第13話 和平交渉 Ⅱ

 さて、双方が睨み合って一週間が経過した。

 奇しくも、ルートヴィッヒ一世とエルキュールの二人は揃って叫んでいた。


「「早く負けを認めろ! あの、強情者め!!」」







 同時刻。

 フラーリング王国、首都ルゥティーシィ。


 そこのとある館には、ある重要人物が招かれていた。


「この事態……予想通りですか? 聖下」

「まさか。ただ、可能性の一つとして考えていただけです」


 レムリア主教座大主教クロノスの問いに、セシリアは優雅に紅茶を飲みながら答えた。


 現在、レムリア帝国とフラーリング王国の戦争は「どちらが先に折れるか」の戦いとなっていた。

 

 というのも、まずフラーリング王国は兵站などの問題から長期間、戦争を続けられない。

 が、しかしレムリア帝国はレムリア帝国で、その背後にファールス王国の存在がある以上、戦争を続けられない。

 

 故にチキンレースのような状態になっているのだ。


「レムリア軍とフラーリング軍ならば、まあ私は軍事には詳しくはありませんが、レムリア軍の方が精強であると予想できます。……指揮官以前に、武器や兵士の質や量が違いますから。そして……外交的には、背後に敵がいるかどうかでは、レムリア帝国の方が圧倒的に不利です」


 セシリアは淡々と自分の解析を語る。

 これはエルキュールやルートヴィッヒ一世の能力を抜きにした、「国家」としてのその国の特性である。

 フラーリング王国の方が経済的には劣っており、必然的に軍に掛かる資本の量が変わる。これはルートヴィッヒ一世の努力で覆せるものではない。

 そしてレムリア帝国にとってある種の恒久的な外交課題、文明の交差路という特性上、全方位を大国に囲まれやすいという性質、背後にファールス王国が存在するという事実もまた、エルキュールの努力で覆せるようなものではない。


「しかし……ルートヴィッヒ一世がファールス王国を動かせるとは、エルキュール一世も予想できなかったことなのでは?」


 クロノスが疑問を口にするが……セシリアは首を左右に振った。


「いえ、エルキュール様も予想はしていたと思いますよ。そもそもルートヴィッヒ一世が動こうが動くまいが、ファールス王国は隙さえあれば攻め込んでくるでしょうしね。……ただ、エルキュール様の想定以上にルートヴィッヒ一世がササン八世に対して強いコネクションを持っていた。それだけの話ですね」


 セシリアに想定できて、エルキュールに想定できなかったのは、情報量の差である。

 メシア教会は一種の官僚機構であり、そしてそれは世界中に存在する。


 セシリアの情報網はフラーリング王国はもちろん、ファールス王国にまで広がっているのだ。


 セシリアとて、全ての情報をエルキュールに渡しているわけではない。

 いくつかの重要な情報は、カードとして手元に置き続けていた。


「結果として、エルキュール様の想定よりも早くファールス王国が怪しい動きを見せ始めた。ここまではエルキュール様の想定外。そしてここからはルートヴィッヒ一世の想定外です」


「ルートヴィッヒ一世の?」


「レムリア帝国の動員総兵力を、軍事力を過小評価していたと思います。おそらく、彼の予想ではすでにレムリア軍は撤退しているはずなんですよ。でも、撤退していない。何故ならレムリア帝国には屯田兵を中心とする、強力な防衛線があるから。そしてブルガロン、チェルダの双方から、最悪ハヤスタンからもまだまだ兵力を絞り出すことができるから。故にファールス王国も迂闊に攻め込めませんし、迂闊に攻め込めないと分かっているからこそエルキュール様も一週間、あの場で睨み合い続けることができているわけです」


 エルキュールとて、本国を空にして他国を攻め込むはずがない。

 多少、ちょっかいを出されたとしてもしばらくは持ちこたえられるという自信があるからこそ、最悪二正面作戦となっても戦えるという自信があるからこそ、戦争を仕掛けたのだ。


 ササン八世も今頃、舌を巻いているだろう。


「あとはお互い、負けず嫌いなんでしょうね。意地でも引く気はないんでしょう。結果、双方千日手。だからこそ、私たちに手番が回ってきます」


 そう言ってセシリアは立ち上がった。

 そのタイミングで扉が開いた。


 丁度良く、フラーリング王国の騎士がやってきたのだ。


「戦争を終わらせられるのは、私たちだけです。……すでにレムリア帝国の外務大臣、トドリス・トドリアヌス殿との話は付けてあります。後はフラーリング王国のナモ卿に話を通し、それから両国の君主を説得すれば終わりです」


 そういうセシリアの表情には……

 勝ち誇った笑顔が浮かんでいた。





 さて、それからさらに一週間後。

 セシリアはエルキュールのもとへ、つまりエデルナ王国へと渡った。


「ご機嫌麗しゅう、エルキュール陛下。調子は如何ですか?」

「さて、君には調子が良さそうに見えるのかな?」


 そういうエルキュールの表情は……酷く不機嫌そうだった。

 すでにセシリアの提案はトドリスを通じて、エルキュールのもとへ通っているのだろう。


 それで不愉快な気持ちになっているのだ。


「ええ、勿論。あと少しで……戦争が終わりますから」

「……ほう」


 セシリアの言葉に対し、エルキュールは笑みを浮かべたまま小さく相槌を打った。

 表情とは裏腹に、エルキュールの機嫌は急降下している。


 それに気付いた群臣たちはオロオロとしている。


「お前は俺に、レムリアに負けを認めろと言うのか?」


 低い声でエルキュールは尋ねた。

 わずかに怒気が漏れている。

 普通の人間はこれには腰を抜かし、怯えた表情を見せるだろう。


 しかしセシリアは内心で震えながら、しかしそれを表情に現さず、気丈に返した。


「いえ、別に? 私がご提案したものはあくまで、講和条件の草案に過ぎません。気に入らなければ、ルートヴィッヒ一世と協議すれば良いではありませんか」


 そしてセシリアは小さくウィンクをした。


「場を整えられるのは、私だけだと自負しています。だって、そうでしょう? エルキュール様が先に講和の使者を送れば、エルキュール様が弱気だと思われる。そして逆も然りなのですから」


 エルキュールもルートヴィッヒ一世も、これ以上戦争は続けられないことは分かっていた。

 故に講和したがっていたし、講和のためならばある程度の譲歩は致し方ないと考えていた。


 だが枷となったのは、どちらが先に講和を提案するか、つまりテーブルに付こうと提案するかである。


 下手を打てば弱気と捉えられ、交渉することに条件を求められかねない。

 故に双方、睨み合うしかなかったのだ。


「神の子は神に、皇帝のものは皇帝に。私は世俗権力から離れた位置にいます。つまりもっとも中立的な存在と言えるでしょう」


「よくもまあ、白々しく言うようになったな。誰に似たのやら」


「誰だと思います?」


 セシリアが悪戯っぽく笑うと、エルキュールは不愉快そうに眉を顰めた。


「まあ、百歩譲って俺が君を仲介とすることを望むとしよう。ルートヴィッヒ一世が君の仲介を認めるかね? 君と俺が親しいことは明白だが?」


「勿論ですよ、エルキュール様」


 セシリアは頷いた。


「今やもう、教皇派の勢いは大きく減衰しています。このままでは姫巫女派に塗り替えられるのは自明。ルートヴィッヒ一世は私に恩を売りたいと、何なら乗り換えたいと思い始めている頃合いですよ」


「……誰のおかげで、ここまで盛り返せたと思っている?」


「勿論、私の手腕です。私がエルキュール様から支援を引き出したんですから。違いますか?」


「本当に……図々しくなった」


 そしてエルキュールは大きくため息をついた。

 それから……小さく頭を下げた。


「姫巫女聖下、どうか……講和の仲介をお願い申し上げます」

「畏まりました。皇帝陛下」






 さて、その後セシリアはルートヴィッヒ一世のもとへ赴き……何らかの交渉を行い、こちらからも講和の席に着くことの承諾を得た。


 そして交渉の前段階として、双方の捕虜の交換が行われた。

 これは正統派メシア教会姫巫女派の監視のもと、一切の混乱も条約破りもなく、滞りなく終了した。


 斯くしてニア、ブラダマンテの二人はそれぞれ己の主君のもとへと戻った。


 そしてその翌日。

 双方の軍からちょうど、中間地点に簡易的な天幕が張られた。


 そしてセシリアが見守るなか……


「こうして直接お会いするのは、随分と久しぶりになりますな。エルキュール陛下」

「ええ、全く。懐かしい限りです。ルートヴィッヒ陛下」


 エルキュールとルートヴィッヒ一世は握手を交わした。

 そしてテーブルに着き……


 睨み合った。


 見るからに険悪な空気の中、不釣り合いなほど明るい声でセシリアが宣言した。


「では……早速、本題に入りましょう。話し合いで、平和的に、この戦争を終わらせるのです」

「「ふん……」」

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