第6話 少しでも

 


 俺の目の前にあったのは制服のエプロンについたネームタグだった。


「渡辺さん?」


 俺が避けた先には渡辺さんがいた。見上げると、渡辺さんはサラリーマンの方を見ている。とても冷静な目で俺に伸ばされた手を掴んで止めていた。


「お客様、申し訳ございませんが、いくらお客様と店員という関係でも手を出されては見逃すわけにはまいりません。こちらのものの言う通り当店には七味を含む薬味類はおいておりません。ご了承ください。」


 サラリーマンは驚いて渡辺さんを見ているだけだった。渡辺さんはそんな様子をわかっていたのか、さらに続けた。


「これ以上騒がれてしまうと、警備員を呼ばないとならなくなってしまうので、本日は商品を受け取ってお引き取り願えませんか。」


 サラリーマンは辺りを見渡して我に返ったようで、渡辺さんが差し出した袋をひったくるように取ってそそくさと帰って行った。


 



 その後、俺は普段通り業務をこなし、閉店作業をした。渡辺さんもそうだった。



 タイムカードを押した後、俺は急いでロッカールームに行った。今日も俺がごみを捨てに行き、渡辺さんがレジ締めだったため渡辺さんの方が先に退勤していた。

 案の定、俺がロッカールームの扉を開けると、渡辺さんはちょうど鞄を持って出て行こうとしているところだった。


「渡辺さん。」


「わ!…は…小野田君、どうかした?」


「ちょっと今日、お話ししてから帰りませんか?」


「え、もう遅い時間だけど大丈夫?」


「明日日曜だし大丈夫です。渡辺さんは駄目ですか?」


「うーん…いいけど、何か僕に俺に用事でもあるの?」


「…はい。」


 渡辺さんは少し困った風だったけど、俺は真剣だった。


「じゃあとりあえず、搬入口出たところで待ってるね。」


「はい。」




 俺は急いで着替え、出口へと向かった。

 渡辺さんは搬入口を出た左側にいた。この前あのカップルがいた場所だ。何だか少し気まずさを感じ始めたところで、からかわれているのだと気がついた。


「はぁ…」

 

 思わず溜め息が出た。こんなところで頭を使わなくても、使い時はたくさんあるだろう。すると渡辺さんがこちらを振り向いた。


「あ、は…小野田君!」


「…渡辺さん。何でわざわざそこで待ってるんですか。」


「え、だってここ立ってみると意外と人を待つのにいいよ。」


 そう言いながら、きれいな顔でニヤニヤと笑っている。


「意味が分からないです。」


「うふふ。あ、ところで話って何?」


「あの、さっきはありがとうございました。…酔ってるお客さんに絡まれて困ってたので。」


 俺はとりあえずさっきのお礼が言いたいと思って、渡辺さんに待っていてもらったのだ。きっとあそこで止めてもらっていなかったら、首根っこをつかまれていたか、もしくは殴られていたかもしれない。


「え?ああ、いいのにあんなの、当たり前だよ。」


「でも、助けてもらってなかったら殴られてたかもしれないので。」


「…そお?じゃあ、どういたしまして。」


 そう言っていつものように、微笑んだ。やはりこの人の顔は綺麗だ。髪だって、普通の人がしたらチャラくなりそうな色なのに、渡辺さんだと上品に見える。


「話はそれだけ?」


「はい…あ、そうだもう一つ聞きたいことがあります。」


「ん?なあに?」


 



 俺は渡辺さんにばれないように、手に力を入れて握りしめた。そうしないと楽しそうな渡辺さんに話を切り出せないと思った。


 

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