第33話 朱夏の日常

 寝ていたようだった。起き上がって今いる場所が解らず、辺りを見渡し、ここが、ファミレスの店長であり、同級生の男の家だと解るのに少し時間がかかった。

 薄暗くなってきたので電気をつけた。でもすぐに消した。一瞬の間に判断したのだ、あいつがいるかもしれないと。

 窓の側に這っていき、外を見た。外は駐車場と、その向こうはドラックストアの裏面が見える。あの停まっている車のどれかにいるだろうか?

 怖くて、部屋の奥まで這って膝を抱えた。

 頭が整理を始めた。主婦四人組の会話を聞いていた。姑の悪口だった。そしたら、声をかけられて、あの顔があった。

 数年前まであたしの隣にいた人。

 そう、あいつは、あたしのもと亭主だ。好きで結婚した。でも、十年たっても子供を作ろうとはしなかった。できなかったわけではなく、完全に否認をし、子供がそろそろほしいとか、姑にせっつかれているとか言ったら、レスになった。家に帰ってこなくなった。

 そして、一月後、おなかのふっくらした人を連れてきた。

「妊娠六か月です。あなた、子供居ないでしょ、別れてよ」

 なんで? あたしじゃないの? と聞いたあたしに、あいつは言った。

「お前の子供なんかほしいと思わない」

 怖かった。なんでか解らなかった。DVで暴力を振るわれていたわけではない、言葉の暴力もない。でも、それは完全否定だった。

 震えが、止まらない。


 八時近くに、店長が帰ってきた。明かりがついていないので、帰ったのだと思って中に入って、あたしが蹲っているのを見て驚いていたが、くしゃくしゃと頭をなで、

「とりあえず、飯食おうぜ」

 と机にファミレスのテイクアウトを何種類か乗せた。

「いつも、こんなに食べるの?」

「んなわけないだろ、お前の好み解らないけど、元木さんが言う話じゃぁ、これ好きらしいって、」

「元木……あ、あぁ」

「めちゃくちゃ心配してた。そんで、あいつら、睨んで接客しないんで困った」

 あたしが苦笑する。

「お前があいつ見て飛んで出て行ったんで、すぐに俺んとこ来て、ざっくりな、お前の別れた亭主って、まぁ、そのあとがすんげ―めんどくせぇで、」

「めんどくさい?」

「あの嫁、すごかったぞ。お前見てけたけた笑い出して、そのあと、一人でファミレスとかってどんだけさみしいんだか、信じられないと言い出し」

「まぁ、実際さみしいけどね」

 店長が鼻で笑う。

「そのうえで、ファミレスに一人で来る客とかってあり得ないとか、店側も、ファミレスに一人で来る客に遠慮してもらうとか、考えたほうがいいとか言い出して、」

「で、あんたがなんか言ったのね?」

「んー、まぁ。丁重にお引き取り願って、あいつにも、家遠いのにわざわざここへ来るな、ファミレス馬鹿にするなら高級な場所へ行けって言っといた」

「ほんと、なんで、来たんだか、」

「遊びに行った帰りなんだと、」

「あぁそれで。それで、なんか食べて帰った?」

「いや、ベル鳴らされても従業員が接客拒否した」

「だ、大丈夫なの?」

「ウソ。一応接客はしたけど、周りがひそひそと言い出して、若いってのは恐ろしいな、写真取り出してな、」

「写真?」

「まったく関係ないところに座っていた一人でいた兄ちゃんが写真撮ってSNSに載せたのさ」

「え?」

「その兄ちゃん、飯食いに来たら、一人でいる奴はファミレスに来るなとかありえない婆の叫び声、むっちゃ腹立つんで。ほれ」

 そう言ってSNSの携帯画面を見せてくれた。

「お、おお」

「あっという間に拡散。そしたら、この嫁、あちこちでいろいろとやっているようで、その女ならって、ほら、どっかの店でわめいてる姿とか、載せられて、ていうか、本人も、うちの店接客最悪。とか書き込んでいた時に、自分のそれにドバっとコメント来て、奇声発して、お静かに願います。と言いに行ったら、なんかよく解らんが怒って帰った」

「兄ちゃんが写真撮るの容認したんだ」

「見てなかったからなぁ」

「嘘つけ……でも、少しすっきりした」

 この女は妊娠していなかった―。あとで分かったことだけど、五か月だと言えば離婚せざるを得ないだろうと思ったようだ。おなかのふくらみは、どこで手に入るのか解らないが、妊娠体験ベルトとかいうやつだったらしい。それも、本当かどうかわからない。もしかすると、ただの綿かもしれない。それでも、あいつはあたしより、あの女を選び、その理由が、あたしの子供はいらない。というのだったというだけ。

「あいつにしてあの女と思った。似合いの夫婦じゃないか? 時間かかったが、別れて正解だろう?」

「店長、ありがとね」

 店長は短く返事を返してくれた。

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