第33話 日菜子ちゃんの勇気

 お雑煮とおせち料理を食べた後、私はすぐ六畳間に籠ってスライド作りを始めた。サディスティックな教師である私は、二日も三日も授業をすると宣言していた。とにかくもう時間がない。二次試験は目前に迫っていた。このところ真理ちゃんのお父さんに会ったり、目黒に遊びに行ったりとイベントが続いたので、すっかりスライド作りが溜まってしまった。私はまるで仕事を家に持ち帰ったサラリーマンのように、元旦から懸命に働いた。

 スライド作りにおいて、いやプレゼンにおいて、最も重要なのはストーリーである。だから、ストーリーを作っている間はPCに電源を入れる必要はない。ストーリーを考えて、ノートや、広告の裏にそれを書き留める。それが煮詰まってきたら、ストーリーにふさわしいスライドを、手書きで書いてみる。気に入らなかったら消しゴムで消す。これを繰り返して、20枚くらいのスライドを考える。アイデアがほぼ固まったな、と思ったところで初めてPCの電源を入れる。

 スライドを作りながら、その一枚を見せているときの解説を練る。すでにストーリー化の時点で、語るべきことは出来上がっているがその言葉遣いや順番にこだわる。伝記によると、スティーブ・ジョブズは商品発表会の前日の夜まで、スライドの順番に悩み続けたそうだ。もう前日のリハーサルは終わった後である。それなのに当日変更されたら、さぞ部下たちは困ったことだろう。しかし彼は妥協しなかった。最終的に一切変更なしで終わったとしても、彼は最後の最後まで悩んだ。

 私は、茗荷谷の女子大の二次試験は、六割がた環境問題でくると予想していた。「動物」と「水」。過去問からすると、次は何で来るか?勝手な予測を立てて、その対策を考えても無駄な努力だ。私は環境問題の根本を、みんなと考えようと思う。

 その前に、過去の典型的な環境破壊の例を挙げよう。イースター島である。

 イースター島は、南太平洋に浮かぶ小さな火山島で、周囲2,000kmにほとんど島らしい島が存在しない絶海の孤島である。そんな島に、勇気あるポリネシア人が西暦四、五世紀から十一世紀の間に数家族で入植したと言われる。

 現在のイースター島は樹々の生えていない草ばかりの島だが、以前は世界有数の巨大な椰子の木が生い茂る深い森だったと考えられている。なぜなら、有名なモアイ像を建てるためには大きな樹々が不可欠だからだ。ポリネシア人たちは、樹々を伐採して縄を作り、丸太をたくさん道に並べて採石場からモアイ像を自分の集落に運んだ。モアイ像を建てるときも、太い丸太の力が必要だ。深い穴を掘り、丸太をテコにして縄をたくさんかけてモアイを設置したと思われる。彼らはこれを、後先考えず続けた。

 地層に残る花粉分析から、1,300年頃から椰子などの樹木類が減少しイネ科などの草木が急増したことがわかっている。そして1,500〜1,600年頃には樹木類の花粉が消滅した。つまり、椰子の木を全て伐り尽くしたということだ。これでは、モアイ像どころか、家も船も作れない。人々は自ら選択して、島の環境を破壊してしまったのだ。

 そこでキーワードとなるのが、「持続可能性」という言葉である。イースター島の歴史にこの言葉を当てはまれば、島全体に育つ樹々を管理し、それらが大木へと成長する時間を計算することである。そして、自分たちの時代で伐採してよい量を決め、優先度の高い利用目的(家、船、農機具など)から使用することである。モアイは、後回しだ。実際日本も江戸時代に、徹底的な森林管理策を行って戦国時代に禿山となった森を回復させた。

 この「持続可能性」という言葉は、一見聞こえはいいがそれを実現するのはとても困難な道のりである。都市生活を営む私たちは、蛇口をひねれば水が出ることを当然と考える。コンロにスイッチを入れれば、火がつくのも当たり前だ。

 だが現代においても、森林を切り開いて農地に変え生活の糧を得ようとする人々はまだたくさんいる。彼らにとって、薪は調理や寒さをしのぐための重要な資源である。また、いくつも用水路を作って川から水を引き、大切な農地にまく。その上、川沿いに無数に作られた工場も水を大量に使用する。上流で水を使いすぎるために、黄河ほどの大河が下流に水が流れてこないという事態が発生している。

 アマゾンにおいても、事情は同じだ。アマゾンは、地球温暖化の最大の原因である二酸化炭素を、吸収してくれる世界最大の森だ。しかし、ブラジルの農地開墾や、鉱山開発、ダム建設などは止まらない。ここでも、自分の生活を少しでも良くしようとする草の根の努力が生きている。熱帯の過酷な環境条件の中で、ブラジル人たちは近年大豆栽培や畜産業を増加させている。当然、森林が農地や牧草地に替わる。その大豆や畜産物を購入するのは、欧米人や日本人、中国人だ。

 つまり、ちっとも「持続可能性」のないことをやっているわけだ。むしろ、滅亡への道を突っ走っていると私には思える。温暖化により、ほんの少しでも海面が上昇すれば、世界中の海に面した街は海底に沈む。もちろん、日本も例外ではない。そもそも全世界人口の大半が、便利な海に近い場所で暮らしているからだ。我が家も埋立地に近いマンションの一階なので、家ごと海の底になるということだ。

 では、どうすればいいのか?

私は先に、

一、環境を、閉じた(理解可能な)システムと捉えてはいけないこと。

二、欧米諸国や日本は、新興国の資源消費を諌める資格を持たないこと。

と書いた。だが、イースター島のような破滅が地球規模で起こりうるとすれば、それを未然に防ぐ方策を考えねばならない。

 しかし、これまで何度も触れたように、森林を農地や牧草地に変える人々は自分や家族のためにそれを行っているのである。強い日差しに耐え、熱帯雨林特有の様々な病原菌の感染に怯えながら、深い森を平らな農地に変えるのだ。その労力と勇気は、敬服に値する。これは、人が自由に人生を選択するという、人間の生存理由の根幹に関わる問題だ。

 そんな彼らの努力に対し、ヨーロッパの高官がブランド物のスーツを着て円卓の椅子に偉そうに座り、「木を伐るな」と言っても誰も言うことを聞かない。試しに、そいつと家族がこの一週間に食べたものを聞いてみるといい。まず間違いなく、ブラジル産の食べ物が出てくるはずだ。

 これでは、堂々巡りだ。突破口はどこにあるのか?

私はこの間日菜子ちゃんに、「目の前に壁があっても、それを壊す必要も乗り越える必要もない。どんな壁にもドアはある。それを内側から開けてもらえばいい」と言った。これは国家間においては、外交努力を指す。

 一番最初にやるべきなのは、今の国連の解体である。びっくりされるだろうが、これが真っ先に行う必要のあることだ。なぜなら、五大国が踏ん反り返って偉そうにしている国連なんて、なんの価値もないからだ。例えば、IAEA(国際原子力機関)が、五大国に核廃棄を本気で求めたことがあるだろうか?イランや北朝鮮には、核開発をやめろだの査察を行うだのと鼻息荒いが、アメリカが保有する核兵器の脅威にIAEAが真剣に話しあったなんて聞いたことがない。おそらく、二十二世紀の子供たちは、社会の授業で私たちの時代をこう学ぶだろう。「二十一世紀の人類は、まだ生物として下等だったので核兵器や地球温暖化の問題を解くことができなかった」と。

 現在の国連を解体し、新たな国連憲章を策定して新国連を作る。どの国も、平等に一票を持つ。国連議員は、各国が直接選挙で一名ずつ選出する。外務省は、基本的に国連議員の直轄組織となり、政府は国政に注力し外交権限は国連議員に委譲する。国連議員は全国民に対して責任を持ち、新国連に参加する。国会は、国連議員を監視する役割を担い、議員に問題があれば衆参両院の過半数の賛成で罷免する権限を持つ。このあたりは、アメリカ大統領の弾劾裁判制度をまねた。

旧国連の組織は引き継ぐが、原理は新国連憲章に従う。核兵器廃止条約なども、採決し直す。そして加盟国には、全て従ってもらう。そして新国連憲章の内容が重要だが、新憲章は緩やかな国境の解体を目指す。EUをモデルとして、人の移動の自由、関税の原則撤廃、世界中央銀行の創設と通貨の世界的統一、を目指すことを原則とする。突拍子もないことに聞こえるかもしれないが、実は世界はすでに緊密に繋がっている。その事実を追認するだけだ。そして、国境の形骸化は軍事費の圧縮を実現する。通貨の世界統一は、為替取引を消滅させ信用不安の要因を減少させる。

 アメリカはこの新国連に、容易に加盟しないだろう。しかし、そのための仕掛けはある。

 アメリカの強さは、政治力でも経済力でも軍事力でもない。強さの秘密は「人」にある。現在の世界では、超一流の才能がアメリカに集まる。学者、経営者、芸術家、娯楽産業まで。今のアメリカは、それだけの魅力がある。だが、新国連が機能し始めたとき、アメリカは今の魅力を保てるだろうか?

 私はアメリカの才能が、国外に流出し始めると予測する。アメリカ以外の世界規模の自由経済の方が、ビジネスチャンスや自由な研究を可能とするからだ。「人」を失っていることに気がついたとき、アメリカは態度を変えて新国連に加入するだろう。

 次に予測できるのは、アメリカの大統領権限の二重化だ。三権分立の点から見て、大統領は行政府の長である。しかし、新国連は新たに国連議員を置いて、大統領から外交権限を奪う。国務省は、大統領から離れて国連議員の管轄下に入る。ペンタゴン(国防総省)だけが、大統領の管轄下に残る。だが、クラウゼヴィッツが言っているように、「戦争は別の手段による外交の継続である」。外交のパイプを失った軍事力は、実質的に無効化する。NSCもCIAもその存在意義を根本から見直すことになる。組織解体に進むこともあると思う。

 さて第二が、もっとやっかいだ。人の自由の問題だ。生まれたときから、農業や林業しか知らない人々がいたとする。若いならまだしも、ある程度の年齢を重ねた人がゼロから新しい仕事を学ぶのは困難だ。今のままを、彼らは望むだろう。

 だが原理原則に従えば、人は他人の自由や権利を侵害しない範囲においてのみ自由である。上流で川の水資源を使い尽くしたり、森林を自分の生活のためだけに伐採することは、多くの人々の生活を脅かす行為だ。彼らに、このことを理解してもらわなくてはならない。

 具体的な方策としては、都市近郊での農地再開発だろう。都市圏の土地価格はべらぼうだが、これを国家ないし新国連が強制的に買い上げる。都市には広い空き地のままの土地や、開発途中で放棄されたビルの跡地などが散在する。また、核家族化により、空き家となった家も多い。これを農業や畜産業に利用する。ある程度のスペースが確保できるなら、牧草地にする。上流で農耕を営む者のうち、希望するもののみ都市圏へ移り住むこととする。彼らは都市で副業を持ちながら、小さな農地を耕作したり、家畜小屋を作って鶏や豚を育てることになるだろう。あくまで、最終的には自己決定に委ねることが大切だ。それでも、農業用水の使用は確実に減る。

 この策は、輸送コストが極小であるというメリットがある。朝採れた新鮮な食べ物が、隣のスーパーで売れる。現在の社会でも、日本の末端で採れた食べ物が次の日の朝に都市圏に届くようになっている。真夜中の高速を、莫大な量の巨大トラックが突っ走っているからだ。そのために消費されたガソリンは、どれだけになるだろうか?そのために排出された有害ガスは、どれだけになるだろうか?

 第三が、ゼロサム社会の推奨である。つまり、2018年の世界経済規模をこれ以上拡大しないことである。具体的には、自動車はもう今の台数以上生産しない。鉄鋼も今以上生産しない。認めるのは買い替え、交換のみとする。マンションもビルも戸建住宅も、もう新たに建てない。建て替えのみとする。食品も、現在以上仕入れない。結局、賞味期限が切れて捨てているものは多いからだ。廃棄する食料の量に合わせて、「廃棄税」を課してもよい。どの食料品店も、見栄を優先して販売が見込める以上の商品を棚に並べるからだ。廃棄税は、この無駄を最小にする効果を持つ。閉店間際のスーパーは空っぽだ。それでいい。

建物については、もう少し説明を要するだろう。中国やインド、アフリカ諸国は爆発的な人口増加を続けている。その他の新興国も事情は同じだ。今スラムのような場所で暮らす子供たちが、将来成功して家を持つことを夢見るのは当然だ。この事情とゼロサム社会を両立させるため、先進国と新興国の取引を私は提唱する。排出権取引という温暖化ガスの数量交換はすでにあるが、私は先ほどの取引を建築物取引と仮に呼ぼう。インドで高層マンションを建てたら、同じ平米数の先進国の建築物を解体するのである。

建築物、とくに都市部のそれは有害である。部屋がガラガラでも、照明を点け、空調を回して電力を消費する。原発の安全性に疑義が唱えられている現在、電気は化石燃料を使用した発電所によって支えられている。とくに空調は、室内の熱を外に逃す装置であるため、真夏の都市部の暑さを悪化させている。東京に限って話せば、築数十年のビルはどれも現在の耐震基準を満たしていない。そんなものは、とっとと壊すべきである。その跡地は、農地か森林に変える。街のど真ん中に森が増えれば、都市は冷える。

 この政策により、多くの企業が企業再編を繰り返すことになるだろう。だが、物価は上がらないだろう。車を買い換える権利を持つ人が、どのメーカーを選ぶかで競争が生まれるからだ。反対に給料は据え置かれるだろう。企業は利益を上げられず、よくてトントンだからだ。人は、贅沢をしなくなるだろう。休日も出かけなくなり、海外旅行は激減するだろう。だが、飛行機一機を飛ばす資源は節約される。

 第四に、自然の再生である。上流域での取水制限や、ダムの放棄を行えば黄河は再び流れ出すだろう。だが、すでに流されてしまった農薬、工場排水などは取り返しがつかない。水俣病のように、おそらくたくさんの被害者がすでに出ているだろう。私たちは、この負の連鎖を止めねばならない。工場は操業停止。川は、流れれば徐々に浄化される。河床に堆積した有害物質があれば、金をかけてでも取り除く。

 禿山になった森は、植樹することもできるが基本的には放っておいていい。私は二十才から四十才まで、両親の田舎の島で伐採後の森を調査した経験がある。国の政策により、その島の森は一部を残し全て伐られた。これを皆伐という。剥き出しになった土地は雨で土が流出し、回復不可能な状況に見えた。

 しかし、ある程度の降水量が見込める土地は猛スピードで再生していく。まず、草が生える。あたり一面の草原に変わる。草は根に水を貯め、それに付着している細菌と協力して新たな土を生み出していく。やがて彼らは一生を終え、自らの身体を次世代の肥料とする。

 次に、細い灌木が現れる。あたりは密集した灌木地帯に生まれ変わり、最初の主人であった草は、もうそこでは生きられなくなる。さらに、灌木たちの激しい生存競争が起こる。細い灌木の中に、大木に成長する種類も含まれている。

 数年おきにその森を訪れると、植物たちの過酷な戦いを目の当たりにする。ある意味、人間と同じなのだ。だが、植物の方が苛烈だ。人は受験戦争や、出世戦争に敗れても死ぬことはない。だが、植物は違う。久々に森を訪れると、密集していた灌木は消えてなくなり、間をおいて一本、また一本と太い木が生えた森に変わっている。あの何百と生えていた小さな木々は、みんな負けて枯れてしまったのだ。そして唯一勝利した一本の樹が、周囲3mくらいに枝を伸ばして陽の光を独り占めしている。彼の足元には、苔しかない。

 おそらくアマゾンの森でも、同じことが起こるだろう。毎日スコールが襲う場所だ。水には事欠かない。イースター島の悲劇は、降水量が少なかったことが一因にある。再生能力の弱い森を、人が伐採してしまったのだ。

再生能力の弱い森に、よく小さな苗をたくさん植える試みがある。無駄とは言わないが、ロスが多いと言わざるを得ない。木に必要なのは水と土なんだ。火山が噴火し流れて固まった溶岩に、好んで生える花がある。彼らは時間をかけて、溶岩を土に変えていく。それと同じことをすればいい。

森を再生したいなら、 まず草を植えることだ。イネ科の植物は、地中2m以上まで根を張る。そしてカチカチだった土壌を、フカフカのカーペットのように変える。ただし、イネやダイズ、オオムギ、ライ麦などの種をただ蒔けばいいわけではない。別の場所で小さく成長したそれらの植物を、地下50cmくらい掘って根や土ごと移植することを勧める。なぜなら、その土の中に無数の細菌や微生物、小型の昆虫、ミミズなどが住んでいるからだ。ちょうどゴルフ場やサッカー場で芝を張り替えるように、禿山に草のカーペットを敷いていく。

それからある程度土壌が柔らかくなったところで、成長しきった樹々を植える。苗ではない。要は、成熟した木に種をばら撒いてもらうのが狙いだ。植える樹々は、その場所に適合できる種を選ぶ。つまり、その土地の環境に耐える力をもつもの、言い換えれば昔そこに生えていた種類でいい。また、植林するとき複数の樹々をミックスする。これも、遠い昔生えていた種類を選べばいい。なぜそんな手間をかけるかというと、彼らには私たちがまだ知らない相互作用があるはずだからだ。理屈はわからんが、彼らの生命力に任せる。

最初に植えた樹々は、枯れてしまっても構わない。まだ機は熟していなかっただけだ。彼らが残した小さな芽たちに、私たちは賭ける。ここからさっきも話した、植物の壮絶なバトルが始まる。間伐はしない。彼らが勝手に勝負するから。決着が着くまで、百年くらいかかるんじゃないだろうか?そして、最もタフなやつが生き残る。

自然の再生は、地表の二酸化炭素蓄積能力を高める。排出を制限するだけでなく、吸収しちまおうという作戦だ。都市のど真ん中に、畑や水田や森が増えたらみんなびっくりするだろう。もちろんマイナスもある。蚊や蛾や蜘蛛など、都会の人が歓迎しない昆虫が増えるだろう。だがカエルも鳥も、都市に帰ってくる。彼らは軽やかな歌声で私たちを和ませ、みんなの嫌いな昆虫たちをパクパク食べるだろう。そしてカエルは秋に卵を産み、翌春オタマジャクシになる。鳥たちはそれをせっせと捕まえ、街中で可愛いひなを育てるだろう。


「拓ちゃん。ねえ、見に来て。キリンだよ、キリン」

 私が六畳間にこもってうんうんと唸っていると、涼ちゃんが私に声をかけた。キリン?なんで、元旦にキリンなんだ?

 六畳間を出てダイニングルームに戻ると、確かに画面にはキリンが映っていた。でも、だからなんだというのだ。私はキリンを見届けてから、六畳間に戻った。

「ねえ、拓ちゃん。今日デビューのグループだよ。見て、見て」

 今度は真理ちゃんが、私に声をかけた。またテレビを見にいくと、小さな女の子たちが童謡みたいな歌を踊りながら唄っていた。まだ、中学生くらいに見えた。

「ねえ、可愛いでしょう?」と、真理ちゃんが言った。

「そうだね」とは言ったものの、私は涼ちゃんと真理ちゃんが好きなのだ。他の子は、そんなに可愛いとは思わない。

 要するに、部屋にこもらずにここにいろ、ということだ。私はノートPCを持って来て、テーブルに座った。そしてみんなとテレビを見ながら、ノートに自分の考えを次々に書き込んだ。

 しんどい。PCは持ってきたが、まだ絵コンテの段階だ。ストーリーがまだ出来上がらない。私は元旦の午前中から、頭を抱えて悩んでいた。

「何してるの?」と、隣に座った日菜子ちゃんが私に聞いた。

「明日と明後日の準備をしてる」と私は答えた。

「すごいね。私、教師なのに拓ちゃんほど熱心に準備してないよ」と、日菜子ちゃんは言った。

「いや、このところ遊びすぎたからさ。そのツケが回ってきただけ」

「でも、その真面目さがすごい」

「いや、凝りだすとキリがないんだよね」と、私は答えた。

 国連の解体だとか、めちゃくちゃ言ってるよな。「建築物取引」なんて、世界で他に考えた人はいるんだろうか?こんなこと教えて、そもそも二次試験に通るのだろうか?いや、贅沢言ってもしょうがない。これが私の想像力の限界だ。これで行こう。


 お昼は、お雑煮の出汁でうどんを食べた。おせち料理も出したが、案の定誰も食べない。つくづくこの料理は、見て楽しむものである。

 午後は、三人とも二時間くらい昼寝をした。昨夜は、四時間弱しか寝てないのだ。疲れているに決まっている。でも私は、一人スライド作りに没頭した。三時間X四コマ=十二時間の授業を考えなければいけない。あらためて、膨大な量だ。

 夕方前に日菜子ちゃんの運転で、涼ちゃんと真理ちゃんは軽いドライブに出かけてもらった。でも、私は一人残ってスライド作りを続けた。もう、頭が割れそうだ。

 19時頃、やっと納得できるスライドができた。私は疲労のあまり、ダイニングルームの床にひっくり返ってしばらく寝ていた。

それから起き上がり、大きな鍋で湯を沸かし、それに醤油と鶏のもも肉を入れて温めた。今夜は鶏鍋にするためである。お雑煮が昆布出汁だったから、変化をつけた。野菜や豆腐や椎茸やえのきを、適度な大きさに切って特大の皿に盛った。あとは、みんなが帰ってきてから煮て食べるだけである。

 猛烈な疲労を覚えた。そういや昨夜は日菜子ちゃんが布団に入ってきたから、少しうつらうつらした後、本当に寝ついたのは彼女に毛布をかけた後だ。二時間ちょっとしか寝てないかもしれない。私も48歳だ。無理はきかない。いや、ほんと疲れた。


 三人が無事帰ってきて、みんなで鍋を食べた。なんでも、葛西臨海公園まで行ったそうで、水族館には入らずに海や公園を散歩したそうだ。

「すごい静かだったよ」と、涼ちゃんが言った。

「車も空いてた」と、真理ちゃんが言った。

「でもね、日菜子ちゃんが車でミスチルばっかりかけるの」と、涼ちゃんが言った。

「今度ね、拓ちゃんに歌ってほしい曲があるんだって」と、真理ちゃんが言った。

 私は全ての会話を、半分うとうとしながら聞いていた。鍋もほとんど手をつけなかった。最後に、これじゃ明日以降持たないぞと思い、鍋の出汁でうどんを無理矢理食べた。

 元旦の夜は、早く終わった。十時過ぎには、テレビを見ていた涼ちゃんも真理ちゃんも眠そうな顔に変わった。日菜子ちゃんは、今夜も家に泊まる気のようだ。それじゃ、もう寝ようよという話になり、順番にシャワーを浴びて電気を消した。十一時くらい。日菜子ちゃんだけは、まだ元気はつらつだった。基礎体力の違いかな。

 

 家の電灯を全て消して、十分もしないうちに日菜子ちゃんが現れた。ダイニングルームの扉が開く音がし、すぐに六畳間の襖が開いた。日菜子ちゃんは寝ている私のすぐそばに立つと、後ろの襖をピシッと閉めた。

 昨夜と違い、日菜子ちゃんは私の目を見ていた。彼女は怖いくらい真剣な、少し青ざめたような表情をしていた。そして彼女は、ものすごく緊張していた。よく見ると、両脚が少し震えているのがわかった。そんな彼女の様子は、カーテンの端から差し込む外の灯りではっきりと見えた。

 彼女は私の目を、じっと覗き込んだ。私がまだ起きていることを、彼女ははっきりと認識した。私は日菜子ちゃんの、思いつめたような顔を見て驚き、そして当惑した。昨夜は寝ぼけた日菜子ちゃんが、誰かに甘えたくて布団に入ってきた感じだった。目は真剣だったが、私の顔を見たりはしなかった。だから私は、猫と寝ているような気分だった。

 今夜の日菜子ちゃんは、じっと私の目を覗き込んだ。彼女の目は、大袈裟に言えば殺意すら感じ取れた。それほど切迫した雰囲気が伝わってきた。私は彼女に、何も話しかけられなかった。そんなムードじゃなかった。

 やがて彼女は立って私を見下ろしたまま、寝巻きの上着のボタンを外し始めた。一番上から、一個ずつ。今夜の彼女は、その下に何も着てなかった。明らかに寒いのに、自分の部屋で脱いできてしまったのだろう。日菜子ちゃんの首筋から胸、お腹、おへそまでが私の目の前に現れた。薄明かりの中で、それらは肌のつやまで見えた。その格好になっても、日菜子ちゃんは私の顔を見ていた。怖い顔のまま。

 次に彼女は身を屈めて、寝巻きのズボンをするすると脱いだ。あっという間に、日菜子ちゃんの下半身が剥き出しになった。彼女は、シンプルなデザインだが可愛らしい小さなショーツを穿いていた。暗いからわからないけど、多分赤だと思う。日菜子ちゃんは、本当に赤が好きな人なのだ。

 彼女は寝巻きのズボンを、両脚から抜いてすぐ脇の畳の上に置いた。そして、ためらうことなく寝巻きの上着も脱いでしまった。均整のとれた美しい胸が、私の目に飛び込んできた。もちろん私は、日菜子ちゃんの乳房に釘付けになった。

 しばらく彼女は私の顔を見つめ続けながら、じっとそこに立っていた。そのおかげで、私は日菜子ちゃんの全身を見ることができた。まず気がついたのは、彼女の全身を覆う筋肉だった。盛り上がった両肩、女性にしては太い二の腕、張りのある胸板、少し割れた腹筋、筋肉の筋がわかる太もも、発達したふくらはぎ。彼女は、優れたアスリートの身体をしていた。

 しかしそれでいて、彼女の身体は美しかった。どこかの美術館で、彫刻でも見てるみたいだった。彼女の筋肉は、少しも女性らしさを損なってはいなかった。いやむしろ、だからこそ日菜子ちゃんの身体は美しかった。若い男たちは、みんな彼女の肉体に夢中になるだろう。そこには、ふくよかな女性とは異質の美があった。

 日菜子ちゃんが、少し口元を緩めたような気がした。張り詰めた緊張感から、少しだけ解放されたように見えた。でも彼女は、すぐに唇を噛むような表情に変わった。なんで今、そんな表情をするんだろうと不思議に思っていると、彼女は再び前屈みになって最後の一枚を脱いでしまった。

 私は完全に、思考停止に陥った。彼女がなぜ、私に自分のそんな姿を見せるのか、理解できなかった。私は嫌でも、彼女の下腹部を見てしまった。毛が少なめな、上品なその部分に。しばらくそこを凝視した後、慌てて私は日菜子ちゃんの顔を見た。表情は一変していた。顔を覆っていた緊張感は削げ落ち、日菜子ちゃんは普段見せる笑顔に戻っていた。心から安堵した様子が、伝わってきた。

 その後日菜子ちゃんは、身体を反転させて自分の後ろ姿を私に見せた。私は今度は、彼女のお尻に目が釘付けになった。彼女はお尻の筋肉も発達していて、背中に引きつけられるかのように上へ向かって盛り上がっていた。それでいて、女性らしいお尻のボリュームも併せ持っていた。上に吊り上げられながら、横にせり出しているという感じだった。

 背中もすごかった。日菜子ちゃんの背中は、完全な逆三角形をしていた。それでも、なめらかで柔らかそうな背中だった。思わず見とれてしまった。私は彼女の、お尻と背中を交互に見ていた。

 もう一度、日菜子ちゃんは身体の正面を私に向けた。もう彼女の表情は、緊張感など微塵もなかった。表情をすっかり崩して、穏やかな微笑みを浮かべていた。子どものよう、という表現がぴったりの平穏な顔だった。もうなんの心配のいらない。自分は何かの庇護のもとにいるんだ、とでも言うように。

 それから彼女はその場にしゃがみ、当然のように私の布団に入ってきた。昨夜の彼女は、私に寄り添うように横になったが今夜は違った。日菜子ちゃんは、私に覆いかぶさった。そして当然のように、私の唇を自分のそれで塞いだ。それを何度も繰り返した。

 まいったなあ。それが、私の偽らざる心境だった。私は、何もできない。彼女に求められても、私は何もできない。現に裸の日菜子ちゃんを見ても、美しいとは思うが性欲は感じなかった。以前にはあった、あの感情が蘇ることはなかった。この身体に触れたい、という意欲が湧いてこなかった。仕事だと割り切れば、スライド作りと同じだと自分を言い聞かせれば、できることは沢山ある。でもそんなことをイヤイヤやっても、日菜子ちゃんは喜ばない気がした。

 日菜子ちゃんはたっぷりキスを繰り返した後、下に降りて私の胸に自分の頬をこすりつけた。右も左も、まんべんなく行った。それも楽しいのかなと考えていると、日菜子ちゃんは両足で私の右足を挟み込んだ。ぎゅうっと力を入れて。なんでそんなことをするんだろうと不思議に思っていると、彼女はやがて小刻みに上下に身体をゆすり出した。裸の身体を、寝巻きを着た私の身体にこすりつけ始めた。顔、胸、お腹、そして下腹部まで。

「はあ、はあ、はあっ」

 日菜子ちゃんの息遣いが、だんだん荒くなってきた。私はここにきてやっと、彼女を両手で抱きしめることを思いついた。遅すぎる気がしたが。

 だが日菜子ちゃんは私に抱きしめられて、一段階上のステージに登った。彼女は、再び私の顔に自分の顔を寄せて、私の唇だけでなく頬や耳にまでキスをした。そうしながら自分の身体を、私の身体にこすりつけることはやめなかった。

「ああっ、あっ。あああっ、あっ」

 日菜子ちゃんの声は、だんだん大きくなってきた。ダイニングルームの扉、ちゃんと閉めてくれたかな。私は少し心配になった。でも、仮に涼ちゃんと真理ちゃんに聞かれても、彼女たちは理解してくれる気がした。だから、何も問題はない。

「あっ、あっ、ああっ、あああっ」

 日菜子ちゃんは、とても楽しそうだった。興奮のボルテージは、どんどん上がっていった。彼女は、私が何もしなくても満足そうだった。ただ、抱きしめていれば良さそうだ。彼女はたまに片手を下に持っていき、自ら興奮を高めた。でも私の右太ももにそこをこすりつけるのが、一番お気に入りのようだった。

「ああっ、ああっ、ああっ、ああっ」

 日菜子ちゃんの声が、スピードもボリュームも上がってきた。また曲でも作ろうかと思ったが、不謹慎なのでやめた。

「あああっ、あっ、あっ!」

 日菜子ちゃんが、とびきり大きな声出した。そして、ぐったりと私の身体の上に自分の身を横たえた。首だけ持ち上げて下を見ると、胸の上で日菜子ちゃんが両目を閉じて横たわっていた。彼女は、心から幸福そうな笑みを浮かべていた。そして、二、三分もすると「すう、すう」と寝息を立て始めた。相変わらず寝つきがいい。寝巻きの右太ももの部分が、少し冷たかったが我慢しよう。


 一時間くらい経ってから、私は寝ている日菜子ちゃんに服を着せた。パンツを穿かせ、肌着に私のTシャツとウールのインナーシャツを着せた。寝巻きを上下着せても、彼女は起きない。いつものことだ。私は彼女を一回抱き上げ、布団の中心に降ろした。そして私は布団の端に身をくの字にして横たえ、日菜子ちゃんの頭を私の肩に乗せた。

 

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