第25話 開戦


 レムリア帝国の皇帝、エルキュール一世がメシア教の最高指導者と婚姻関係を結んだ。

 そんな情報がファールス王国へ齎されてから……

 およそ五年の月日が経過した。


「ふむ、シンディラの統治は順調な様子だな」


 五年ほど前。

 その征服が完了した土地の支配に関する書類に目を通したササン八世は満足そうに頷いた。


 シンディラは元々、豊かな土地だ。

 麦や米を始めとする穀物は勿論のこと、象牙やルビー、香辛料などの物産を算出する。


 ここを抑えたことで、ササン八世の目論見通り、ファールス王国の国富は増大していた。


 とはいえ……

 世の中、全てが上手くいくということは中々ない。


「国王陛下、ハビラ半島の情勢に関して、ご報告があります」


 執務室に入って来たのは、老齢した長耳族エルフの男性だった。

 ファールス王国宰相、ベフナム。


 後にササン八世、八忠将と呼ばれるうちの一人。

 『杖』の異名を持つ男だ。


「ふむ……まずはその報告が良い物か、悪い物か聞かせて貰いたいな」


 ササン八世がそう言うと、ベフナムは指を二本、示して見せた。


「良い報告と悪い報告。二つがあります。陛下」

「なるほど……まずは良い報告から聞こうか」


 ササン八世の言葉にベフナムは頷き、羊皮紙を広げた。

 それから報告内容を読み上げ……

 それから簡単に纏める。


「つまるところ、ハビラ半島に於いて我らが長年、支援しておりました部族が、レムリアが支援をしていた部族に勝利を挙げました。これにより、我が国のハビラ半島に於ける覇権が確立しました」


「それは素晴らしい報告だ」


 表向き、レムリア帝国とファールス王国との間の係争は存在しない。

 というのも、両者が争ってもそれほどメリットがあるとは言えないからだ。


 勿論、レムリアもファールスも双方、領土欲はあるのだが……両者が衝突すれば尋常ではない損害が双方に発生することは目に見えている。


 戦争によって得られる利益よりも、戦争によって発生する損害の方が明らかに大きい。


 しかし両者の関係に一切の陰りがないかと言えば、そういうことはない。

 それは領土問題ではない。


 レムリア、ファールスの真の友好を妨害する最大の障壁……

 それは貿易摩擦である。



 レムリア帝国へ流れつく交易品の多くは、ファールス王国の領土を通過する。

 そのためレムリア帝国が交易品をファールス王国へ求めれば、それだけレムリア帝国の国富がファールス王国へと流れ出るのだ。

 特に金の流出はレムリア帝国にとって、深刻な問題だ。


 レムリア皇帝はその状況を打開するために様々な産業を起こし、奨励してきたが……

 しかし貿易赤字問題の根本的な解決には至っていない。


 結局のところ、シンディラ亜大陸(シンディラとは別の地域)や絹の国などの東方の国々とレムリア帝国が交易する際に、どうしてもファールス王国を通過する必要があるという、その問題を解決しない限りはどうしようもないのだ。


 そこでレムリア皇帝が目を付けたのが、ハビラ半島である。


 ハビラ半島はレムリア帝国、ファールス王国の両国の間に存在する巨大な砂漠の半島だ。

 ここは古くから、リスクは高いが見返りも大きい、交易の迂回路として機能していた。


 歴代のレムリア皇帝はこのハビラ半島をある程度重視してきたので、ここに注目しようという発想そのものは今代のレムリア皇帝の“発明”ではない。


 今代のレムリア皇帝が、先代や歴代のレムリア皇帝と異なる点は、その規模である。


 メシア教の布教。

 朝貢冊封。

 挙句の果てに海賊や盗賊を生業とする部族との同盟。


 あらゆる手段を駆使し、この迂回路の確保へと動き始めたのだ。


 こういうことをされると、困るのはファールス王国だ。

 ファールス王国とて、その財政に余裕があるわけではない。

 交易路の維持には相応の費用が掛かっているのだ。


 迂回路が発展すればするほど、ファールス王国の交易路は衰退する。

 レムリア帝国との貿易黒字・・がなくなれば、ファールス王国の衰退は免れない。


 そこでササン八世も本腰を入れて、ハビラ半島への覇権確立に乗り出していた。

 今回の勝利報告は、その代理戦争に決着を意味していた。


「それで悪い報告とは?」

「レムリア皇帝が五万規模の軍をハビラ半島へ、派遣した模様です。……各部族から援軍要請が来ております」

「痺れを切らしおったか、若造め」


 ササン八世は眉を顰めた。

 自分よりも数十歳若いレムリア皇帝は、ついに本格的な軍事介入に乗り出したのだ。


「全く……若いというのは、良くも悪くも問題だ」


 ハビラ半島での覇権争い。

 これはファールス王国視点だと、今までの平穏に石を投げ入れて波紋を起こしたのはレムリア皇帝だ。


 しかしレムリア皇帝視点だと、話は変わる。

 おそらく、レムリア皇帝は「ファールス王国が最初に裏切った」と考えているのだ。


 フラーリング王国との戦争中、その背後に剣を突きつけたことが、ササン八世及びファールス王国への不信感、そして対抗心を掻き立てたのだろう。


 ファールス王国に命脈を握られたままでは、安心できない。

 そう考えたが故に、ハビラ半島の確保に乗り出したと考えられる。


 そして今回の軍事介入も……決して不正解とは言えない。

 迂回路であるハビラ半島をファールス王国に抑えられるのは、レムリア帝国からすると直近ではないにせよ、将来的には大きな危機を招く。


 またハビラ半島内に於けるメシア教徒に救援を要請されれば、メシア教の守護者を自認する以上は動かざるを得ない……という事情があるのかもしれない。


(俺は五十を超えてから、レムリア皇帝のような挑戦的な軍事行動は起こせなくなった。……果たしてこれは賢明になったのか、それとも衰えたのか)


 ササン八世は少しだけレムリア皇帝の行動力と若さを羨ましく思った。

 今の彼はおそらく、全能感に支配されているのだろう。

 自分もかつてはそうだったし、そういう時期があった。


「どうされますか? 陛下」

「このままレムリア皇帝の好きにさせるわけにはいくまい」


 ここでレムリア帝国との全面戦争を恐れて武力介入を躊躇すれば……

 おそらくハビラ半島の覇権はレムリアのものとなる。


「ここはレムリア皇帝の若さを、少し見習おうではないか」


 そう言ってササン八世は立ち上がった。

 今にして思えば、ここ数十年、万に一つ負けることがないような弱小国とばかり戦ってきた。


 そしてレムリアや黒突のような、負ける可能性がある国とは戦いを避けていた。


 それに対し、レムリア皇帝はどうか?

 チェルダ王国やブルガロン王国、フラーリング王国といった、自国と比較すれば弱いにせよ……それでも負ける可能性があるような敵と、戦い続けている。


 そして今回も、同様だ。

 ファールス王国へと、喧嘩を売ったのだ。


「舐められっぱなしというのも、気に食わん。ここはあの若造の鼻っ柱を、圧し折ってやろう」

「……ということは?」

「開戦だ!!」


 ササン八世は大声を張り上げた。

 そしてベフナムに命じる。


「八忠将と三煌将を招集しろ! 久しぶりの大戦だ!!」


 そして、宣言する。


「これより、対レムリア攻撃計画。暁より昇る太陽ウルスラグナを発令する!!」


 






 斯くして二十年以上の長きに渡る、レムリア・ファールスの平穏は破られたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る