匂いおこせよ梅の花(5)
外からはいまだ
梅ヶ枝詩葉。いったい、彼女は何者なのだろう。聞きたいことは山ほどある。
閑香に瓜二つの少女の描かれた絵。それを描いたという詩葉の母親。自分以外に初めて出会った《影》が見えるという女性、詩葉は《影》の正体を知っているのか。
そして――彼女はこれから、何をするつもりなのか。
老女は、ただそこにある。動かず、話さず、時折思い出したように瞬きをする以外、目に見える動きはない。
まじまじと老女を見つめていると、治まったはずの頭痛がぶり返す。
目を離さないように言われたが、耐えきれずに視線を外す。そうすると、どうしても近くにある閑香の絵が気になり、両者を交互に一瞥する。
……閑香。
この絵は本当に彼女を描いたものなのか。それとも、単に他人のそら似なのか。
だが、顔だけならばともかく、制服まで同じというのは偶然だとは思えない。
歯がゆいほどに奇妙な時間が流れる。時が止まったかのような静寂の一時だ。
人工的な灯りの下にあるのは、薄ぼんやりとした老女と、死んだ幼馴染みの肖像、そして自分、藍川啓人。
まるで、自分までもがこの世の者ではないのではないかという錯覚に襲われる。
確かなものなど何もなく、すべてが
硬い足音が
「お待たせしました」
暗がりから近づいてくる彼女もまた、
詩葉は片手に少し余るくらいの大きさの短冊と筆を持っていた。それを取りに行っていたようだ。何の目的で使うのかは、見当もつかない。
「おばあさん、どうか私にあなたのことを教えて下さいませんか」
詩葉が語りかけるが、やはり老女は周囲には関心を示そうとしない。その反応を確かめた後、詩葉は手にした筆を用い短冊に流れるように書き付ける。
《
そして、
それは三十一文字、一首の和歌だ。
《こち》という言葉は聞き慣れない。だが、詩葉がその言葉を口にした時、室内に柔らかな風が吹いた気がした。
さらに、その風に乗り、梅の花の香りが、そして詩葉の声に運ばれ、春が――閑香を亡くしたあの季節が、匂ったように思えた。
光のどかな春の海をまぶたの奥に見た。その錯覚は一瞬だが、
すべては、幻だ。だが、彼女の言葉にはそれだけの力があった。
気がつけば、眼前には詩葉と老女がいる。
老女の様子が、微かに、しかし明らかに変化する。目に僅かに光が宿る。これまで固く閉じられていた口が、小さく開く。
《ちかこ》
と、彼女は再び言った。
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