最終章 『三大陸の覇者』と帝国の正午
第1話 外交的失政
「むむむ……」
セシリアとの婚姻からおよそ五年。
ハビラ半島での“謀略”の失敗の報告を聞き、エルキュールは眉を顰めた。
ファールス王国への嫌がらせと、今後の安全保障のためにエルキュールはハビラ半島内に於ける親レムリア派の部族へ、積極的な支援を行っていた。
またメシア教の布教や、小王国の王子の留学支援など、“親レムリア派”を増やすための活動も積極的に行った。
そういう成果の積み重ねにより、ハビラ半島では急速的に親レムリア派部族の勢力が拡大したのだが……
どうやら数週間前、親レムリア派部族連合が親ファールス派部族連合に敗退したようだった。
もっとも、この『親レムリア派』『親ファールス派』という色分けは、あくまで便宜上のモノ。
実際には各部族の利害関係が複雑に入り組んでいるのだが……
そんなことはエルキュールには、レムリアには関係ない。
ただ重要なことは、レムリア帝国の勢力がハビラ半島内で大きく減衰したことである。
「ドゥイチェでは成功したから、今回も上手くいくとは思ったのだが。そう簡単にはいかないか」
エルキュールにはドゥイチェでの成功体験があった。
ドゥイチェに於いては、反フラーリングの
だから同様にハビラ半島でも、反ファールスの部族をまとめ上げて、同様に親レムリア派の『王国』を作り出すことも可能だと踏んでいたのだが……
(まあ……ファールスはフラーリングとは異なり、ハビラ半島に直接、侵攻していたわけでもない。少し土壌が違ったか)
元々、ドゥイチェのように上手くいくとは思っていなかった。
だが……それを加味しても、少々見込み違いの“失敗”にエルキュールはため息をつく。
「陛下。ハビラ半島の諸部族たちが、直接的な支援を求めています」
エルキュールに対し、トドリスがそう言った。
ハビラ半島での情勢変化をエルキュールに伝えたは、トドリスである。
「直接的な支援というのは、軍事介入か」
「はい、陛下」
軍隊を送ることは、そう難しいことではない。
五年の間に、相次ぐ戦争で疲弊していたレムリア帝国の国力そのものは回復しており、そして軍隊の規模も拡充されている。
かといって、長い平和によって決して兵や将が鈍っているということはない。
例えばタウリカ属州に対しては定期的に蛮族が侵入してくる。
その迎撃のため、定期的に戦争は起きている。
そしてエルキュールの配下の将軍たちも粒揃いだ。
……もしかしたら、今こそが、レムリア帝国の軍事力の全盛期なのかもしれない。
つまり国内的には軍事行動を起こす余力はある。
が、外交的には少し難しい。
(ファールス王国が、厳密にはササン八世がどうするかだな)
レムリア帝国が軍事行動に踏み切れば、ファールス王国もまたそれに対抗して軍事行動を起こす可能性がある。
最終的に両国が全面戦争に陥るかもしれない。
それは可能であれば、エルキュールとしては避けたいところだ。
この数年の間に対ファールス国境は極めて強固になったが……
それを加味してもファールス王国は強大だ。
(しかし……交易路が脅かされるのは、問題だ)
元々、エルキュールがハビラ半島に介入したのは、ファールス王国から権益を守るためである。
ハビラ半島の諸部族が信仰している宗教は、ファールス王国のものと類似している。
文化的にはファールスよりであり、また利害関係を考えても親ファールスなのだ。
エルキュールはこれをレムリア優位に持っていきたかった。
別にハビラ半島をレムリア一色に染め上げる気は毛頭なく、ましてやハビラ半島を侵略する気もない。
しかしこの意志がササン八世に伝わるかは分からない。
もしかしたら、エルキュールの意図がハビラ半島の支配にあると読み、全力で抵抗してくるかもしれない。
だからこそ、エルキュールは直接的な軍を派遣することはせず、ちまちまとした支援や謀略に徹していた。
もっとも……
今となっては、戦力の逐次投入であったと言われれば、その通りだが。
「トドリス・トドリアヌス。お前はどう考える?」
「軍を派遣するべきでしょう」
「理由は?」
「陛下はメシア教の守護者です。これを見捨てれば……今後の外交関係に支障が出ます」
レムリア帝国の周縁に位置する諸部族にとって、メシア教への改宗というのは、親レムリア派であることをアピールする手段でしかない。
彼らがメシア教に改宗するのは、メシア教の教えに感銘を受けたからではなく、メシア教を受け入れることでレムリア帝国の権力を利用したいからである。
メシア教を受け入れ、レムリアと同盟を結ぶ。
こうすることで、他の部族に対して「自分たちの背後にはレムリアがついている」と喧伝するのだ。
だがこれは、いざというときにレムリア帝国が同盟者を助けてくれることが大前提である。
メシア教の守護者を自認してきたレムリアが、異教徒に侵略されようとしているメシア教徒を見捨てた。
このような事実が周辺へと広がれば、レムリアとの同盟関係を見直す動きが出てくるかもしれない。
勿論、一斉にレムリアから離反するということはないが……
今後の活動に支障が出るのは間違いない。
「我が国の威信の低下が問題と、そういうことか?」
「それもありますが、最大の懸念はフラーリングです。……レムリアよりもフラーリングに寄った方が良いと、そう思われる事態は避けなければなりません」
レムリアとフラーリングは、同じ「メシア教」という商売を共にする同業者である。
友人であるが、同時にライバルでもある。
考えようによっては「聖火教」という他業者よりも厄介な敵となりえる。
現在、メシア教というこの業界の最大の“シェア”を占めているのはレムリアだ。
しかしこれをフラーリングに奪われれば……
メシア教世界の支配者としての、レムリアの地位が大きく揺らぐことになるだろう。
「……ふむ」
エルキュールとしては、あのフラーリング王に大きな顔をされるのは腹立たしい。
とはいえ、ファールス王国と対峙するリスクを考えると、やはりそう簡単には結論を出せない。
「もし仮にファールスと全面戦争になった場合、背後の憂いに関しては、どう思う?」
何事も最悪を想定しなければならない。
エルキュールにとって最悪とは、フラーリングとファールスの双方に挟み撃ちにされるような事態だ。
その問いに対し、トドリスは首を左右に振った。
「フラーリングは動かないかと」
「根拠は?」
「異教徒と戦うレムリアの背後を突く……これでは諸侯も兵も集めにくいでしょう」
かつて、フラーリングはレムリアと戦っている時にファールスを動かして見せた。
だがこれはフラーリングとレムリアの戦いに、異教徒が勝手に参戦してきたに過ぎない。
少なくともルートヴィッヒ一世の主張はそうだ。
これに対し、ファールスと戦うレムリアの背後を突くという行動は……
どのような大義名分があろうとも、違和感を抱く諸侯が多数派だろう。
勿論、フラーリングに於いては大義名分など飾りに過ぎず、重要なのは経済的利益なので、それさえあれば動く可能性はある。
しかし……
「姫巫女聖下の意向を、フラーリング王は無視できません。彼女は教皇の地位にもあり、フラーリング王国内に於ける教会の司教たちに対する叙任権を握っています。……勿論、実質的な教会の司教に対する指名権を有するのはフラーリング王です。しかしそれでも姫巫女聖下の権威と発言力は、フラーリング王国の周辺部に行けば行くほど、強まります」
フラーリング王国は封建制の国家である。
つまり諸侯(ここで言う諸侯とは世俗諸侯は勿論、農奴や領地を保有する修道院や教会などの聖界諸侯も含まれる)の連合体だ。
故にルートヴィッヒ一世の統制力は、王国の周辺に行けば行くほど、弱まる。
逆にセシリアのような、教皇の力は相対的に強まる。
勿論、フラーリング王は国を一枚岩に取り纏めているので諸侯たちがセシリアの命令で反乱を起こすということも起こらないのだが……
それでも、メシア教徒である以上は姫巫女・教皇の権威の支配から逃れることはできない。
「何より、レムリアとフラーリングの間には距離があります。周辺部の諸侯たちは、兵の派遣には同意しないでしょうし、フラーリング王も利益を提示できないかと」
「ふむ」
フラーリング王は少なくとも、動かない。
ならば……
「よろしい。兵を出す。……そうだな。ダリオスを総司令、加えてオスカル、ジェベを派遣しようか。兵力は……五万程度が良いだろう」
短期決戦が望ましい。
それを考えると兵力は多いに越したことはないが、しかし五万を超えると対ファールス国境が不安になる。
斯くして……
このような事情でレムリアはハビラ半島への軍事介入を開始した。
それからしばらくした後。
ファールス王国が本格的な兵の動員を始めたという情報が、エルキュールへともたらされた。
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