第33話 理不尽な終わり方


 夜の海岸ぞいの道路には他の車はほとんど走っておらず、ちょっとした貸しきり状態になっていた。

 こんな深夜に走行することになったのは、就寝しようと部屋の灯りを消した時、友人から電話が入ったためだ。

 クルマが故障して動かなくなった──。

 俺は通話を切ったあと、面倒くささを感じつつ、ジャケットをはおって部屋を出た。

 途中、道に迷ってコンビニの駐車場に入った。カーナビを操作していたら、隣のスペースに背の高い車がやってきた。

 大型トラックから運転手が降りてきて、荒っぽい言葉を吐きながら前輪を蹴っていた。

 どうやらパンクしたらしく、納入に間に合わなくなると憤りを示し、そんな様子を見かねた俺はタイヤ交換を手伝うことにした。

 ある程度進んだところで、「あとは自分でやるから」と礼を述べられ、1000円札をもらった俺は駐車場をあとにしたのだった。

 そして、メーターパネルのデジタル時計が深夜0時を表示した。

「おっ」

 ふいに着信音が鳴り響き、ハンドルのスイッチを押す。

「もしもし?」

『やあ。あとどのくらいかかる?』

 友人の声に、俺は到着まで10分ほどかかると伝えた。

「ちょっと寄り道してたんだけど、なるべく早く行くからさ。今夜は星が綺麗だし、星座でもなぞりながら待っててくれ」

『すまんな。こんな時間に呼び出したりして』

「故障なんだから仕方ないよ。そっちはどうだ? 退屈してないか?」

『さっきもう一度エンジンルームをのぞいてみたけど、さっぱり原因がわからねえ』

 返事をしようとしたら、背後からライトの眩しい光があたって車内が明るくなった。

「うわっ」

『どした?』

 ヘッドレストから首をねじって見ると、車体が威圧的なハイビームを浴びていた。明らかに故意というのがわかり、バンパー同士がくっつきそうな距離まで詰められている。

「なんかめちゃくちゃ煽られてる。俺の車のリアバンパーは、いつ掃除機の吸い込み口になったんだ」 

 俺は動揺しながらも、ウインカーのスイッチを上げた。

 減速して左に寄せようとしたが、少しでも強めにブレーキを踏めば、衝突音と振動が響いてきそうでハラハラする。

 バックミラーを一瞥しながら、徐々に速度を落とし、どうにか停止することが適った。

「……えっ?」

 てっきりさっさと追い越していくと思ったのに、なんと、後続車がくっつくようにして停止している。

「なんだよ、おかしいだろ。道路を散歩してるカルガモの親子じゃないんだぞ」

 相手の不可解な行動に気味の悪さをおぼえた。

「……」

 どれだけ待っても追い越す気配すらないので、俺はアクセルを中程まで踏んで発車した。

 するとその動きを待ちかねていたようにして、相手も車道に入ってきた。

 バックミラーにヘッドライトが迫っていて、さっきと同じ煽られた状態になってしまう。

「なんなんだ。わけがわからないよ。どうして俺がこんな夜中に見知らぬ変人とランデブーしなきゃならないんだ」

 後ろのバンパーを突かれそうな具合に、ほとんど密着する距離で心理的圧力をかけられる。

「いったい、何がしたいんだ。ここはサーキットじゃないし、決勝レースで競り合ってるF1パイロットにでもなったつもりかよ」

『おい。どうしたの?』

「それともあれか。俺が結婚衣装の仮縫いの途中でお城から逃げてきたお姫様に見えるのか」

『もしかして、まだ煽られてるのか?』 

「その通りだ。こいつは楽しい夜になりそうだぜ」

 友人の心配そうな声を虚勢で返して、俺は右に急ハンドルを切って脇道に入った。

 うしろでタイヤの悲鳴が聞こえ、バックミラーを見上げれば、急旋回をしたハイビームが暗闇を舐めていた。

 そうして緊張感に包まれながら、ふたたび海岸ぞいの道路に戻ってきた。俺はその執拗な追跡に対して罵詈を飛ばす。

「あいつ。この車をタイムマシンと勘違いしてるのかよ。俺はテロリストを騙してプルトニウムをくすねた覚えはないぞ」

 これはいくら逃げ回ってもラチがあかない。

 だからもう車を左に寄せて、慎重にブレーキをかけた。

 エンジンのアイドリング音を聞きながら、喉を鳴らしてハンドルをぐっと握った。てのひらが汗ばんでいるのがわかった。

 まるで電車の連結かと見紛うほどの間隔で停止したまま、こっちの動向を探っている様子だ。

『おい。どうなったんだ? まだ追われてるのか?』

「……やばいよ。どうやら俺が発情したメス猫に見えるらしくて、今止まってケツの匂いを嗅がれてる」

『はぁ? マジかよ。おまえ、相手に何かしたんじゃないの?』

「いや、原因がわからない。急に煽ってきたんだ……。ほんとヤバイ。どうしよう」

 昼間ならまだしも、こんなひと気のない夜中の道路で、見知らぬ者から付け回されるのは、たいそう不気味だ。

 ヘッドライト以外に、道路を照らすのは街路灯の点在する光だけ。助けを求めようにも、周囲には夜のしじまが広っていて、通行人なんて一人もいない。

『オレが警察に通報してやるからさ、今どのあたりにいる?』

「いや、待ってくれ」

 視線をカーナビに移し、手を伸ばして最寄りの交番を探した。

「自分で行くから、たぶんだいじょうぶだ」

 とは言え、早くしないと、もしかすれば鉄パイプを持った狂人が運転席から降りてくるかも知れない。

 常人とは違う異常な行動をとる運転手だから、対面するかたちになれば何をされるのか不安がつのる。

 すると突然、サイドガラスにコツコツと何かが当たった。

 はじかれたようにして、そこに顔を向けた。

 黒い帽子にマスクをつけた人物が、ノックの手を引いて顔面を寄せてきた。見下げるようにしてジッと凝視してくる。

 俺は足がすくみ、体温が下がっていく感覚とともに、今までにない恐怖を感じた。

「あの……えっ?」

『おい。どうした? 状況を教えろ』

「車から、人が降りてきた……」

 身の危険をおぼえ、早く逃げようと床を見てアクセルペダルを探った。

 大きく息を吐き、手足を動かして発進しようと前を向くと、

「うわ!」

 行かせまいとするようにして人が立っていた。

 前方と右側に、それぞれ顔を隠した人物が、こっちを鋭い双眸で抑止している。

 二人がかりの威圧感に目が泳いで、シフトレバーをつかみバックに入れようとしたが、

「ひっ!」

 顔を右に向けたまま、微動だにできなくなった。男がこっちに向けているモノに、目が釘付けになってしまう。

 暗い小穴が俺の眉間をとらえ、指が引き金にかかっていた。下がった帽子のつばから睨みをきかし、動けば撃つぞと強く伝えている。

 後悔先に立たずと言うが、友人には自分でJAFに連絡をさせて、迎えに行くことを断っておけばよかった。今更ながらほぞを噛む思いだ。

 俺は手招きをされて、降りて行かざるをえない状況になった。

 相手の目を見つつ、座ったまま両手を小さく挙げた。

「あの、縁日の射的じゃないんだから、俺を狙い撃ちしても、景品なんて出ないぞ……」

 震えた声でそうこぼした。頭の中では少年少女合唱団が澄んだ声音でレクイエムを歌っている。

 俺は腹をくくってドアをゆっくりと押し、相手に当たらないように心がけた。

 だが右足を出そうとした瞬間、銃口がまばゆくフラッシュして、火薬の弾ける乾いた音が響く。

「わああああ!」

 とっさに頭をかばって目を閉じた。

 歯を食いしばっていると、身体のどこにも弾丸が埋まっていない事実に気づく。

 もしや空砲だったのかと、目をひらいて顔をそっと上げた。横並びになった男が同時に声をあげた。

「てってれー♪」

 陽気な感じにメロディを口ずさむ。

 俺は何のことか状況を把握できず、視線を一点に置いたままキョトンとしてしまう。

「誕生日おめでとう!」

 帽子とマスクが外された時、その片方の人物が、俺を呼び出した友人であることがわかった。

「ドッキリでーす」

 おどけたように両手を広げると、もう一人が腹を抱えて哄笑する。

 どちらも見知った顔だったので、ようやく自分は一杯食わされたことに気づいた。

 今まで重く沈んでいた気持ちが、じょじょに明るいほうへと蘇ってくる。

 軽いイラ立ちと安堵感が胸の中でぐるぐる回って、けれど危険から解放された喜びに、相手のノリに合わせてもいいような余裕が生まれてきた。

 だから俺はシートから立ち上がって、こぶしで叩く仕草を見せる。

「なんだよもう! びっくりしたじゃないか」

「いやスマン、スマン」

「てっきり鉛弾がひたいにキッスをして埋まったと思っただろ。ビビり過ぎてタマが納豆並みに縮んだぞ」

「今日はおまえの誕生日だからな。こういうサプライズがあってもいいだろ?」

 友人の語を継ぐようにして、もう一人が調子を合わせた。

「普通に祝うだけじゃ去年と同じじゃん? だからちょっと一興を加えてみました」

 俺は腹が立ち、相手に抗議を入れる。

「いや、ちょっとどころじゃないだろ。いらないよ、こんな余計なコトは」

「まあまあ。そう怒るなよ」

「まったく……今までで最悪の誕生日だぜ。もう好物のミートパイが二度と口にできなくなると思って、心の中で十字を切ってたんだ」

 そう言うと、友人が肩をぱしぱし叩いてきた。

「さっきのお前の顔、マジでハト豆だったぞ。ああ。こんなにうまく行くならカメラで撮影しておけばよかった」

「おいおい、俺の出演料は高くつくぞ。売れっ子の役者ばりのギャラじゃないとオファーは受けないからな」

「じゃあ女装させてセクシーショットをたくさん撮ろう。それをネットに投稿すれば、再生数けっこう伸びるんじゃね?」

「オイ!」

 そんなふうに道路脇ではしゃいでいると、一人が車内に戻って行った。そして、中から苺の載ったホールケーキが出てきた。

「じゃじゃーん♪」

「なんだ、ケーキかよ。今度はバズーカ砲が出てくるかと思ったぜ」

 友人がジッポライターを使って火を灯していき、ほの明るくなったケーキをボンネットに置く。

 俺は無理やり背中を押されて前に立ち、二人の顔を交互に見て、悔しさ混じりのため息をこぼした。

「こんな真似、二度としないでくれよな? なんだか寿命が短かくなった思いだ」

「じゃあ次はオレと組んで、今度はこいつをハメよう。ドッキリがおもしろ過ぎて、病みつきになりそうだ」

「おう。そうするか。めちゃくちゃビビらせて、しばらくライターの石も擦れないほどに戦慄させてやる」

 標的にされた友人が、焦ったような顔になって反撃してくる。

「あっ、そんなコト言うならもう一度ターゲットにして、さらに過激な仕掛けをするからな」

 などとふざけ合ったあと、友人二人がほがらかに手拍子を打ちながら、そろってお決まりの歌をうたいだす。

 しかし俺はそんな愉快なデュエットを差止めた。

「いやいや待ってくれ。こんな場所じゃ何だから、うちに帰ってパーティーの続きをやろう」 

「おっ、それもそうだな。じゃあ移動するか」

 友人が、ケーキを手に踊るような動きで後方の車に向かう。もう一人がそれを追いかけてじゃれつく。

 俺はそんな姿を見つつ、ドアハンドルを引こうとした瞬間、

「!!」

 ハイビームの大型トラックが、轟音を立てながら近づいてきた。

 まるで巨大なミサイルの如くこっちに突っ込んできて、二台の車もろとも俺たちは跳ね飛ばされた。

 唐突な出来事に、頭が真っ白になった。

 空中を、糸の切れたマリオネットみたくスローモーションに舞う。

 寝ていたらしい運転手が面を上げる。

 俺の頭に1000円札が浮かぶ。

 同時に後悔の念がやってくる。

 ──あっ、そうか。修理の手伝いなんて、やるんじゃなかった。

 冥府の神が死の宣告をして、その恐怖に目を剥いた。

 生まれてちょうど25年。

 こんなあっけない最期かと思いながら、俺たちはアルファルトに叩きつけられ、壊れた苺のケーキと化した。


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