第6話 多恵子のお手柄


 ここは五年二組の教室。

 帰りの会が終了し、立ち上がった児童たちに向かって、若い男の担任教師が声をかける。

「じゃあみんな、隣の席の子と手をつないで、校門の前まで移動して」

 児童たちはランドセルを背負い、教師の指示に従っていたが、一人の女児が手ぶらのままであたりをキョロキョロしていた。

 何事かと訊こうとすれば、女児が困った目でこんな報告をする。

「先生。多恵子ちゃんがいません」

「なっ!」

 言うとおり、席が一人分ぽっかりと空いていた。

 騒がしかった教室がだんだんと静まっていき、寂しげに立つ女児へと視線が集中する。

「帰っちゃったみたいです……」

「はや!」

 教師は急いで廊下に出てみたが、目当ての女子児童の姿はどこにも見あたらない。

「大変だ。こんな時に。ちょっと先生探してくるから、みんなは教室で待ってて」

 慌ててドアを抜け、廊下を走り、階段を駆け下りて昇降口まで行ってみたが、校門のほうにも少女の姿は見つからなかった。


 ねずみ色の雲が広がる冬空の下。

 自身の噂など我関せずといった様子で、一人の少女が悠然と歩を運んでいた。

 地味な黒のワンピースに細長い手足の少女は、ロングヘアのかかった赤いランドセルのベルトに、指をひっかけて進む。

 路上に立つ保護者の方や警官に何度も止められるも、背筋をまっすぐに伸ばし、その横顔はいたって平静であった。

 まっすぐに切りそろえた前髪。シャープな眉はややつり上がり、不機嫌そうな感じだが特に内心でそうというわけではない。いつもマイペースでこういった表情なのだ。

 適当な理由で大人たちをかわし、近場の公園にたどり着いた少女は、落ち葉を踏みつつ、林の奥へと入っていった。

 そしてランドセルを降ろし、中からエサを取り出した。それをむしって地に放り投げるや、上空を旋回していたカラスたちが、鳴き声をあげて降下してくる。

 少女は食事にありついたカラスの群れを、黙って眺めた。口元が片ほう歪んだのは、笑っているからである。

 この時間、ここに来てカラスにエサを与えるのは、彼女の日課であった。

 本人にとってカラスは唯一無二の友達なのだ。


 教師は校門から全力で駆けて、あたふたと教室に戻ってきた。

「やっぱ多恵子ちゃん帰ったみたいだ」

 まちまちのていで待っていた児童たちを見ながら額の汗をぬぐう。

「多恵子ちゃんは大人しい子なのに、妙にフットワークが軽いんだよな」

「ねえ先生、どうするの? 一人で帰したら、あぶないでしょ」

「そうだ。そうだ。あと廊下は走っちゃいけないっていつも自分で言ってるのにィ」

「だよねー。この先生、言ってることと、やってることが違うー」

 一人の児童の非難を皮切りに、他の子が次々と騒ぎ出した。中には「責任ー。責任ー」と楽しげに野次を飛ばす子も出始める。

 教師は児童たちをなだめつつ、柄にもなく声を張った。

「みんな静かに。先生は今から教頭先生に報告してくるから、手をつないで校門に行ってて」

 心配してやってきた別の先生にあとは任せて、教師は重い気分を胸に職員室を目指した。

 廊下を早歩きしていると、外で誰かが吹いたであろう笛の高い音が響いてきた。

 窓から見える校門には、集団下校のために集まった児童たちが徐々に整列している。 


 どうやら今日は仲良しのつがいの子が来ているようだ。

 少女はエサの残りを放って、いつものようにその場の草に腰をおろして三角座りになった。

 両腕で膝を包み、やさぐれた目を空に向ける。

 雨か雪が降りそうな曇天模様だが、風はほとんど吹いていない。

 そしてエサをついばむカラスたちに向かって、抑揚のない声で何やら語り出した。

 声音がか弱いために、何を話しているのかは聞こえない。おそらく彼女なりの心情を吐露しているのだろう。

 いくらか経って口を閉じ、そっと瞑目すれば、まぶたの裏に昨日の自宅での場面が映り始めた。心の中に汚泥に似た感触の、暗い感情がやってくる。

 耳に刺さる罵声も、鬼のような形相で振りかぶられた酒瓶も、それを制止せず黙々と食事の箸を動かしている母親も、すべてがまだ幼い彼女の力では変えようがなかった。

 少女は、ろくでもない情景を払おうとして、手でおさえた頭をぶんぶん振って目を開いた。

 腕や太ももや肋骨が痛む。

 昨日ぶん殴られたところは、ワンピースの下で紫色に腫れている。日増しに扱いは酷くなり、このままでは自分はどうなってしまうのか。

 襲ってきた不安をぬぐうため、わざとおつに澄まして平静を取り戻そうとした。だけど潤みをたたえた瞳から、一筋の涙が伝って、草の上に落ちる。

 悲哀にくれる少女をよそに、食い物の残りを求めてぴょんぴょん跳ねていたカラスたち。

 食べ終われば、用済みとばかりに羽を広げて飛んでいく。 

 少女は待ってとばかりに涙の目で追った。曇り空に向かって遠くなっていく姿が、視界といっしょになって歪んでしまう。

「……」

 やがて悲しみは投げやりな気持ちに塗り替えられた。

 顔を膝で隠し、自分はこの先どうなってもいいような気がしてきた。

 せっかくできた秘密の友達はもういない。

 自分よりも恋人のほうが大切らしく、裏切られた今、いっそ死んでしまってもいいと思えるほどだった。

 だがどう考えようが現状は変わらず、沈痛な思いが増していくだけ。

 話相手はもう帰ってしまったし、寒くなってきたので、この場から移動しようと腰を浮かせた。

 次に来るときは多めにエサを持ってくるとしよう。

 それに家に帰るのはもっと遅くなってからでいい。

 どうせ何をしたって酷い目に遭うんだ。あんな場所、なるべく居たくない。

 と、少女はいつも時間潰しに使っている隠れ家に行こうとした。そこは留守の多い夫婦が暮らす、屋敷のそばに並んだ土蔵の一つである。

 他人の敷地で勝手に過ごすことに抵抗はあったが、他に行くところがなかった理由から、私物をいくらか持ち込んで潜むために使っていた。

 少女はかがんでランドセルを取ろうとした。

 だがその時、背後で落ち葉のカサリという音が聞こえた。途端、弾かれたように振り返る。

「……」

 林立する樹の一つに、半身を隠すようにして、知らない人がこっちに目を向けていた。

 相手は盗み見していたのを発見されたのに、取り乱すどころかむしろ微笑みながら全貌を出して、愉快げな声色でこう告げる。

「くふふ。見つけたヨ」


 他の先生が少なくなった職員室で、五年二組の担任教師は平謝りをしていた。

 校内にいた児童は多恵子をのぞき、全員下校し終わったあとである。

「すみませんすみません。僕が目を離した隙に……」

「こんな時こそしっかりしてもらわないと。キミのクラスの児童なのですよ」

「はい。その通りです……」 

「別の学区内で起こった事件でも、二度目はこちらの地域で起こる可能性は充分にありえます」

「はい。それは、分かっております」

 先日、ニュースに映ったいまだ行方不明である他校の女子児童の顔が、目に浮かぶ。

 かたわらには教頭先生の他に、児童たちと同行する予定だった制服警官が困惑しつつ立っていた。

 教師は教頭先生にいろいろと詰られ萎縮していたが、そこへ警官が間に入ってくる。

「とにかくそういう話はあとにして、我々も探しましょう」

 警官はすでに、腰の無線機から通学路にいる署員たちに向けて、捜索の指示を出し終わっていた。

 渋面を作る教頭がため息をこぼす。

 その顔から逃げるようにして、視線を床へと落としていた教師であったが、『多恵子ちゃんはしっかり者だから、たぶん大丈夫だろう』と、考えた。

 と言うのも、多恵子は幼稚園の頃からとても勉強のできる子だった。その成績の良さは小学校に上がってからも評判で、どこに出しても自慢のできる秀才なのだ。

 物静かな子だが、大人顔負けの知能を持っており、時折教師が驚くような発想をしてみせる。

 だがここ最近、授業中に教師の話はそっちのけで、よく外を眺めながら考え事をしている様子だった。休み時間に難しい顔でノートに向かい、何やら夢中でエンピツを走らせていたのを見たこともある。 

「何か悩み事でもあったのかなぁ」

 教頭先生や警官のあとを追いながら、教師はそんなことをつぶやいた。


 少女は涙をぬぐい、どんな用だと言わんばかりに柳眉をさかだてた。

 相手はなれなれしい態度でこっちへ進んでくる。

「やっぱりこの時間に居たねぇ。実はキミにね、目をつけていたんだヨ」

 にやにやと笑い、ある程度の距離まできて足を止めた。

 地に置いていたランドセルを見、フンと鼻で笑う。

「この時間にカラスにエサをやりに来る。それはまあいいとして、あんま目立つコトは、しちゃダメダヨ」

「……」

「一人でウロウロしてるから、ロックオンされちゃったネ」

 上空では腹を満たしたカラスの群れが、ゆうゆうと回っていた。

「それとさっき、キミの隠れ家を見てきたヨ。いろいろと興味をソソルものがあったから、全部写真や動画に収めちゃった」

 ポケットからスマホを抜き出して、軽く振って示す。相手はどうやら普段は真面目そうな人だが、今はなぜか嬉々とした心情を隠せないようだ。

「ねえねえ、それとさ。コレも見てごらん。こっちはね、トクベツに見せてあげるヨ。ふふ……」

 相手は手でつかみ出したものを晒し、ちゃんと見てもらおうと自信に満ちた表情で突き出した。

「ほらほら、よーく見てよ。すごくない? コレ」

 少女はうろたえることなく、冷え切った目を向けていたが、今後起こるであろうだいたいの事情を察して顔を横にそらした。

 相手は晒したものをつかんだまま、誇るかのようにさらに目前まで進んで少女の脳裏に焼き付けようとする。

 次いで、わくわくと興奮したていでスマホを操作した。

「キミの人生、もう終わりだねえ」

 さらに嬉しそうな声で調子づいた相手に、少女は嫌悪感のこもった目で後ずさった。



 ──そして、その日の夜。

 公園の林の奥で、変わり果てた少女の遺体が発見される。



 それから世間は大変な騒ぎを見せ、あらゆる人々に衝撃を与えた。

 先日起こった失踪事件に続き、今度は遺体という形で犠牲者が出たからだ。

 殺害された少女の名前は、すぐにあらゆる媒体を使って世に公表された。

 続いて担任教師のみならず、学校職員や教育委員会などが責任を追及されることとなる。連日マスコミに追われ、社会からは叱責を受け、しばらくはまともな日常生活は送れそうにない。

 だがこの事件を機にして、犯人は見つかり、警察署へと送られた。

 世間では、その人物がどこの誰であるかすぐに特定され、犯罪者を特に毛嫌いする者たちによって、顔写真がインターネットの世界に拡散されることとなる。

 犠牲者となった少女はとても頭のいい児童であり、自ら事件を推理し、手柄を立てようと単独で犯人を追っていた。

 けれども現場に残された捜査ノートと同じぐらいに、衣服は刃物を使って無残に切り裂かれ、死後、親が見ても確認できないほどのむごたらしい姿に変えられてしまった。

 ちょうどいじめで不登校だった犯人が、隠れ家で解体した友達を、数度に分けて、カラスにエサとして与えたあとに──。


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