然マシだったんだな。ああ、この少女と出会わなければ、こんな目に遭って今後、食うに困る路上生活をするハメにならなかったのに……。

 あれだけ仲違いをして冷えた関係になっていた両親の姿が頭に浮かんできた。

 そして悲痛なものが波のように打ち寄せ、胸が痛いほどに締め付けられた。唇をぎゅっと噛んだ時、目頭が熱くなってきて鼻を強くすすった。

「ああ。もう最悪だ……。ううっ」

 涙を流しながら地面を叩いた。

 なぜ俺はこうも辛酸をなめつづけ、何かにつけて踏んだり蹴ったりな人生なんだ。

 そんなやるせない気持ちを槍になぞらえ、その矛先を突き上げるように天をあおぎ、まぶたをガシガシこすって鼻水を吸い上げた。その時だった。

「……ん?」

 何が起こったのか不明だが、視界がひらけて夜空に幾千万もの星粒が出現した。

 周囲が明るくなってきて、星粒がシャワーのごとくゆっくりと降り注いでくる。

「な、なんだ? 今度は何があったんだ?? まさかまたおまえの仕業なのかよ」

 涙の止まった目を少女に走らせるも、当人はぼんやりとした顔で光を浴びながら空を見上げるだけ。

 そしてやってきた光のシャワーが地表に触れて広がった。

 はるか遠くまでお碗状になって荒野と化していた全体を洗うようにして、さらにキラキラと美しく輝く。

 俺は土が盛り上がってくるのを感じつつ、エレベーターみたいに上昇しながら、変わりゆく景色を眺めて感嘆の声をあげてしまう。

「ああっ! 街が、街がもとに戻っていく……」 

 遠くのほうからその変化は起こり、倒壊していたビルの群れが修復されてぐんぐん伸びてきて、粉砕していた他の建物も逆再生みたいなかたちで破片が集まっていく。

 根こそぎ吹き飛んでいた街路樹は緑豊かに生えてきて、電柱や信号やアスファルトもスクリーンセーバーのような動きで元どおりに帰ってきた。

 やがて俺たちは、営業中の客数まばらな牛丼屋の店内に立っていた。

「おいおい。マジかよ……」

 あまりにも予想外の出来事に、きょとんとした顔で少女と目を見交わすと、お互いの髪や服も以前と同じ状態になっているのに気づいた。

 しかしやっぱり事の次第がのみこめない。なぜ破壊された街が復活したのか……。

 未知の力が働き、さっきから不可思議なものにふりまわされっぱなしなので、俺の心は戸惑うばかりだった。

 ぼうぜんとしながら立っていると、牛丼の器を持った店員がそばを通りかかった。さっきの男の店員である。

 なぜ通路から動かないんだとばかりに不審視され、俺はもう店に迷惑をかけたくはないと思い、黙って少女の手を引いて外に出た。

 それから店の前で、「じゃあな。どこかで野宿でもして達者に暮らせよ」。と別れの挨拶をして、左右別々の方向へと進むことにした。

 こんな時限爆弾みたいな女とは関わり合いになりたくないため、うしろ髪を引かれる思いは起こらない。

 店に食事代を払いそびれてしまったが、あした本社に書留で郵送するとしよう。何か角の立たない理由をつけたおわびの手紙をそえて。

 そして三日月の浮かぶ空の下、ポケットに手を入れてとぼとぼ歩いていると、背後で足音が立っているのがわかった。俺は歩を止めてふり返った。

「……やっぱりおまえは、俺について来るんだな」

「行くとこがない……」

 捨てられた子犬のような目で、しゅんと肩を丸めて地面を見つめている。

 もうこの危険な女とは関わりたくないのが本音だが、考えてみれば野放しにしておくほうが危険だ。まだいくらか事情を知っている俺の監視下に置いたほうが、いくぶんマシかもしれん。

 俺はそう逡巡したあと、口から静かに息を漏らした。

「そうか。仕方ねえな。じゃあウチに来るか?」

 たたずむ少女は、安心したように表情を少しだけゆるめた。そして俺の近くまで来て、いっしょに歩き出した。

 ……やれやれ。こんなよその世界の何者かを自宅に招き入れて、いったい親にどうやって説明すればいいんだ。

 などと、面倒ごとが増えたことにより、ため息をこぼしてふり向くと、少女はいつの間にか歩みを止めてコンビニのほうを向いていた。

 なにやら店内を眺め、指を口にあてたまま物欲しそうな顔をしている。食後のデザートとしてアイスでも舐めたいのだろうか。

「ほら。行くぞ」

 おけらの状態で店に入っても商品は買えないし、またもや何かしらのトラブルを起こして街を吹き飛ばし、そして巨大なキノコ雲を昇らせるわけにはいかない。

 だから俺は、少女の華奢な手首をとって「また今度にしよう」と、無理くり歩かせることにした。


 《今後の目標》 

 この爆弾少女になるべく穏便な方法で、もとの世界に帰ってもらう!


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