第28話 クリスマス・プレゼント

もう今年も終わりだった。12月24日は月曜なので、授業はせずにクリスマス・パーティーをした。日菜子ちゃんも参加して、賑やかな昼食と午後を過ごした。涼ちゃんと真理ちゃんは、家のダイニングルームにある幸福の木を、電灯やら、枝やら、白い綿やら、大きな星やらで飾りつけてクリスマス・ツリーにしてしまった。彼には迷惑だろうが、25日まで我慢してもらおう。

日菜子ちゃんは、いつもの食後のケーキだけでなく七面鳥のローストも買ってきてくれた。そして彼女はキッチンに入り、様々なクリスマスらしい料理を作ってくれた。私の出る幕は、どこにもなかった。

「日菜子ちゃん、そんな気をつかわないでよ」と、私は彼女に言った。

「いいえ、好きでやってるので。気にしないで」と日菜子ちゃんは答えた。

女性が三人集まれば、話は当然激しい世界へ近づいていく。彼女たちは食後のケーキを食べながら、話題は自然と学校の先生の悪口になった。それはやがて、学校そのものの批判へと変わった。

「あの学校、制服が可愛いこと以外ひとつもいいことなかった」と、真理ちゃんが言った。

「私も同感。スカートの丈を気にするのはわかるけど、なんで靴下や靴や鞄や、あげくに鞄のアクセサリーまでチェックするのかな?もう、訳わかんない」と、口を尖らせながら涼ちゃんが言った。

「あれは私も、やっててバカバカしい。みんなのロッカーや下駄箱一つずつ開けて、華美じゃないか審査するんだよ。私、何してるんだろうって思う」と、日菜子ちゃんも参加した。先生まで参戦しては、もう混乱の極致である。

「あのねえ」と私は口を挟んだ。「聞いてるとあの学校のやり方は、スマートではなさそうだ。でもね、靴下や靴や鞄や鞄のアクセサリーを調べるのはね、学校が貧富の差を怖れてるからなんだよ」

「貧富の差!?」

「なんで?」

「女性は鞄や靴にこだわるでしょう。それを自由に選べるなら、金持ちの子は高級品を買う。そうじゃない家の子は靴を履き潰し、鞄もヨレヨレになるよね。その格差が出来ることを、学校は恐れてるんだよ」

一瞬部屋が、シンと静まり返った。その静寂を、真理ちゃんが破った。

「確かに私も、入学のときに買ってもらったローファーが二年になったらボロボロになって。あれは悲しくて、恥ずかしかった」

「そうだよね、そういうことってつらいよね」と私は言った。

「ママに新しい靴買ってって頼んだんだけど、自分で働いて稼げって言われて」

真理ちゃんのお母さんが言いそうなことだ。慌てるように、日菜子ちゃんが口を挟んだ。

「うちの学校は、アルバイト禁止なんです」

「それはもちろん分かってたけど、私は新しい靴が欲しかった」

もう、泣いちゃいそうな話になってきた。私は高校二年生の真理ちゃんに、心から同情した。

「涼ちゃんは?」と、日菜子ちゃんが聞いた。この辺が、彼女の弱点だ。

「私は・・・」と、涼ちゃんがバツが悪そうに言った。「おじいちゃんが、なんでも買ってくれるの。靴は、目黒の家に二十足くらいある。でも、結局気に入ったのしか履かないし、拓ちゃん家には三足しか持ってきてない」

「涼ちゃんは、可愛い孫だからね。おじいちゃんは孫には、お金に糸目をつけず買っちゃうんだよ。そうすることで、涼ちゃんに好かれたいんだよ。

でもね、結局三足しか履かないんでしょ?ほんとは誰だって、靴はそんなに要らないんだよ」と私は言った。

「でもとにかく私は、新しい靴が欲しかった。だから高二のときに、モデル事務所に入ったの」と真理ちゃんは言った。

「モデル事務所!?」と、日菜子ちゃんは大声を出した。

「うん。涼ちゃんと青山とか原宿とか歩いてると、しゅっちゅう声をかけられるの。モデルにならないかって。そんなの全部断ってたけど、靴を買うためならこれもありかなと思って」

だんだんすごい話になってきた。私の隣に座った日菜子ちゃんも、目を見開いて真理ちゃんを見つめていた。

「ネットでクチコミ情報を集めて、これなら安心と思えるモデル事務所に登録したの」

「モデルって、何をするの?」と、日菜子ちゃんが聞いた。彼女は興味津々の様子だった。

「月に三回くらい、日曜日に撮影会があるの。六本木とかのスタジオに行って、朝10時から17時までずっと写真を撮られるの」

「誰に?」

「 もちろん、知らない男の人たち。下は20歳くらいから、上は五、六十代かな。一度に三十人くらいいて、もう、ひっきりなしにシャッターを切ってた」

「どんな格好で、写真を撮られたの?」

また、日菜子ちゃんがすぐ質問した。

「洋服は、事務所が用意してくれるの。ただ、男の人たちは一時間で入れ替わるから、その時間内に何度も着替えるの。もう、猛スピードだったな」

おそらく真理ちゃんの着替える姿は、隠しカメラで撮影されてただろうと私は思った。モデル事務所は、その隠し撮りした真理ちゃんの着替え動画で一儲けするわけだ。男とは、そんなもんだ。

「水着とかにも、なったの?」

「それは断った。もともと私男嫌いだからね。私服の写真、撮られるだけで我慢の限界。でも、前屈みで立ったり、すごいミニでしゃがんだりさせられたから、絶対下着みえてたと思う」

「すごい・・・」

日菜子ちゃんは、自分の全く知らない世界にただただ驚いていた。同じ年の頃彼女は、バスケ部のスターで全国大会を目指していた。練習に明け暮れて、モデル事務所で稼ぐなんて思いつきもしなかったろう。

対して涼ちゃんは、ずっと不機嫌そうな顔をして黙っていた。自分の真理ちゃんが、男の卑猥な視線に晒されるなんて嫌だっただろう。でも、目的は新しい靴にあった。異をとなえることは不可能だ。

「水着になれば、もっとバイト代は上がったんだよ。私は私服のみで、一日三万円だった。水着までやる娘は、一日で七、八万くらい稼いでたんじゃないかな。ただし、とんでもない水着。バイト仲間に見せてもらったけど、もう布がないの。ただの紐だよ、あれ」

私は思わず笑ってしまった。私につられて、真理ちゃんも笑った。でも、涼ちゃんと日菜子ちゃんは笑わなかった。

「月末にバイト代が出て、涼ちゃんと一緒に靴を買いに行ったの。嬉しかったあ・・・」と、真理ちゃんは当時の感動を噛み締めるように言った。そして私はわかった。真理ちゃんの高そうな衣装は、このバイトで稼いだお金で買ったんだと。

「新しいローファーと一緒に、低いヒールの靴も買ったの。すごく可愛いやつ。でも、学校ですぐ見つかって履いてこれなくなった。だから鞄に入れて、学校出たら履き替えてた」

「そのバイトは続けたの?」日菜子ちゃんが真理ちゃんに聞いた。先生が生徒に、自分の見知らぬ世界を質問していた。

「続けたよ。ただ、もともと月三回くらいしかないし、お客さんが集まらないと中止になるの。おまけに、最初に登録してた事務所はすぐ潰れた。二カ月しか働かなかったな」

「涼ちゃんは、真理ちゃんがバイトのときどうしてたの?」と私は聞いた。

「淋しかったよ」と少し怒ったように涼ちゃんは言った。「だから夕方になったら、スタジオまで真理ちゃんを迎えに行ってた」

「あら、偉いな」と、私は言った。涼ちゃんはようやく、にっと笑った。

「でも最後の回のやつらが外に出てきて、入り口で私の写真を撮るの。あれには参った」

「そうそう。私が従業員通用口みたいなところを出ると、涼ちゃんがいつも男たちに囲まれてるの。だから私は、涼ちゃんを引っ張って猛ダッシュ」と真理ちゃんが言った。

「そう、全速で逃げたね。あれは毎回おかしかった」と涼ちゃんが笑いながら言った。

「そいつらの気持ちはわかるよ。俺だって、若い頃だったら涼ちゃんと真理ちゃんの写真を撮るかも」

「それは嘘だね」と涼ちゃんがビシッと言った。「だって拓ちゃん、どこに遊びに言っても私たちの写真なんか一枚も撮らないじゃん。カメラ持ってるかも怪しい」

 うげっ。確かにその通りだ。私は彼女たちの記念写真なんか、一枚も撮ってない。デジカメも、七、八年前に買った八千円くらいの安物しか持ってない。もちろん普段、そんなもの使わない。

そもそも、記念写真は撮るべきかなという気がした。いや、不要だ。涼ちゃんと真理ちゃんが、きっと腐るほど撮ってるから。

「私はさ、涼ちゃんがいなかったら、とっくに死んでたと思う。でももし生き残ったら、私もあの男たちみたいにアイドルの写真を撮ってたかもしれない。高いカメラ買って、追っかけやってたかもしれない。可愛い女の子大好きだから。そう考えると、私の写真撮ってる人たちと同じだなと思った」と真理ちゃんは言った。

「でも拓ちゃんは、私たちの写真を撮らない。普通じゃないよね。男じゃないんだよね」と涼ちゃんは言った。

「日奈子ちゃん、拓ちゃんは普通じゃないからね」と、真理ちゃんは念を押すように言った。

「大丈夫です。だいたいわかってきました」と日奈子ちゃんは笑顔で答えた。どっちが担任の教師か、わからない会話である。

「バイト代が入ったら、涼ちゃんと原宿とかでゆっくり買い物するの。涼ちゃんはほとんど買い物しないから、だいたい私が付き合わせてたんだけど」

 真理ちゃんは、うっとりした表情で遠くを見る目をした。二人で過ごした、楽しい時間のことを思い出しているのだろう。

「拓ちゃんは知ってるけど、真理ちゃんの買い物は長いんだよね。もう、迷って迷って迷いまくるから」と、涼ちゃんが説明した。

「でもね、それは私が選んだ服を涼ちゃんが『ダメだ』っていうからなんだよ。涼ちゃんは私の服装に、すごくこだわるの。でも、それが楽しいんだけど」

 危ない話から始まったが、クリスマスらしい話題に落ち着きそうだった。涼ちゃんと真理ちゃんは、羨ましくなるほど幸せなカップルに見えた。

「最初の事務所が潰れた後も、モデルのバイトは続けたの?」と、日奈子ちゃんは聞いた。彼女はそのインチキくさいモデルのバイトの内情を、知りたくてしょうがないようだった。話題を落ち着かさせてくれそうにない。おそらく彼女のようなストイックな高校、大学生活を送った人にとって、こんな妖しい世界は初耳なのかもしれない。

「靴の次は、可愛い服が欲しくなったの。今、着てるみたいな」と言って真理ちゃんは立ち上がって、自慢のワンピースを披露した。確かこの服は、千葉の裏道で買った服だと思う。微妙な青をした服だ。

「だから、またネット情報集めて過激じゃない事務所に登録した。私は水着不可で申請したんだけど、すんなり採用された。

 あとで分かったんだけど、その事務所は調査書じゃないけど女の子をAからEまでで査定してて、それでバイト代も違うの」

「そんな・・・。ひどい・・・」と日奈子ちゃんは言った。

「私はAだったんだけど、Cの女の子はおんなじことしても一万くらい違うの。だから彼女たちは、水着撮影とか進んでやってた」

「そうすると、何万円ももらえるんだよね?」と私は聞いた。

「もちろん。たくさんもらえるよ。でもAの女の子が水着をやるのとはバイト代が違った」

 厳しい世界だ。十代で自分の容姿に、ランクが頑然とつけられる。傷つきやすい年頃には、あまりに厳しい現実だ。

「シングルっていうのがあってね、一対一で撮影会するの。30分きっかり。そのときは相手の要求するポーズに、全部応えなきゃいけないの。

 私はもちろん、そんなの断った。稼ぎはいいよ。30分で二万行くからね。でも、私には無理。男とスタジオで、閉ざされた空間で二人なんて無理。でも、20才以上の人はバリバリシングルやってたね。そして彼女たちは、オールヌードOKだった」

「嘘おお???」日奈子ちゃんは、例のごとく思考停止状態に入った。

「オールヌードOKなら、30分三万円くらい行くのかな?」と私は言った。

「いや、もっと上だと思う。でも、もちろん予約が入っての話だから、一日中それで稼げるわけじゃない。たまに予約が入ってるって感じ。魂を悪魔に売り渡してる割に、そんなに稼いでない気がしたな。」と真理ちゃんは言った。

 今日の話で、あらためて気がついたことがある。まずは真理ちゃんの人生経験の豊富さだ。日奈子ちゃんがついていけないほど、彼女は汚れたアンダーグラウンドな世界を覗き見ている。そして大嫌いだという男に対して、実は一定の理解を示しているようだ。だから真理ちゃんはあんな、人をアナコンダのようにがぶ飲みにする笑顔ができるのだろう。

 だが、忘れてはいけない。このバイトを、もう真理ちゃんはできないだろう。左目の下の傷が、男たちを萎縮させてしまうだろう。もちろん肌色のテープを貼り、メイクをすればほぼ気づかれない。だが相手は高感度のデジカメを操る連中だ。彼女のテープをすぐに見破るだろう。

「私はね、嫌な目に合わないと靴も服も買えないんだと思ってたの」と真理ちゃんは言った。そして、一呼吸ついてから話を続けた。

「でもね、この服も、他の冬服も拓ちゃんに買ってもらった。嫌な思いゼロで買ってもらったんだよ」

「だって、冬なんだからあったかい服が必要だろう」と私は言った。私のことばを真理ちゃんは無視した。そして、日奈子ちゃんに話しかけた。

「ほんと、超嬉しかったよ。拓ちゃんは、いっぱい買えって言ってくれたの。そして、店の外で私と涼ちゃんが服を選ぶのをずっと待ってくれたの。それで私が服を選んだときだけ店に入ってきて、『いい色だ。センスいい』とか言ってくれたの」

「すごい素敵ですね」と、日奈子ちゃんは間を置いてから言った。

「日奈子ちゃん、拓ちゃんはそういう人なんだよ。私はさっき、男と部屋で二人は無理って言ったけど、拓ちゃんは別。むしろ、拓ちゃんと二人きりは好き。思い切り甘えられるから」と、真理ちゃんは言った。

「私も好き。拓ちゃんと二人のときは、わがまま言いまくる」と涼ちゃんが言った。

話はだんだん、私を売り込むセールストーク見たいになってきた。私はそれが、他人事みたいに聞こえた。私は壁の時計を見た。15時半だった。

「さて、じゃあそろそろ行こうか」

「出たあああああ!」と、涼ちゃんと真理ちゃんが同時に叫んだ。お化けみたいである。


また館山道を通り、今日は終点まで行った。館山の市街を通り過ぎると、館山湾に到着する。広い入江が一望でき、穏やかで優しげな海が楽しめる。

涼ちゃんと真理ちゃんは、珍しく静かにしていた。私が帰りの渋滞を嫌がるので、二人が夕暮れの海を見るのは初めてだった。私は、目的地のホテルへ急いだ。時刻は16時半。冬の短い昼間は、もう終わる寸前である。私は館山湾の夕暮れを三人に、ホテルのレストランから見せたかった。

海水浴場から少し離れた場所に、目的のホテルはあった。私たちは車を降り、走ってホテルの最上階のレストランに向かった。ホテルは十階建てで、眺めがいいことで有名だった。私はこの店を、一月以上前に予約していた。おかげで、海に面した一面ガラス張りの席が用意されていた。

「あかーーーい!」と真理ちゃんが叫んだ。

「いや、赤だけじゃないよ。もっといろんな色が混ざってる」と涼ちゃんが分析した。

「ほんとだ。濃い青とかも入ってる」と日菜子ちゃんが言った。

夕方の館山湾は、そのコの字のほぼ中央にいる私たちに、沈みゆく陽の光によって少しずつ衣を変える姿を見せてくれた。紅く染められた空は、帰宅を急ぐように西へ西へと進んだ。彼の姿はたちまち小さくなった。置いてきぼりを食らった三片の細長い雲たちだけが、まだオレンジのような紅のような微妙な光を放って湾上に浮かんでいた。

やがて夕暮れの空は、完全に館山湾に隠れて見えなくなった。彼と別れるのはつらかったが、その代わりにほぼ満月が私たちの前に現れた。今まで気がつかなかったのに、彼女は音もなくすぐそばに来ていた。いつのまにか精一杯輝いて、私たちを笑って見下ろしていた。

言葉は要らなかった。ウェイトレスがオーダーを取りに来ても、しばらく気づかなかったほどだ。私が困り果てている彼女に気づいて、みんなにオーダーを聞いた。日菜子ちゃんはまたワイン、涼ちゃんと真理ちゃんはよく分からないトロピカルな名前のジュース、私はノンアルコールビールを頼んだ。

コースの料理は、可もなく不可もなくといったところだった。メインは、地元で採れた伊勢海老だったが、やっぱり本場と比べると小さかった。三人とも、食事なんてそっちのけで海を見ていた。海を見ると、人は言葉少なになる。なぜなんだろう?

ホテルを出た後、私はもう一つ仕掛けを用意していた。帰る方向とは逆の、街を外れた真っ暗闇を進んだ。

「拓ちゃん、まだ帰らないの?」と涼ちゃんが聞いた。彼女の口調は、期待に溢れていた。

「まあ、いいから、いいから」

私は暗闇の中、上下動する細い道を進んだ。街灯はほぼなく、家もない。ヘッドライトが照らす場所以外は、漆黒の闇だ。

私はやがて山を抜け、海に出た。実はここは、涼ちゃんと真理ちゃんと以前に定置網丼を食べた店のそば、房総半島の最先端部だ。もちろん夜はお店は閉まっている。辺りは真っ暗だ。私は閉店した店の前で車を停めた。エンジンを切り、ヘッドライトも消した。

「拓ちゃん、何も見えないいいいい」と真理ちゃんが訴えた。

「まあ、車を降りて。しばらく待ってごらん」

私たちは全員車を降りて、周りに一切灯りのない世界に出た。だがじっとして周囲を眺めていると、目が徐々に慣れてくる。あたりがぼんやりと見え出し、そして次第にくっきりと見えるように変わる。

「見えるようになってきた!」と、涼ちゃんが大きな声を出した。

「あいつのおかげだよ」と、私は上を指差した。その先は、もちろん月だ。

「月って、こんな明るいんだ・・・」と、真理ちゃんが感心したように言った。

「俺たちは普段、街灯とか家の灯りとか街のネオンとか光に一晩中囲まれてるから、月の明るさに気づかないんだよ」と、私は説明した。

もう目の前の海岸が、昼間のようにはっきり見えた。そこは岩礁帯の海岸で砂浜はほとんどなかったが、涼ちゃんと真理ちゃんは手をつないで海へと歩き出した。二人は岩場をピョンピョンと飛び、波打ちぎわまで近づいていった。私と日菜子ちゃんは車のそばに残り、ガードレールに寄りかかって、二人と、海、月を順番に眺めた。

涼ちゃんと真理ちゃんは、小山のような岩の上に並んで腰掛けた。もう私たちからは、50m以上離れていた。

「二人で行かせて、大丈夫?」と、日菜子ちゃんが私に聞いた。とても不安そうだった。

「大丈夫、大丈夫。もう何度もこんな場所に来てるから。岩場も慣れたもんだよ」

おそらく二人は、もう自分たちの姿は私たちに見えないと考えた。でも、強力な月明かりは、波打ちぎわで寄り添う二人をくっきりと照らしていた。

ほぼ同時に、涼ちゃんと真理ちゃんは身をひねった。二人とも両手を伸ばし、そっとお互いの身体に絡めた。そして二人は、静かに唇を重ねた。

優しいキスだった。お互いがお互いを、割れ物のように大切に扱った。強引さは、微塵もなかった。相手を大事に、壊さないようにと気遣いながら、涼ちゃんと真理ちゃんは抱き合って何度も何度もキスを重ねた。神秘的な光景だった。

 これだよ、これ。そう私は思った。このために、12月24日の月の大きさまで調べておいたんだ。もちろん涼ちゃんと真理ちゃんが、自分の見えるところでキスをするのは予想外だった。だが、本人たちが見えてないと思ってるんだからいいだろう。大事なのは、月明かりで海を見ることなんだから。

「拓ちゃん、あなたって不思議・・・」と、隣で日奈子ちゃんが小声で言った。私は彼女の言葉の意味が、まったくわからなかった。彼女がそのセリフに込めた意味が、まったく想像できなかった。まあ、言葉とはそういうものだ。

「いいんだよ、これで」と私は言った。会話が噛み合ってなかったが、それしか返す言葉がなかった。

 突然日奈子ちゃんは、隣でビクンと動いた。次の瞬間、コートの中にいるかのような鋭いターンを日奈子ちゃんは見せた。そして、私の真正面に立った。私は哀れなマーカーのように、日奈子ちゃんの動きにまったくついていけなかった。

 日奈子ちゃんは両手を広げると私に抱きつき、自分の唇を私のそれに押し付けた。彼女の腕は、力強かった。私を絞め殺すかと思うほど、彼女の両腕は私に巻きついた。そして彼女は何度も、私の唇にキスを繰り返した。私は両腕をだらんと下げたまま、彼女のするがままに任せた。

 涼ちゃんと真理ちゃんに、感化されちゃったかなと私は思った。まあ、そんな気分になってもいい雰囲気だ。日奈子ちゃんはキスに満足すると、私の隣に戻った。そして私の手を握りしめ、腕を絡ませ、自分の頭を私の肩に乗せた。

 これも涼ちゃんや真理ちゃんが不安になったときに、よくやることだ。だから私は、あまり気にしなかった。むしろ私は、日奈子ちゃんの未来を考えた。精力旺盛な男と、結ばれてほしいな。そして、子供をたくさん作ってほしい。きっと日奈子ちゃんの子供たちは、彼女並みの軽快なステップでバスケやサッカーや、その他いろんな分野のスポーツで活躍するだろう。勉強は?私が教えるか。その頃私はもうおじいさんだ。でも、今よりもっとパワーアップできる。勉強は続けるから。あとは、旦那さんが許してくれるかだな。

 

 十分くらいして、涼ちゃんと真理ちゃんは車まで帰ってきた。二人は、キスはバレてないと思ってる。だから私は日奈子ちゃんに、見えたって言わないでよと断っておいた。

 帰りの車は、みんなぼうっとしていた。たった今自分が目にしたものに、心を奪われているようだった。それでいいんじゃないの?



 

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