第13話 勝利条件
「いやはや、戦地でこのような食事が食べれるとはな!」
ルートヴィッヒ一世は上機嫌にそう言った。
彼の前には、豪勢なレムリア料理が並べられている。
そんなルートヴィッヒ一世と同じ食卓を囲むのは……
エルキュールとセシリアだ。
「やはり食事はレムリアが一番美味しいですね」
しみじみと、セシリアは言った。
一年のうち半年間をレムリア市で過ごしているセシリアだが……どうやらレムリア市の食事はあまりセシリアの口には合わないようだ。
セシリアは節制を心掛けてはいたが、しかしそれでもノヴァ・レムリア市の食事は非常に美味しい。
自然と口が贅沢を覚えてしまったのだ。
また、レムリア市ではお風呂に自由に入れないのもセシリアとしては不満点だろう。
水は貴重なのだ。
だからこそ、セシリアは自分自身の住環境を改善するために積極的にレムリア市の復興に力を注いでいた。
「しかし、美味すぎるのが問題だ。母国へ戻った時……兵士に反乱を起こされてしまうかもしれん。……まさか、それが狙いかね? ハハハハ!!」
冗談を交えながら、ルートヴィッヒ一世はレムリア帝国の兵站能力を褒めたたえた。
新鮮で豊かな食事を二十万人分用意できるのは、この世界でもレムリア帝国だけだろう。
インフラや食糧保存技術に関しては、レムリア帝国はファールス王国の上を行く。
エルキュールはそれをルートヴィッヒ一世と、そしてその配下の諸侯・騎士、そして末端の兵士にまで見せつけたのだ。
現状、援軍としてやってきた六万の軍勢を養っているのはレムリア帝国である。
これは助けて貰う立場というのもあるが……そもそもフラーリング王国軍は最低限の食糧しか持って来ていなかったことも大きい。
養ってやらなければ、六万が全て盗賊と化す。
レムリア帝国としては当然のことだ。
尚、エルキュールは出兵に関する費用を全て負担する気は毛頭なかったし、謝礼金を支払うつもりもなかった。
そしてルートヴィッヒ一世もそれを受け取る気はない。
というのも、全ての資金をエルキュールが出せば……
対異教十字軍は、フラーリング王国軍は全てエルキュールの雇った傭兵という形になってしまうからだ。
そうなればその指揮権は全て、エルキュールが握るのが道理であるし……
フラーリング王国軍も雇われただけの立場になり、レムリア帝国に恩を売ることができない。
勿論、エルキュールの、というよりはレムリア帝国の財布事情の問題もあるのだが。
国力の限界まで動員したのだから、当然、財政的はすでに大きな負担となっている。
これ以上の負担はできない。
「楽しんでもらえて結構……では、本格的な話し合いと意見の擦り合わせに移っても良いかな?」
エルキュールは葡萄ジュースを口にしながら言った。
この場では葡萄酒は出されていない。
それもそのはず。
非常に重要な話し合いが、これから三者の間で行われるからだ。
「ふむ、ではまず余から単刀直入に聞かせていただこうか? エルキュール陛下。あなたは何をもって、この戦争を終わりとしますかな?」
戦争は始めるのは容易い。
が、終えるのは難しい。
よって……勝利条件を決めておくことが、重要だ。
「余としては、ファールス王国が……異教徒共が、アルブム海に出てくる可能性を潰すことがこの戦の勝利条件だ」
ルートヴィッヒ一世は決して義と信仰のために、この戦に参戦したわけではない。
異教徒の勢力をアルブム海に到達させないこと。
それさえ果たすことができれば、ルートヴィッヒ一世のこの戦争における用事は終わりだ。
……勿論、軍を起こした以上は目に見える勝利を挙げなければならないという、面子の確保も重要なのだが。
「それは良かった。……私にとっての勝利条件は、異教徒を国土から追い返すことであり、そして国土を防衛すること。あなたと私の目的は、一致している」
「その国土には、ハヤスタン王国は含まれますかな?」
ルートヴィッヒ一世は笑みを浮かべたまま、しかしその瞳には一切の笑みを浮かべず、そう尋ねた。
ルートヴィッヒ一世が守り合いのは、シュリア属州やミスル属州だ。
ハヤスタン王国はアルブム海に面していないため……
ハヤスタン王国の割譲を条件にファールス王国が引いてくれるのであれば、それを推したいのは当然のことだった。
「当然、含まれる。私はハヤスタン王国の国王でもあるのでね。……それにハヤスタン王国はメシア教の国家。ノヴァ・レムリア公会議では、異教徒からメシア教徒の同胞を守ることが決定された。故にハヤスタン王国は防衛の対象に含まれる」
当然、エルキュールにしてみればハヤスタン王国は防衛の対象である。
そもそもエルキュールがファールス王国の譲歩をして講和をしなかったのは、ハヤスタン王国を守るためだからだ。
「ふむ……余の記憶が正しければ、ハヤスタン王国はアレクティア派ではなかったかな? 単性論を支持する、異端宗派だ」
そしてルートヴィッヒ一世としては、ハヤスタン王国のために血を流す気は毛頭ない。
当然、エルキュールに対してもしもの時はハヤスタン王国を諦めるように求めるのは当然のことだった。
「ハヤスタン王国の女王、ルナリエは正統派だ。勿論、私も正統派だ。よってハヤスタン王国の教義は正統派であり、同胞だ」
「しかし民の多数派はアレクティア派のままではないかな? あなたは国内におけるアレクティア派の信仰を容認している。貴族の大部分も未だにアレクティア派なのではないかね?」
「そもそもノヴァ・レムリア公会議にて、異端宗派は除くという文面はない。故に仮にハヤスタン王国の多数派がアレクティア派であったとしても、メシア教国である以上は防衛の対象だ」
「おや? それは解釈違いだ。余の抱える神学者たちは、正統派メシア教の民のみを、その防衛の対象としていたが……」
「そもそもシュリア属州とミスル属州の多数派もアレクティア派。シュリア属州とミスル属州を防衛の対象とするのであれば、ハヤスタン王国も含めるのが道理」
「民草がどの教えを信仰してようと、それはどうでも良いことだ。重要なのは……貴族が正しき教えを信じているか、ということ。シュリア属州やミスル属州を支配する貴族たちは、正統派。だが、ハヤスタン王国はどうかな?」
ハヤスタン王国を失いたくないエルキュール。
ハヤスタン王国を諦めさせたいルートヴィッヒ一世。
二人の舌戦が続く。
それを止めたのは……セシリアだった。
「当然、ハヤスタン王国は防衛の対象範囲内です」
はっきりと、セシリアは明言した。
エルキュールとルートヴィッヒ一世の視線が、セシリアへと集まる。
セシリアは二人に対し臆することなく、むしろ威圧するように言った。
「汚らわしき異教徒に神聖なる国土を一片とも渡すことは、何があっても許されません。例えそれが異端者が住まう土地であろうともです。良いですか? 国土の防衛に於いて異教徒に少しでも、例え銅貨一枚分であろうとも、譲歩することは、主の怒りに触れると思いなさい」
この対異教十字軍の盟主は名目上、セシリアである。
セシリアの立場では、異教徒と妥協せよなどと言うことはできない。
特に“国土”という分かりやすい目標は、絶対に守り抜かなければならないだろう。
例え、実質的にはエルキュールの提案だとしても、セシリアの名でメシア教大同盟は出されたのだ。
故にその失敗はセシリアの権威失墜を招く。
「どれほどの血が流れても、ですか? 聖下」
ルートヴィッヒ一世がそう尋ねると、セシリアは飄々と答えた。
「国土の防衛のために血を流した者は、必ずや来世にて救済されるでしょう」
セシリアは金も兵も出さない立場だ。
しかし口を出す権利だけは、持っている。
セシリアはエルキュールとルートヴィッヒ一世に、自分の名前を貸しているのだから。
「ルートヴィッヒ陛下はアレクティア派を守ることに疑問を抱かれているようですが、アレクティア派を正統派へ、正しき教えに導くためにも、彼らを異教徒の魔の手から守り抜くことは重要です。もし我らがアレクティア派を見捨てれば、彼らは増々、迷信に固執するでしょう」
ハヤスタン王国を守り抜くことは、セシリアにとっては大きな利益になる。
というのも、正統派に対するアレクティア派の心情が良くなるからだ。
異端者は正統派メシア教会にとって敵であるが、同時にフロンティアである。
改宗者が増えるほど、教会の力も、そして十分の一税などの諸収入も増加し……そしてセシリアの影響力も増大する。
「ふむふむ……お二人がそう言うのであれば、余も納得しましょう。しかし……余の家臣たちが、納得してくれるかどうか……」
分が悪いと考えたルートヴィッヒ一世は、作戦を変えたようだった。
いや……そもそも、最初からハヤスタン王国を諦めさせることに関しては、それほど期待していなかったのかもしれない。
「我らは同胞であるメシア教徒を守りに来た。断じて……レムリア帝国の、エルキュール陛下の個人的な利権を守りに来たわけではない。もし、我らの血と汗がレムリア帝国の権益の確保のために使われていると……騎士たちが考えれば、彼らは故国へと帰ってしまうでしょうな。そして余はそれを止めることはできない」
エルキュールとルートヴィッヒ一世。
立場が強いのはルートヴィッヒ一世だ。
エルキュールはどう言い繕っても助けて貰っている立場なのだから。
「金が欲しいと?」
エルキュールが尋ねると、ルートヴィッヒ一世は首を左右に振った。
「まさか! 我々は傭兵ではない。金のためではなく、義と信仰のためにここに来た。だから金は求めないが……最低限の誠意と言うものがあるのではないかな?」
「単刀直入に言って頂きたいな」
「以前に結ばれた貿易上の不平等な条約を正してもらおう。具体的には関税率の改善を」
レムリア帝国とフラーリング王国はエデルナ戦争で講和し、以来活発的な交易が行われている。
が、しかしそれは必ずしもフラーリング王国に利ばかりを齎すものではない。
レムリア帝国の安価な小麦が流入すれば、当然、現物地代に頼る領主層は困窮するのだ。
「……良いだろう。それくらいは対価としては、当然」
「もう一つ」
ルートヴィッヒ一世は指を一本、立てた。
「メシア教徒の国土防衛のためには、血と汗を払おう。が、しかしあなたの欲求を満たすために戦うつもりはない。……この戦争、大本はレムリア帝国とファールス王国間での、貿易の主導権を握る戦いだと、聞いている」
厳密には、ハビラ半島内に於ける覇権闘争だ。
それが火種となり、レムリア帝国とファールス王国は開戦した。
「関税を優遇してもらう以上、貴国の領土保全には協力する。だが貿易の主導権争いやファールス王国の領土奪取に関しては、協力できない。分かるかね?」
ファールス王国から領土を奪えずとも。
ハビラ半島における交易権をファールス王国から奪うことができなくても。
交易権をファールス王国に奪われても。
領土保全――ルートヴィッヒ一世としてはシュリア属州とミスル属州の安全――を確保できたら、ファールス王国とは迅速に講和を結べ。
それがルートヴィッヒ一世のエルキュールへの要求だった。
「ごもっとも、ですね。これはあくまで、メシア教徒の国土防衛戦争。侵略戦争ではありませんから。防衛以上のことは同盟の趣旨に反するでしょう」
セシリアはルートヴィッヒ一世に同調した。
セシリアとしては“侵略”して貰った方が布教しやすいが、しかしハヤスタン王国に関してはルートヴィッヒ一世に譲歩させた以上、ここはエルキュールに譲歩してもらわなければならないと考えたのだろう。
ルートヴィッヒ一世とセシリアに求められたエルキュールは……
小さく、鼻を鳴らした。
「元より、侵略の意思などない。あなた方の主張はもっともだ」
承諾した。
「してやられたな、ベフナム」
対異教十字軍。
レムリアとフラーリングの連合軍は、そう名乗っていた。
そしてその盟主は以前、シェヘラザードとエルキュールの結婚式に出席していた小娘――メシア教の神官長――だと言う。
「恐ろしいですな。……メシア教は」
メシア教はあらゆる宗教の中でも、特に狂信的な信仰。
と、ササン八世とベフナムは考えていた。
時折、このような団結力を見せることがあるからだ。
レムリア帝国とファールス王国の間で戦争が起こると、必ずと言っていいほど、ファールス王国内のメシア教徒の一部が暴動を起こすのだ。
もっとも……メシア教徒のこの動きは、メシア教の排他性や攻撃性、狂信性に由来するものではない。
より根本的な、メシア教という宗教の組織構造にある。
メシア教という宗教は、極めて組織的であり、官僚的で、中央集権的で、縦と横の繋がりが強靭なのだ。
通常の多神教の神殿は、その一つの神殿で終結している場合が多い。
例え同じ神を奉じる神殿だとしても、隣近所だとしても、それぞれの神殿は全く異なる神殿であり、横の繋がりはない。
しかしメシア教は異なる。
メシア教は、厳密にはメシア教会という組織は、ヒエラルキー構造を作り出すことで教会への強力な帰属意識を生み出すことに成功した。
メシア教会とは、領土と軍事力を持たぬ、ある種の国家なのだ。
「まあ、しかしフラーリング王は信仰のために戦争をするほど殊勝な男ではあるまい? 大方、何らかの利権をレムリア帝国から約束されているのだろう」
それにしても、数万もの援軍を連れてきたことは驚嘆に値する。
ササン八世はメシア教会の長、神官長――姫巫女――への評価を大きく上げた。
レムリア皇帝とフラーリング王を仲介したのは、間違いなく、その姫巫女である。
この戦争に勝とうと負けようと。
これほどの大軍を動員することができる能力を持つ姫巫女に対し、外交窓口を作ることは確定事項だ。
「して、どうされますかな? 陛下」
「まだ負けていないというのに、こちらから頭を下げるわけにはいかん。が、しかしあちらも頭を下げるつもりはないだろうな」
少なくともフラーリング軍はまだ一戦も交えていない。
一度も戦わずに逃げ帰るなど、レムリア皇帝が許さないだろう。
「それに黒突の動きも心配だ。フラーリング王が動いたからには、黒突もまた動くことだろう」
レムリア皇帝が黒突に声を掛けていないはずがなかった。
加えて……現在、ハビラ半島沿岸部をレムリア帝国の艦隊が航海中という情報が届いている。
お世辞にもファールス王国の海軍は精強とは言い難い。
領海に侵入されれば……ファールス王国にとっては喉元に剣を突きつけられた形となる。
これは非常に良くない。
故に。
そうなる前に決着を付けなければならない。
「いやはや、困ったことになったな」
「……その割には随分と、楽しそうですな」
ベフナムがそう指摘した。
ササン八世は少し驚いた様子で自分の顔を手で触れた。
確かにササン八世は笑っていた。
自分で気付いていなかったのだ。
「くくく……」
ササン八世は小さく笑った。
「考えてみろ! 西方で名を轟かせている、二人の名将と同時に戦えるのだぞ? これほど、愉快で楽しいことはない!!」
そう叫ぶと、ササン八世は大声で笑った。
それから大きく、片手を振り、拳を握りしめた。
「兵の休息を終えたら、すぐにでも進軍するぞ!! レムリア皇帝、フラーリング王……まとめて倒してやろう!!」
三日後。
再び、ファールス軍は進撃を開始した。
対異教十字軍とファールス軍。
両軍が向かい合ったのは、数日前と同じ戦場……イルカムスの地であった。
東にはためくは赤地に金色の鷲と太陽が描かれた旗。
東方の雄。ファールス王国。
総指揮を執るのは『世界の征服者』“太陽王”ササン八世。
対するは白地に赤い十字架。
そしてレムリア・ハヤスタン・ブルガロン・チェルダ・トレトゥム・フラーリング・エデルナ、そしてメシア教会の合計八種の旗。
メシア教大同盟、対異教十字軍。
総司令官は姫巫女にして教皇、『信仰の導き手』“聖女”セシリア・ペテロ。
指揮を執るのはレムリア帝国皇帝、『三大陸の覇者』“聖光帝”エルキュール一世と『騎士の中の騎士』“獅子王”ルートヴィッヒ一世。
斯くして、未来永劫に渡って歴史に刻まれる、大決戦。
中世の始まりを血と怒号で世界に知らせた戦い。
世界が、歴史が……真の英雄が誰かを目撃する。
第二次イルカムスの戦い、またの名を……
イルカムスの三帝会戦が幕を開けた。
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