第4話 新宿

第4話 新宿


 私は、6時に目を覚ました。忍び足で部屋を出て、少女たちの様子を見に行った。案の定二人は、布団を敷いた奥の部屋で抱き合っていた。

 私の家は、北側にリビングルームが三つ並んでいて、西側の八畳の部屋が私の部屋、その隣が六畳の死んだ母の部屋、玄関を挟んでその隣に来客様の六畳の部屋があった。二人は、私の部屋から一番遠い部屋で眠っていた。

 私は、ハッと思いついた。三人分の朝食を用意しなければいけないじゃないか。すぐ台所に向かい、冷蔵庫の中を確かめた。幸い小さめのアジの開きが四尾あった。これをメインに、これから味噌汁を作ってお新香を出せば格好はつく。いや、サラダも用意するか。冷蔵庫には、一昨日買ったレタスとミニトマトがあった。よしこれでいい。私は湯を沸かしながら、わかめを刻み、豆腐と油揚げを適当な大きさに切った。それからレタスをちぎり、ミニトマトを四等分に切った。レタスとトマトを、大きなガラスのボウルに入れた。

 そこで、また気がついた。彼女たちの昼食も、用意しなきゃいけない。時間が足りないぞ。私は味噌汁を完成させた後で、アジの開きを三尾焼きながら、大急ぎでパスタを茹で始めた。ソースは、レトルトのトマトソースかカルボナーラで我慢してもらおう。出来上がったアジの開きと味噌汁とサラダとご飯とお新香、私は走ってそれらをテーブルに並べた。

 全て完了したのが、6時45分。私は5分で飯を食い、5分でシャワーと髭剃りをすませ、最後の5分でスーツを着た。二人はまだ眠っていた。

 出勤する直前に、私は思い切って二人の部屋に入った。また革ジャンの女の子の肩を揺すって起こした。

「朝食作ってあるから。好きなときに食べて。お昼は、パスタを用意してあるから。レンジで温めて食べてね」

 それだけ言って私は家を飛び出した。もう遅刻ギリギリの時間だった


 日中、私はいつになく気分が良かった。早起きをしてちゃんと朝食を摂ったせいかもしれない。普段の私は、朝食をまったく食べない。そんな時間があったら寝ているというのが、私の主義だった。

 お昼に、会社近くの弁当屋で玉子焼き弁当を買った。自分の席で弁当を食べながら、二人はパスタを食べているのかなと考えた。あの荷物の量から想像して、やはり家出少女だろう。家が新橋だと言ったのは、新橋付近にいくらでもある24時間営業のお店を指しているのだろう。

 どんな事情があるのかはわからない。しかしいずれにしろ、今日のうちに彼女たちは都内に戻るだろう。千葉の奥地にいても、楽しいことは何もない。ただ延々と、住宅街が並ぶだけの場所だ。若者が求める刺激はどこにもない。


 21時に家に帰り着くと、テレビの音が聞こえた。意外にも二人は帰っていなかった。ダイニングルームにいたのは、ロリータファッションの子だけだった。

「ただいま」と私は彼女は言った。

 ロリータファッションの彼女は何も言わなかった。ただ居心地悪そうに、首を少し下げて私に挨拶した。

「革ジャンの彼女は?」

「出かけた」

「どこへ?」

「新宿」

「ふうん、そう」

 なんで彼女を残して、一人で新宿なんか行ったのだろうか?私はよくわからなかった。だが、相手は十代の女の子だ。理解できなくて当たり前だ。

「夕ご飯は?」

「食べてない」

「お腹空いたでしょ?」

 彼女は、小さくうなずいた。

 私は、クリームシチューを作ることにした。私の得意なメニューの一つだ。私はいつも、クリームシチューをいっぺんに十人分くらい作る。そしてそれを、毎日食べ続ける。私は同じ食事に飽きるということがなかった。だから一度作ると、3日は食事を作らなくていい。このやり方は、他のメニューでも同じだった。

 家の隣のスーパーに、私は鶏肉とシチューのルーと牛乳を買いに行った。走って家に戻り、鍋に水を入れて沸かしながらジャガイモを剥き、人参と玉ねぎを刻んだ。

 一人ならば、私はゆっくりと料理をするのが常だった。しかし今夜は、目の前に腹を空かせた十代の女の子がいた。一刻も早く完成させねばならない。世の母親の苦労に、私は初めて気がついた。30分でクリームシチューは完成した。

 私はロリータファッションの子と向かい合って座り、テレビを見ながらシチューを食べた。彼女は右手でシチューを食べながら、左手でiPhoneをずっと操作していた。今の時代の子らしいな、と私はその様子を眺めながらシチューを食べた。

「革ジャンの子は、ここに帰って来るの?」と、私は彼女にたずねた。

「わからない」と彼女は答えた。少し眉をひそめ、困った顔でそう言った。本当に彼女もわからないようだった。

「ねえ、君の名前はなんていうの?」と僕はたずねた。

「まり」と彼女は答えた。

「どんな字を書くの?」

「真実の真に、理科の理」と、真理ちゃんは答えた。

 真理ちゃんは今日も、ものすごい厚化粧をしていた。だが彼女も、とんでもない美貌の持ち主であることに気がついた。その上彼女は、とても大きな胸も持っていた。一言でいうと、とてもグラマラスな体型だった。インポじゃなかったら、私は大変なことになっていただろう。

「革ジャンの女の子は、なんていう名前なの?」

「りょう」

「字は?」

「涼しい、ていう字」

「へえ、女の子にしては珍しいね」と私は言った。

「でもカッコいい。真理なんて平凡な名前よりずっといい」と真理ちゃんは言った。

「でも、真理(しんり)なんて素敵な名前だと思うけどな」と私は言った。

「うーん、そうかもしんないけど、私は嫌い」と真理ちゃんは言った。


 22時を過ぎても、涼ちゃんは帰ってこなかった。

「お風呂は?」と真理ちゃんに聞くと、「寝る直前でいい」という答えが返ってきた。それで私は浴室に行き、シャワーだけ浴びた。湯は張ったが、湯船には浸からなかった。女の子たちが嫌がるに決まっているからだ。

お風呂を出て寝巻きに着替えた後、ダイニングルームに戻って「湯船には入ってないからね」と私は真理ちゃんに断った。彼女は少し困った顔をしながら笑い、小さくうなずいた。

 私は自分の部屋に入り、ビールを飲みながらギターを弾いた。私にとって、最もリラックスできる時間だ。ネットで今日のニュースをチェックしながら、私は知っている曲を次々に弾いた。ギターを弾くことに飽きると、ノートPCを開いて書きかけの小説の続きを打ち込んだ。こうしていると、あっという間に時間が過ぎる。

 涼ちゃんが帰ってきたのは、24時だった。チャイムが鳴り、私はマンションの入り口を解錠してあげた。1分とたたないうちに、今度は玄関の呼び鈴が鳴った。真理ちゃんが玄関へ飛んでいった。そして涼ちゃんを温かく迎え入れた。

 私も出迎えに、玄関に行った。彼女の格好にびっくりした。涼ちゃんはトレードマークの革ジャンを着ていなかった。その代わりにノースリーブの上着を着ていた。その胸元は、下着が見えてしまいそうなほど切れ込んでいた。その上涼ちゃんは、超ミニのスカートを履いていた。道端で彼女を見かけたら、しばらく目で追ってしまうだろう。しかし今はもう10月だ。あまりにも寒そうな格好だった。

「涼ちゃん、ご飯は食べたの?」と私は聞いた。

「食べてない」

 24時に夕食を摂るのは、本当は良くないだろう。だがそんなことは言っていられない。私は彼女のために、シチューを温め直した。そして、レタスとミニトマトに、シチューを作る時に使った人参と玉ねぎを、細く刻んで加えた。それから、大根も同じようにしてサラダに混ぜた。結構なボリュームだったが涼ちゃんは全部食べた。伸び盛りなのだ。身体が、栄養を沢山必要としているのだ。

 真理ちゃんと涼ちゃんは、例によって私には聞こえない声で熱心に話し合っていた。話しながら、片手でiPhoneも操作していた。私は空になった皿を片付けて洗剤で洗うと、部屋に戻って薬を飲んだ。そして、全てを二人に任せてさっさと寝た。


 私は5時30分にアラームをセットしておいた。6時では時間が足りないと昨日学んだ。

 5時30分に起きると、まず二人の様子を覗きにいった。二人はまた抱き合って、幸せそうに眠っていた。

 私は、朝食と昼食の準備を1時間くらいで済ませた。私は一人で先に朝食を摂った。

 7時になったら、また彼女たちの部屋に行き、涼ちゃんだけ起こした。

「これが、このマンションの鍵だから」と言って、私は彼女に合鍵を渡した。「この中にICチップが入っていて、それをかざすと入り口のドアが開くから。他の人がしているところを見ればわかるよ」と私は言った。そして急いで出かけた。


 その夜も、21時に家に帰った。彼女たちは、まだ我が家にとどまっていた。けれど今夜も、家は真理ちゃんだけだった。彼女は一人でテレビを見ていた。

「ただいま」と私は言った。

「おかえりなさい」と真理ちゃんは小さな声で挨拶してくれた。私たちの距離は、少しずつ近づいていた。

「涼ちゃんは?」

「新宿」

 おい、また新宿かよ。いったい何の用があるんだろう。しかし、余計なお世話はしたくない。それ以上は、詳しく聞かないつもりだった。ただ、「涼ちゃんは、今夜帰ってくるの?」と私は聞いた。「わからない」と真理ちゃんは昨日と同じく答えた。そして例の困った顔をした。その表情は、よく見ると困ったというより悲しげに見えた。私は頭の中で、カチッと音が鳴るのを感じた。

 

 私は隣のスーパーで、大量に食材を買い込んできた。会社の昼休みに本屋へ行って、料理の本も買った。それは「素敵な奥さん」という題名だった。題名は別として、いかに栄養のバランス良くバラエティに富んだ献立を考えるか、と言う点でとても参考になる本だった。何か一つ料理を作るなら、ネットでいくらでもレシピを探せる。だが、今の私が求めているのは、総合的な栄養学の知識だった。体系立てて学ぶなら、やはり本の方がいい。まあ、私が古い人間だからだ。

 私と真理ちゃんは、昨日と同じく二人で食事をした。私は食事をしているのだが、真理ちゃんの手は箸を握ったまま動かなかった。その理由は、テレビのせいだった。テレビは、AKBのライブを放送していた。真理ちゃんはうっとりと画面を眺めた。箸は食事をするためのものでなく、リズムを取るためのものに変わっていた。この子は、可愛い女の子が大好きなんだな、と私はわかった。その気持ちはよくわかる。私も同じだから。

 番組が終了するまで、真理ちゃんはほとんど何も食べなかった。私は夕食を、全部温め直した。


 涼ちゃんが帰ってきたのは、また24時だった。出迎えに玄関に行った私は、彼女の姿に愕然とした。彼女は例の革ジャンは着ていたが、その下はシースルーの黒いブラウスを着ていた。ブラジャーが、照明ではっきりと見えた。下はジーンズ地の超ミニで、しかもあちこちが破けていた。角度によっては、その下のショーツが見えてしまいそうだった。おまけに今夜の涼ちゃんは、真理ちゃん並の厚化粧をしていた。真っ赤なルージュが、若く瑞々しい彼女にまったく似合っていなかった。私はキレた。

「おい、いったいそんな格好で何をやってるんだ!」

 今まで見せたことのない私の態度に、二人はびっくりしていた。

「とにかく、テーブルに座ろう」と私は言った。そして三人でダイニングルームに行き、椅子に座った。涼ちゃんと真理ちゃんが並び、向かいに私が座った。

 もう私にはわかった。彼女が援交をやっていることを。身体で金を稼いで、生活費にしていることを。おそらく援交をするのは、涼ちゃんの役目なのだろう。涼ちゃんは、真理ちゃんにはさせたくないのだ。真理ちゃんが見せた、悲しそうな表情の意味を私は理解した。

「涼ちゃん」と私は静かに、しかし強い調子で話しかけた。

「もう、その服は着るな」と私は言った。

「新宿にも、都内のどこにも行くな。とにかく、その格好で外に出るな」

涼ちゃんは、キッとした表情になって私を見つめた。その大きな瞳から生み出される眼差しは、とても力強かった。涼ちゃんは、「お前に何がわかるんだ」と目で訴えていた。しかし私も、負けるわけにはいかない。真理ちゃんはずっと下を向いて黙っていた。彼女の両腕は、涼ちゃんの右腕にしがみついていた。

「ねえ、二人で今いくら持ってるの?」と、私は優しくたずねた。

 二人は鞄からゴソゴソと財布を取り出した。二人合わせても、五千円もなかった。援交は、なぜか二日とも失敗に終わったらしい。

「わかった」と私は言った。「金の心配はもうするな。飯の心配もするな。わかったね?」

 二人は、明らかに戸惑った表情を見せた。真理ちゃんは涼ちゃんを見、涼ちゃんは私をじっと見つめていた。二人ともこの中年男の言葉を、どこまで信用していいのか計りかねていた。

 私はiPhoneで、明日の天気予報を確認した。明日は土曜日で、一日中晴れ、微風。悪くない1日になりそうだ。

「明日ドライブに行こう。8時起床、9時出発。いいね」と私は二人に言った。

「うわあ、すごい!」真理ちゃんが大声を出した。

「海を見に行こう」

「すごー、超いいー」真理ちゃんはそう言いながら、両手で涼ちゃんの右腕をぶるんぶるんと振った。涼ちゃんは、まだためらっている様子だった。

私は自分の部屋に入り、大量の薬を飲んでさっさとベッドに入った。涼ちゃんの疑いの目が、頭からなかなか離れなかった。まあ、いいさ。明日になればなんとかなる。そう自分に言い聞かせて目を閉じた。

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