2 オーバーソウル! サナ・オベントゥ

「とりあえず、あの人に協力を取り付け……もがっ」

 躊躇わず歩み寄ろうとした鳴花を、佐奈ちゃんと二人でがっちり引き留める。

「やめろやめろ! なんでそう躊躇なく行くの!」

「そそそそうですよ先輩! ゆゆ、ゆーれいですよ!?」

 口元を覆う掌を振り払い、鳴花は「?」な表情でこちらに向き直った。……不思議なのはこっちだよ!

 鳴花はあろうことか、再び幽霊を指しながら言う。

「協力してもらった方がスムーズでしょう?」

「めっ! 指さしたらめっ! 呪われても知らないぞ!」

「呪われる? それはつまり、熱いものに触れたら火傷する的な関係かしら。なら幽霊には、『怖い』って性質以外に『呪う』って性質もあることに、」

「何淡々としてるの! 見ろ、すごい形相でこっちを見て――」

 おっかなびっくり幽霊に顔を向けると、彼(彼女?)はこちらを凝視しながら、

『呪ッテヤル』

 と。

「ほら呪う気満々だよ! 逃げようって、な?」

「きゅう」

 それと同時に、佐奈ちゃんが気を失って倒れ込んだ。恐怖が臨界点に達してしまったのだろう。佐奈ちゃーん! ……とりあえず口にエビフライを突っ込んでおく。

 ぼくはごく常識的なことを提案をしたはずなのに、そんな言葉は意に介さず、佐奈ちゃんの犠牲をものともせず、鳴花は一人考え続ける。細い顎に指を当て「んー」と唸りまでしていた。

「呪われるから怖いのかしら……」

 とか言っている。

 どうして幽霊が怖いかはさておいて、ぼくにはこの期に及んでもぶれない鳴花の方が怖い。下手すると、空が降ってきても動じないんじゃないだろうか。

「そもそも幽霊ってどんな仕組みで見えてるのかしら……彼そのものが『怖さ』ってクオリア的存在だとすれば、あたしの頭の中にしか存在しないってことよね。でも悠たちにも見えているようだし……あぁ、駄目ね。やっぱり理解しないことには始まらないわ。ねぇ、ちょっとそこの人」

 話しかけた! この子、幽霊に話しかけた!

「――あたしは曖昧なものを信じないわ」

 幽霊に向けて、不敵にも宣言する。

 もうぼくも気絶してしまいたかった。

「見えている以上、仕方ないからあなたの存在は認めてあげる。けれど、人間の意識が独立して現れているだなんて馬鹿な話は信じないわ。で、あなたは何?」

「幽霊に喧嘩を売るんじゃない!『うらめしや』って来るぞ――」

 再びおそるおそる幽霊に顔を向けると、彼女(彼?)は輪郭を揺らめかせ、

『恨ミハラサデオクベキカ』

 と。

「ほら恨んでる! 思ってたより恨んでる、……ってうわ!?」

 ――不意に、暴力的な風が吹き抜けていった。

 制服の袖がなびき、髪が煽られ、ぼくは思わず身構える。……これアレじゃん! ボス戦前で「皆殺しにしてくれようッ!」って敵が出す殺意の波動的なアレじゃん!

 これでぼくたちが勇者御一行だったなら話は別だけど、ぼくは村人Aだし鳴花の呪文は不発だし佐奈ちゃんに至ってはエンカウント直後に棺に入ってる始末だ。駄目だ、敵いっこない――諦めてぼくは目を瞑る。

 やがて、風は止む。

 ぼくは全身を硬直させて開幕攻撃に備えるけれど、

 ……………………。

 …………?

「……?」

 何も、起こらない。

 びくつきながら目蓋を上げると、目の前にはいつもの屋上が広がっている。

 消えた? あんなに殺る気満々だったのに。

 静寂が辺りを覆っている。

 聞こえるのは、校舎から響いてくる昼休みの喧噪くらいだ。

「逃げた、か」

 そんな束の間の沈黙を破ったのは、鳴花の一言だった。どうして残念そうにしているかは知らないけれど、とにかく彼女は残念そうに呟く。

「良い検証の機会だったのに、惜しいことをしたわね。……個人的にはとても興味をそそられる議題だったのだけれど」

「…………」

 で。

 ぼくが今の言葉に込められたニュアンスに突っ込まなかったのは、幽霊が消えてくれたという安堵以上に、不穏な違和感を覚えていたからだ。何と言えばいいのか、これじゃ、まるで嵐の前の静けさみたいな。

 何だ、この感覚。

 嫌な予感が――する。

「なぁ、鳴花」

「どうかしたの、悠? あなたとしたことが、まさか幽霊ごときに恐れをなしたわけじゃないわよね」

「そうじゃなくて。いや、そうだけどさ」

 冷や汗を流すぼくを、鳴花が怪訝そうに眺める。

「こう、生温くないかな。その、……空気が」

 言った瞬間だった。

 ――ぞっとするような悪寒に、ぼくと鳴花は同時に振り向く。


『ふふふ』


 声が、聞こえた。

 唖然とする。

 自分が見ているものが何なのか、瞬時には理解できなかったからだ。……まぁ、理解できないというか、ただの佐奈ちゃんだったのだけど。

「……佐奈?」

 頼りない声音で鳴花が訊ねる。無理もなかった。

 佐奈ちゃんだ。目の前に立っているのは間違いなく佐奈ちゃんなのだけど――佐奈ちゃんじゃない。

 纏っている全く空気が違った。それはいつもの食い気などでは決してなくて、瘴気とも毒気ともつかない、禍々しい気配へと変貌している。

 中身が、違う。

 やがて地の底から放たれたように反響する声が上がり、ぼくは勿論、あの鳴花すらも一瞬気圧される。

『ふふふ、はーはっはっ! 我、ついに肉体を得たり! むしゃあ! ……そこの女、妾を愚弄した罪は重いぞ!』

 ぼくが突っ込んだエビフライを噛み切りながら。

 取り憑かれた佐奈ちゃんが、そこに立っていた。

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