第19話 コンスタンティナ
「すすめ、すすめ、とちゅげきぃ!!」
紅い髪に紺碧の瞳の少女が、メイドの背に乗り、叫ぶ。
手には小さな玩具の剣を持っている。
メイドの女性は必死に四つん這いで、走っている。
「おそい、おそい!」
「も、申し訳ございません……で、殿下……」
「おうまさんは、はなしたりしない!」
「ひ、ひひーん!」
メイドに馬の鳴き真似をさせ、キャッキャと喜ぶ少女。
そんな少女に対し、その少女そっくりの容姿の紅い髪の女性――カロリナ――は、ややため息まじりに言う。
「コンスタンティナ、ほどほどにしなさい。……あまり人を困らせてはいけませんよ」
「これはひとじゃなくて、うまだもん!」
エルキュールとカロリナの第一子、コンスタンティナは自分が跨っているメイドを馬呼ばわりし、そう強弁した。
馬にされたメイドの女性は苦笑いを浮かべている。
「私は大丈夫ですから、皇后殿下」
「しかしですね……」
「まあ、元気で結構じゃないか」
先ほどから、ゲラゲラと大笑いしていた男性……エルキュールは言った。
そしてカロリナの肩を叩く。
「お転婆なところは、君にそっくりだな」
「……どちらかと言えば、あなたに似ている気がしますが?」
「俺はもっと、人の迷惑を考えられる人間だ」
「考えた上であなたは迷惑をかける人間でしょう?」
そう言われたエルキュールは思わず肩を竦めた。
カロリナはそれから、ため息をつく。
「本当に……大丈夫なんですか? この子が、フラーリング王国に嫁ぐなんて……」
「心配か?」
「ええ、心配です。ルートヴィッヒ二世殿下に失礼を働かないかどうか……」
「尻に敷いてくれるなら、俺としては万歳だがね」
呑気に笑う夫を、カロリナはジト目で見た。
そして心配そうに……再びため息をつくのだった。
カロリナとエルキュールが『馬』に跨るコンスタンティナに対して、別々の感想を抱いている頃……
『知恵』のナモは深々と、ルートヴィッヒ一世に対して頭を下げていた。
「申し訳ございませぬ、陛下」
心底悔いている、という声音でナモは言った。
ルートヴィッヒ一世とセシリアを引き合わせたのは、正確にはセシリアの仲介を受け入れるようにルートヴィッヒ一世に進言したのはナモだった。
このままではいつまで経っても戦争は終わらない。
そして……不利なのはルートヴィッヒ一世、フラーリング王国の方であると考えていたからだ。
確かにファールス王国は、ササン八世はレムリア帝国に攻め込む様子を見せていた。
が、しかし本気で攻め込む気があるかどうかは怪しかった。
またレムリア帝国の東方にはエルキュール一世が構築した防衛線が存在する。
如何にササン八世と雖も、そう易々とその防衛線を突破できない。
一方でルートヴィッヒ一世の、フラーリング軍の兵站限界は刻一刻と迫っていた。
ナモとて、セシリアが何らかの利益を求めて仲介を申し出ていたことは分かっていた。
が、しかしそれは両大国を仲介することによって、名声を得ることが主な目的であると考えていた。
まさか両国をペテンにかけて、双方から利益を毟り取ろうなどと蝙蝠のような考えをしているとは、想定の範囲外だったのだ。
「いや……もう、よい。乗ったのは余だ。それに……利益を横からかっさられたのは気に食わないが、理性的に考えれば、良い条件で講和できたのは事実だ」
感情的には腹立たしい。
が、セシリアは約束だけは違えていないし、それにセシリアのおかげで首の皮が一枚繋がったのは事実だ。
やや複雑な気持ちではあるが、セシリアを、姫巫女を、教皇を咎めることはできない。
「何にせよ……我が国の政治的、宗教的な独立はこれで保たれた。問題はあるまい」
フラーリング王国の聖職者に対する聖職『叙任』権を持つのは、教皇……つまりセシリアだ。
が、しかし『指名』権を持つのはルートヴィッヒ一世である。
そしてセシリアが教皇となってくれたおかげで、混乱なくことを治めることができた。
「それにあの小娘が……まあレムリア皇帝を嫌っているわけではないにせよ、必ずしも味方というわけではないのもまた、事実。ならば交渉の余地はあるだろう」
試しにルートヴィッヒ一世が自分に都合の良い人物を、つまり従来通りのフラーリング王国の司教たちを「追認」するようにセシリアに求めたところ、セシリアはほぼ全員を改めて叙任してくれた。
……人格的に問題があるかどうかは念入りに調べたようで、そういう者は弾かれたが。
ルートヴィッヒ一世の思うままというわけではないが、しかしルートヴィッヒ一世と敵対の意思はなく、またエルキュールの意のままというわけではない。
ならばルートヴィッヒ一世としては妥協点である。
「少なくとも、グルオリオスだか、グレボリオスだかよりはマシだ」
「……グレゴリウスです、陛下」
すでに自分が据えた先代の教皇の名を忘れ始めているルートヴィッヒ一世。
尚、彼はすでにセシリアによって裁かれ、エルキュールとルートヴィッヒ一世の双方の決定によって、目をくりぬかれ、鼻と耳を削ぎ落された上で島流しにされた。
セシリアもそれについては咎めなかった辺り……
自分を拷問し、大切な人を殺され、傷つけられた恨みはしっかりと根に持っていたようである。
「小娘と侮っていたが……アレよりは、話が通じる。余としては、腹立たしい以外には不満はない」
「……左様ですか」
「それにあの、新たな姫巫女領、もしくは教皇領と言うべき地域だが、あれは我が国とレムリアとの間の、緩衝地帯として機能する」
エデルナ王国を南北に分断するように、セシリアに寄進されたレムリア市とその周辺地域。
ここにはエルキュールもルートヴィッヒ一世も、無暗に軍を進められない。
実質的にメシア教会の荘園であるというのもあるし、何より宗教的な聖地と化してしまっているからだ。
レムリア皇帝がそれをどう考えているかは知ったことではないが、ルートヴィッヒ一世としてはこれは望ましいことである。
「……もう、レムリアと事は構えたくない。やはり、戦争は弱い相手とやるに限るな。ハハハハ!」
今回は運よく勝てた(大本営発表)が、次はどうなるか分からない。
もう二度とレムリア帝国とは揉め事を起こすまいと、ルートヴィッヒ一世は心に決めていた。
「それよりも……我が息子の嫁になる、レムリア帝国のコンスタンティナ殿下だ。今は四歳だと聞いているが……個人的に顔を合わせるのは早いに越したことはないと、考えている」
「それもそうですな」
「うむ。そこで友好の使者として、我が息子をレムリアに派遣するつもりだ。ノヴァ・レムリアは学芸都市としても有名だ。若いうちから、レムリア帝国の国力をその目に焼き付けておくことは、良い経験になるだろう」
井の中の蛙大海を知らず。
と、なられてしまっては困る。
フラーリング王国は地域大国ではあるが、レムリア帝国と比較するとその国力の基盤はずっと弱い。
そのことを自分の息子に自覚させたいと、ルートヴィッヒ一世は考えていた。
「しかし護衛の騎士は……」
誰にいたしますか?
と、ナモが聞こうとした時のこと。
「お呼びですか、陛下」
凛とした女性の声が謁見の間に響いた。
美しい金髪に猫耳の女性は、ルートヴィッヒ一世の前で跪く。
「ふむ、よく来た。ブラダマンテよ」
なるほどと、ナモは一人で勝手に納得した。
ルートヴィッヒ皇太子のお目付け役は、どうやら彼女になるようだ。
ブラダマンテは先の戦争では敵に捕らわれたものの、大活躍をした騎士だ。
七勇士の中では比較的、若いということもあり、将来のフラーリング王国を担う人材でもある。
先の戦いで捕虜になったことで結果的にレムリア帝国の皇帝や重臣とは顔見知りである。
加えて、フラーリング王国では数少ない女性騎士。
もしコンスタンティナ殿下がフラーリング王国に嫁いだ時には、彼女が大いに頼りにするであろう人材。
適材適所と言えるだろう。
と、ナモの考えていることと殆ど同じことをルートヴィッヒ一世はブラダマンテに語った。
「そういうわけだ。落ち着いたら、一度皇太子と共にレムリアへ向かって貰うが、構わないな?」
「はい、陛下のご命令とあらば」
ピクン、と金色の耳が天を突く。
尚、ルートヴィッヒ一世とブラダマンテの髪色が同じことから分かる通り、この二人は遠い親戚同士である。
そういう意味でもルートヴィッヒ一世にとっては信用できる家臣の一人だ。
「ブラダマンテよ、レムリア帝国と、そしてエルキュール一世と友好を深めて来てくれ」
「分かりました、陛下。……ですが、友好を深めるのは結構ですが」
キランとブラダマンテの瞳が光る。
「別に、レムリア皇帝を堕としてきても、構わないのでしょう?」
「…………まあ、別に構わないが」
「承知いたしました!」
金色の尻尾を振り振りさせながら、謁見の間から退出するブラダマンテ。
ルートヴィッヒ一世とナモは思わず、顔を見合わせた。
「……逆に堕とされなければよいが」
「……彼女ならば大丈夫と信じるしかありませんな」
この人選、もしかして間違えただろうか?
ルートヴィッヒ一世とナモは内心で不安を抱いた。
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