第2話再会

　その夜私は、会社のグループ再編作業終了の打ち上げに参加した。おかげで、すっかり帰りが遅くなってしまった。二次会にも行ったので、気づけば快速電車の終電は出発した後だった。仕方なく私は、中央線の各駅停車に乗った。

運良く、席に座ることができた。私は本を少し読んで、それからしばらく眠った。電車が西船橋を出発したとき、私は目を覚ました。その時になって、やっと気がついた。二日前に出会った、あの少女二人が目の前にいることを。二人は、私の向かいの座席に座っていた。

二人は熟睡していた。革ジャンに黒づくめの少女は、座席の上でのけぞり、頭を窓ガラスにのせ口を半開きにして寝ていた。一方、例のロリータファッションに厚化粧の女の子は、革ジャンの少女の左腕に自分の両腕を絡ませ、頭を彼女の左肩にのせて眠っていた。

この子たちは、自分と同じ方面に住んでいるのだろうか？。この様子じゃ、自分の降りる駅で目を覚ますのかな？私は不安になった。とはいえ、「君たち、降りる駅はどこだい？」と聞く訳にもいかない。私は少しハラハラしながら二人を見守った。

電車はとうとう、私が降りる駅に到着した。二人は眠ったままだ。次は終点で、時計は深夜1時を回っていた。私は降りずに、彼女たちについていった。

電車が、終点の駅に着いた。いっせいに、乗客たちは降りていった。でも、二人の少女だけ、眠ったままだった。ついに私は、二人に声をかけることにした。私は革ジャンの少女の左肩を小さく揺すった。しかし、なかなか彼女は起きない。おそらく、酒を飲んでいるんだろう。私は今度は彼女の左肩をつかみ、前後に乱暴に揺すった。

ようやく彼女は目を覚ましてくれた。続いて、ロリータファッションの女の子も眠りから醒めた。二人はすぐに首を左右に振って、あたりを不安げに見回した。

「ここは、終点ですよ」

と私は二人に言った。しかし二人は、終点の駅名にピンとこないようだった。

「家は、どちらですか」と私は聞いてみた。ロリータファッションの子は、さっと革ジャンの女の子を見た。回答は、彼女に任せるという意思が見えた。

「新橋」

と革ジャンの子は答えた。私は驚いた。新橋に住宅街なんて、あったっけ？まあ、汐留の高層マンションに住んでいるのかもしれない。だがともかく、もう新橋行きの電車はない。それが現実だ。ロリータファッションの子は、革ジャンの子にぎゅっとしがみついた。全ての選択を、彼女に任せるのだろう。

「新橋なら、タクシーで帰るしかないですよ」と私は落ち着いて言った。「お金は大丈夫？」

「おじさん」と革ジャンの子は、私に話しかけた。「おじさんは、家族と暮らしてるの？」彼女は私に聞いた。

　私の年齢なら、家族がいて当然だろう。しかし革ジャンの彼女は、それをあえて確かめようとした。それは多分、彼女なりの計算があったと思う。家族がいるならば、私たちに声をかけたりしないと。邪な企みがあるから、声をかけたのだろう。

「いや、一人暮らしですよ」と私は正直に答えた。

「今晩、泊めてくれない_？」

　大胆にも、革ジャンの子はそう私に言った。そして、鋭く、艶めかしく、すがるような視線で私を見つめた。

　以前の私なら、一発で彼女に参ってしまったと思う。よく見ると、革ジャンの子はとても綺麗な女の子だった。彼女は今夜も、髪を後ろでまとめていた。形のいい顔の輪郭が浮き上がっていた。細いけれどくっきりとした眉毛、瞳は大きいが目尻がきりりと引き締まり、眼差しはとても鋭かった。

泊めてもらう代わりに、自分はそれなりの代償を支払っても構わない。そんな決意が、彼女の眼差しにはこもっていた。それはきっと、自分にしがみついている、ロリータファッションの子を守るためなのだ。

　そういうことか、と私は思った。彼女たちは気付いていないが、私は二人が恋人同士であるのを承知している。だから、革ジャンの子がどんな眼をしようと構わなかった。

「いいですよ。今晩はうちにおいで」と私は革ジャンの子に言った。

私たちは改札を出て、駅のロータリーにあるタクシー乗り場に向かった。

　二人は、巨大な荷物を持っていた。革ジャンの子はスーツケース。ロリータファッションの子はキャスターバッグ。まるで、今夜から海外旅行にでも行くみたいだった。荷物の車輪がガラガラ鳴る音を聞きながら、私は考えた。二人はきっと、家出少女だろう。

　幸い、すぐに空車が見つかった。私は、二人の巨大な荷物をタクシーのトランクに積んだ。少女たち二人は後部座席に、私は助手席に乗った。私が自分の家の住所を説明し、車は走り出した。

家に着くまで10分間、私たちは何も話さなかった。タクシーの運転手も、珍妙な組み合わせの客に、あえて話しかけようとはしなかった。

私の自宅であるマンションに到着し、私たちは車を降りた。セキュリティを鍵で開け、私を先頭にマンションの中に入った。二人はキョロキョロと辺りを見回し、周囲を確認した。とても緊張しているのがわかった。無理もない、これから得体の知れない男の家に泊まるのだから。

私の家は、一階だった。私は玄関の鍵を開けると、まず二人を一番奥にある南側のダイニングルームに通し、六人掛けのテーブルの椅子に座らせた。

「のど乾いてないですか？」と私は二人に尋ねた。しかし、少女は沈黙していた。何を言っていいのか、思いつかないといった様子だった。

　私はレモンを絞って冷やした水を、冷蔵庫から出した。グラスに注ぎ、二人の前に置いた。それから私は、奥の空室となっているリビングルームに向かった。押入れから来客様の布団を出し、部屋の真ん中に敷いた。もう一部屋は、死んだ母のベッドがそのままになっていた。私はベッドの掛け布団を、今の時期にあったものに取り替えた。

　二人は、多分どちらかの部屋で一緒に寝るだろう。しかし、それは彼女たちが決めることであって、私が決めることじゃない。私は二部屋に寝具を用意してダイニングルームに戻った。

　二人の少女は、不安と戸惑いを隠せなかった。相変わらず押し黙ったままだった。

「お風呂に入りなよ。湯を張ってたら、30分くらいかかっちゃうから、今夜はシャワーでいいね？」と私は二人に言った。二人は顔を寄せ合ってコソコソと相談し始めた。あまりに小さな声なので、私にはまったく聞こえなかった。

　まず、ロリータファッションの子が立ち上がった。彼女はあの厚化粧を洗い落とさなくてはならない。彼女は巨大なキャスターバッグから、いろいろな道具を取り出し、それを持って浴室に向かった。ダイニングルームには、革ジャンの子と私が二人取り残された。

　私は彼女に、「重要なこと」を伝えなくてはと考えていた。今が、まさにその時だった。

「あのね、君」と私は少し小さな声で言った。「俺、インポだから。だから、心配しなくていいから」

　革ジャンの子は、ぴくりと眉を動かして真剣な表情をした。しかし相変わらず、何も言わなかった。私は不安になった。果たしてこの女の子は、「インポ」という言葉を知っているだろうか？

「あのさ、インポってつまり、あそこがタタないってことだから。だから、君たちに襲いかかったりしないってことだから。ここまで説明すれば、わかってくれますね？」と私は言った。

「わかった」と革ジャンの彼女は、少しだけ微笑を浮かべて答えた。彼女は決して、私のインポをバカにしたわけでない。たった今まで感じていた、不安と緊張から解放された笑顔だった。私にはそう見えた。

　さてと、と私は思った。もう眠い、もう寝ることにしよう。風呂は朝シャワーを浴びればいい。私はダイニングルームを出て、自分の部屋に入った。スーツを脱ぎ、寝巻きに着替えた。そして、ダイニングルームに水を汲みに戻った。ロリータファッションの女の子は、まだ浴室から戻っていなかった。革ジャンの子は、熱心にiPhoneをいじっていた。私は彼女に話しかけず、キッチンで水を汲んで自分の部屋に戻った。

　私は部屋の椅子に座り、引き出しから薬の入った大きな袋を取り出した。うつ病の薬だ。数種類の薬を用意し、手のひらに全部乗せてさっと水と一緒に飲み込んだ。全部で10粒くらい。これが今の、私の現実だった。

　薬を飲んだら、私は部屋の明かりを消してベッドに潜り込んだ。部屋の外では、まだシャワーの音が聞こえていた。そろそろ革ジャンの子の番になったかもしれない。

　ベッドに入って目を閉じてから、私は彼女たちに殺されるかもしれないなと考えた。私を殺し、金目のものを盗んで逃げる。そんな可能性だってある。

　しかし私は、自分の命に執着していなかった。それから、私の家に金目のものなんて一つもない。財布に入った1万ちょっとの現金と、500円玉が入っている貯金箱くらいだろう。

　どうでもいい、と私は思った。薬のおかげで、すぐに深い眠りに落ちた。