第21話 分割相続
据え膳食わぬは男の恥。
と言いたいところではあるが、別にエルキュールは誰彼構わず抱いているわけではない。
そもそも女性には困っていないのだ。
確かにブラダマンテは美女であり、抱きたいか抱きたくないかで聞かれると勿論抱きたいのだが、しかしだからといってすぐに抱くほど迂闊ではない。
「フラーリングの皇帝陛下に命じられてかな? それともルートヴィッヒ殿下の命令か?」
試しにエルキュールは尋ねてみた。
ルートヴィッヒ一世はあまりこういう手段を好むタイプではなさそうだし、ルートヴィッヒ二世もこういうことをするようには思えなかった。
が、聞く分は損はない。
「まさか! 友好を深めて来いと命じられはしました。ですが、このブラダマンテ! 例え命令されたとしても、好きでもない殿方と一夜を共にするようなことはあり得ませんわ!」
猫耳をピクピクと動かしながら彼女は答えた。
ブラダマンテの軍事的な才覚についてはエルキュールも重々承知。
彼女は決して愚かではない。
……が、腹芸ができるようなタイプでもなさそうだ。
つまりこれは本意であると考えて良いだろう。
「つまり私のことを思ってくれていると考えても構わないかな?」
「勿論、ですわ!」
わずかに頬を赤らめながらブラダマンテは答えた。
実際のところ心当たりがあるかないかで言えばある。
彼女が捕虜だった頃に散々に口説き続けたのだ。
だからブラダマンテは自分に惚れているということは――うぬぼれているわけではないが――それほど違和感はない。
が、気になることが一つ。
「しかしブラダマンテよ。君はフラーリングの騎士であり、伯爵の地位にあると聞く。そのような立場の君が私と一夜を共にしても良いのかな?」
「何か勘違いをしているようですね、皇帝陛下」
ブラダマンテはそう言って立ち上がった。
ゆっくりと、エルキュールに近づいていく。
彼女は身長が高く、その目線の高さはエルキュールとそれほど変わらなかった。
「私の忠誠心は依然として、フラーリングの陛下にありますわ。ただし、忠誠心と愛は別のモノ。私はあなたと愛し合いたい!」
そう言ってブラダマンテはエルキュールに抱き着いてきた。
想像以上に情熱的なアプローチにエルキュールは少しだけ動揺する。
(……あぁ、そう言えばフラーリングはこういう風土だったな。そもそも)
エルキュールは風の噂で聞いた、フラーリングの性事情を思い出す。
あの国は浮気や不倫が横行しているらしい。
封建制という制度上、夫が妻を置いて戦場に出ることが多いのだ。
そのため留守を任された妻は、夫が不在のうちに愛人を作るのだという。
また結婚できるような騎士は、基本的には領地と屋敷を持つ者だけ。
それを手に入れるまでには数多くの戦功が必要であり……必然的に若い騎士は結婚できない。
体を持て余した若い人妻と、欲求不満の若い騎士。
この両者が揃っているのだから、もう不倫するしかあるまい。
「……そこまで言われ、受け入れないのは男ではないな」
エルキュールはそう言って、両手でブラダマンテを強く抱きしめた。
するとブラダマンテは小さく「あぁ……」と声を漏らす。
彼女の形の良い胸が、自分の胸板に押しつぶされる感触がして中々、心地が良い。
エルキュールはブラダマンテの顎に手を当て、彼女の顔を持ち上げた。
「ん、っちゅ……」
唇を重ね合わせ、舌と舌を絡め、唾液を交換する。
たらりと、銀色の糸が引く。
「愛し合おうか」
「……はい」
とろん、と目を蕩けさせながらブラダマンテは頷いた。
「と、まあそういうわけでブラダマンテを抱くようになったが……彼女とは結婚の予定は今のところなく、ただの愛人だから、気にしないでくれ」
「はぁ……」
エルキュールから“浮気”の報告を受けたカロリナは呆れ顔を浮かべた。
彼女からすればいつものこと、ではあるが……
「しかしブラダマンテ……彼女は伯爵だと聞きます。結婚しなくても大丈夫なのでしょうか? 勿論、これは彼女への心配です」
結婚しないと言っても、子供はできるのだ。
そうなればブラダマンテは私生児を身籠ることになる。
レムリア結婚法が存在するレムリア帝国とは異なり、フラーリング王国(帝国)では果たしてそれは許されるのかとカロリナは首を傾げた。
「私生児なんて、ゴロゴロいるから問題ないらしいぞ」
「……そうですか。噂通りの国なのですね」
浮気や不倫が横行しているのだ。
だから夫の方も自分の子供が本当に自分の子供なのか、いちいち疑ったりはしない。
何しろ、自分も浮気をしているのだから。
フラーリング王国(帝国)で重要視されるのは血縁関係ではなく、“認知”である。
ブラダマンテの場合、彼女の腹から生まれた時点で彼女の子であることは間違いなく、そして彼女自身が屋敷や財産を持っているのだから継承に関してはそれほど問題は生じない。
あとはエルキュールが認知をすれば良い。
エルキュールが認知した以上、生まれた子供がどこの馬の骨か分からなくとも、エルキュールの子であると周囲からは扱われる。
ブラダマンテはフラーリングからレムリアへ鞍替えするつもりは全くない様子だ。
愛人の子である以上はどう考えてもレムリア皇帝位の請求権は存在せず、そして遥か遠い遠方の外国へと最終的には帰国してしまう以上、ブラダマンテの子が本当にエルキュールの子かどうかはどうでも良い話。
エルキュールとしても、彼女の子を認知することに躊躇はなかった。
「ところで、彼女は経験済みだったのですか?」
「うん? どうだろうな? 特に興味はないので聞かなかったし……」
血は出なかった。
が、しかし血が出なかったからイコールで非処女などと判断するのは大きな間違いである。
処女膜というのは意外に破れやすいのだ。
ブラダマンテのように日頃から運動しているような女性ならば、とっくに何かの拍子に破れていてもおかしくはない。
もっとも、エルキュールからすればブラダマンテが処女か非処女かは割とどうでも良い話である。
(中々、良かったな……)
エルキュールはブラダマンテとの情事を思い出した。
元々、獣人族というのは体力や精力が旺盛らしい。
今まで抱いてきた女性の中で、彼女はもっとも元気があった。
元気があるということは、それだけ長く続けられるということである。
「また最低なことを考えている」
エルキュールにそう突っ込んだのは、今まで黙っていたルナリエだった。
椅子に腰を掛け、呆れ顔だ。
エルキュールはそんなルナリエに近づき、頬にキスをした。
「嫉妬したかな? すまない」
「……別に。あと、今はそういうことはやめて」
ルナリエはそう言って自分に近づくエルキュールを両手で押しやった。
そして抑揚のない声で言った。
「お腹の子に障るから」
そう、ルナリエは目出度く妊娠したのだ。
無事に出産を終えれば、エルキュールにとっては(正式な子としては)第二子目となる。
「別にそこまで神経質にならなくても良いと思うが」
ツンツンとルナリエの頬を指で突くエルキュール。
ルナリエはそんなエルキュールの手を強引に振り払う。
「あなたが調子に乗ることを、私は心配している」
エルキュールは肩を竦めた。
すると今度は美しい金髪の女性長耳族……シェヘラザードが口を挟んだ。
「このタイミングでブラダマンテさんが来たことは、丁度良かったかもしれませんね」
ルナリエが抜けた分の負担は、他の女性たちに回ってくる。
カロリナが不在の時は少し、いやかなり大変だったことをシェヘラザードは思い出し、苦笑する。
今回はブラダマンテがその抜けた穴に収まってくれたので、一安心だ。
シェヘラザードの意見に対し、ルナリエは同意するように頷いた。
「お腹の子にとって、一番危険なのは陛下。ブラダマンテ伯爵がいて良かった」
「君は失礼だな。人を何だと思っているんだ」
「色魔」
ルナリエは短く、そう返答した。
エルキュールは思わず肩を竦める。
そんなエルキュールに対してルナリエは咎めるように言った。
「この子は次期、ハヤスタンの国王になる。とても重要」
「男の子だったら、の話だろう」
エルキュールがそう言うと、ルナリエは首を左右に振った。
「もし女の子で、私が老いるまでに男の子が生まれなかったら、女王として即位して貰う。だから国王になるかもしれない。とても重要」
「そうか」
どうやらルナリエはハヤスタン王国の国王位を奪われることを、少し危惧しているようだった。
レムリア帝国によるハヤスタン王国の支配は年々強まってきてはいるので、その心配は妥当なところだろう。
勿論、エルキュールは現状のところハヤスタン王国を属州として組み込むつもりはない。
(ハヤスタン、ブルガロン、チェルダ……どれも俺が同君連合を結んでいる王国だが、俺の死後は連合解除が妥当なところだろう)
まだレムリア皇帝位を継ぐべき子は産まれていない。
が、エルキュールは自分の子に対し、それほど期待はしていなかった。
勿論、無能が生まれるとは思っていないが。
自分と同じことができるとは、欠片も思っていない。
今の広大なレムリア帝国の版図はエルキュールの指導力と運営能力によって、保たれている。
エルキュールの死後は、もしくは老いによって衰えた後はある程度、規模の縮小を迫られるだろうと考えていた。
どうせ領土が縮小されるならば、多少の分割相続によって、軟着陸させるのが次善の策である。
各属国に関しては特に。
「名前、ちゃんと考えてる?」
遠い未来について考えていたエルキュールに対し、ルナリエは尋ねた。
エルキュールは頷く。
「当然だろう。子供の名前くらい、考えているさ」
「そう? あなたはセックスか戦争のことしか、考えていないとばかり」
「失礼だぞ。……出産が終わったら、覚悟しておけ」
「ほら、言った傍から」
少し頬を赤らめ、興奮した表情でルナリエは言った。
こういうのを誘い受けというのだ。
「冗談はともかく、真剣に。……どういう名前?」
「男の子ならばユピテル、女の子ならユノだ」
「……レムリア神話。ハヤスタン王国とレムリアの関係性の強化。そういう意味?」
「そうなるな」
エルキュールがそう答えると……
意外なことにルナリエは機嫌良さそうに目を細めた。
「気に入ったのか?」
「露骨なのは気に入らない。でも、あなたが今のところはちゃんと約束を履行してくれる気でいることを確認し、安心した」
ハヤスタン王国の国王にする気がないのであれば、わざわざレムリア神話から名前は取らないだろう。
つまりはそういうことである。
そんなルナリエに対し、エルキュールは意味深に笑みを浮かべるのだった。
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