3 愛と欲望のエビ

「……馬鹿な真似は止めなさい、佐奈」

 流石に動揺した様子で、鳴花が口を開いた。

「取り憑きだなんて、そんなこと有り得るわけがないじゃない。あたしたちを怖がらせようとしているなら、質が悪いわよ」

 しかし、幽霊は彼女の言葉を鼻で笑う。

 今度はあちらが動じない番のようだった。

『ははは――女。妾が憑依すると何か都合の悪いことでもあるのか? 存在を否定したいのだろう? さぁ、やってみるがいい!』

「くっ……!」

 鳴花はたじろぐ。

 そりゃそうだ――幽霊の存在は、「彼/彼女は実在しない」という前提があってこそ議論の場に上ることができる性質のものだ。実際に目の当たりにしてしまい、しかも憑依合体なんて芸当まで見せられた後では、鳴花に太刀打ちできるはずもない。

 それはあたかも、目の前にペンギンが居るのに「それはペンギンなどではない」と話を進めるようなもの。……いくらなんでも、無茶苦茶だった。

 それでも鳴花は、言葉を絞り出す。

「幽霊はあたしたち人間が作り出した、幻覚や見間違いの類が噂の形になって伝播したものよ……それが実際に存在するなんて、ドラゴンが存在するって言うようなものだわ。だから幽霊、いや、佐奈! あなたは『幽霊に取り憑かれている』って自己暗示に掛かっているだけで――!」

『ほう、これでもか?』

 幽霊は佐奈ちゃんの体で、右腕を宙にかざす。

 するとどうだろう。

 先程噛み千切ったことで地面に転がったエビフライの尻尾が、ふわりと独りでに空に浮かび上がり、まるで誰かに操られているかのように右へ左へ、ふらふらと普通なら有り得ない動きを始めたのだ。

 ぼくは固まる。

 鳴花も固まる。

「か、風よ――風で浮かび上がった尻尾を、あたしたちが『念力で動いてる』と捉えているだけで――」

『んん? 女、お前は曖昧なものを信じないのではなかったか? それなのに「念力」などという不確かな現象を想像するのか?』

「ぐっ……とにかく、それは絶対に念力なんかじゃないわ! そうだって言うなら、今、あたしの目の前で他のエビフライも、」

『浮かばせれば良いか?』

 ひゅん、っと。

 その言葉に合わせて、(丁寧にも気絶する前に閉められていた)佐奈ちゃんの弁当箱が勝手に開き、中から一本の立派なエビフライが飛び出してくる。

 ……それだけじゃない。その小さな弁当箱のどこに隠されていたのか、他に入っていたポテトサラダも、ハンバーグもウィンナーも、柴漬けも焼き鳥もビーフカツも浮かび上がって空中で楽しげな円舞曲ワルツを踊り始める。

 戦慄が背筋を駆け抜ける。

 なんてことだ。佐奈ちゃん、この量を一人で食べ尽くすつもりだったのか……?

「きゅう」

 と、あまりにもな食欲……じゃない、あまりにもな光景をまざまざと見せつけられ、ついに鳴花まで気を失ってしまう。

 地面に崩れ落ちる寸前で、ぼくは何とか鳴花の細い体を抱き留める。

「鳴花!? しっかりしろ、鳴花!」

「もうやぁ……。えびふらい、やぁ……」

「寝るな! 今ここで眠ったら、エビフライの悪夢に魘されるぞ!」

「うふふ……えびふらいが一本、二本……ふらいが二本で八千円……」

「なんだって……ふらいが二本で八千円……!?」

 すごく高級そうな夢だった。

 これはこれで捨て置いても幸せなのかも知れない。

 ともかく。


『――はーはっはっは! これで妾の邪魔をする者はいなくなった! 自由に動かせる体も得た! くくく……これで我が悲願であった、全国海産物巡りを実行に移せるのだ……!』


 佐奈ちゃんに取り憑いた幽霊は悪鬼の如く高笑いを上げた。

 ……いや、「如く」じゃなくて、悪鬼そのものなのか。

 ぼくが憎々しげな視線を向けると、悪鬼は『んん?』と邪悪に笑う。

『なんだ、小童? この期に及んで、まだ妾を否定できるつもりでいるのか? ふはは、無謀だな。止めておいた方が身のためだぞ?』

「うっ……」

『そんな無益なことをするより、妾の配下に下らぬか? 無論、褒美は与えよう。たとえば……ふむ』

 そこで幽霊は、あろうことか。

 佐奈ちゃんの胸におわす二つの膨らみを、両手を使って持ち上げるようにする。

「――――ッ!?」

『なかなか豊満な肉体だ。この体を使って、お主にあんなことこんなこと奉仕するというのはどうであろう?』

 幽霊は片手を離し、スカートの裾をギリギリのところまで引き上げる。

『お主にとっても悪い話ではないと思うがの……?』

「是非」

『くははは、この期に及んで強情――えっ、いいの? お主の後輩、たぶんお主のこと見損なうよ?』

 おっと間違えた、つい本音が漏れてしまった。

 だって男の子だもん。仕方ないよね。

 ……建前でも、ここはこう言っておこう。

 そっと鳴花を地面に降ろして立ち上がると、彼女がそうしたように幽霊へ指を突きつける。

「許さないぞ幽霊! 佐奈ちゃんのおっぱいを勝手に使って、ぼくにあんなことこんなことそんなことするなんて、天が許してもぼくが許さない!」

『「そんなこと」までは言ってない』

「とにかく!」

 ――ぼくは宣戦布告する。

「お前を倒して佐奈ちゃんを取り返し、ぼくは合意の上でぱふぱふ……じゃない、平和な日常を取り戻させてもらうからな、幽霊!」

 こうして。

 昼休みの屋上で、ぼくと幽霊の一騎打ちが幕を開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る