第4話 音色の行方



「本日演奏していただくのは、幼いころから数々のしょうを受賞されてきた、渡辺雪さんです!」


 そう紹介されたのは黒いパンツに、オシャレなモチーフの入った白シャツを着た渡辺さんだった。俺はすごく驚いたけど、みんなに見られるステージの上は彼によく似合っていた。


 渡辺さんのことはほとんど知らないので、ピアノをやっていることはもちろん知らなかった。しかもコンクールで優勝するほどの腕前だなんてなおさら知らない。




 始めは、広場に用意されていた客席は埋まっていなかった。しかし、渡辺さんの演奏が始まると通りがかりの人が立ち止まり始めた。俺のいる二階、三階にも下を覗き込む観客が増えてきた。

 素人の俺は技術的なことはわからないけれど、強く引き寄せられるような音色だった。

 俺は演奏に集中していたけれど、ふと渡辺さんの顔を見た。


「…渡辺さん?」


 彼は何だか寂しそうな、申し訳なさそうな、複雑な顔をしていた。そういう表現なのかとも思ったが、そんなに悲しいイメージの曲ではなかった。ちなみに俺はクラシックの音楽はあまりきかないので、曲名などはわからない。


 一度その表情を見てしまうと、気になって演奏に集中できなくなった。なぜ、こんなにたくさんの人を魅了できる演奏ができるのに本人が楽しそうじゃないんだろうか。才能があるのにそんな自分さえも嫌っているような表情。それを観て、俺も苦しくなった。


 


 演奏が終わった。俺は結局その場から動けないものの、最後まで演奏には集中できなかった。周りの観客は大きな拍手を送り、関係者っぽい人たちは皆満足気だった。

 ただ一人、渡辺さんだけが寂しそうな微笑みで立っていた。




 俺はその後、数件の店を見たがもうコートも買ってしまったし、特にほしいものもなかったので、ショッピングモールを出て電車に乗った。

 電車に揺られながら渡辺さんの表情が頭から離れなかった。俺には多分、渡辺さんの気持ちはわからない。人より秀でる才能もなかったし、華やかな舞台に立ったこともない。だけど、あんなに苦しい表情をする人は今まで周りにいなかった。バイトの同僚でいつも無気力な人があんなにすごい人ってだけでも、正直頭を整理しきれない。



(なんであんなに悲しそうだったんだろう。少なくともこの前、バイトの帰りに会った渡辺さんは楽しそうだったけど…。あれから何かあったのかな?)


 今度会った時に聞いてみてもいいのだろうか。でももし表情だけじゃなくて、本当に苦しいのなら…。

 でも、俺には関係ないと言われてしまえばそこまでだ。



 その後数日間、俺はふとした時に渡辺さんの表情と美しい音色を思い出して心がギュッとなった。

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