第20話 ハニートラップ

「ようこそ、我が国へ。ルートヴィッヒ殿下」


 ノヴァ・レムリアの港にて、エルキュールは船から降りた青年を出迎えた。

 黄金のように光り輝く金髪に、猫耳、尻尾が見える。

 体は少しひょろっとしてはいるが、美しい容姿をしている、好青年だ。


「お招きいただき、ありがとうございます。レムリアの皇帝陛下」


 エルキュールとルートヴィッヒ二世は握手を交わした。

 そして……エルキュールから数歩離れた場所にはカロリナが立っており、その背後には小さな女の子が隠れていた。

 真紅の髪に紺碧色の瞳の女の子が、チラチラとカロリナの影からルートヴィッヒ二世を伺っている。


 そんな女の子に視線を向けたルートヴィッヒ二世は苦笑いを浮かべた。


「彼女が?」

「ええ、その通り。……コンスタンティナ、来なさい」


 エルキュールがそう命じるが……

 コンスタンティナはカロリナの体にしがみつき、動こうとしない。


 エルキュールは思わず髪を掻いた。


(さっきまでの威勢はどこに行ったんだか……)


 つい先ほどまでは偉そうに、「私は弱っちい男なんかと結婚したくないです。試験をしてやります!」などと言っていたのだが、今ではすっかりこのありさまだ。


「ほら、コンスタンティナ。陛下がお呼びです。……コンスタンティナ!」

「うぅ……」


 ギュッと、カロリナの服を掴み、離れる様子を見せない。

 子供とはいえ長耳族なので、その握力は馬鹿にできない。

 下手をすると衣服を破きかねないため、無理に引き離すことは難しい。


「あ……、申し訳ありません。ルートヴィッヒ殿下……先ほどまでは元気が良かったのですが。内弁慶というか、人見知りなもので」

「いえいえ、お気になさらず。子供というのは得てしてそういうものです」


 元々、相手は四歳ほどの幼子だと聞いていたルートヴィッヒ二世は気にした様子を見せなかった。

 彼も幼女相手に不快になるほど、子供ではないのだ。


「私の方から、歩み寄りましょう。……良いですか?」

「ええ、勿論。そうして頂けるとありがたい」


 ルートヴィッヒ二世が物分かりが良い男で良かったと、エルキュールは少しだけ安心した。

 「レムリア皇帝は戦争はお上手だが、子育てはお下手なようだ」などと言われたら、正論なだけに言い返せないところだったからだ。

 もっとも、厳密には下手というよりは、そもそも子育てには全くもって参加していないというのが実情だが。


「カロリナ皇后殿下、お初にお目にかかります」


 まず初めにルートヴィッヒ二世はカロリナに挨拶をした。

 カロリナもまた、頭を下げる。


「お初にお目にかかります、ルートヴィッヒ殿下。……ほら、コンスタンティナ。挨拶をしなさい」


 カロリナはそう言ってコンスタンティナを前に出そうとする。

 一方、ルートヴィッヒ二世はしゃがみ込み、コンスタンティナに視線を合わせた。


「初めまして……コンスタンティナ殿下。ルートヴィッヒ・フラーリングです。どうぞ、よろしく」

「……」


 コンスタンティナは紺碧色の瞳でじっと、ルートヴィッヒ二世を見つめる。

 それからおずおずという調子で前に出てきた。


「……コンスタンティナ・ユリアノスです。初めまして。ルートヴィッヒ殿下」


 双方、挨拶を交わした。

 

 レムリア、フラーリングの双方の重鎮たちは胸を撫で下ろしたが…… 

 しかし同時に思うのだった。


 これは前途多難だな、と。


 



 前途多難。

 当初はそう思われたコンスタンティナとルートヴィッヒ二世の関係だが……


「あのね、こっちには綺麗なお花があるんです。案内してあげます!」

「これはご親切に、ありがとうございます」


 数日で二人の仲は深まったようだった。

 キャッキャと嬉しそうにルートヴィッヒ二世の手を引く、コンスタンティナ。

 それに対してルートヴィッヒ二世は優しく、対応する。


 その姿は仲睦まじい婚約者……というよりは、兄妹(きょうだい)のように見えた。


「ルートヴィッヒ殿下が親切な方で良かったな」

「そうですね。……コンスタンティナの方も年上のお兄さんができたような気持ちで、嬉しいのでしょう」


 エルキュールの言葉にカロリナは同意した。

 コンスタンティナは長女であり、妾との子を除けば彼女以外にエルキュールの子はいない。


 もしかしたら年上の兄が欲しいと、思っていたのかもしれない。


「しかしルートヴィッヒ殿下は随分と子供慣れしているように見えるが……」


 エルキュールは疑問を口にした。

 もっとも、これはルートヴィッヒ二世がロリコンだと言いたいわけではない。

 純粋な意味で、小さな子供を宥めたり、遊んだりするのが得意な様子だとエルキュールは言っているのだ。


「殿下には妹君がおられるのです」


 エルキュールの問いに答えたのは、共に二人のやり取りを見守っていたブラダマンテである。

 元々、「お兄ちゃん」をしていたからこそ、コンスタンティナの「お兄ちゃん」になれたというわけである。


「しかし……仲が良いのは結構ですが、兄妹(きょうだい)としての意識が抜けなくなると困りますね」


 カロリナが懸念を口にした。

 が、それに対してエルキュールはそれほど気にしている様子はなかった。


「重要なのはルートヴィッヒ殿下が勃つかどうかだが、コンスタンティナは幸いにも、俺とカロリナによく似ている。順調に育てば可愛い子に育つだろう。問題あるまい」

「「……」」


 父親として、よくそういうことが言えるなとカロリナとブラダマンテは揃って思った。

 もっとも、エルキュールは元よりそういう男である。


 一方、カロリナとブラダマンテにジト目で見られながら……

 エルキュールは一人、「鼠も雌雄セットで飼えば子を生すものだからな。最悪、媚薬でも盛れば問題ないだろう」などと考えていた。





 ルートヴィッヒ二世の来訪はレムリア、フラーリング双方の友好を深めるためであり、そして婚約者同士の顔見せのためでもある。

 が、しかし当然のことながらそれだけではない。


 コンスタンティナ、ルートヴィッヒ二世の双方の触れ合いが終わった後、エルキュールとルートヴィッヒ二世は会談を行った。


「実に有意義な会談ができて、嬉しく思っています。ルートヴィッヒ殿下」

「こちらこそ……これにより、双方の友好が増々深まることでしょう」


 二人は握手を交わす。

 この会談は連日続けて行われ、丁度今日、終わったところだった。


 議題は双方の経済圏や政治的な覇権争い、領土の確定など多岐に及んだ。

 基本的にはエデルナ戦争での平和協定では定まらなかった、細部に関する約定である。


 大枠そのものは決まっていたため、交渉はスムーズに進んだ。

 長引いたのは対象となる範囲が広かったためである。


 方針としてはフラーリングは原則として海には手を出さない。

 一方でレムリアは陸には手を出さない。

 という形となった。


 これによりフラーリングはレムリアから独立した経済圏・政治圏を得ることができたのだった。


 エルキュールにしては譲歩した部類である。


(やはり海洋国家である我々は極力、陸には手を出さない方が賢明だ。北方大陸の安全保障はフラーリングに任せてしまおう。……異教徒共よりかは、まだ同胞の方が信用できることだしな)


 今回の一件で、エルキュールは「ファールス王国は信用ならない」という確信に至った。


 そもそもレムリアとフラーリングの間には現状領土問題は存在しないが、伝統的にファールスとはミスル属州がシュリア属州の帰属で揉めており、それらは棚上げ状態のまま。


 この状況下ならばフラーリングの方がまだ信用できるだろう。


 

 尚……形の上ではエルキュールとルートヴィッヒ二世の会談ではあるが、それらを裏で取り仕切っているのはレムリアの外務大臣であるトドリスと、フラーリングの外交を担っているナモである。


 ルートヴィッヒ二世はまだまだ経験は浅く、エルキュールは餅は餅屋に任せるべきという考え方なので、これは当然の流れだ。

 

 トップ同士は仲良く、手を握り合っていれば良いのだ。





 さて、その夜。

 現状に於いて早急に片付けなければならなかった事業を無事に終えたエルキュールは晴れやかな気持ちでお風呂を浴びた。

 それからフラーリングから友好の証として贈られた葡萄酒で晩酌をし、ほろ酔い気分で寝室へと向かった。


 が、しかしだ。


「……おかしいな?」


 今日はシファニーだった気がするのだが。

 と、エルキュールは首を傾げる。


 ベッドの上には黒いベビードールを身に纏った、美しい金髪の女性が座っていた。

 

 最初はシェヘラザードかと思ったのだが、どう見ても容姿が異なる。

 頭からケモ耳が生えているのだ。


「今晩はよろしくお願いいたしますわ、皇帝陛下」


 そう言って三つ指を突いたのは……

 ブラダマンテだった。


 エルキュールはここで三つの可能性を考えた。


 一つ、エルキュールが部屋を間違えた。ここはブラダマンテの部屋である。

 二つ、ブラダマンテを抱きたいという気持ちが、エルキュールに幻覚を見せている。彼女はシェヘラザード、もしくはケモ耳のコスプレをしたシェヘラザードだ。

 三つ、ブラダマンテが勝手に部屋に押し入った。


「……どうして君がここにいるのかな? 扉の前には兵士もいたはずだが」


 いくら友好国とはいえ、外国人。

 そう容易く入れるものかとエルキュールは考えたのだが……


 ブラダマンテは自らの身に纏っているベビードールを指で摘まみながら、答えた。


「この姿で、陛下に呼ばれたとお答えしましたら、あっさり通してくださいましたわ」

「……そうか」


 これが日頃の行いというものか。

 エルキュールは額に手を当てた。


「それで何をしに来たのかな? まさか、誇り高きフラーリングの騎士が暗殺などするはずあるまい?」


 勿論、その姿や恰好から何となく要件は察していたが……

 一応、尋ねてみる。


 果たして、彼女はどのような表現をするのか。


 すると……ブラダマンテは胸を張って答えた。


「ハニートラップですわ!」


 思っていたよりも正直だった。

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