第17話 和平交渉 Ⅵ
「そういうわけですから、ルートヴィッヒ陛下。レムリア帝国皇女、コンスタンティナ殿下とルートヴィッヒ殿下とのご結婚は、コンスタンティナ殿下が十八歳となられてから、と。それとジェヌア市の割譲は前払い……それと関税等の優遇や、レムリア帝国の商人の保護に関しても、ご検討宜しくお願い致します」
セシリアがエルキュールからの要求をルートヴィッヒ一世に伝える。
ルートヴィッヒ一世はしばらく考え込んだ様子を見せてから、頷いた。
「良いでしょう」
大きくルートヴィッヒ一世は頷いた。
それからセシリアはもう一つのエルキュールからの要求を伝える。
「それとレムリア市のことなのですが、やはり実効支配をフラーリング王国やエデルナ王国に帰することは難しいようです」
「むむ……しかし余としては、レムリア帝国の実効支配にあるのは……」
「代わりにエルキュール陛下は、レムリア市を私に、姫巫女に寄進すると。……如何ですか?」
ルートヴィッヒ一世は腕を組み、うんうんと唸った。
それから頷く。
「良いでしょう。余としては、レムリア市がレムリア帝国の影響下から脱すれば良いのだから」
姫巫女セシリアはエルキュールに対し、レムリア帝国に対して叛意を抱いている。
その姫巫女の支配下に収まるのであれば、少なくともレムリア総主教座の独立は守られる。
宗教的なフラーリング王国への介入は防げるのだ。
「……しかしよくまとめて来ましたな」
「あの方は女に甘いのですよ」
ふふ、とセシリアは笑った。
ルートヴィッヒ一世は肩を竦めた。
「とんだ悪女だ……が、しかし取引相手としては、申し分ない。これから、よろしくお願いいたしますぞ。聖下」
「ええ、陛下」
二人は握手を交わした。
斯くして、セシリアからエルキュール、ルートヴィッヒ一世の双方に新たな条約案が提示された。
削除・修正・追加された内容は以下の通り。
削除は以下の四条項
・レムリア市は依然としてレムリア帝国に帰属する
・レムリア市の市内の統治権は姫巫女が持つ。ただしレムリア法の立法権やレムリア皇帝の行政権はこれを優越する
・レムリア市とその周辺の財政権は姫巫女が持つ
・三者は過去に「教皇」という地位がメシア教会に存在しなかった事実を確認する
修正は以下の条項
・レムリアは条約が結ばれたこの時点を持って、フラーリング王国の国王位はレムリア皇帝位と国際的に同格であり、レムリア皇帝の干渉を一切受けないことを確認する
↓
・レムリアは条約が結ばれたこの時点を持って、フラーリング王国の国王位はレムリア皇帝位と外交儀礼上、同格であり、レムリア皇帝の干渉を一切受けないことを確認する。ただし、これはレムリア皇帝が擁する姫巫女の庇護権を含む、各種宗教法上の権限をフラーリング王が持つことを意味しない。宗教的権威に於いてはレムリア皇帝位はフラーリング国王位を優越する。
追加は以下の通り
・レムリア市はレムリア帝国に帰属される、正統なるレムリア帝国の領土である
・レムリア市内とその周辺地域の統治権・行政権・徴税権を含む、各種支配権はエルキュール・ユリアノスの名において、メシア教会レムリア総主教座に寄進される。セシリア・ペテロとルートヴィッヒ・フラーリングはこれを確認する
・フラーリング王国領内における聖職叙任権を含む教会の統治権は、姫巫女より任じられた『教皇』に一任される
・教皇はフラーリング王に指名され、姫巫女に任命される。
・姫巫女は『教皇』の任命権は持つが、フラーリング王国領内における聖職叙任権を含む教会への、直接的な統治権は持たない
・この契約の締結と同時に、レムリア帝国の皇女コンスタンティナとフラーリング王国の王太子ルートヴィッヒ一二世との間に婚約をかわす。
・両者の婚約は双方が共に破棄しない限り、有効であることをセシリア・ペテロとその後継者は保障する
・この条約締結と同時に、結納品としてジェヌア市におけるフラーリング王国の各種権益が、レムリア帝国に譲渡される
・フラーリング王国はレムリア帝国出身の商人の活動を保護する
・フラーリング王国はレムリア帝国との間の関税を十年間撤廃する。これは双方の承認によって、五年ごと更新される
斯くして最終的な条約が完成した。
「……ふむ」
「悪くない」
エルキュールとルートヴィッヒ一世は揃って納得の声をあげた。
その内容は以下の通りである。
賠償金に関する条約
・双方、賠償金は支払わない
エデルナ王国に関する条約
・レムリア、フラーリングの両国はエデルナ王国より兵を退く
・両国は今後、十年間エデルナ王国内で軍隊を組織しない
・レムリアはエデルナ王国の(フラーリングの視点に於ける)現国王の今までの統治を正当なものとして認める
・(フラーリングの視点に於ける)現国王はその悪政の責任で廃位される
・新たな国王はレムリア帝国に亡命中の王族から選出される
・エデルナ王国の北半分はフラーリング王国が、南半分はレムリア帝国が指導権を有する
・レムリアはエデルナ王国に於けるフラーリング王国の恒久的権益、特にエデルナ港の使用権を認める
アドルリア共和国に関する条約
・フラーリングはレムリアのアドルリア共和国併合を認める
・レムリアはフラーリングのアドルリア共和国に於ける恒久的権益、特にアドルリア港の使用権を認める
・レムリアは今後五十年間におけるアドルリア共和国の自治を認め、その国体を保証する
フラーリング、レムリアの国家間に関する条約
・双方、十年間不可侵とする
・レムリアはフラーリングに対して敵対的な第三勢力(ドゥイチュ王国)と同盟を結ばない
・フラーリングはレムリアに対して敵対的な第三勢力(ファールス王国)と同盟を結ばない
・この契約の締結と同時に、レムリア帝国の皇女コンスタンティナとフラーリング王国の王太子ルートヴィッヒ一二世との間に婚約をかわす。
・両者の婚約は双方が共に破棄しない限り、有効であることをセシリア・ペテロとその後継者は保障する
・この条約締結と同時に、結納品としてジェヌア市におけるフラーリング王国の各種権益が、レムリア帝国に譲渡される
・フラーリング王国はレムリア帝国出身の商人の活動を保護する
・フラーリング王国はレムリア帝国との間の関税を十年間撤廃する。これは双方の承認によって、五年ごと更新される
レムリア皇帝位とその皇帝に関する条約
・両国はレムリア帝国の第二十代目皇帝エルキュール一世が東西レムリアを統一する唯一の皇帝であることを確認する
・両国はレムリア皇帝が治める国こそが唯一のレムリア帝国であり、二つとして存在しないことを歴史的・恒久的に確認する
・上記はレムリア皇帝が同時期に複数人存在する可能性を(つまり分割統治を)否定するものではない
・レムリア皇帝の選出方法はレムリア法の先例に従うものとする
・フラーリングはルートヴィッヒ一世が、過去に西レムリア皇帝として即位した事実が存在していないことを確認する
フラーリング国王位とその王国に関する条約
・レムリアは条約が結ばれたこの時点を持って、フラーリング王国の国王位はレムリア皇帝位と外交儀礼上、同格であり、レムリア皇帝の干渉を一切受けないことを確認する。ただし、これはレムリア皇帝が擁する姫巫女の庇護権を含む、各種宗教法上の権限をフラーリング王が持つことを意味しない。宗教的権威に於いてはレムリア皇帝位はフラーリング国王位を優越する。
・フラーリング国王の選出方法はフラーリング王国の慣習法に従うものとする
・レムリアは条約が結ばれたこの時点を持って、現フラーリング王国の版図( ガルリア、西ドゥイチュ、アルビオン、スカーディナウィア)がレムリア皇帝の統治権より外れ、そしてレムリア帝国の主権の範囲外となったことを確認する
・レムリアはフラーリング王国の国王によるフラーリング王国の統治権を認める
・現時点においてフラーリング王国に於いて効力を発揮されているレムリア法は、フラーリング王国によって破棄されない限り、実効力を持つ
・上記に関して、ただし今後レムリア帝国で発行されたレムリア法がフラーリング王国でその実効力を持つことはない
メシア教会とレムリア総主教座及びレムリア市の帰属に関して
・両国は正統派メシア教の教義こそが、唯一にして絶対のメシア教の教義であることを確認する
・正統派メシア教の指導者は従来の先例通り姫巫女であり、その地位の神聖にして不可侵であることはメシア法の示す通りである
・先代の姫巫女はミレニア・ペテロであり、今代の姫巫女はセシリア・ペテロである
・ルートヴィッヒ一世、エルキュール一世、セシリア・ペテロ(以下三者)はセシリア・ペテロこそが唯一にして絶対の姫巫女であることを確認する
・三者は聖職叙任権を持つのが姫巫女のみであることを確認する。ただしその選出方法は両国の法律と勅令にて規定される
・レムリア市はレムリア帝国に帰属される、正統なるレムリア帝国の領土である
・レムリア市内とその周辺地域の統治権・行政権・徴税権を含む、各種支配権はエルキュール・ユリアノスの名において、メシア教会レムリア総主教座に寄進される。セシリア・ペテロとルートヴィッヒ・フラーリングはこれを確認する
・フラーリング王国領内における聖職叙任権を含む教会の統治権は、姫巫女より任じられた『教皇』に一任される
・教皇はフラーリング王に指名され、姫巫女に任命される。
・姫巫女は『教皇』の任命権は持つが、フラーリング王国領内における聖職叙任権を含む教会への、直接的な統治権は持たない
・その他に関しては、いわゆる「大シスマ」の発生以前の秩序に戻す
・現時点をもって、いわゆる「大シスマ」の終結を三者の名にて宣言する
以上の条約はルートヴィッヒ一世、エルキュール一世、セシリア・ペテロの三名の承認を持って実行される。
この条約締結によりレムリア帝国は
・エデルナ王国の王位奪還
・レムリア市の奪還
・アドルリア市、ジェヌア市を獲得
・レムリア皇帝位における、メシア教義上の優越の確認
という十分な戦果を得た。
一方でフラーリング王国は
・エデルナ王国の防衛成功
・アドルリア市の政体保障
・外交儀礼上、レムリア皇帝位と同格の地位
・宗教的な独立
・ユリアノス家との婚姻
という十分な戦果を得た。
これは双方の君主が自国に帰り、「勝利したのは我々である」と宣伝するには十分なものであった。
……双方ともにいくつかの物は失ったが、それは双方にとってはそれほど大きなものではなく、得た物と比較すれば小さな物だった。
エルキュール、ルートヴィッヒ一世の二人は上機嫌で帰国した。
一方、晴れてレムリア総主教座を手に入れたセシリアはレムリア市へと凱旋を果たす。
グレゴリウスを始めとする反セシリア派の聖職者たちはレムリア、フラーリングの双方から追放、投獄された。
……さて、ここまではエルキュールも、ルートヴィッヒ一世もこう思っていた。
「セシリア(姫巫女)はよくやってくれた」と。
が、しかし。
全てのごたごたが収まり、レムリアとフラーリングの双方が落ち着きを取り戻す頃。
セシリアが双方と結んだ『密約』を実行に移すと、事態は急変する。
セシリアは世界に向けて、大々的に発信した。
「セシリア・ペテロは、レムリア帝国の皇帝エルキュール一世と結婚をする」
「セシリア・ペテロは、自分自身を『教皇』に任命する」
この時、エルキュールとルートヴィッヒ一世はようやく気付いたのだ。
セシリア・ペテロに「してやられた」と。
レムリア・フラーリング戦争の外交交渉に於いて、セシリアは一切自分の懐を痛めることなく、
・レムリア総主教座
・レムリア市とその周辺の支配権
・レムリア帝国からの自立
・フラーリング王国内における聖職叙任権
を獲得したのである。
セシリアは自分の即位より始まった大シスマを独力で終結させ、東西の教会を統一、さらにレムリア、フラーリングの双方でバランスを保つことで、教会の政治的・経済的な自立を達成させたのだ。
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世界史大百科
名称:『姫巫女=教皇制』
概要:メシア教会における最高権威である姫巫女が、フラーリング王国内に於ける宗教的な指導者である教皇を兼ねる制度。メシア歴XXXX年、セシリア・ペテロが教皇に即位したことで確立した。この制度により、ミレニア・ペテロの死後より続いた大シスマが解消され、姫巫女の権威はメシア教世界の全てに及ぶようになった。
この制度の確立は姫巫女が宗教上の最高権威として、レムリア皇帝及びフラーリング王の両者の上に君臨することを意味していた。
レムリア皇帝とフラーリング王という二つの二大権力を、一元的な姫巫女の権威が治めるという構造は『中世世界』の代表的な特徴の一つである。
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