第9話 山の無縁墓地


「なんでよ。一緒に行こうぜ」

「もう眠いよ」

 彼女は言うとおり、まぶたを擦った。

「そんなこと言わずにさ、お前オカルトとか好きじゃん」

「今日はめんどい。一人で行ってきなよ」

 誘ってまもなくドアを閉められそうになる。

 時刻は夜の十時。

 さきほど自宅でネットサーフィンをやっていたら、地元に心霊スポットがあるのを知って友達に電話をしてみた。が、みんなデートや飲み会で来られないらしい。

 よって俺は彼女の住むマンションまでクルマを走らせたのだ。

 だがその誘いも断られた。

 仕方なく俺はきびすを転じて、入り口にふり返る。

「じゃあちょっくら行ってくるわ。またな」

「終わったら電話してね」

 俺はマンションの階段を降りて、乗ってきたクルマに戻った。

 スポットまで三十分ぐらいの距離。

 そこにはお寺があり、徒歩で敷地を通過してさらに山のほうへと登れば、戦時中に亡くなった身寄りのない無縁仏のお墓が、大量に置かれているらしいのだ。 

 俺は交通量の少なくなった夜の道路を黙々と運転した。

 やがて国道からわき道に入り、真っ暗な山のふもとに沿って進む。もしもこんな狭い道で対向車が来たら、かわすのが大変だろう。

 そしてスポットである寺はもう近いことを、ふんわりと光るカーナビの画面で知る。

 ほどなくして到着したが、寺の門の前でヘッドライトを消した瞬間、一人で来たことを後悔した。外灯の鈍い光はあるが場所的にやたらと暗い。

 やはり一人は心細いな……。あいつ眠いとか言ってたが、ちょっと連れてくればよかったかもしれない。

 俺は運転席から降りてドアを閉じ、ハンドライトのスイッチを入れた。空を見上げれば爪先で押したような細い月が昇っていた。どうやら曇り空らしく、風が吹いてきて身体が少し寒い。

 明日は会社の休日で暇だったとはいえ、俺も物好きなものだな……。

 そんなことを思いながら、門をくぐって中に入った。

 石畳みの道を進みつつ、ライトを振れば、左右に並んだ墓石が映る。

 本堂に灯りはなく、どこにもクルマは見当たらないことから、すでに住職は自宅に帰ったようだ。

 おそらく現在この場にいるのは俺一人だけだろう。

 闇を切って奥へ奥へと進んでいると、やがて墓場を抜け、寺の敷地の端へとたどり着いた。

 この先がそうだな……。

 俺は固唾をごくりと呑んで、両脇が藪になっている山道を見据えた。まるで魔界へと続く小さなトンネルのようだ。

 ライトを向けてみたが、光は奥のほうまで届かない。もしも今、何者かが走ってきたら逃げられる自信がない。なぜなら足が小さく震えているから……。

 さっき自宅のパソコンで見た動画は昼間の映像だった。明るい時間帯と比べ、夜はまったく違う異様な雰囲気。しかも他人が撮影した動画で見るのとは心理に与える影響がケタ違いだ。

 今ここで何らかのトラブルが発生して、助けを呼ぼうと叫んでも、こんなひと気のない場所では誰も助けに来ないだろう。

 つまり俺は現在、保障のない危険な状況に身を置いているというわけだ。

 帰ろうかどうか数分ほど逡巡して、やはり進んでみようと足を前に出した。

 内心でもう一人の自分が『戻れ!』と警鐘を鳴らしているが、俺はその訴えを無視してライトを向けた。それからなるべく足音を立てないように進む。

 夜露に湿った草木の匂いを感じながら、十分ほど歩いた頃だろうか。

 山奥へと続く道の片側に、広場があるのが見えた。

 ここだ……。

 緊張感がさらに高まる。風が吹き、身の冷えが増して鼻をすすった。

 少しだけ中に入ってみよう……。そしてすぐに帰るとしよう。

 足先をそっと左に向けて、ゆっくりと土を踏みつつ、錆びた鎖をまたいで広場に入ってみる。

 奥に斜面が見えた。ライトの光を上に向けていった。徐々にその形状がわかってきて、俺は口をあけて目をみはってしまう。

 うわぁ……!

 圧巻だった。

 そこには想像以上の光景があった。

 何百、いや、何千とあるだろう汚れた小さな墓石。

 それらが山の斜面にそって乱雑にひしめき合い、まるでピラミッドの一面のようになって高い位置へと続いている。

 とてもじゃないが数え切れない。この場所にはものすごい数の無縁仏が眠っているのだ。

 俺は見入ったまま身じろぎできなくなった。

 さすがに迫力が違うな……。動画とはほんと別物だ。

 あまり見つめるのは無礼だと思い、手の力を抜いてライトを下げた。それから深呼吸をして、気分を落ち着けようとした。

 ふいに足元に生えていた野菊が目に入った。それを一本抜いて、墓石の群れに近寄ってみた。

 一応あいさつをしておこうと、墓の一つにお供えをした。手を合わせて目を閉じる。

 スポットに興味を覚えてやってきた俺が、こんなことをしても意味はないと思う。しかし何もしないよりはマシだと思った。

 お寺の住職が供養しているのだろうが、ここは死者が静かに眠る無縁墓地。遊び半分で立ち入っていい場所ではないのだ。

 場の雰囲気にのまれて、そう実感した瞬間、今まで堪えていた恐怖が、一気に心の中に広がってきた。

 戻ろう……。戻ろう……。

 やたらと焦燥している自分がいた。

 広場から出ようと足を速めていたら、急に地面が揺れた。グラグラと。

 もしかして、地震か?

 震度2か3ぐらいの揺れが続く。こんな時に地震が起こるなんてどういうことだ。震度はさらに高まる。

 何か支えるものはないかとあたりに手を伸ばした。しかし足元の草以外に、何もつかめるものはない。

 しゃがもうか進もうか戸惑っていた。

 突然、背中に冷えた空気が衝突した。圧されたことにより、前につんのめり、顔が引きつったのが分かった。

 なんだ。今のは……。

 肩をすくめたまま、ライトを後ろに向ける。

 あ、あ、あ……。

 墓石のピラミッド全体から、真っ黒い巨大な物がこっちに迫ってくる。

 唐突な出来事に何も対処できない自分がいる。されるがままになっている俺がいる。

 身体を中心にして、墨汁のような黒い塊がどんどん渦巻いている。

 やめろ。やめろ。やめてくれ……。

 今まで感じたことのない絶望感が、脳裏を占めていく。心臓が胸を激しく叩く。このままでは鼓動が力尽きて止まりそうなほどに高まっている。

 息が苦しい! 手足が言うことを聞かない! これからどうなってしまうんだ……。

 ライトを持ったままうずくまり、必死になって頭をかばった。こんな不可思議な現象、実際に起こるなんて思いもよらなかった。

 後悔の念に襲われる。帰りたい! 帰りたい!

 その時、手首に柔らかいものが触れた。触れた刹那、手首をぎゅっとつかまれる。

 なんだ……?

 瞬間、ものすごい力で引っ張られた。

「やめて……。やめてください! 俺を連れて行かないでくれ」

 脳裏で叫んだつもりが、実際に口に出して訴えていた。

 ぐいぐい引っ張られていく。明らかに人とは思えない強烈な力。

 投げ出されるようにして、俺の身体は吹っ飛ばされた。地面に手を向けたが、顔から落ちて痛みが走った。

 片目を閉じつつ、身体を地面からはがしてライトをつかんだ。すぐさまふり返った。

 離れたところの中空で、どす黒い塊が、猛然と暴れ狂っている。まるで逃がした獲物に対し、怒りをあらわにしているようだ。

 顔についた土を拭う余裕などなく、尻を滑らせて後ずさった。

 震える足にどうにか力を込め、なるべく距離をとろうとあがく。

 やがて立ち上がれるようになった俺は、こけつまろびつ、息を切らせて走った。


 空気をかきながら死に物狂いで薮を抜け、寺の墓地を通り、ようやく門までたどり着いた。

 クルマに戻ってドアを閉め、すぐに室内灯をつけた。

 服は土だらけになっていた。途中で何度も転んだせいであちこちが痛い。

 俺は生きて戻れた実感を得、声にならない叫びをあげた。腹の底から歓喜がわき上がってくるのがわかった。

 とにかくもっと離れよう。もう寺の門にすらいたくない。

 エンジンを掛けてバックし、とっちらかる手でハンドルを回して門から離れた。

 バックミラーから遠ざかっていく出入り口。もうこんな場所には二度と行かないと固く心に誓う──。


 コンビニの駐車場についた頃には、だいぶ落ち着きが戻っていた。

 フロントガラスの向こうに映った店内の灯りに安堵の息をつきつつ、俺は肩の力を抜き、目を閉じて顔を上げた。

 瞬間、ポケットから着信音が響く。

 うわ! なんだ急に……。

 弾かれるようにしてポケットを見、中からスマホを抜き出して画面を確認する。

 なんだ、あいつかよ……。

 ボタンを押して耳に当てた。

「もしもし……」

 電話を掛けてきたのは彼女だった。

 一時間かそこら前に話した相手だったが、懐かしく温かいものを感じて、ほっとした安心感が広がる。

「さっき大変な目に遭ってきた。俺もうスポットめぐりとかやめるわ……」

『今日はね。前水流様の命日だよ』

「ん? なんだって?」

 よく聞き取れなかったので問い返すと、彼女は名前を繰り返した。

『まえずる様の命日。一番入っちゃいけない日』

「なんだお前、そういう情報ネットで調べたのかよ」

 おそらくさっき、俺からスポットの行き先を聞いて、自分でいろいろ検索したのだろう。

 命日であるその人物がどういった立場の人だとか、あの土地のいわくなどを詳しく聞かせてくれた。

「そういう事情があったなんて知らなかった。よりにもよってそんな日に。俺って運が悪かったな」

 さきほど広場で襲われ、味わった恐怖を思い出したことで、体温が下がる感覚があった。

「マジでやばかったよ。心霊現象っていうのかな。大きな影に包まれてさ」 

『うん。もう絶対に来ちゃだめよ』

「ああ、それはもう、わかってるさ」

『よし』

 素直に応じると、彼女は安心したように息をつく。

 俺は人恋しくなって今からマンションに行こうかと思った。しかし彼女は眠いとさっき言っていたはず。

「じゃあ俺、今日はまっすぐ家に帰るわ。また電話する」

 ボタンを押して通話を切った。

 慣れ親しんだ彼女と話したことで、もう気分はだいぶ落ち着いてきた。

 ところがスマホをポケットに戻そうとした時、ふと違和感に気づく。

 彼女がさっき、釘を刺すみたいな調子で伝えてきた言葉。

 ん? なんだろう……。『来ちゃだめ』ってどういう意味だ?

 もしかして言い間違えたのか……。


 翌日、彼女の部屋に行き、その真相を確かめてみたが、彼女は電話などかけていないと言い張った。

 言うにスポットに向かう俺を見送ったあと、朝まで眠っていたという。

 ただ、彼女のスマホには発信履歴が残っていた。

 じゃあいったい俺は、誰と会話をしていたんだ……?

 しかもあの広場で体感した揺れ。あの時間に地震が起こった記録はどこを調べても見つからない。

 解けない疑問にとらわれ、一人で首をひねっていると、彼女がハタと口を開いた。

「そういえば夢におもしろい子供が出てきたなあ。私に向けて精一杯、何か挑戦的なことを言ってた。こっちを見上げながら訴えてる姿がおかしくって」

 言ってから、俺を見つつぷっと噴き出した。しかし言葉の内容はよく思い出せないらしい。

「それってどんな子だった?」

「ワイシャツにモンペを履いて、髪に野菊を差したかわいい子」

 

 

 あれから数日が経った。

 ここ最近、身の回りで不思議なことが起こる。

 会社で仕事中、上司に叱られていると、誰かが俺の上着を引いて、楽しそうにはしゃぐ声が遠ざかっていく。

 コンビニで買い物中、入れたはずのない商品がカゴに入っている。

 帰宅すれば、廊下や部屋が綺麗に磨かれている日もあった。

 それにテレビを観れば勝手にチャンネルが変わるし、スナック菓子を食べている時など、袋の中で柔らかい手とぶつかる。

 風呂に入って髪を洗えば、背中を擦られている感覚がある。

 夜、布団に入って寝ていると、妙に隣が温かくなってきて、朝まで熟睡できる日が増えた。

 目を覚ませば布団の中に、幼い子特有の甘い香りが漂っている……ような気がしてならない。

 

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