墓標は遠くきらめいて

そうしろ

白い砂漠と世界のおわり

 どうやらこの世界は、どうしようもなく終わりたがっているらしい。

 間抜けな人類がそれに気づいた時には既に地表の三分の二が綺麗な珪素の結晶に成り果てていて、「青い惑星」なんて素敵な日本語は一足先に死んで正しく死語になっていた。これが映画の世界のお話なら、天才科学者がワクチンを開発したり、あるいは月面移住のためにロケットを開発してくれたのだろう。あるいは魔法使いが地球滅亡を目論む黒幕を打倒したり、そうだ、タイムスリップしてこの奇病の原因をなかったことにしてもらうのもいい。

 僕等はそれらの内のどれだって、ありがたく享受しただろう。


 ―――世界は終わる。それらの内のどれだって、実現なんてしなかったのだから。


 「結晶化」は、初めは奇病として取り上げられていたようだ。それだって新聞の三面記事以下の、芸能人たちが色々な珍奇なものを取り上げてこきおろすような、そんな番組が日本では情報の初出だったとのこと。……これだってかつて情報通の友人から聞いた話で。僕なんかはそもそもTVをあまり見ないし、新聞だってとっていなかったものだから、気づいた時には亡んでいたようなものだ。

 そうして、僕等が住んでいた東京郊外の景色は一変した。奇跡的に真白な結晶の砂漠に呑まれなかった僕等のねぐら、亡霊アパート(彼女が命名)の屋上から見る地平線は、どこまでも白い。


 ―――全ての始まりは、ひとりの結晶化した少年だった。


 人類だって、底抜けにこの世界のやさしさを妄信していたわけじゃない。原因も感染経路さえも不明なこの奇病が拡大感染を起こせば大変なことだ、と一部の賢明な学者サマ方は考え、研究を進めてはいたらしいーーーいたらしいが、彼等も今や、あの砂漠の一部だ。

 亡霊アパートの屋上で、僕は一人で煙草を

ふかす。

 誰も、誰も、考えやしなかった。けれどそれを責める人間はいない。責める資格のある人間なんて、いない。そんなことをするような奴がいたとして、最早彼らも砂漠の砂粒だ。

どうせ世界は終わるのだから。

 

 誰も考えやしなかったのだ―――街が、森が、陸地が、海が、建築物が、動物が、植物が、人間が。地球上のあらゆる全てと地球そのものが、きらめく結晶になり果ててゆく結末なんて。


 初めに、絶望があった。そののちに暴動と狂乱があって、いくらかの悲嘆は出遅れて四番手。そこから復興という輝かしくも弱々しかった対症療法が始まり、即座に終わり、現在は諦観だけがこの世界の支配者だ。

「世界の終わりにしては、いくらか綺麗すぎるよね」

 背中からの声は、もう長らく聴き続けてきた耳に親しいアルト。屋上に出るにはあの安普請の階段を上ってこなければならないのだが、音もなく背後をとられていた。僕の耳が鈍いのやら、彼女が猫の妖怪なのやら。

「珈琲を淹れてきたよ。その代わり……ん。火、ちょうだい」「ん」 

 顔を寄せ合って酸素と火種を共有する。彼女はいつも海外の紙巻、それも黒い紙巻の甘いものしか吸わない。元来甘党なのだろうが、それでも珈琲だけはかたくなにブラックだ。  

 二人で煙を吐く。……きらきらと月光を反射する結晶の輝きはいつ見ても綺麗だ、原材料を考えなければ。

「―――ふぅ。そういえば、ほら」

そう言って彼女が差し出してきたのは、薄汚れた綿布が幾重にも巻かれた包みだった。……そういえば、彼女に伝えるのを忘れていた。

「何これ」「……スターム・ルガー、セキュリティシックス」「いや、種類でなくてね」

 別段隠していたわけではない。手に入れたのだって随分と前で、自分でもなんとなく意識の隅にやったままで忘れかけていただけだ。まだ世界が亡んだばかりの頃に、白い砂漠に落ちていた軍服の裾に絡みついていたのを拾い上げたのだった。

「まぁ、物騒な世の中だし、あって困ることはないだろうけどね……」「使う機会がなければいいけど」「へぇ、世の男性は皆、一回はそういうのをぶっ放してみたいと思ってるもんだと。ロマンっていうのかな」「ダーティ・ハリー?いや、あんまりガンアクションとか観なかったからなぁ」「好きな西部劇とかないの?」「しいて言うなら、バック・トゥ・ザ・フューチャー3」

 変わり果てた世界で、変わらない愛みたいななにかでもって、僕等は相も変わらず他愛ない会話を続ける。珈琲はいつも通りに角砂糖三つ、ミルクの類はなしで入れてくれているようだ。

「さて」

彼女はそう言うとまたも音を立てずに、僕の左側の鉄柵にもたれかかった。僕が胸元を、彼女が背中の方を柵に預けているので、隣り合っているのか半身で向かい合っているのかよくわからない状況になる。

「なにか、嫌なことがあったと見えるけれど」

 そう言って、そして何も言わず、ただじっと僕の方を見ている。この目に何度救われてきたかわからない―――そのくせ、何度この目に潰されそうになってきたかは、未練がましく覚えている。

「どうしてそう思うのか論拠を聞かせてくれるかい、名探偵殿」「それ」

 彼女は春の若芽のような指先で、僕の口元を指さした。「君はいつも紅茶の香がする、もっと軽いやつを喫ってただろ。君が重い煙草を喫ってる時は決まって、何か嫌な思いをした時なんだ」

 あたり前のように言われて、僕は何も言えずに煙を吐いた。……そういえば、そういわれてみればそうかもしれない。成程、彼女にはいつも手玉に取られている感じがしてはいたが、こういった観察眼が僕にはなくて、彼女にはあったからだろう。

 ……嫌な思い。

「まぁ、話したくないなら無理に聞きだすつもりはないけどね―――ただ、君が私に話したいことがあるなら聞くよってだけで」「その言い方はなんというか、……ずるいね」「知らなかったのかい、私はもとからずるいんだ」

 にかりと笑うその笑顔は、僕を救ったことしかなかった。

「……少し歩いたところにさ、お父さんと娘さんで住んでた家族、いただろ」「いたねぇ、配給の時に何度か顔を合わせたよ。こんなご時世なのに、品の良いふたりだった」

 現在では復興の成果で、生き残った人間のある程度の把握と、彼らに対する保存食や飲料水の配給を臨時日本政府が行っている。それと廃墟からの「採集」が僕等の生きる道だった。

 これだって日本は至極恵まれている方で、他国ではいまだに暴動や略奪が横行している地域もあるようだ。僕等の住んでいる地域では、バイクで30分程走ったあたりの中学校が配給場としての役割を果たしている。

 それで?―――それで。

「今週分の配給を君と受け取りに行ったとき、ふたりとも見かけなかったよね。……先週の配給は僕ひとりで行ったけど、その時もいなかった」「だから心配になって、一人でバイクを走らせて見に行った?」

 どうやらそこまで気づかれていたらしい。彼女が起きだす時間よりかなり早めの時間に行ったつもりだったのだが。

「……あぁ。そしたら」「そしたら?」

 ふたりは死んでいた。

 遺体は酷く血まみれで、もう、一部は結晶に侵されかけている有様で。

 家の中は酷く荒らされ。あらかたの食料を持ち去られていた。

 少女の遺体は、服を、着ていなかった。

「えい」

 そこまで話したところで彼女が僕の吸っていた重い煙草を口元から取り上げて、そのまま自分が喫い始める。勿論彼女が普段たしなんでいるものよりも倍くらいにタール値が高いから、勢いよく咽せてせき込んでしまうのも仕方がない。

「おいおい」「―――あぁ、苦しかった……これを言うのも何度目になるか分からないけどさ、君は優しすぎるんだよ。この世界で毎度毎度誰かが死ぬのを機にかけていたら、結晶になるまえに肺がんで死んじゃうぜ」

 そんなことを言われてしまって、僕は思わず苦笑してしまう。

「優しくなんかないさ、僕は。君も知ってるとおりね。ほんとうはきちんと埋葬してあげたかったけど、死体に触るのが怖くて逃げてきたんだから」「コート」

 たった一言、名詞で彼女は僕の言い訳を遮った。僕は、なにも言わない。

「コートはどこにやったのかな、君」

 かつての美しい四季も今は存在せず、最早気候はかつての砂漠地帯のそれに近い。日の出以降はぎらぎらとかけらが太陽光を反射してサングラスが必要な程陽射しは墜よく照り付け、その反面、夜から明け方にかけては寒くて上着を着ずにはいられない。

 ……そして彼女の言う通り。帰ってきた僕は、家を出るときに羽織っていた黒いチェスターコートをどこかにやってしまっていた。

「君のことだからどうせ、ふたりにかけてあげたんだろ―――私はね、煙草と男の好みが似ているんだよ」

 まぁ、まだまだこの辺も物騒らしいから、君のそれだってあって困ることはないかもねなんて。

 僕の手に握られた包みを見もせずに、ただ僕の目だけを見て。どうしようもなく皮肉っぽく、彼女はまた笑うのだ。

「ロマンもくそもあったものじゃないなぁ、ほんと」

 

 これはひとつの寓話だ。

 どうしようもなく救いのない世界で、やはり救われたいとは思えずに―――それでも互いを救っていたいと願った。

 そんな僕等のひとつの結末。

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