第22話 東の火種
ルートヴィッヒ二世がノヴァ・レムリアにやってきて半年ほどの時間が経過し……ついに彼は帰国することとなった。
「うぅ……」
「こら、コンスタンティナ」
涙目でルートヴィッヒ二世にしがみつくコンスタンティナ。
それを必死に引き剥がそうとするカロリナ。
すっかりとコンスタンティナはルートヴィッヒ二世に懐いたようだった。
「良かったですわね。仲睦まじくなられて」
「……まあ、そうだな」
ブラダマンテの言葉にエルキュールは曖昧に同意した。
エルキュールはとしては……これほどコンスタンティナがルートヴィッヒ二世に懐くのは、少し計算違いだった。
(……ちゃんと我が国に有利な情報を送ってくれるだろうか?)
王族や貴族が外国に嫁ぐのは両国の友好を深めるためだが……
もう一つ、情報を母国へ流す役割もある。
スパイ、とまで言ってしまうのは言い過ぎだが、ある程度そういう側面もある。
当然、そのことはどの国も承知している。
だから妻に渡す情報の質や量を絞り、もっとも知られたくないことは隠すということも可能だ。
エルキュールもシェヘラザードに似たようなことをしている。
そのため国家機密を探るような真似はできないのだが、それでも重要な情報の窓口だ。
例えば黒突の伊汗可汗に嫁いだリナーシャは、ある程度黒突フィルターが掛かっているにしても、現在の黒突の情勢をレムリアへ伝えてくれている。
故にエルキュールは将来的にコンスタンティナに対し、そういう役回りを期待していた。
が、しかし。
あまりにコンスタンティナがルートヴィッヒ二世に懐かれると、そういうこともできなくなる。
夫のことは愛しているけど、それでも母国は母国。
くらいの気持ちでいて欲しいのだ。
母国? それよりも夫のことが好き!
というのは恋愛物語では大変な美談であるが、実際に自分の娘がそういう状況になるのは少し困る。
(リナーシャくらいドライな感じでいて欲しいのだが。まあ……まだあの子は幼いし、じっくりと教え聞かすしかないか)
最悪、スパイ行為はコンスタンティナに付ける護衛や従者に任せれば良い。
それに……
「しかしブラダマンテ。君ともお別れだが……少し寂しくなるな」
エルキュールはブラダマンテに対し、軽くそう言った。
幸いなことにブラダマンテと親しくなることはできた。
彼女の忠義はちゃんとフラーリングにあるようなのでフラーリングが不利になるような情報を意図的に流してくれるようなことは期待できないが……
それでも情報のチャンネルが増えることは望ましい。
「そうですわね、陛下。……ですが、両国の友好が途切れることがないかぎり、私たちの友誼が断ち切れることはありません。近いうちにまた、お会いしましょう」
ブラダマンテは淡々とエルキュールにそう返した。
愛人関係になることは半ば公然になったとはいえ、一応彼女は外交使節の一員としてきている。
なので別れ際に情熱的な口付けをしてさようならをする、という真似はできない。
もっとも、それができない分、昨晩、たっぷりと愛し合ったのでお互い思い残すことはない。
(まあ、来年くらいにまた来るだろうしな。……それにルートヴィッヒ二世の本格的な留学が決まれば、もっと長期間、ここに滞在することになるだろう)
今回のルートヴィッヒ二世の訪問は、ほんの顔合わせに過ぎない。
もしこの来訪でルートヴィッヒ二世がレムリアのことを気に入ってくれているのであれば、長期間の留学も期待できるだろう。
自惚れるわけではないが、レムリアはフラーリングよりも文化や技術、法制度など優れている。
実際、ルートヴィッヒ二世はレムリアの国力に圧倒されている様子だった。
彼が勤勉な人間であれば、レムリアから学ぶために留学を希望することだろう。
そうすればもう少し、ブラダマンテの体を堪能することができる。
じゃなかった。
ルートヴィッヒ二世を親レムリア派にすることができる。
それは将来の両国関係の百年に良い影響を与えることは間違いない。
「うぅ……ぐすぅ、さようなら……でんかぁ……」
「コンスタンティナ、今生の別れじゃない。……近いうちにまた、必ず来るよ」
エルキュールはコンスタンティナの頭を撫でるルートヴィッヒ二世を眺める。
幸いなことに、ルートヴィッヒ二世は近いうちにまた来てくれるつもりらしい。
「では、殿下。またお会いしましょう」
そろそろ頃合いだろうと考えたエルキュールは、ルートヴィッヒ二世にそう切り出した。
彼は大きく頷く。
「またお会いできる日を楽しみにしております。レムリアの皇帝陛下」
斯くして、フラーリングの外交使節は帰国したのだった。
「さて、本日の議題だが……」
ルートヴィッヒ二世の帰国後。
エルキュールは群臣たちを集め、早速会議を行った。
「幸いなことに西は落ち着いた。あと少なくとも十年間は西での大規模な戦いは起きないだろう」
西は落ち着いた。
そう、西は、だ。
「諸君らもすでに聞いている通り、現在、東がまた騒がしくなっている」
最近まで東方情勢は安定していた。
理由は複数あるが……
十年以上前、エルキュールがファールスに勝利したことで国境の整理ができたこと。
シェヘラザードがエルキュールに嫁ぎ、ファールスとレムリアの友好関係が深まったこと。
黒突とレムリアの同盟により、ファールスが下手に身動きが取れなくなったこと。
ササン八世の興味がレムリア、つまり西側よりも、シンディラ、つまり東側へと向いていたこと。
などが挙げられる。
しかしここ十年間の間に、情勢は大きく変わっていた。
それは黒突と絹の国の戦争の終結に起因する。
リナーシャからの情報によれば、やや有利な条件で黒突が勝利をしたようだった。
黒突の妃というリナーシャの立場を考えると、もしかしたら実質的には痛み分けに終わったのかもしれない。
もっとも、それは今は関係のないことだ。
リナーシャの情報によれば、両者ともに接戦だった様子。
故に勝ったにしろ負けたにしろ……大きく兵力を消耗したことには変わりはない。
それは黒突からファールスへと、掛かる圧力が減少したことを示していた。
そしてもう一つの情勢変化。
それは数年前にササン八世がシンディラを屈服させることに成功したという情報である。
これはファールス王国へと布教に訪れていた宣教師からの情報だった。
黒突・絹の国の戦争と異なり、ファールスとシンディラの戦いは終始ファールスが優位に立っていた。
そもそもシンディラというのは単なる地名であり、実体としては各地の小王国を順調にファールスが攻め落とし続けただけに過ぎないのだから当然と言えば当然なのだが。
これによりファールスの国力が増大……
というのはさすがに言い過ぎだろう。
征服したばかりの土地から、まともに税を徴収することは難しい。
だがシンディラ地方の反乱が鳴りを潜めたことは、ファールスに軍事的な余裕が生じたことを意味する。
シェヘラザードとエルキュールの婚姻や、両国のエルフ間の婚姻もあり、そう簡単には攻めてはこないだろうという楽観論もあったのだが……
先のエデルナ戦争により、その楽観論は覆った。
ファールスはあの時、国境に兵を並べたのだ。
攻め込んでくることはしなかったが、攻め込む構えを見せ、圧力を掛けてきた。
これが意味することはつまり、ファールスはレムリアと戦争をする余力があり、最悪戦争も辞さない考えであることを意味している。
「まあ……今日明日にも攻めてくるということは、ないだろうがね。……そうだろう? トドリス」
エルキュールは自身がもっとも信頼している外交官にそう尋ねた。
彼は大きく頷いた。
「はい、陛下。現在、我が国は西の問題を終わらせ、東に注力できる状態。つまり条件の上ではファールスと同じです。ササン八世は勇敢ではありますが、蛮勇な人物ではありません。原則として、攻めてくることはないでしょう。……黒突との同盟も、効力を失ったわけではありません」
確かにササン八世は攻めてくるような姿勢を見せた。
だがそれはレムリアがフラーリングと争っている最中だ。
しかも姿勢だけで決して国境線を越えてくるような真似はして来なかった。
つまりこれは「チャンスがあればやるけど、それ以外はやらない」というササン八世の意思表示とも取れる。
また「そちらが攻めてくるならば、迎え撃つぞ」という意味も込めているだろう。
単なる牽制に過ぎない。
「故に……これより東部国境の強化を行う。具体的には対チェルダ王国のために割いていた屯田兵を、東部へ移住させる。また
対ファールス国境の防備は今でも十分に強力だが……
エルキュールにとって万全とは言い難い状況だった。
というのも、ブルガロン、チェルダ、エデルナ、フラーリングと西方の問題に人材と財力を投じていたからである。
西へ注力すれば、その分東へ向けられる力は少なくなるのは致し方がないことだ。
もっとも、今まではファールスとの友好関係もあり、後回しでも問題はなかったのだが。
状況が切迫し、そして東へ力を注力できる状態になった今は別の話だ。
「それと……本格的にハビラ半島の諸部族の調略を開始する予定だ」
ハビラ半島。
レムリア、ファールスの両国間にある大きな半島である。
その殆どは砂漠だが……レムリア帝国がファールス王国を介せずに香辛料などの贅沢品を入手できる主要な交易ルートでもあった。
直接支配する旨味は全くないのだが、しかしここの政治的な覇権を握ることは、レムリア帝国にとって貿易の安定の上で重要なことだ。
「ファールスも当然、対抗してくるだろう。結果として……ハビラ半島で代理戦争のようなものが起こるかもしれない。そうなった時、もしかしたら我が国が直接、兵を派遣することになるかもしれない。今のうちに常備軍を砂漠の気候に馴らしておくように」
あくまでファールスとの全面対決は避ける。
エルキュールはそういう方針を群臣たちに語った。
もっとも……エルキュールとササン八世が望もうと、望まなかろうと。
火薬庫が存在する以上、いつかは爆発する。
それは歴史の必然だった。
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