第18話 皇帝と姫巫女

 セシリアが教皇に就任し、そして同時にエルキュールとの婚約を公表してから一月。

 セシリアはノヴァ・レムリアを訪れていた。


 メシア教にとって、姫巫女にとっての総本山、本拠地はレムリア市である。

 が、しかしセシリアにとって本拠地となりえるかは別の話だ。


 実際のところ、セシリアの支持基盤はノヴァ・レムリアを中心とする東方にあるからだ。


 支持基盤を疎かにするわけにもいかないし、そもそも大分裂の要因にはレムリア総主教座とノヴァ・レムリア総主教座の対立があった。


 現在はセシリアが『教皇』となることで穏便に統合が完了したが、東西のシコリが消えたわけではない。

 そのためセシリアはこの統一状態を維持するために、レムリア、ノヴァ・レムリアの二都市間を行き来する必要があった。


 幸いにもアルブム海の制海権はレムリア帝国の手中にあり、両都市間の航路は安定している。

 下手な陸路よりもずっと安全に行き来ができるということもあり、セシリアは半年交代で、両都市で過ごす予定だ。


 ……というのは建前。

 ノヴァ・レムリアに愛しい人がいるから、というのが本当の理由だ。




 さて、そんなこんなでノヴァ・レムリア市に訪れたセシリアは、その宮殿の執務室でエルキュールと顔を合わせていた。

 

 ソファーに腰を下ろし、落ち着き払った表情で紅茶を飲むエルキュール。

 それに対しセシリアは機嫌良さそうな表情で、“カタログ”を読んでいた。


 そしてその“カタログ”の挿絵を指さしながら、エルキュールに話しかける。


「エルキュール様、私はこれが良いなと思うのですが、どう思われますか?」

「別に私は何でも構いませんよ、聖下・・聖下・・のお好きなようになさってください」


 ニコリと、エルキュールは微笑んで言った。

 その他人行儀な態度に、一瞬だけセシリアの表情が硬直する。


 しかしセシリアはめげることなく、立ち上がり、今度はエルキュールの隣に腰を下ろした。


「そんなこと言わずに……エルキュール様はどういうのが、私に似合うと思いますか?」

「聖下ならば、どのようなご衣装も、似合うと思いますよ」

「……」


 セシリアは無言で立ち上がった。

 そして……


「えい!」

「いたっ!」


 思いっきり、エルキュールの脛を蹴りつけた。

 脛を抑えて悶絶するエルキュールに、セシリアは抱き着く。


 そしてポカポカと、両手で殴りつけた。


「何で、そんな態度なんですか! いつまで、臍を曲げているんですか! 意地悪!」

「……ふん」


 エルキュールは機嫌悪そうに鼻を鳴らした。


「血と汗を掠めとるような真似をされれば、苛立つのは当然のことではないかな?」


 エルキュールは、レムリア帝国は膨大な血と金貨を消費し、ようやくレムリア市を含む領土を取り戻し、権益を手に入れた。

 が、セシリアはそれを踏み台にするように、一切の犠牲を払わず、レムリア帝国以上の利益を得たのだ。


 勿論、外交や謀略の世界に卑怯も何もない。

 が、感情的にそれが許せるかどうかは別の話である。


「お言葉ですが、エルキュール様。私たちも、血と汗を流しましたから」


 エルキュールに対し、セシリアは腰に手を当てて言った。


 実際、政変の時には多くの聖職者たちが命を落としている。

 そして姫巫女派の勢いを盛り返すための布教活動でも、多くの人死にが出ているのだ。


「今まで、私たちはあなたの雑用として甘んじていました。これはその正当な対価です」


 互いに利益が合致していたとはいえ、良い様に使われていた。 

 レムリア帝国はメシア教会の努力の成果を、掠め取っていたのだ。


 それをやり返しただけである。


「ええ、勿論……ですから、さすがは聖下ですと、私は申し上げています」

「だから、聖下と呼ぶのは、やめてください!」


 セシリアは悲痛な声で、エルキュールに訴えた。

 その瞳には涙が浮かんでいる。


「私とエルキュール様の仲ではないですか!」

「私は『教皇』と仲良くなったつもりはないが?」

「今は、単なるセシリア・ペテロです!!」


 そう叫び、「ぐすり……」とやや半泣きになるセシリア。 

 一方でエルキュールはやや冷めた表情だ。


「そうやって、嘘泣きと色仕掛けて私を騙そうとしているのだろう?」

「違います! 違いますからぁー!!」

「なら、聖職叙任権を含む諸権限を私に委ねてくれないかな?」

「はい! わか……って、そんなこと、認められるわけないじゃないですか!」

「……教皇聖下」

「もう!! 意地悪しないでください!」


 ぐずぐずと泣き始めるセシリア。

 さすがに虐めすぎたかと、エルキュールも少しだけ反省する。


「まあ、君がこれまで通りに協力してくれるならば、それで良い」

「……今までの御恩は忘れてはいませんから。最大限の協力はします。そ、それに……私たち、夫婦ですしぃ……」


 頬を赤らめながらエルキュールを上目遣いに見るセシリア。

 エルキュールには彼女のこの表情や仕草が、計算によるものか、天然ものなのか、判別できなかった。


(知らないうちに随分と化けたな)


 レムリア市をセシリアに寄進することは、虎に翼を与えるようなものだった。

 今となっては、セシリアを檻の中で飼うことはできないだろう。

 もっとも……幸いなことに、この虎は翼があろうがなかろうが、エルキュールに懐いている。

 

 エルキュールにセシリアの色仕掛けが効くように、セシリアにもエルキュールの色仕掛けが効くのだ。


「セシリアには、このデザインが似合うと思う」

「本当ですか!? えへへ、私もそう思います」


 ニコニコと微笑むセシリアの肩に、エルキュールは手を回した。

 時折、軽い接吻を交わしながら結婚式についての計画を練る。


「そう言えば、エルキュール様。私の立ち位置はどうなりますか?」


 つまり側室か、正室か、である。

 セシリアは人族なので、慣習的には側室となるのが相応しいが……


「……まあさすがに側室というわけにはいかない。正室だな」


 まさか、姫巫女を側室待遇とするわけにはいかない。

 幸いなのは、ソニアの時とは異なり、セシリアが正室となることに異を唱える者は殆どいないということだ。

 その子供が皇位継承権を持つか否かとなると話は別になるが……


 姫巫女の地位がレムリア皇帝と殆ど同格なのは、誰もが知っていること。

 

 そしてレムリア帝国の臣民はエルキュールの臣民である以前にメシア教の信徒であり、セシリアの支持者なのだから。


「そうですか。子供は……さすがに継承権は持ちませんか?」

「それは慣習的に難しいな。何だ? 自分の子を、皇帝にしたいか?」


 エルキュールはそう尋ねながら、セシリアの長い足を愛撫する。

 セシリアは頬を赤らめ、身を僅かに震わせながら、首を左右に振った。


「いえ、今のところは。もっとも……産んでみたら違うかもしれませんけれど」


 そう言って悪戯っぽく笑う。

 エルキュールは肩に回していた手の指先を、僅かに伸ばした。

 指先が柔らかい胸に触れる。

 ビクリと、セシリアは身動ぎする。


「子の養育はどうする?」

「当然、私がします。……と言いたいところですが、そう簡単には聞き入れてもらえないでしょう?」


 一般的に子の養育権は父親に帰する。

 家父長制の家族制度では、父親の、夫の権限が強大であり、母親や妻はそれに追従するものだからである。


 セシリアの場合は姫巫女であるため、エルキュールに逆らうことは無論、対立することさえできるが……

 それでも家父長制的には、セシリアの子供はエルキュールが養育するのが順当だ。


「男の子は俺が引き取る」

「……仕方がないことですね。では女の子は私が引き取りましょう」


 エルキュールとしては、男の子よりも女の子の方が欲しい。

 なぜなら、女の子の方は政略結婚の道具として使えるからだ。

 男の子の場合は、腐っても皇族として養わなければならない上に、身を立てることができなければ文字通りの無駄飯食らいになる。

 

 だが男の子がセシリアの手に渡ることに比べれば、まだ無駄飯食らいの方がマシだ。

 セシリアが妙なことを吹き込んで、皇位継承権など主張されれば堪ったものではないからである。


 一方、セシリアにとっては女の子だけは自分の手元に置きたい。

 将来の姫巫女、もしくは姫巫女の親となりうる可能性のある子を自分の手元に置きたいのは当然のことだ。


「勿論、会わせてはくれますよね?」

「当然だ。……君もちゃんと女の子を連れてきてくれ」


 何にせよ、セシリアは半年間はノヴァ・レムリアで過ごす。

 そしてエルキュールも定期的にレムリアに訪れるつもりだ。


 成長を見守ることができるのであれば、親としては十分だ。


 その事実さえ確認できれば、あとは……


「あ、ああ……エルキュール様。ま、まだ、お外は明るいですし……」

「嫌なら、抵抗しろ」


 ソファーの上で二人は絡み合った。

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