第21話 誕生日

 

 学校帰り、恋人の佳奈美とふたりで神社に寄っていく。

 中学二年の俺たちは帰宅部だったので、放課後はよくここへ寄り道していた。

 お賽銭を入れてから、二拝、二拍手、一拝の作法にのっとり、目を閉じた。

 つづいて、隣で手を合わせている佳奈美が声を出す。

「おじゃまします」

 他には誰もいない静寂のなか、俺は横目でちらりと見やって、疑問に思ったことを口にする。

「いつも思うんだけどさ。願い事はしないのか?」

「うん。場所をお借りしますって意味でおじゃましますって言うの。孝夫はいつもどんなお願いをしてるの?」

 興味深そうにして、俺の顔を覗き込んできた。

「欲しいものを言ってる。何かはナイショだ」

「ふーん、どういうもの? ちょっとだけ教えてよ」

「だめだ。教えてやらない」

 お参りしたあと、木の階段に座って二人で肩を並べた。

 そして途中のコンビニで買ってきたアイスを食べていると、なにやら奇妙な視線を感じた。

 ふり返れば格子戸がある。

 その向こうに、人の丸っこい顔が見えた。

「うわ! 誰かいんぞ」

「えぇ! なになに?」

 二人で視線をやると、何者かが格子に指をかけて、こっちを見すえていた。背丈の小ささからして子ども。しかも女の子。

 たぶん保育園か小学校一年生くらいだろう。髪飾りなんかつけて、ちょっと変わった服装をして、まるで神様みたいな雰囲気をかもし出している。もしかして、この社の関係者だろうか。

 女の子は、なにやら物欲しそうな顔をしており、格子を境にして身動きひとつしない。

 無言で目線を合わせ続けた。しかしこのままだとらちがあかないので、俺のほうから話しかけてみる。

「もしかしてだけど、このアイス、欲しいのか?」

 少し間を置いてから、女の子は口をかたく一文字でしてこくりとうなずく。無表情でじっとりとした目がアイスに釘付け……。

「じゃあやるよ。半分に割ったこっちのは、まだ口をつけてないから」

「……」

「どうした? 来ないのか?」

 格子の中から手をにゅっと出してきた。

 ああなるほど。そこから出たくないから持って来いという意味か。

 まあいいや。やるものやって、あとは放置しておこう。

 俺は腰を浮かせ、じっと手を出している女の子に近寄った。

「ほらよ、受けとれ。礼などいらんからな」

「……」

 女の子は棒の部分をつかみ、鼻に近づけて匂いをくんくん嗅ぎはじめる。

 それから見慣れない物みたいにして、斜めに見上げたり、顔に近づけて寄り目になった。いろいろ観察したあと、おそるおそる小さな舌を出してぺろりと舐める。

「……!!」

 まるで電気のしびれを感じた反応だ。それまでの無表情が消し飛び、目をくりくり丸くする。

 言葉を口にすることはなかったけど、どこからどうみても明らかにおいしそうな顔に変わった。ぺろぺろと舐めてご満悦のようだ。

「ははっ、良かったな」

 俺は自由にさせてやろうときびすを返して、こっちを微笑ましく眺めていた佳奈美の隣に戻ろうとした。

 けれどそこで、女の子の横から別の手が伸びてきた。暗がりから鈴を鳴らすような声が聞こえてくる。

「こらずるいぞ千舞。わたしにもちょっと味見させて」

「げげ、また誰か出てきた!」

 飛びかかるみたいにして、もう一人女の子が登場した。がっつく表情でアイスに手を伸ばすも、冷静な顔でひょいひょいかわされる。

 なんだこいつらは。もしかして双子だろうか。

 よく似た顔と服装だが、新たに出てきたほうは活発そうなつり目をしている。

 今しがた呼んだ『ちまい』というのは、アイスの子の名前だと見当づけ、俺はささやかな争いをしている場に声をかけてみた。

「おいおい、人のものを奪うのはやめろよ」

「わたしもこの水色のがほしい。その手にもってるやつちょうだい」

 眉をつり上げて、指先をビッと差してきたものに、俺は目を移す。

「いや、こっちは食べかけのやつだけど」

 そう教えてやったものの、女の子は問答無用といったふうにして指を下ろそうとしない。

 とび色の凛々しい目から強い意志を感じた。

 片割れの大人しい子は、取られそうになったアイスを満足そうな猫みたいな顔で、おいしそうにぺろぺろやっている。

 俺はため息をついて、目的のものを差し出そうとした。

「しかたないな。じゃあ……」

「待って。よかったらキミたち、こっちにおいでよ」

 と、背後から助け舟を出してきたのは、それまで黙って見ていた佳奈美。

 通学カバンをのチャックを引いて、中身をがさごそやり始めた。すぐに探し当てたものを印籠みたいに見せ付け、

「ほら。ここに今日焼いたばかりのクッキーがあるわ。それでもやっぱりアイスのほうがいい?」

 そんな誘いを耳にした女の子は、真っ直ぐに差していた指を下ろして、ついでに眉毛の角度も下げて思案顔に変わる。

 ラッピングしてリボンで結われたクッキーの袋に目をやって、どうしようかと迷っている様子。

 いや、もしかするとクッキー自体が食べ物なのかよく知らない風付きで、小首をかしげたまま身動きしなくなった。

 佳奈美は、四つんばいになってにじり寄り、袋の中のクッキーを二つ抜き出した。


 日暮れまで、まだ時間はあった。

 学校帰りの暇つぶしに寄ったこの神社で、まさかこんな知らない子供と肩を並べて話をするとは思ってもみなかった。

「で、きみらはどこの子なんだ? あとなんで社の中にいたのかそっちも気になるぞ」

 どうやら質問よりもおやつのほうが重要らしい。

 袋から出したクッキーを、次々とうまそうにバリボリ食べるつり目の子と、アイスを大切なものみたいにして、ゆっくり慎重に舐めているもう一人の子。

「ってか、社の中に入っちゃダメだろ。誰かに見つかったら怒られるぞ」

 口からこぼれた菓子粒が、綺麗な着物に落ちているのも構わず、ただ食べることに夢中になっている。

 もう一人は、ゆっくり舐めたせいで溶け始めたことに焦りを感じたらしく、早く舐めようかどうしようかと、目を泳がせ始めた。

「おい。聞いてるのか二人とも」

 食べるのを止めようとしたところ、佳奈美がこっちを見て食べ終わるまで待とうという意味で、口に人差し指をあてた。

 そしてアイスやクッキーのみならず、缶ジュースやチョコレートまで、コンビニで買ってきた物をすべてあげてしまうかたちとなった。

 俺たちはその様子を黙って眺めていた。

 やがておやつの時間が終わった二人組みは、用が終わったとばかりに立って、あけっぱなしだった格子戸のほうへと帰っていく。

 俺と佳奈美はそのうしろ姿を眺めつつ声をかけた。

「じゃあな。もう来るなよ」

「またおいでね。バイバイ」

 それぞれが違うことを言ったが気にしない。

 二人の女の子は返事をせずに、戸をぱたりと閉じて奥の暗がりへと消えていった。

「なんだったんだあいつら。飲み食いしたらあっさり帰っちゃったぞ」

「すごく可愛かったよね。目の形以外は全部そっくりだったし、双子なのかなあ」

「っていうか買ってきたものがなくなったな。お前はいいのか。食いかけのアイスまでとられちゃってさ」

「うん。またあげてもいいなって思ってる」

 そんなふうに雑談していると、ふたたび背後から視線を感じた。

 そおっと首を巡らせば、さっきのコンビが肩をくっつけて静かな目を向けている。

「なんだよ。まだ欲しいものがあるのか?」

「……」

「もう口にできるものは何もないぞ。あるのは教科書とノートくらいだ」

「……」

 特に反応がないので、ただ子供が興味本位で見てるだけだと思い、気にしないでまた雑談に戻ろうとしたところ、つり目の子が格子戸をバン! と勢いつけて開く。

「うわ! 急にどうしたんだ」

「ふっふっふ……」

 うつむきながら、どうしてだか不適な笑みを浮かべているらしい。

 俺は佳奈美と顔を合わせて、いったい何がはじめるのか首をかしげた。

 するとこっちまでのしのし歩いてきて、えらそうな態度で見下ろしつつ、胸を張ってこんなことを口にする。

「おまえたちの願いを、ひとつだけかなえてやろう」

 言ったあと、足を張って天を仰ぐみたいに凛々しく立つが、所詮はまだ幼い子がやっていることなので、あまり様になっていない。

 話が唐突すぎて、うまくリアクションがとれなかった。

「えーと……」

「さっきの食べ物の礼だ。どれもすんごく美味かったぞ。おまえたちはきっといいやつ。だから一つ願いを言え」

 きょとんとする佳奈美の頭上には、疑問符が浮かんでいるみたいだ。

 しかし願いを叶えるってことは、この子に何かを頼めばいいってわけだよな。いやでもこんな小さい子に何ができるというんだろう。

 とりあえず、詳しい話を聞くため、俺は隣に座るよううながした。女の子は姿勢を解いて、髪飾りの鈴を鳴らしつつ、ぴょんと腰掛ける。

 つづいてもう一人の子がそろそろやって来て、佳奈美の横にゆっくりと座った。

 そしてアイスでベトベトになっていた手を、佳奈美が水で洗ってきたハンカチを使って、丁寧に拭きはじめた。


 たまにはこういう退屈しのぎもいいかと、俺は女の子に質問をした。

 すると途中、自分らのことを神様だと言い出し、それに対していろいろツッコミをいれていると、怒ったように眉を上げて立ち上がる。

「ちっちゃいとは何だ! これでも七百年くらい生きてるんだぞ」

「七百年?」

 俺の驚愕した顔に、女の子はそうだ、というふうに目を閉じて、しっかとうなずく。

「お前たちよりもおねいさんだ」

「いや、さすがに七百年も生きる人間なんていないだろ」

「うそじゃない! あと私らは人間ではない!」

「じゃあ今までどこで暮らしていたんだ。まさかこの社の中じゃないだろうな?」

 その問いに対して、今度はうんにゃと否定の意を示すようにかぶりを振ったあと、指を空に向かって高らかに上げた。

 空ってことは、つまるとこ、天で暮らしてたってわけか。

「はははっ、面白いな」

 どう考えても冗談だと思ったから、俺はからからと笑ってしまう。

 おそらく、こいつらの通う保育園か何かで流行っているギャグだろう。どうであれ、ギャグの程度が幼すぎてついていけそうにない。

 ところが佳奈美のほうは、この二人の話に関心を覚えたらしく、なにやら楽しそうな表情をして喋りかける。

「ねえねえ、二人の名前を教えてよ」

「名前か? いいぞ。わたしは千風。こっちは千舞」

 自分の鼻を差してから、その次に隣へ向けた。

「ちかぜちゃんと、ちまいちゃんね」

「そう」

「あなたたち二人は、本当に神様なのね?」

 当然だろうとばかり、女の子は鼻を高くして自信満々に腕を組む。

「二度は言わない。いかにもわたしと千舞は神様である」

「言ってるじゃねえか。さっきと今のを合わせて二回」

 俺が茶々を入れると、佳奈美が眉をくもらせて注意してきたので、口を閉じて話の続きを待つ。

 ややあってから、佳奈美は一本指を立てて片目をつむった。

「では千風ちゃんたちに、お願いがあります」

 そんな期待めいた顔をする彼女に、俺たち三人は黙って注目する。

 ふたたび佳奈美の唇が開き、短いながらも願望を口にした……。


「その願い、聞き届けたり」

 千風がためらいなく応じ、そのやりとりに顔が赤くなってしまった俺は、すぐさまツッコミを入れる。

「いやいや待てよ。おい佳奈美、なんてこと言い出すんだ」

「前から思っていたことをちょっとアレンジしてみました。でもホントにいいの? 千風ちゃん」

 問いかけに、千風はまたえらそうに腕組みをして目を閉じ、

「応」

 と一言、背伸びした感じに、承諾の意を示した。

「マジかよ……」

 俺はゆるゆるとため息をついたが、本心ではそんなに嫌ではなかった。

 と言うのも、この神社にくるたびに、俺も似たような願いをしていたのだ。

 しかし佳奈美のほうは……。

 いや、待てよ。

 雰囲気に流されていたが、そもそもこいつらが神様である確証なんてどこにもない。子供が勝手に自分で言ってるだけだ。

 でも妙に真実味があるような気もする。神々しい衣服と顔立ちのせいだろうか。

 あれやこれやと考えていると、いきなり千風が立ち上がり、階段を蹴って地に飛び降りた。

「ではこれから祈願成就の神楽をはじめる。おまえたちはそこで見ているがよい」

「急になんだよ、あらたまって」 

「いいからそこで眺めていろ。いくぞ千舞」

 ボーっと見ていた相方を手招きで呼び寄せてから、背中をくっつけて何やら踊りだしのような構えをとる。

 一寸の間をとって、二人同時に跳ね、日本舞踊みたいな踊りを舞いはじめた。

「おいおい。なにやってんだこいつら」

「しっ、邪魔しちゃだめよ」

 聞こえよがしに大きめの声を出すと、腕をとられて再度注意を受ける。

 夕暮れ前の空の下、女の子たちはこっちの視線を気にせずに踊り、時折合いの手を入れて、二人で目を合わせた。

 今までどれほど練習してきたのか知らないが、けっこう踊りなれているらしい。手足の先まで配慮のゆく動作をしていた。

 片方は楽しげに微笑みながら、もう片方は無表情で、黙々と振り付けをこなしている。

「いつまでやるんだ。通行人に見られたらこっちが恥ずかしいぞ」

「いいじゃない。終わるまで見てみようよ」

 佳奈美は踊りのリズムに手を合わせて、拍子をとりはじめた。

「あはは、ほんとカワイイ」

「可愛いかどうかは置いといて、まあ悪くはないかな」 

 この場に楽曲があれば、もっと見応えはあったと思う。

 そして数分が経った頃、女の子たちは最後のポーズを決めて、踊りは終了した。

 佳奈美が嬉しそうにねぎらいの拍手で誉めそやし、俺も一応合わせて手を叩く。

 ポーズを解いた千風は照れくさそうに頭をかき、千舞のほうはふぅと息をついて額をぬぐった。

「よし。これでお終わりだ。おまえたちの願いは無事に届いたはず」

 千風の発言に、佳奈美は姿勢を正し、手を膝に重ねて厚くお礼を述べた。

 俺は半信半疑というか、ほぼ信じていない心持ちだった。けれど踊りについては、「よかったぞ」とねぎらいの言葉を送る。


 ほどなくして俺たちは、女の子に別れの挨拶をして神社を離れ、帰路についた。

 佳奈美はあの二人のことを大変気に入ったらしく、また会いたいねと何度も俺に話す。

 ところがその日から、いくら神社へ向かっても、あの子たちに会えることは二度となかった。


 あれから十年が経った。

 俺たちは大学を卒業したあと結婚して、佳奈美とともに地元の教師になった。

 俺は中学、佳奈美は小学校の教師。

 忙しい生活のなか、ささやかながらも幸せな日々を送っていた。

 そんな毎日のなかで今日、夕暮れ前の道路を、俺はネクタイを緩めて走っていた。

 タクシーに乗れば良かったのだが、さほど遠くではなかったので、一人革靴を鳴らして目的地をめざす。

 途中、昔よく立ち入っていた神社の前を通りすぎるが、その時の俺はあの二人のことをすっかり忘れていた。

 結婚後、たまに思い出話の中に出てくることはあったが、今はそれどころではなかった。

 やがて病院に到着し、汗をふきつつ、看護師さんの案内で廊下を進む。

 それから長椅子にかけて待つこと数時間。分娩室の中から赤ん坊の泣く声が聞こえてきた。

 集まっていた身内たちと喜び合ったあと、俺だけ対面できることになった。

 別室で準備を整えてから、ふたたび看護師さんの誘導で中へと通される。

 佳奈美が疲弊した顔でベッドにいた。

 疲れてはいるものの、俺を見るなり、完走したマラソン選手のような嬉しそうな表情に変わる。

 近寄って身体の具合を訊いた俺は、初めて目にしたわが子の姿に、思わずこみ上げてくるものがあった。

 じっと見つめていたら、胸になつかしい風が吹いた。脳裏に神社の風景と、舞っていた女の子の姿が浮かんでくる。

 佳奈美は子供のほうに暖かい目を向けて、こんなことを言った。 

「ねえ、この子たちって、あの時の女の子に似てない?」

「ああ、そうだな」 

 鼻水をすすった俺に、佳奈美は話を続けた。

「言ってた通り、私のお願い、ちゃんと聞いてくれたんだね」

「そうだな……。退院したら四人で、お礼を言いに行こうな」

 俺はようやく確信した。

 あの神社で出会った女の子は、本物の神様であったことを。

 

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